6. 正体不明の「有名人」を語る


 a. 「前田常作」を語る

 密教の存在論や宇宙論が<マンダラ世界>として語られるということは、世俗諦としての霊魂観を不可決のものとするが、この霊魂観は密教美術の幽玄にして深遠なる美的感動へと誘う霊感の泉なのだ。
 この霊感の泉に住まう優れたマンダラの画家に信仰心の厚い「前田常作」がいる。この<前田芸術>を一言でいえば、密教のマンダラ世界という救済論の構造を借りた「美的霊魂観」といえる。そして<前田芸術>がここに「密教的<作品>」として存在する根拠とは、芸術家としての美的価値判断への「情熱=暴力性」に他ならないのだ。
 それを「美的自己愛」という視点から語るならば、それはあくまでも伝統的な密教美術論のなかで育まれる「美的自己実現」を目指すものであるから、芸術家が美的霊魂観において「<私>たりうる<私>」であれば、そのときに芸術家は<美的芸術作品>に疎外される「<美>たりえぬ作者」に落ちることなく「宗教的な祝福」を与えられることになる。ここで「密教的<作品>」は、美的霊魂観を共有しうるヒトビトにとっては単に芸術的であるだけにとどまらず宗教的な祝福に満たされたものとなり、「宗教的な美」という絵実物世界におけるエリートとしてあたかも貴族趣味の知的遊びのように「美的<喜び>」の崇高なる希望を担うことになる。この「美的<喜び>」として輝く<前田芸術>は、魅力的な知的ゲームを楽しませるから、宗教的感動をともなった<喜び>に現世利益の希望をあたえてくれるといえる。
 したがって「前田常作」が、日常的な生活者としても美的霊魂観に支えられて「宗教的な至福」に住まうことができれば、美的自己愛の暴力性を宗教的な善意として生きられるから、このマンダラ世界で美的生命力の永劫の温もりを人類滅亡を包括しうるほどの快適な輪廻転生観として、この宇宙のどこかで新たに始まる生命に向かい永劫の遊感覚を楽しむ表現者の喜びを体得できるはずなのだ。それが自愛的欲望に呪われた数多の芸術家にとって大いなる僥倖となることは確かであるが、しかしその「宗教的な至福」は霊魂観という絵実物世界の自己実現でしかないのだから、たとえ絵実物的評価において快適であったとしてもそれが「ひとりよがりの美的呪縛」ではないという保証はどこにもないのだ。
 ところが<6F>の「ある表現者」が、「<愛>が<美>の動機としてあり、その<愛>が生命力ゆえの苦悩でしかないとすれば、<美>は<愛>ゆえの苦悩である」というように、美的価値判断の暴力性が「美的自己愛ゆえの苦悩」でしかないときには、絵実物世界における美的霊魂観の祝福で「美的苦悩」の動機が解消されるとは限らないのだ。それゆえに美的霊魂観をその動機から救済しようとすれば、絵空事としての密教的芸術論が語られなければならないといえる。
 それは美的自己愛に呪縛された表現者が、<空>観において<美>の動機を<愛>から懴悔することであり、「<愛>という生命力」を踏まえた「自分とは何か」「いかに生きるべきか」を因縁解脱として生きることになり、日常生活における日々の懴悔を<反省的表現体験>として「自愛的欲望−体制的欲望」と「絵実物−絵空事」の接点で告白しつづけるのだ。そしてことごとくの<反省的行為>を<反省的経験>としうる純粋性の表現体験の現場では、美的霊魂観に対する「<私>たりえぬ<私>」が「<愛>の生命力」を<無記>のものとして「解放=開放」することになる。この「無記の反省的表現体験」を密教的救済論の<加持祈祷>的事件として生きることが、<芸術論>を懴悔した<とりあえずの密教論>としての「不空芸術菩薩論」というわけなのだ。
 つまり<前田芸術>は美的霊魂観によって確固たる「絵実物的密教論」としてあるが、<表現者>の救済論としては不十分であるために、業の深い<6F>的な表現者にとっては「絵空事的密教論」といいうる「不空芸術菩薩論」でなければならないのだ。しかもこの「不空芸術菩薩論」は、<とりあえずの密教論>をも「解放=開放」する踏み台として「<何>論」によって解消されてしまうのだ。

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 b. 「井上有一」を語る

