第五章



書いてはいけないものを書いてしまった僕



 ねえ、もうワープロは飽きちゃったの? 原稿用紙だなんて、めずらしいじゃないの?
 それにしても、昨日はずいぶん頑張ったみたいじゃない?

 ——う?

 おはよ!! あなたが寝てる間に、これ読ませてもらったわよ。

 ——ふむ…。ああ、おはよう…。

 ねえ、もう起きたら…。

 ——ふむふむ…、どお、それ読んでくれたの?

 うん。

 ——まさか、夢の中で書いたとは思えないでしょう? まあ、ベッドまでワープロ持ち込むわけにもいかなかったからね…、怪我の功名ってわけじゃないけどさ、霊的な閃きなんてやつは、肉筆にこそ馴染むもんなんかね?

 なに寝惚けてんのよ、夢について書いたんでしょ? それとも自分で書いた<物語>の夢でも見たっていうの? まあ、どっちしても、ベッドの中でまで書き物するなんて、随分と念の入ったことね。
 でもさあ、何があなたをそんなに駆り立てたの? 普段のあなたからしたら、ほとんど非常事態じゃないの? そういえば、あなた、ここんところちょっと疲れてるみたいね…。あたしみたいに肉体労働してるわけでもないのに、どうしたのよ? 夏バテ?
 ねえ、ちょっと…。

 ——んん?

 ほら!! やっぱし!! 

 ——おおっ、よせよ!! 

 アァア、もう駄目みたいよ? ホレホレ…。

 ——うっ、うわああっ、なっ、なにすんの!?
 けっ、け、今朝は、せっかくおとなしくしてるっていうのに…。

 またあ!! 強がりなんか言っちゃって…。このところ、ずうっと、これじゃないのさ。ホラ、惨めなかっこしちゃってさあ…、ハハハ。でも、萎れた顔って、けっこう愛嬌があるじゃん、ホレ、ホレ…。

 ——おおっ、失礼なんだから…。それは、僕の存在理由なんだよ。指先なんかで、愚弄してもらいたくないね…。
 ウオッ、痛ってえ!! なっ、何をするんだ? ったくもう、かわいそうに…、すっかりいじめられちゃってさ…、ええいっ、手を放せ!! しからば、自らのハイテクニックにて、見事なほどのギンギン的主体性を回復してみせるわい…。 

 ホレ、どうしたのよ? ハハハ、やっぱし駄目じゃん!! 

 ——チッ、チクショウ!! そうやって、繊細なる男の感受性を笑うがいい、いまに、いまに目に物見せてくれるわ…。

 もう、いいの!! いつまで、やってんのよ、このド助平が、エエッ!! 

 ——ウッ、ウオオッ!! おっ、折れちゃったかな…。ウオオ、痛ってえ…。

 ハハハ、この一撃で、本日は再起不能ね。これは職務怠慢に対する愛の仕打ちだからねっ。

 ——ウッ、ウウウ…。し、しかし、なんという悪辣な手段!! おお、おぬし逃げるのか?卑怯者めが…。

 ハハハ、今さら姑息な手段は認められぬ。もはや空しくなってしまった情夫の欲望のために、きょうもまた満たされぬ女は、ひとり寂しく愛の媚薬を煎じてくるのだ。

 ——チクショウ、逃げ足の速い奴め…。ああ、痛かったあ…。
 しっかしねえ、なんで、このところ元気がないのかなあ? だけど、その…、なんと言うのかね、むやみに力むところがなくて、今朝なんかは、いたって穏やかな目覚めという感じだねえ…。どういうことなのかねえ?
 まあ、それにしても、僕も<物語>の夢を見るようじゃ…、ん? おおっ!! 自らとんでもない過ちを犯してしまうところじゃないか!? いかん、いかん。
 あっ、あの、君ねえ…、君はいま、確か「物語の夢を見たんでしょ?」なんて言わなかったかい?

