3. 「信ずる」のではなく 「見定める」ことへ


 <何>的表現者として「問いつづける」ためには、何はともあれ「信ずる」のではなく「見定める」ことへと覚醒しなければならない。そして、ここで言わんとする「信ずる」ことから「見定める」ことへの転換とは、たとえば閉鎖系において処理していた情報を<開放>することといえる。そもそも<情報>とかそれを支える<コミニュケーション>とは、閉鎖系における意味体系の有効性のことであれば、その意味体系を<開放>することは、当然ながら<情報>の価値という暴力性を弱体化し、有効性を下落させ強いては無力化することに他ならないのだ。
 さて、ヒトビトの生存が「荒れるにまかせる力」ゆえの「自然法則=暴力原理」を回避しえない以上、ヒトビトは無意識のうちから自己保身のために武装しつづける体質だから、さらに強力な<私>的人格になるために常識・文化・制度の暴力性に迎合して、<私>とそれを支える常識・文化・制度をも<閉鎖>してしまう。ここでは、たとえ共同の幻想にすぎないと言いうる常識・文化・制度も、それが<物語>として暴力的に語られている現場を見てみれば、ひとりひとりが無意識によって共有する「物語的役柄=<私>もどき」を確信するに足る<私>として生きようとすることが、「<私>たりうる<私>」という自覚をことごとく「物語的人格たりうる<私>」へと取り込み、幻想にすぎない「物語=<私>」を実体的なものとして具現化させているわけであるから、常識・文化・制度の<開放>とは、結局のところヒトビトひとりひとりの<解放>でなければならないといえる。

 つまり、「暴力による自己確信=<信ずる>ことによる自己暴力化」が「<私>や<情報>を信ずる」こととして、様々な意味体系や物語を<閉鎖>し情報や役柄を<暴力化>することであるから、「信ずる」ことによって得られるものは、<幻想>にすぎない物語からの物象化的倒錯によって<絵実物>として築かれた砂上の楼閣にすぎないというわけで、<幻想>への錯認と臆断によって肥大化する暴力は、<幻想>を<幻想>としては「見定めない」という自己欺瞞を支えられなくなったときに、己の暴力による自己崩壊を免れることが出来なくなってしまうのだ。したがって「見定める」ことは、意味体系や物語を<開放>し情報や役柄を<無力化>することになり、「信ずる」ことは、自分を「見定める」ことを回避することによってのみ保証されるという、己を裏切りつづけることの隠された苦悩の代償として与えられる倒錯的快感なのだ。
 この倒錯的快感を最もよく示しているのが、<宗教>へのヒトビトの「信仰」というわけであるが、ここでもヒトビトは「<私>たりうる<私>」になるために「<神><仏>を信ずる=<私>を信ずる」ことにより、いかなる<幻想><空想>をも<私>的物語として具現化しうる能力を持つことになる。その「信ずる何か」を具現化させる「肉化した想像力」を「霊力」といえば、「霊力」を善意の救済力として担ってこそ<神><仏>は信仰の対象になり、悍しき悪意の「霊力」を一手に引き受けてこそ<亡霊><悪霊><悪魔>が誕生しえたというわけであるから、いずれにしても「信ずる何か」を絵実物的物語の暴力的役柄として捏造できたときに、そこで「想像力の肉化」を「信ずるヒト」の潜在的な自愛的暴力が「霊力」に感応し増幅されて<神通力><法力><魔力>を獲得することが出来るのだ。ここでは、「信ずる」ことが「想像力を肉化」し「想像する」ことが「信ずるものを肉化」させるのだ。
 ところで、常識・文化・制度のみならずあまねく<物語>が相対的な価値観でしかないことを知りつつも「<私>を信じよう」とすれば、そこでは「<私>もどき」へと横滑りする「とりあえずの<私>」によって「信ずる」ことが無力化され、結局は<私>なるものを相対化し開放することになってしまうから、もはや<私>は「信ずる」のではなく「見定める」ことへと移行しなければならないが、それでも「何かを信じなければいられない」という自愛的欲望にせきたてられて「<私>たりうる<私>」を「見定めよう」とすれば、そこでは「信ずる」ための根拠を「見定める」ことになり、「信ずるために見定める」ことはその閉鎖的な暴力の自家中毒によって自らを滅ぼすか、あるいはより超越的な統一原理を捏造し「信仰」の正当性を主張するばかりの<宗教患者>として、<世界>を閉鎖するという独善的な自己欺瞞に落ちるしかないのだから、そんな<幻想>によってはすでに「唯一絶対神」を持ちえぬ愚か者たちの野望は、勝手に神々に成り上がった暴力者の権力闘争へと発展し、人類滅亡への欲望を回避することが出来なくなってしまうのだ。
