12. < 何 > 的自然


 ヒトビトは、「あるがままにあること」を<自然>と言い、ときには存在の「本来的なありかた」を<自然>と言うことがある。ところが、ここで<自然>に対する「あるがまま」と「本来性」とは相反する概念であることに気付くことになる。
 なぜなら「あるがまま」を<自然>とすれば、常々「そうはありえぬところの本来性」が<不自然>となり、一方「そうあるはずの本来性」を<自然>とすれば、常々「そうはありえぬところのあるがまま」がいたって<不自然>な在り方をしていることになる。つまり<自然>とは、ものごとの存在理由を語るにはあまりにも曖昧な概念であると言わざるをえない。
 これをいつものように<何>論的に言えば、ものごとの存在理由とは「自然=不自然」なものとしてしか語れないということになる。そこでわれわれは、「<何>的在り方」としての<自然>について考えてみたいと思う。
 すでにわれわれは、<自愛的暴力>なるものを人類滅亡物語の物語的欲望としたときに、これを「荒れるにまかせる力」と呼んだわけであるが、この「荒れるにまかせる力」を今度は「<自然>を取り囲みつつ<自然>に取り囲まれている力」と言い換えるならば、ここでは「荒れるにまかせる力」を単に<自然>と呼ぶことができる。
 そうすると「自然的態度」とは、「荒れるにまかせる力」を積極的に引き受けるのか、あるいは消極的に引き受けるのかということの違いにより、暴力に対する自覚が左右されて、それに応じた<自愛的態度>が決定されるのだ。言い換えるならば、宿命的に「荒れるにまかせる力」によってしか存在できぬ<私>が、<自然>という言葉にいかなる「自己認識」「反省的対自化」を試みるのかということへと還元されてしまうのだ。
 つまり<自然>とは、人為的営為であろうと非人為的現象であろうとも、または「あるがまま」であろうと「あるべきもの」であろうとも、「荒れるにまかせる力」であることに変わりはないのだから、たとえば<自然>という言葉に寄せるヒトビトの「調和のとれた穏やかなるものへの郷愁」と言いうるものは、絵実物世界における「物語以前的<自然>」としての「荒ぶる力」がその超越性によって<神>の概念と同様に聖化したものへの思いというわけで、その「荒ぶる力」も「物語的<自然>」として<自愛的暴力化>されてしまえば、いたって人間的な営為を語る俗的なものになってしまうのだ。
 そもそも<自然>なるものは、その「荒ぶる力−穏やかな安息」あるいは「とめどなく繰り返される生と死の支配」によってこそヒトビトの信仰の対象でありえたわけであるが、すでに<自然の霊性>なるのもが忘却されようとしている現在においても「荒れるにまかせる力」であるかぎり、それは自分勝手に「創造−破壊」を繰り返してきた人間的営為をすべて包括しうる壮大なドラマであるのだから、たとえ善意における「自然保護」であれ悪意の「自然破壊」であれ、ヒトビトがそれを語りうるというところに<自然>にたいする無明無知ゆえの思い上がりを見定めるならば、その思い上がりゆえに人類滅亡を回避しえぬ愚か者に見合った<自然>とは、取り返しのきかない人間的暴力の<業果>をすべて引き受けて有り余るほどの破壊的創造力を秘めた<暴力>であるはずなのだ。