 なあに…、ちょっと、聞こえないわ…。

 ——ったくもう、いま、ねえ、きみ、わ、もお、のお、があ、たあ、りい、のお、ゆめ、お、み、たん、で、しょ、なんて、いわなかっ、た、かい?

 そんなに、怒鳴らなくたって、聞こえるわよ。

 ——あ、そ、で?

 言ったわよ。それがどうかして?

 ——君っ、夜中のこと憶えてるでしょ? 僕が、なんだか急に大声上げちゃってさ、君を起こしちゃったでしょうが…。

 何時ごろ?

 ——ええっと、ああ、そうそう確か三時頃だったかな…。そ、そういえば、君が自分で時計見たんだよ。

 さあ…、憶えてないわよ。それが、どうかしたの?

 ——ど、どうかしたのって、あの時も言ったでしょ? なぜか僕は、夢という事件の真っ只中で、自らの<夢物語>を書くことが出来たって、さあ!?

 何が言いたいのよ? あなたが言ってるのは、その<夢物語>のことでしょ? きのう寝ずに頑張った<夢物語>の話でしょ?

 ——ちっ、ちがうよ!! 
 これは、夢の中で書いた夢の<物語>だって、そう言ってるんだよ。

 だから、そういう<物語>を書いたんでしょ? 何よ? それとも、<夢物語>を書いている夢を見たっていうの?

 ——そ、そうじゃないの!! 夢からのテレパシーで書いたんだよ。言うならば一種の自動書記現象みたいなものだって言ってんの。つまりね、これを書いていた僕としてはね、夢の世界こそが現実だったんだよ。だからね、もしも君が、そのときに<文字>を書いている僕を見たとしても、僕は夢遊病者のようであったはずなんだよ。
 ……
 ウオオッ!! とっ、突然現れたりすんなよ…。びっくりするじゃないか…。
 あっ、あれ? なに? その顔は…。

 何って、何よ? あたしは、こういう顔の美人なのよ、悪い?

 ——ハハハ。そんなことは、言っとりゃせんよ。

 つまりは、こういうことなんでしょ。ゆうべ<夢物語>を書いていたら、いつの間にか眠ってしまった。そしたら、まったく同じ<夢物語>を書いている夢を見た、でしょう?

 ——ちっ、違うよ。つまりこれは、夢に操られて、まったく夢うつつで書き上げたって言ってるの!! だってねえ、僕にはね、これを書いた記憶が全くないんだよ、分かる?

 またあ…。まだ寝惚けてんじゃないの?

 ——だってさあ、僕が、夜中に君を起こしちゃったときにも、言ったじゃないか?

 何よ、あたしは、起こされた憶えなんかないわよ。だいいち、それは<夢物語>の内容じゃないの? あなた、インポになったら夢と現実の区別がつかなくなっちゃったの?
 だいたいねえ、このところ、あなたが遅くまで何んかやってるから、あたしが先に寝ちゃってんのよ。なのに、あなたがわざわざ起こしてくれたんなら、なにも黙って寝ちゃうって法はないじゃないの? でしょう?

 ——ま、またあ…。そんな手で、僕をだまそうなんて…。君は、確かにね、サービス不足とか言ってたのにさ、そのくせ、その気もなくて寝ちゃったんだぜ…。

 嘘!! それは、あなたの<夢物語>の話じゃないの!! それこそが、あなたの作り話じゃないの。どお? よおくご覧になって、朝だっていうのに、この悩ましいポーズ!! 
 いまのあたしに不足してるのはねえ、睡眠なんかじゃないのよ。このままじゃ、すぐその気になりそうで、仕事にならないじゃないの…。どうしてくれるのよ?

 ——どう、しようもないじゃないか…。そうだろう、君にいじめられて、すっかり元気なくしちゃってんだから…。
 ああ、そうか!! 君は、僕が寝てる間にこれ読んじゃったんで、それで、これを逆手に取って僕を自己不信に陥れて楽しもうってわけだ!! どうだ図星だろう!! 
 まあ、そういう君の性格はね、すでにお見通しですよ、ハハハ。

 なによ? 役たたずのわりには、やけに絡むじゃないの? ハハン、さっきの一撃を、まだ根に持ってるのね?