 テレビ(12)チャンネル『こころの時代 「“愚徹"を書く」/井上有一+糸井重里』を見る。そこで、何はともあれ<空言><何言>にすぎないわれわれが、この「井上有一」という<誰か>を勝手に語ろうとも多分その<誰か>を傷付けることにはならないであろうし、ましてわれわれが「口の災い」で泣くこともないと思われるから、<何>論的手法により「井上有一=われわれ」の現場を拓けば、ここではとりあえずの<マスコミ的人格>である「井上有一」が「われわれ」に語られつつ、「われわれ」が「井上有一」に語られることによって「正体不明の有名人」が措定されることになる。
 とりあえずは「井上有一」という書家が、<文字>を<言葉>として語られているものとして捕らえ返すにしても、あるいは<言葉>をいま改めて<文字>として書いている表現者であることに目覚めるにしても、そのように「<言葉>が書かれる場=<文字>が語られる場」が「井上有一」という<マスコミ的役柄>の言霊としてわれわれに与えられてしまうと、「テレビ的<言霊>」はやはり体制的欲望に取り込まれて、「井上有一的<事件=事件報告>」は単におしゃべりな「テレビ<作品>」へと堕落させられてしまう。すると<作品>と呼ばれるものに寄生する気のいい<作者>が、ワケもなく浮上してきて「言葉を書き、文字で語る」<芸術家>としての「井上有一」を名乗らせることになる。その<芸術家>としての役柄がとりあえずはテレビによって与えられたものでしかないにしても、「井上有一」的理念がやはり「<書>芸術論」の可能性の中で語られているために、その意味においても「井上有一」である<誰か>は<芸術家>たりうるが、しかしそれほど重い荷物を背負うことのない快適な<芸術家>であるといえる。
 この「井上有一」が「快適な芸術家」として見えるということは、「作品が作者に、あるいは作者が作品に<自己分裂を眼差し>」同時に「作者が作品によって、あるいは作品が作者によって<自己統一を応答する>」ことの相克関係の狭間で、あるいはそのような表現「行為=経験」の混沌の中で、日常生活を踏まえた表現者として厳密なる反省に支えられた<芸術的価値判断>が生きられているということなのだ。
 つまり、あらゆることが矛盾に満ちた<自己統一的分裂>と<自己分裂的統一>の確執として揺らめく人間的営為を、絵実物的な「作品−表現(創造=破壊)−作者」の図式における円満な関係として語るためには、日々変化しつづける<芸術家>が「<私>たりえぬ<私>が<私>なのだ」と割り切って、一瞬の閃きにすぎない芸術的感動と芸術的価値の象徴たる作品から脱落しつづける「生身の<自分>から逃げない」という芸術的決意を、「芸術論的<生命観>」といいうるものにすり替えてそれゆえの<芸術生活>を「問答無用」に生きてしまうということで解決しなければならないが、ひとたびその<芸術生活>が確立されれば<芸術家>はいたって快適に生きられるのだ。
 それゆえに、「井上有一的<芸術生活>」は「これじゃいけない!!」という「自己否定的な表現行為」を、常々「気が付いてみると、もう<そうなっちゃっている>のだから仕方ない」としか言いようのないほどに「自己肯定的な表現経験」として語りつづけることになる。そもそも強烈な排斥力をもって<自己否定>を語るためには、それを可能にする確固たる否定者としての<私>を肯定せざるをえないという自己矛盾を露呈させてしまうわけで、表現者にとっての<自己否定>とは、結局のところ「自己表現=自己肯定」によってしか語れないということであった。
 だからこそ、ここで芸術家が「生身の自分から逃げない」という表現体験を貫き通すためには、何はともあれ「問答無用」であることが要請されるわけであるが、時として「自分から逃れられない」がゆえに「そうなっちゃっている自分」がすでに苦痛であれば、いやむしろすべてのヒトビトがそういう<自分>を生きざるをえないはずだから、たとえ快適さを誇る「井上有一的<芸術家>」でもひとたび「どうして苦しまなきゃいけないのか?」に遭遇してしまえば、もはやその苦悩に取り付かれた<自分>から逃れるわけにはいかなくなってしまうのだ。そこで「苦悩的<私>」を反省的に生きつづける表現者はたとえ快適であろうと苦痛であろうと、あるいはそれを「そうなっちゃっているんだから仕方ない」とうそぶいても、そのようにしか生きられない<しがらみ>を、いつまでも隠蔽したり放置しておくわけにはいかなくなってしまう。いや、むしろその「苦悩的<私>」を反省的に克服しうる表現体験こそを生きたいと願うはずなのだ。