 だから「荒ぶる自然」に目をつむり、「穏やかなる自然」のみを拡大化して<自然>との一体感を<悟り>とする宗教体験なるものもあるけれど、われわれに言わせれば、あたかも「荒れ狂う自然」のごとく一切の人間的価値を無残にも踏みにじる傍若無人な暴力者になることを<悟り>とは言わないのだから、これもかなり人間勝手な<自然>の捏造と言わざるをえない。
 われわれは、宇宙開闢の動因にまでも溯れる「荒れるにまかせる力」によってしか<私>たりえないのだから、「<自然>的でない人間」は<私>たりえず、「<私>的でない自然」は<自然>たりえないと言いうるわけで、ここで<何>的表現者として生きつづけることは、この「荒れるにまかせる力」を消極的に引き受けて、しかもそれを積極的に「解放=開放」して<自然>に生きることでなければならないのだ。
 そこで、霊的仏教である密教のあの壮大な「宇宙=自然」観をみれば、それはマンダラ物語として意味づけられることにより、いかにも人間的な<霊性>を賦与されて「荒れるにまかせる力」を<救済力>として発動することになり、密教物語において「宇宙=自然」そのものが人間に体得されうるものになったのだ。
 つまり、太古から「宇宙=自然」と「人間」が綿々と語り続けてきた<物語>とは、「荒れるにまかせる力」を<霊性>によって共有することにより、豊かにして生々しい宗教世界を芸術世界を築き上げてきたといえる。ここでは、宗教化された「荒れるにまかせる力」が、救済のために「自己愛を撃ち破る力」として「善−悪」を意味づけ、あるいは創造のために破壊する力が芸術化されて「美−醜」的意味を持つことになるが、それらはあくまでも<霊性>に仮託された世界観における「宇宙=自然」と「人間」との関係においてのみ言えることなのだ。
 それゆえに「荒れるにまかせる力」の<記号>である<A4><6F>が、ヒトビトと共に「荒ぶる自然」と言いうる積極的な<表現行為>により、「穏やかなる自然」と言いうる消極的な<表現経験>を生きようと願うならば、ヒトビトの言葉である<自然>がその意味を<何>化されることによって生身の「荒れるにまかせる力」へと回帰し、そこから新たなる絵空事的<自然>を垣間見ることが出来たように、ヒトビトが<A4><6F>に「これは何だ?」と語りつつ発見するであろう「<何か>であるそのもの」が、結局は「<何>そのもの」でしかないという「何って何!?」によって、自愛的欲望に呪縛されていた「荒れるにまかせる力」を無意味へと語るに落とさなければならないのだ。それが、<A4><6F>において、ヒトビトの自愛的暴力を浄化しつつ「荒れるにまかせる力」そのものを浄化していく方法なのだ。
 したがってわれわれは、「荒れるにまかせる力」をも<何>化しうる「事件=事件報告」をヒトビトと共有するためにこそ、<A4><6F>においてのみならず<言葉>のあるところに「<何>しい言葉」を語り掛けていかなければならないが、それこそが「暴力世界」における「<何>的表現者」の<自然>な姿というわけなのだ。