 そこでたとえば、超芸術論的立場を掠め取る<芸術家>が、「音楽には色々なスタイルがあるけれど、結局そこで語られているものは、ただ<ひとつ>であるはずなのだ!!」とか、超宗教論的立場を掠め取る<宗教者>が、「世界には様々な神々や救済者がいるけれど、結局そこで語られている聖なるものは、ただ<ひとつ>であるはずなのだ!!」というけれど、われわれに言わせるならば、「そこで語られた<何か>」が「ひとつ」であると断定するところに、「超」の字の付いた<芸術家>と<宗教者>の限界を「見定めざるをえない」のだ。つまり、様々な事件として「行為=経験」される<何か>が、「<ひとつのもの>の表現体験」でしかないという保証など、超越論者たちの「臆断=<私>的体験への確信」以外にはどこにもないのだから、ここでわれわれは、この<何か>を「とらえどころの無い<何か>」とかあるいは「無限の<何か>」として見定めるしかないのだ。しかもここでは、超越論者たちがその「ひとつのもの」を、とりあえずは「<無>なるもの」と言い換えたとしても、その<無>は「ひとつのもの」という<唯一性>に縛られて「絶対的<無>」になってしまうのだから、それに対してもわれわれは「とりあえずの無限の<無>」を見定めることに止どまるのだ。
 つまり、自愛的欲望によって「見定める」ということは、自らの担う絵実物的価値観によって「決めて掛かる」ことや「疑って掛かる」ことと同じだから、結局のところ「信ずる」ことに他ならないというわけで、「信ずる」ことの呪縛から逃れて「見定める」ためには、自愛的欲望そのものへの<何>的反省がなされなければならないのだ。それは、とりもなおさず<何>的表現者として「見定める」ことであり、より端的には「<何>的反省=見定める」ことというわけなのだ。
 したがって、「荒れるにまかせる力」という宿業の中で「これは何?」「私って何?」によって自愛的欲望を「見定める」ことは、「問う=眼差す」行為と「問われる=応答する」経験に挟まれた<私>的事件を、あるいは「問う=眼差す」経験と「問われる=応答する」行為に挟まれた<私>的事件報告を、それぞれの現場において「<何か>であること」と「<何>んでもないこと」へと引き裂いていくことであるから、ここで正体不明の<何>によって「統一しつつ分裂しつづける<私>」あるいは「分裂しつつ統一しつづける<私>」を積極的に引き受けることこそが「見定める」ことの狙いであるのだ。しかも<何>によって宙づりになった<私>があらゆる事象に向かって「これは何?」を問いつづけることは、いつのまにか「私って何?」の回答を「いかに生きるべきか?」に対する回答として用意することになり<反省的表現者>へと変身させるのだ。
 言い換えるならば、「常識・文化・制度」的欲望に呪縛されて「何かである<私>」の体制的暴力を<開放>し、自愛的欲望に呪縛されて「何かである<私>」の自愛的暴力を<解放>することが、正体不明の「何んでもない<私>」を「見定める」戯れというわけである。そしてそれは、「私とは何か?」によって<私>を反省的に「見定める」ことが、絵空事にすぎない表現者が「<何>としての<私>」として明らかになり、さらに「これは何か?」によって<絵実物世界>を「見定める」ことが、絵空事世界の中に「<何>んでもない<私>」がただ「見定める」という事件の現場を拓いているのみの純粋「行為=経験」へと突き抜けさせるのだ。