 言い換えるならば、<反省的表現者>がいま「快適になっちゃっている」ためには、多分ありのままではことごとくが「苦痛になっちゃう」であろう<しがらみ>を、すでに「解放=開放」しておかなければならないわけだから、当然<芸術生活>においても逃げるわけにはいかない「苦悩的<私>とは何か」が、芸術論的に認知されていなければ<自己否定>のしようもなかったというわけなのだ。つまりいかに快適そうな<芸術家>であれ、「荒れるにまかせる暴力」によってしか生きられない以上、苦悩的自覚のない<表現者>などありえないのだ。
 したがって、この「井上有一」という問答無用に「語るに落ちる」表現者の狡猾さとは、「反省=自己否定」によってこそ快適であるにもかかわらず、いま「即自的=反省以前的」に快適であるかのような錯覚(擬態)を、まるで純粋培養されたスペシャリストのように演じて見せられるということであり、この錯覚をヒトビトに<芸術の理想郷>と思わせることに成功すれば、後はこの錯覚から目覚めようとする「自己否定=脱芸術」のポーズに隠し、<芸術生活>における日常的な苦悩克服をまるで<芸術家の道楽>のように取り繕い、ヒトビトの羨望を引き受ける傍若無人な超越論者として芸術的意味を装うことができるのだ。しかし、ヒトビトにあたかも<芸術的生命賛歌の地平>に奇しくも降臨した<天才芸術家>を連想させる「錯覚」が、「井上有一的<芸術家>」とヒトビトとの「言霊の交感」による思い込みにすぎないとすれば、その「言霊」の絵実物性がヒトビトに「先在的な芸術的価値の具現」を思念させる根拠であり、また<表現者>もその「錯覚」を期待しつつ演技しているというわけで、そこに絵実物世界を知り尽くし処世術に長けた<芸術家>のしたたかな姿を見ないわけにはいかないから、「錯覚」を正に「芸術らしさ」の錯覚として語る「<何>面の告白者」にすぎないわれわれの<絵空事的芸術論>とは一線を画さざるをえないのだ。
 もっとも「芸術的価値」が「錯覚」であろうがなかろうが、ヒトビトにとっては「言霊の交感」を面白いと感じるか詰まらないと感じるかという程度の違いだとしても、絵実物的価値による武装を反省せずにはいられないわれわれにとっては、「井上有一」という苦悩から逃げないはずの<表現者>が、とりあえずは芸術を擬態化し芸術家として<自己否定>の演技をしているにもかかわらず、実は<芸術的苦悩>をまるで克服するつもりのない<芸術論的真実>という苦悩の亡霊に魂を売り渡した<魅力的暴力者>というわけだから、暴力の反照性において<魅力的>であるはずの<何>行者とは歴然とした違いなのだ。
 つまり「井上有一」は、かなりしたたかな<反省的芸術家>として限りなく「芸術らしさ」を装う「戯れ人」でありながら、なぜか苦悩克服のために快的遊感覚で<何>的深淵に身を投じるつもりがないという、苦悩好みに徹した絵実物の綱渡り人生を楽しんでいるのだ。

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 c. 「浅田彰」を語る

 「浅田彰」が正体不明者の<何>論で語られるようになったのは、とりあえずの<何>行者が隠棲する浅間高原にも春の雪が降った'84年5月2日になってからのことであるが、すでにそのときには、<マスコミ的人格>であった「浅田彰」が正体不明の「有名人」からそのまま正体不明性へと忘れ去られようとしているころだった。
 この年の春は、例年よりも2週間から20日くらい季節が遅れていると言われていたから、5月になってからの雪も十分に予想されたことではあるが、季節にかまわず「走りつづける寒気」が愉快に思われて、季節に取り残された高原の隠遁者にも、その日の<何>的事件に正体不明の「有名人」として「浅田彰」を語らせる動機になったといえる。