 ——じょ、冗談じゃないよ、僕の根っ子は何んにも持っちゃいませんよ。何んにも持てないようにしちゃったのは、君でしょうが? かわいそうに…。

 アホ!! おぬしの仮性インポテンツとは、所詮遊び過ぎなのだ!! あなたはねえ、あたしの目を掠めたつもりかもしれないけどねえ、どっこい、あたしの情報網を掠めることは出来ないのだ。あたしがお店に出た後で、どこをうろついてるのかぐらい、知らないと思ってたら大間違いよ、ハハハ。色々と、ネタは上がってるんだから…。

 ——ムムッ、そ、それは、不当なる問題の擦り替えだ!! そういう、卑劣な戦法は認められない。おぬしは、この自動書記現象についてこそ言及すべきなのだ!! 

 ハハハ、だいぶ狼狽しておるな。ま、この件に関しては、いずれ過酷な制裁が下されるであろう、心して待たれよ、ハハハ。
 とにかくねえ、夢を書こうと、夢の中で書こうと、<物語>の夢を見ようと、そんなことは、どっちだっていいの!! 結局<物語>は<文字>として存在してるんだから、要は、いかなる知的刺激に満ちて<物語>が語られているか、これのみが問われるのだ!! 

 ——アァア、そういう大雑把な言い方をして…。僕の穏やかな朝をズタズタにしちゃうんだから…。

 それは、違うでしょう? もしも、あなたの朝がズタズタになったとすれば、それはあなた自身の罪悪感の為せる業じゃないの?
 とにかく、その呪われたインポテンツから救済されたくば、あたしの陰門に向かって懴悔せよ!! 

 ——もう…。どこで、どんなガセネタを仕込んできたんだか知らないけどねえ、僕は、このところ、ずっと潔白ですよ。金もなかったし…。

 あ、あれ? この間の分、もう使っちゃったの?

 ——まあね、ハハハ。と、とにかく、この精力の減退というのは、単なる夏バテなのです。それはねえ、ここにクーラーが入ってないから、言葉屋とこの部屋をだね、行ったり来り繰り返していたことの悲惨な結果なんですよ。
 だいいちねえ、この夏バテゆえにですよ、先日は、いよいよっていうときに、どおってことのない小娘まで抱きそこなっちゃったんだから、病状は明白なのさ。とにかく、断じて呪われたインポテンツなんかではないのだ!! 
 ん? とはいうものの、そうか!! そういえば、あの小娘だ。この間も、ちょっと深酔いしたもんだから、すっかり忘れてたよ、ハハハ。

 なにを、グズグズ言ってんのよ? そんな言い訳でインポテンツが回復するっていうの?

 ——か、かもしれないじゃないですか? とにかく、あいつこそが、僕の夏バテを愚弄した張本人なのだ。ついに僕は、忘却色したアルコール性の霧を払拭したのだ!! 
 まあね、ちょっと聞いてよ。とにかくはホテルまでくどき落としたんだけどね、いざ勃起ってときに急にお腹がグルグル始めちゃってね、結局は、バスルームに篭りっ切りでチョンってわけさ。なんせ、横っ腹抱えて出てみりゃ、やっこさん、病気見舞いの一言もなしにトンズラってわけね、ハハハ。

 アホ!! 

 ——まあまあ、それでね、堅気の遊び人とはいえ、このままじゃいささか沽券に拘わるってんでね、さっそく次の日に、手土産持ってやっこさんの店へ行ったってわけさ。
 まあ、口も八丁、手も八丁のお兄さんですよ…。

 あら、もうそろそろオジサンじゃないの? ほら、だいぶ薄くなってきたもん、ハハハ。

 ——うっ、うるさいなあ、お兄さんでいいの!! ああっ、引っ張っちゃ駄目だよ。
 まあ、そんなわけでね、その日もさっそくご機嫌直させてね、もう一回やり直すことにしたってわけさ。ところがね、その勢いですっかり飲んじゃったもんだから、また下痢の定期便ってわけ、ハハハ。まあ、そんなわけでね、このままじゃ、やっこさんにも申し訳が立たないからってんでね、何かプレゼントすることにしたわけさ。そしたらね、あいつ何が欲しいって言ったと思う?