 それゆえに<A4><6F>が、「<君>という事件」である「事件報告の<私>」によって「<私>は何を見定めようとしているのか?」と問い掛け、「君である私=私である君」によって揺らぎ始めた<私>的信仰に「見定める」ことの自問自答を喚起することができれば、情熱的に「信ずるもののない<表現者>」を自愛的欲望というタガのはずれた常識・文化・制度の真っ只中へと送り返すことができるから、もはやあらゆることに「絵実物もどきの<事件の当事者>」として「誰かである<私>」を「見定め」ざるをえない<表現者>を、「<何>のみを見定めている誰か」の無意味性へと覚醒させるのだ。
 とにかく「見定める」ことは、生きざるをえないがゆえに<表現者>であり、<表現者>であるがゆえに生きざるをえないわれわれの、<何>的なライフ・スタイルというわけなのだ。

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4. < 何 > 行者へ


 われわれが、日々増殖する自愛的欲望の暴力世界でささやかに非暴力たらんとすれば、「体制的欲望の開放=自愛的欲望の解放」をいいうる<何>的「事件=事件報告」によって、暴力的<私>への否定的な反省者として、<何>行者と呼ぶにふさわしい目の吊り上がった此見よがしな滑稽さで「いま」「ここ」を拓かなければならない。
 ところがヒトビトの価値観によれば、たとえば仏教にいう「煩悩(物象化・霊化された自愛的欲望)からの逃避」を<出家>と言ってみたり、われわれの<何>論に対しては、「体制的価値観からの逃避」を<絵空事>と言ってしまうことにどれほどの矛盾をも見い出さないようであるが、ここではヒトビトの「煩悩=体制=絵実物」に対する無自覚、自然生的、即自的な自愛的発想が忘却、あるいは故意に隠蔽されていることを指摘しておかなければならない。
 様々の常識・文化・制度のなかで生まれ生きるときには、暴力的に「煩悩を引き受けて生きる」とか「体制的責任を全うする」ことこそが、ヒトビトに称賛されるべき立派な自己確立の道であり、そこに地位や名誉や財産がからんで悲喜こもごもの立身出世物語が生きられることになる。ところが、それを「<出家>仏教的知見」あるいは「<何>論的知見」から見れば、体制的人格として「煩悩=因縁=<常識・文化・制度>」に埋没していることは、「体制的欲望=自愛的欲望」への堕落であり「暴力者=苦悩者」でることに目をつむることでしかないのだから、これは自愛的暴力への<反省><懴悔>を要請する厳密なる自己認識からの<逃避>と言わざるをえない。
 つまり、ヒトビトの<私>的存在理由が「荒れるにまかせる力」でしかないのだから、この宿業ゆえの「<私>的臆断=煩悩」からさらに自己保身のために自らの存在理由である「<私>的臆断=煩悩」で<逃避>しようとすればするほど、今度はより強力な「荒れるにまかせる暴力」となった自愛的欲望で「<私>たりうる<私>」へと捕らわれてしまい、一層抜き難い「<私>的臆断=煩悩」へと落ちることになり、自然生的な即自的な自愛的暴力者である「在家(絵実物的人格)」のいう「煩悩からの逃避」とは、結局<逃避>であるかぎり「煩悩への埋没」でしかないことが明らかになる。
 したがって、われわれに言わせるならば、「体制的欲望=自愛的欲望」として自己増殖する<煩悩>を消極的な「荒れるにまかせる力」として引き受け、それがいま新たなる<煩悩>として顕現してしまわないように、「<常識・文化・制度>的<私>」である「荒れるにまかせる力」を積極的に「解脱=<解放=開放>」しつつ生きることへの出発こそが<出家>であり、<何>化であり、「脱構築」であるはずなのだ。
 ここでは「荒れるにまかせる力」が「解放=開放」されないかぎり、「煩悩からの逃避」という言葉によって<出家><何-化>あるいは「脱構築」を語ることはできないのだ。それはもともと<煩悩>というものが、「<自己愛>へと逃走する<苦悩>」であるために「自己欺瞞へと逃走する<自己愛=苦悩>」でもあり続けることを見定めることで十分といえる。