 そもそも「浅田彰」は、『構造と力』で「前近代においては記号システムも…、完結した差異の体系として安定的に維持されていたのだとすれば、近代の記号システムは…《クラインの壷》のような形に変貌しており、その中では、絶え間なく生み出される差異のもつポテンシャルの差がただちに運動エネルギーに変換されて競争過程の推力として利用されるという累積的差異化プロセスがくりひろげられているのだ。そのような一方向化された記号の流動こそが近代の悪夢なのであり、道化たちは今日もまたこの悪夢にせきたてられて走り続けるのである」(P.222)と言っているけれど、<何>的隠遁者としてはこのヒトビトの「追いつき追いこせ」的脅迫観念を、<私>として苦悩する<誰か>の自己増殖させている<自愛的暴力>と言い換えて納得することで、いつものように「言葉の酒」で人類滅亡を肴に欝的快感に酔ってみるのも「終わりなき冬」の一興かと思われた。それは、この「終わりなき冬」である「走りつづける寒気」が、儚ない望みと知りながら春に追いつき追いこす様がまるで「逃走する浅田彰」現象として、われわれをも<何>的戯れに誘うのだ。
 そういえばいつかのテレビ解説が、確か「異常気象の時代」などという人間的小賢しさ剥き出しのテーマで、ここ10年間のうち8年間とやらが何んらかの異常気象であったとかいう、まったく異常と正常を転倒した訳の分からないことを言っているのを聞いたけれど、これとても自らの依って立つ情報分析的思考が、結局は硬直化した推論という情報処理によって語るに落ちる醜態を、それと知りながら言葉の欲望によって論理的必然性の名誉のために、必死で取り繕うとする体制化してしまつた記号システムの滑稽さにすぎないと思うから、われわれは、これを踏まえ「逃走する浅田彰」といいうる「走りつづける寒気」によって、自愛的欲望が閉鎖させてしまった体制的知を笑い起こすことにしたい。
 つまりこれは、自己矛盾の真っ只中で「古くは運命学から統計学に至るまで、所詮、情報分析的思考とはそんなものサ」と言えないほどに、「自分自身に対して負った負債を埋めようとしてむなしく走り続ける」(P.220)クラインの壷に閉じ込められた情報とヒトビトの自愛的暴力の姿を「他人の不幸として笑って済ませるわけにはいかない」などと、あたかも遅い春に冷害を心配する農家の姿と重ね合わせて言ってみたりするという、かなりでしゃばった軽薄さで場当たり的な反省者を装う楽しみでもあるのだ。
 そこで、正体不明の「浅田彰」を<A4・6F>的に語るならば、まず「超コード化された体制」とは、超越的、絶対的なる力によって統一された象徴秩序であるから、それはその「統一(閉鎖)力」に保証されたものの外部・周縁の「排斥」であることを見定め、<体制的暴力>というものの両義性を視界の中に入れておかなければならない。そして、「超コード化され質的な体系(サンボリック)」が、錯乱するセミオティックの欲動(エロスとタナトス) によって「過剰な方向=意味」を与えられ、その累積的な差異のプロセスが「脱コード化された量的運動の公理系」へと変貌していくとすれば、ヒトビトが「意味(余分な何か)」をずらしていくことの差異性とは、<超越者>に排斥されたり隷属させられる前に、<超越者>そのものを排斥したり隷属させることであり、それは自己神格化した無数の<表現者>が、魑魅魍魎に成り下がって権力闘争を繰り広げることなのだ。
 つまり、誰も彼もが<神>になりたがる脱コード化された排斥力を均質化された「自愛的暴力」と言い換えるならば、その相克関係は正に「一方向化された暴力」の量的流れとなり、究極にはすべてを「統一=排斥」しうる力を持つもの同士の対決によって、それまでの暴力の自己増殖を支えてきたクラインの壷を内部から崩壊させ、いずれまたどこかで新たに何かを排斥しはじめる<誰か>の出現によって、「はじめに余剰(ずれ)があった!!」と語られるまでの沈黙を貧ることになる。