 マンションでも買ってちょうだいって言われたの? ハハハ。

 ——ムグッ。ん、まあ、同じようなもんだけどね。ありゃ見掛けよりは、ずっと根性がきつかったねえ。なんせね、愛人契約してくれってわけさ。ところがなんと、驚いてちょうだいよ、契約金がね、月二十万だってさあ!! お笑いじゃないの、あのチンチクリンのブス子ちゃんが!! 
 こっちも酔ってたもんだからね、それほど女には不自由してねえから、イヤダって言ってやったんだよ。そしたらね、「今さら金を出し惜しみする下痢男に用はない。お前なんかインポテになっちまえ!!」だってさあ。ええ? 今の娘は恐ろしいねえ…。
 そりゃまあ確かに、犯されたいって気持ちをはぐらかしちゃったんだから、そりゃ悪いとは思うよ、だけどさ、そんな言いぐさが許されると思うかね? 結局、あの小娘の狙いは金だってわけさ。そうだろう? だったらね、君のところへだ、弟子入りでもしてだね、正々堂々と稼げばいいんだよ。
 そんなわけでね、僕のせめてもの謝罪の気持ちは、あの小娘の金に盛りのついた自尊心とやらによって、不覚にもインポテンツへと貶されてしまったってわけさ。正に、あの屈辱こそが、僕の崇高なるギンギン的体質を呪い蝕んでるんだね、忌々しいじゃないか!! 
 ああっ畜生、思い出したら、無性に腹が立ってきた。さっそく今晩行って、オトシマエをつけてやる!! 
 ねえ、ところでさ、どうせ、何んでしょ? おぬしの握っている情報とやらも、所詮はそのへんのスジなんでしょう? 隠さなくったっていいじゃないか?

 アホがもう…、そういう品性下劣者の不始末には、インポテこそが当然の報い!! 
 もはや小娘を抱こうと抱くまいと、小娘ひとり満足に遊ばしてやれぬ未熟者は、遊び人たりえぬ不純的発想の報いを受けるべきなのだ。問答無用、懴悔せよ!! 

 ——オッ、オオッ!! ねっ、よしなよ!! ベッドの上でそんな恥ずかしいカッコしたら、隣のビルから見えちゃうよ!! 

 いいの!! だってこの身体なのよ…、あんたみたいなねえ、品性下劣のスケベ男だけのものにしておくわけにはいかないでしょう!? そもそも女のエロティシズムってねえ、男たちの満たされぬ視姦を喚起することによってこそ養われていくのよ、どお?
 ねえ、なんなら、そのカーテン、もっと開けてもいいわよ。大いに見てもらわなくっちゃ、ホレッ!! ハハハ。

 ——ウオッ、滴るほどの、物凄い欲求不満!! 
 ん、じゃまあ…、せっかくですから、丁寧に拝まして頂きますけどねえ、でもねえ、君の輝く陰門に対しては、断じて潔白である僕としては、断固、自動書記体験についてこそ論じ合いたいのだ。ん? 分かった分かったよ、ほんじゃまあ、とにかく…。

 アアッ!! このっ!! インポテのくせに、分不相応なちょっかい出すんじゃないの!! 
真面目に拝んだあとで、しっかりと気持ち良くさせるのよ。
 とにかく、あなたは焦らなくてもいいの。いまに、あたしの蔑みの眼差しの真っ只中で、猿の自涜病くらいには発情させてあげるからね、ハハハ。