戻る 目次

 


13. 何が裁かれるのか


 <A4><6F>では、いったい「何が裁かれるのか?」
 かなりわざとらしく問い掛けてみたが、今さら<何>は、誰かに裁かれるのほどの暴力性は持ち合わせてはいないのだ。
 しかし、絵実物的な暴力世界においてはたとえ「非暴力主義」を貫こうとしても、国家権力とか体制的な暴力集団に非協力的だというだけで、「反-体制」という暴力的意味によって裁かれてしまうことはありうるのだ。
 たとえば、かつての日本帝国主義の現前で、あるいは天皇教的な国民的献身の現前で、精神異常などと呼ばれかねない<何的私>を生きてみれば、それは哀しいほどに面白おかしく、しかもかなり悲惨な快的遊感覚としての「非国民」という身分を保証されるはずなのだ。しかし、今にして思えば、異端者や弱者を寄ってたかっていじめぬいた帝国臣民たちよりも、この非国民のほうが世界のより開放的なヒトビトと対話のできたインターナショナルな日本人であったと言うことは出来るはずなのだ。
 では、<A4><6F>においては、「何が裁くのか?」
 ところがこの問い返しにも、すでに絶対化しうるほどの価値基準を持ちえぬ<何>には、もはや物事を「裁く権能」などあろうはずがないと答えるしかないのだ。言い換えるならば<何>とは、物事を裁こうとする「価値判断=自愛的暴力」にこそ、反省を促しているにすぎないのだ。
 ヒトビトにとっての「裁く」ことが、<誰か>が絶対的な権威と権力を受肉して<誰か>を暴力的に差別していくことに他ならないとすれば、われわれは、絶対的とか超越的な<価値>こそが独善的で欺瞞に満ちた<暴力>であることを見定めつつ、それを無力化するために<何>化しようとしているにすぎないのだから、ここには「裁く」という価値判断は成立しないのだ。
 つまりわれわれに言わせれば、「いったい誰に何を裁く権利があるのか」というわけで、たとえ国家権力たりともヒトビトの「精神=身体」の自由を裁く権利など持ちえないはずだということになる。もっとも、国家という全体主義に「人間の尊厳」などという陳腐な個人主義を対峙させて「裁く」ことを無効にさせようとしても、ヒトビトを自分勝手に裁きうるがゆえに国家権力たりうるのだとすれば、「国家−内−存在」において非力なるわれわれは、国家とか国教などを背負った暴力者たちが、不本意にも己の<価値基準>によって自らの暴力的体質を裁くはめに陥ってしまうという、暴力の自家中毒に対してのみこの「悍しい言葉」の有効性を認めるものなのだ。
 しかもそれは、政治という場面の権力闘争などについてのみ言えることではなく、あらゆる表現者の依って立つ自らの<物語>への「内部告発」から、<神>的作者の告白とか自己批判である「私小説」「日記」に至るまで、いたるところに「裁く」ことの自家中毒における傷みを見ることができる。それは、「自らの神」に<力>を賦与するために、あるいは「裁く」ことの心の痛みを<神>にすり替えるために、「神の名のもとに裁く」という自己欺瞞が通用しなくなった権能者が、<誰か>を<何か>を裁くたびに「裁く」ことの責任を自分で負わなければならないと気付いたときに、己の欺瞞こそが裁かれていると知って苦悩する姿なのだ。そもそも権力者にとっての<神>とは、より暴力的になる裁定権者の心の痛みを癒すためにこそ<神>として君臨しえたのだから、もはや<神>を持ちえぬ裁定権者は、裁かれ差別された敗者や弱者の無念の痛みを担う<亡霊>に取り憑かれているというわけなのだ。
 いずれにしてもわれわれは、<自愛的暴力>に反省を喚起することはあっても、それを「裁く」ことは出来ないし、またそのつもりもないと言える。それゆえにわれわれには、人類滅亡にいたる「人間の愚かさ」を裁くことも出来ないし裁くつもりもないのだ。もっとも、あまねく存在するものの存在理由である「荒れるにまかせる力」を、密教観のように無記の「清浄なるもの」としてとりあえずは価値判断以前のものとすれば、「人類滅亡」そのものは「愚かさ」以前の出来事ということになってしまう。しかし、霊的仏教も自らの存在理由である<霊性>によってしか「清浄なるもの」が言えないとすれば、それは<神道>の理念である「穢れ−祓い」と同じ土壌の「不浄−清浄」的価値判断を免れてはいないというわけで、霊的仏教や神道のみならず「荒れるにまかせる力」をも<霊性>によってしか語れない自愛的暴力者であるヒトビトにとっては、やはり「人類滅亡」を最悪の苦悩とする「愚かさ=無明無知」から逃れることは出来ないのだ。
 われわれは「愚かさ」を裁くのではなく、あくまでも己の「愚かさ」に目覚めつつ、しかもその「愚かさ」によって自分を裁くのではなく無明無明なる自愛的暴力にとめどない「<何>的反省」を心がけ、苦悩ではないいたって自然な人類の終焉を願うのだ。
 そのためにもわれわれは、「私は<何>が許せない」とか「私は<何>が許せる」などと神懸かりになるのではなく、ただ「何でもかんでも<何>化する」のみなのだ。それにしてもヒトビトは、「葵」マークの暴力者たちによる勧善懲悪の時代劇や、「日の丸」を背負った暴力者たちの犯罪者いじめの警察物語のように、権力によって「裁いたり裁かれたり」、あるいはメロドラマのように<愛>によって「許したり許されたり」するのが好きでしょうがないという、「反省以前的な暴力的体質」であると言わざるをえないのだ。