 それゆえに、脱コード化された暴力世界の自己崩壊の現前で、「表現すること=生きていること」そのものが自己増殖する「荒れるにまかせる暴力」であるときに、暴力世界からの「脱構築」を「表現する=生きる」つもりならば、それは当然ながら非暴力としての表現「行為=経験」を、「自己目的的な排斥(否定)」あるいは「自己否定的統一」といいうる「<何>の反復」にしなければならない。
 かくして日々の洪水のように<価値>として創造・生産されている<作品><書物>の真っ只中で、「浅田彰」は絵実物的価値からの脱構築を「<書物>の逃走論的記号化」によって擦り抜けようと企むが、所詮は『構造と力』も『逃走論』もそれぞれ<書物>でしかないために、「<書物>論」というクラインの壷の中で他の<書物>を差異づけるだけの<書物>は、単にとめどもなく生産される<書物>の流れに「追いつき追いこせ、そして逃げ切れ!!」というメッセージによって、狡猾な資本主義を補完しつづけるのみなのだ。
 現にわれわれのみならずヒトビトが、『逃走論』なる<書物>を、流れつづける<書物>たちの中から選んで買い読むことが、すでに「浅田彰」を走らせることであり、同時に読者が「浅田彰である<誰か>」として走ることであれば、やはり『逃走論』は資本主義にすっかり飲み込まれていると言わざるをえない。とすれば『逃走論』によって補完される<資本主義>自体が、「逃走」と「戯れ」の体質であることを改めて明らかにしたにすぎないから、ヒトビトが資本主義体制にどっぷりと浸かり、脱コード化された独我論者の特権として「言い換え=ごまかし」という口先の戯れで「責任逃れ」を演じていることを思えば、なにも今さら『逃走論』などという言い分けをすることもないのだ。
 もっとも「言い換え=ごまかし」による「責任逃れ」は、硬直化した体制下で自己保身に戦々恐々の日々を送るヒトビトの得意技でもあるから、「逃走論」によって言い分けせざるをえない自己逃避の体質は、資本主義とか社会主義とか共産主義という政治や経済の体制に限ったことではなく、ヒトビト個々人の存在理由に拘わることと見なさなければならない。つまりヒトビトが、「<私>たりうる<私>」として担う「自愛的欲望=体制的欲望」を硬直化させてしまったために身動きがとれず、新たなる事態を引き受けることもそこへ身を投じることも出来ないときに、とりあえずの「<私>たりえぬ<私>」へと苦悩的事態を横滑りさせる緊急避難的手段なのだ。
 したがって、「逃走論」が「追いつき追いこせ」の資本主義体制からの脱構築のために「逃走すること」を主張しても、「自己愛=体制」的暴力を「解放=開放」しないかぎり、結局は「追いつかれないように速く逃げること」という「エリート主義」の暴力者へと語るに落ちるのだ。それゆえに「浅田彰」という<マスコミ的役柄>においては、その役柄を担う<誰か>の自己逃避を自己愛で言い繕う<暴力>は<暴力>とは感じないというわけで、そんな欺瞞によって神格化した<反省以前的表現者>の表現体験では、いかようにも「<書物>の外を走る」とか「<追いつき追いこせ>の外を走る」という<脱構築者>には成り切れないから、もっぱら「<書物>の外を走る」ために「<逃走論>を<書物>からの逃走として語ろうとする<書物>」=「逃走しえぬ<書物>による<書物>からの逃走でしかない」という矛盾を、さらに「<追いつき追いこせ>の外を走る」ために「資本主義的産物から逃走するために資本主義産物へと逃走する」という矛盾として抱え込み、正に『逃走論』におけるダブルバインド(二重拘束)状況となり、それは、もはや「スキゾ」どころではなくかなり重症の<絵実物的テクスト論>における「パラノイア」と言わざるをえなくなってしまうのだ。
 それゆえに「浅田彰」は、<不成仏言霊>に愛でられし知的冒険へと旅立つエリートの資本主義者でしかないのだから、『逃走論』という物語は、「絵実物的価値の資本主義」という「表現体験におけるクラインの壷」からは、ほとんど出るつもりのない「スキゾ・キッドのパラノ的冒険」あるいは「パラノ・キッドのスキゾ的冒険」にすぎないのだ。

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