 ——でもねえ、君は、僕の神秘体験についてだねえ…。

 もう…、すぐそうやって、無駄口を叩くんだから…、顔を背けるんじゃないの!! 
ここではねえ、そんな書き方なんて、どうだっていいのよ。あなたのオナニーじゃないんだから…。そっ、そう…、吸い付くように…、うっ、あっああ…。

 ——プハッ、おっ重い!! くっ、首の骨が…、おっ、折れちゃう…。

 ハハハ。まあ、今回は、これくらいで良いか…。誰か、見てくれたかな? ハハハ。
ねえ、もうちょっと、そっち寄ってよ…。
 ところでねえ、あなたは、<夢物語>の神秘体験にばかりご執心のようですけどねえ、あたしが、あなたの<夢物語>で問題にしたいと思ってることはねえ、この<夢物語>を支えるあなたの<物語的欲望>の存在理由についてなのよ。しかもそれが、どこからつっついても、なぜか不思議的快感の軽い音がするだけで、まったく正体不明だっていうことについてね。
 つまりねえ、回答の与えられない<欲望の物語>、あるいは問うことに呪縛された<物語の欲望>、さらに、あの悍しき<神的表現者>の独白にも似ていながら、しかしほとんど<小説>たりえぬ<正体不明の物語>、これを手掛かりにあなたの<物語的欲望>を手繰り寄せるってわけね。

 ——まあ、君にどういう企みがあるか知らないけどねえ、この<夢物語>だけは<小説>だなんて言って欲しくないんだね。なんせこれは、<霊界のドキュメント>とさえ言いうる神秘体験なんですからねえ…。
 もっともね、君にその気があるんなら、この<物語論物語>の延長における<物語的愛のドキュメント>として考えて頂いても結構ですよ、ムハハ。

 ふうん、どうしたの? 懴悔したら、急に自信が涌いてきちゃったの?

 ——きっ、君がねえ、ずうっといじめ続けてくれたから、お陰様でアホはアホなりにだね、覚悟が出来てきたってわけさ…。おおっと、まだ首が痛いよ…。

 この辺? もんであげるわよ。どお…。
 ところで、せっかく覚悟が出来てるって言うんなら、ついでだから、ちょっと質問させてちょうだい。まず、あなたは、あの<夢物語>の中で何をしたいと思ってたの?

 ——ええ? そっ、そんなこと、今さら分かるわけないじゃないか!? 
 まったく、君にしてはめずらしいほどの愚問だね? だって、そうだろう、<夢という現実>の中で回答の得られなかった問題だよ、まして<夢でない虚構>の世界で、なんで回答が得られるっていうの?

 あら、そうかしら。だって、あなた<夢うつつ>で書いたなんて言わなかった? 
そもそも<夢うつつ>っていうのは、夢か幻か現実か区別のつかない情況なのよ。だからこそあなたは、これを<神秘体験>って呼んだんでしょう? 
 つまり、とりあえずにすぎない夢の中で<夢こそが現実>だなんて言いながら、夢から覚めるというパラダイム・チェンジによって、今度は<夢の現実性>を虚構へと葬り去るつもりでも、とりあえずの夢は<夢でない虚構>の世界でもいたって<現実的な事件>であるはずなのよ。なぜならば、<夢>も<夢うつつ>も<神秘体験>も、それらはみんな<意識的な営為>が無力化されたところで語られる<事件>なんだから、常に<意識下の抑圧された欲望>とか<無垢な反省以前的心情>などが、より直接的に反映し露呈していると考えるべきだってこと。言わば<現実性ゆえに虚構である夢>でありつつ<虚構性ゆえに現実である夢>は、あなたの日常的営為に不可解な迷いや不安や苦悩、あるいは思わぬ平安を与えてくれる<不成就性の欲望>ってわけなんだから、切実なる<内なる叫び>に他ならないってことね。
 そこで、この<愛の生活>であなたの心の中を覗いてみれば、たとえば隷属する情夫の倫理観に抵触する淫行の罪悪感とか、夏バテとやらで持て余した身体への焦りとか、さらには<愚かなる表現者>としての芸術的な宗教的な欲求不満なんかがゴロゴロしてるんだから、これはどれを取ってみても、あなたの<不成就性の夢>へと通底する現実的課題そのものってわけね、ハハハ。
 とにかく、あなたがここで<夢物語>を問題にしていきたいと言うのなら、まずはこの<不成就性の欲望>についてこそ言及すべきなのよ。