 ところで<出家者>には、いつもどこでも同じ質問が付いて回るのだ。「そりゃ、あんたが親を捨て、妻を捨て、子を捨てて、正に世捨人になるのは勝手だよ。だけど、それじゃ捨てられた親や妻子は、どうしたら救われるというのかね?」の一撃である。
 しかし<何>的表現者であるわれわれにしてみれば、「荒れるにまかせる力」が解消されないかぎり「捨てる者=捨てられる者」という「しがらみ」こそが<煩悩>であり、さらに「捨てる=捨てられる」という「行為=経験」そのものもまた<煩悩>であるのだから、すでに天涯孤独と言われる恵まれた環境にないかぎり、ひとたびヒトとして生まれ生きてしまったすべての者は、もはや「常識・文化・制度」と<私>との関係の縮図といえる「家族関係」など捨てて捨てられるものではないというわけで、今さら姑息な発想の<出家>という形式的な「装い」で捨てたり捨てられたりするつもりはないと言える。
 ここでは現在の出家者と呼ばれる職業僧たちが、ほとんど妻帯者であることを引き合いに出しても、「出家の堕落」などという問題では「出家の<何>化」を語れないという道理であるから、<神><仏>という価値基準をも<何>化してきたわれわれに言わせるならば、今さら仏教用語の「出家−在家」に捕らわれる必要がないというわけで、家族がひとりひとり<何>的表現者として生きられるようになるために、先祖代々の霊的欲望といいうる「荒れるにまかせる力」によって呪縛されつづけてきた家族関係を、ひとりひとりが相互に反省し合う「<何>的自立」によって「解放=開放」し、誰かの自愛的欲望である立身出世物語などで拘束しあうことのない「<何>的家庭」を目指せばいいのだ。この「<何>的家庭」こそが、「ヒトビトの相互<何>化」を語るための基本的な人間関係であり、歴史化された常識・文化・制度を先祖代々の霊的呪縛として背負っている「家庭」こそが、もっとも「相互<何>化」を実践するのに適した関係であると考えるのだ。しかし、「苦悩好みのヒトビト」は家族を踏み台にして暴力化しつつ、さらに家族を喰いものにして苦悩者になるのだ。
 そんなわけで、<何>的変身はおろか<出家>もままならず「逃走する<自己愛=苦悩>」を抱えたままのヒトビトの「希望」とは、「抜苦・願望成就」という暴力による自己実現とか自己拡大化としての<幸福論>によって語り尽くされてしまうわけであるが、ここで「幸福−不幸」という暴力的価値をも<何>化しうる「<何>的表現者」が、「体制的欲望=自愛的欲望」からの<脱自的自由人>として非暴力への「抜苦・願望成就」を生きるならば、たとえ「苦悩好みのヒトビト」とはいえ多少は<自愛的暴力>に反省的な痛みを感じている者にとっては、彼らの「さんざん分かっちゃいても人類滅亡をやめられない」という欲望を擦り抜けた<幸福論>を担う<希望的人格>たりうるのだ。
 つまり、<何>的表現者の「脱自的自由人性」を<希望的人格>として引き受けるヒトビトは、自分にとっては「不幸」にすぎないものを「幸福」として見せてくれる者への羨望にも似た眼差しにより、絵空事にすぎない<何>的変身を正に「<何>行者」と呼ぶにふさわしい者の「絵実物もどきの事件」として応答させるのだ。たとえそれが、ヒトビトの勝手な自己移入による「幸福幻想」にすぎないとしても、そこで<何>行者がヒトビトの自愛的欲望を<何>的にシュミレーションした<誰か>を担うことになれば、ヒトビトが「希望する脱自性」はヒトビトの「信ずるもの」を「肉化しうる想像力」によって、ささやかにでも「ま、俺も、そう欲ばかりを掻いているわけにもいかないな」
 などと、御しがたき自愛的欲望のとりあえずの歯止めとして<反省>を生きることさえ可能にするのだ。
 何はともあれ、「荒れるにまかせる力」ゆえの自愛的欲望に「してはならないと思うことをやめさせ、しなければならないと思うことをやらせる」という、ヒトビトの<良心>に支えられた「反省的な歯止め」を生きることによってしか、絵実物世界における「<何>的変身への希望」を語ることは出来ないのだ。

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