戻る 目次


14. 理論を < 何 > 化する


 様々の「メタ理論」なるものが、ヒトビトのものとして常識・文化・制度の中で正に<理論>として語られているということは、たとえば<芸術論>に対する<超-芸術論>が芸術的視座を解消しないという、無言の約束を前提にしていることとして理解される。つまりそれは、すでにヒトビトによって一度<芸術家>として認定されてしまえば、その表現者がたとえ自己否定的な表現活動をしてもやはり<芸術活動>として評価されてしまう事態と同じわけで、そこでは係る表現者が<メタ理論者>であるための依って立つ台座・役柄を、「超えてしまった先の<何か>」からは反省的に問い返さないという暗黙の了解があるというわけなのだ。
 そういう「メタ理論」を改めて<芸術論>で言えば、<超芸術論>とは、既成の芸術的作品からいまだ無記の絵実物的現象に至るまでを、とりあえずは表現者の台座である常識・文化・制度の中における無差別の事件として置き換えて、改めて<疑似-芸術論>的記号として「読み替える=意味づけなおす」ということなのだ。したがってここでは「既成の芸術的価値」を無記の事件へと送り返すことが「超越」であるが、その「超越」は常に「超越された芸術的価値」を反照的な亡霊として背負っているのだ。
 たとえば『鳩よ!』(1984.5月号)に「尾辻克彦=赤瀬川原平」の一人コンビによる「超芸術トマソン」の解説が載っている。
 「かつてジャイアンツにトマソンという助っ人がおりました。扇風機というアダ名のとおり空振り三振ばかりしておりました。美しき無用の長物、無機能そのもの、赤瀬川氏は、このトマソンに超芸術理念の輝ける肉体化をみたのです。以来、氏の追求する不動産付着無意味物件は、超芸術トマソンとして、世に思想していったのであります。云々」とある。
 そしてここには各雑誌からの赤瀬川氏の言葉が引用されている。『ドリブ』(1982.9月号)からの引用には、「芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、超芸術家が、超芸術だとも何とも知らずに作るものであります。だから、超芸術にはアシスタントはいても作者はいない。ただそこに超芸術を発見する者だけがいるのです」とある。さらに、『芸術新潮』(1984.1月号)からの引用には、「自然以外の人工のもので、役立たずの存在というのは……芸術だけだと、そう私は思っていた。ところが役立たずでありながら芸術ではなく、しかしただの打ち棄てられたゴミではない物件があったわけで、これはもはや芸術を超えたところの<超芸術>と名付けるほかないであろう」とある。
 <引用>を<引用>しつづける空言の戯れを<何>論として語りうるわれわれは、これらの<言葉>がどのような文脈の中で語られていたのかということを今さら確認する理由を持たないために、ここで「表現されている何か」からのみ赤瀬川氏のいう「トマソン」について語ることになるのだ。さて、ここには赤瀬川氏のいう「トマソン現象」を<超芸術>と呼ぶべき「必然」が何も語られていないわけであるから、われわれがその根拠となるものを探ってみると、結局のところ<表現者>である赤瀬川氏の「無言の芸術的視座」あるいは「芸術家的自覚」が暗黙の了解事項として措定されていることに気付くのだ。
 それに対して<芸術論>を絵空事的知見によって<何>化するということは、かつて<芸術論>であり<超芸術論>であった<何か>が、たとえばかつて<宗教論>であったり<超宗教論>であった<何か>と、もはや区別することの出来ない「<何>そのもの」の「事件=事件報告」になってしまうということなのだ。
 それは<何>論という循環する反省的表現が、すでにヒトビトが反省的に問う必要を認めない常識・文化・制度という無意識化された台座にさえも、「<私>=自愛的欲望」の温床と言いうる絵実物物語を摘出することだから、この絵実物物語を前提にして語られる一切の<理論>に対する「メタ理論性」を「何って何!?」でしかないところへと語るに落とすことが出来るというわけなのだ。しかも、絵空事的知見からすればことごとくが<絵実物>論者と言いうるヒトビトが、自らの<理論>の<メタ理論>的展開を、もはや「<メタ理論>たりえぬ<メタ理論>」である「<何>そのもの」の位置から振り向けば、そこにはかつて<メタ理論者>であった自分が、「表現者である<誰か>」「<誰か>にすぎない<私>」という正体不明性で立ち現れ、改めて「かつての<私>がその<理論>によって表現しようとしたこととは何か?」から「その<理論>によって表現している<私>とは何か?」に至るまでを見定める反省的地平へと「ある表現者」を送り出すことになるのだ。
 この<何>論による「ある表現者」への覚醒とは、たとえば<超芸術論者>の芸術家的自覚を解消することといえるが、それは、いかなる「反省」「自己否定」も「反省・否定される<私>」に対して「反省・否定する<私>」という確固たる視座を不可欠のものとするときに、そのとりあえずの<反省的視座>をもつい絵実物性へと埋没させてしまいかねない、柔な<反省的表現者>の自愛的欲望に対して反省を喚起しつづけることなのだ。
 それゆえに、表現者が「絵実物的<私>」であることをどこまでも否定的に検証していくばかりの<何>論とは、絵実物世界における自らの理論的欲望をも自己否定しつづけることになり、もはや絵実物的にはいかようにも「理論たりえぬ<何>論」の絵空事的な表現欲求は、「<何>にとって<何>とは何か?」と問いつづけることになってしまうのだ。そこでこの「問い」を、「<何>論にとって<何>的表現体験とは何か?」と言い換えてみると、さらにこれは「語らなければ<何>も始まらないのに、語ってしまったことを<何>にたいして反省しなければならない<苦悩>はいかにすべきか?」として考えることが可能になるのだ。
 とすれば、これをごく日常的な場面で捕らえ返してみると、すでに反省以前的な「何かの欲望」が不成就性であるためにその実現を求めて生まれ生きつづけてしまっているわれわれが、「自分の存在」そのものを苦痛であると感じているときに、いまわれわれは、いかなる回答を求めて反省的に生きつづけるべきなのかと問うことになる。しかし、その回答は「自愛的欲望の<何>化」としてさんざん語りつづけてきたことだから、分かり切った回答のために語るに落ちるばかりの「<何>論を<何>化する楽しみ」はこれくらいにして、いよいよ「<何>的人格論」について語り始める段取りといえる。

戻る


戻る目次進む