 ——もう…、ちょっと夏バテ休みをしたくらいでさ、そんなに向きにならなくったって、いいじゃないか? それにねえ、ゆうべの<夢物語>にしたところでさ、今となっては、僕の関心事もあの神秘体験についてだけ…。ましてねえ、あの<夢物語>と呪われたインポテなんていう自己喪失的事件とは、全くの無関係に決まってるじゃないか。
 そもそもインポテという事態は、僕にとっては致命的なほどの<自己喪失的事件>だよ。だけどねえ、あの<夢物語>こそは、なぜか<自己確信を保証>してくれる事件だったってことさ。
 つまりね、この<物語>では君の<物語的愛>に呪縛されて自己矛盾を来している僕も、あの<夢体験>という表現行為においては、<僕が僕であること>を疑う余地など全くなかったってこと。たとえそれが、今の僕にとっては茫漠たる正体不明性を抱えていても、その茫漠たる存在感ゆえに<誰か>でありえた僕は、その<誰か>という確信においてさえ僕でありつづけたってわけさ。

 ふうん、それじゃやっぱり<夢という現実>の中では、<正体不明の誰か>にすぎない<無意識的なあなた>に至るまで<あなた自身>であることを確信できたってわけじゃないの、でしょ? 
 だからこそ、あの<夢物語>は、あなたの執念深い性格を考慮するまでもなく、この<物語論物語>においては欲望することだけでさえ挫折感を味わうほどのものを、それでもなお欲望しつづけずにはいられない空しさを反映していると見なければならないのよ。しかもその執念深さが、あたしの目の届かないところで、なぜか、あなた自身に自己矛盾とか挫折感さえ克服しうるような何かを期待させているとさえ思わせるってこと。

 ——ハハハ、つべこべ言う前に、この壮快感を見て下さいよ、ねえ? そんな悍しきものが、あろうはずはないじゃないですか?
 ん、そりゃまあ、深層心理学なんかの夢判断でもすれば、それなりのこじつけは可能だろうけどね、だけど僕にとっちゃ、あくまでも<夢という現実>においてこそ実現しえた戯れにすぎないんですよ、ハハハ。

 まあ、今にみてなさいよ、あなた自身でさえも知らなかったような、<正体不明のあなた>を見付け出してあげるからね。

 ——まあ、そんな無駄な詮索はやめたほうがいいよ…、ほら、さっきから、お湯がシュポシュポいってるんだから、早く、愛するインポテのために、刺激的な媚薬を入れてちょうだいよ…。

 ふむ、でも、きっとワクワクするような何かがあるわね。
 さて、インポテ男のために努力するか…、ちょっと、前、ごめんね…。
 とにかくねえ、あたしの直感からすると、あなたは昨日の夜、そのときには<言葉>になってはいなかったかもしれないが、しかしはっきりとした何かを<夢物語の外>に置き忘れてきてしまった。しかもそれは、記憶喪失と言いうるほどの確信に満ちた忘却的事件になっている、どお?

 ——君ね、それを言うなら、やっぱし忘れ物は夢の中であるはずなんだよ。だってさ、今は何も憶えてないんだから、ねえ? つまり、君の言い方によれば、<言葉>にならなかったそれは、ただ夢の中では語られなかったというだけでしょ、ね? 

 ふむ、それもそうね…。

 ——とにかく、そんな余計なこと言ってると、コーヒー失敗しちゃうよ…。ドリップ法口伝、その一、コーヒーの機嫌を損ねないように、やさしく、ゆっくりと、そして十分に言い分を聞いてやる。どお、忘れちゃいけませんよ。

 あら、その口伝ってさあ、<不成就性の夢物語>を忘却の彼方へと葬り去るつもりのくせに、思わず与えられた平安ゆえにコーヒーの香りに託してさえ追憶を我慢できないあなたの、<劇中作家>としての心得じゃないの? もしもそうだとすれば、あなたみたいなマゾヒストとしては、微温的なしかも不成就性の刺激に自足してしまうという、非常に不純な自己否定的発想というわけよ、どお?

 ——ったくもう、勝手に<物語>を作らないでくれよな…。もっともねえ、その不純的発想ゆえに、究極において自己否定が得られるならば、それはそれで、正にマゾ冥利に尽きるってわけさ、ハハハ。

 すると何よ、どれほどの表現意欲もなく平安に埋没することによって、<表現者>からの堕落を捏造して悔恨の念に浸り、ただひとりで自虐的快感を貧ろうってわけなのね、この変態めが!! 

 ——ムハハ。

 そういえば、あなたが夢の中で無言のうちに要請していた<優しき夢的人格>が、なんで<あたしたりえぬあたし>でなければならなかったのかしら…。

 ——そ、そんなこと、今さら僕に言わせることないでしょうが…。

 ハハハ、それもそうね。でもねえ、あなたが捏造した<夢的あたし>が、<あたしたりえぬあたし>という条件によってこそ、あなたの「〜したい」という欲望が不成就性のものであることを知っていたってこと、これは重要なポイントよね。言い換えるならば、あなたが、<夢物語>で換骨奪胎したあたしにしか打ち明けることの出来なかった欲望とは何か?

 ——さあ、知らないね。とにかく、無駄口叩いてコーヒーいじめちゃ駄目だよ。

 ハイハイ…。ん…、そうか、ちょっと見えてきたわよ。
 それはたぶん、<優しさ>が保証されなければ打ち明けることの出来ない不成就性の欲望であるために、夢の外の厳しい現実では、ほとんど欲望することさえ出来ないほどの欲望にすぎないってこと。それゆえにこそ、夢の中では、はかない望みと知りつつも欲望しないわけにいかない欲望であったってわけね。
 そうでなければ、あなたのような意志薄弱にして問題意識の乏しい<表現者>が、正体不明性を引きずったままの単に<問いつづけるだけの人格>に、執拗なほどの自己同一性を求めつづける理由が見いだせないもんねえ、どお? 

 ——君ねえ、相変わらず勝手な<物語>を捏造して遊んでいるけどね、そんな遊びで僕の人格を貶めようなんて考えてるんだったら、僕はもうひと眠りさせてもらうよ。
 当然、僕にもそれくらいの黙秘権はあるはずなんだ、でしょ?

 あれれ、何よ? あんな<夢物語>を書いたら、コロリと人格が変わっちゃったとでもいうの? そもそもあなたは、いじめられて貶められた<負の部分>を切ないほどの痛みによって自覚しなければ、本来の損なわれる以前の人格を対自化しえないという、そんな倒錯的快感からはい上がることが出来ないからこそ、ここで自己崩壊の危機を抱えた<劇中作家>に徹すると決意したんでしょ?

 ——ぼ、僕は、どれほども変わっちゃいませんよ。ただ僕としてはね、君と同じように<物語的人格>に徹するという自覚にもとづいてだね、君のように<物語>に対する黙秘権を行使しうると悟ったというわけさ、ムハハ。

 ふうん、ま、あなたみたいに発育不全のまま権力志向を引きずった<表現者>が沈黙するのなら、それはそれで世のため人のためになるはずなんだけど、でもそれじゃねえ、<物語的愛>の無言の暴力性を解消することにならないもんね、やっぱり起きてて頂きましょうか…。はい、コーヒーよ。ここに置くわよ。
 あなたの狸寝入りしてる<物語的愛>のために、刺激的な媚薬を用意したんだから、せいぜい頑張ってギンギン的体質を思い出してちょうだい。とにかく怪しい欲望は、叩き起こして根っこから断たなきゃ解消できないもんね、ハハハ。

 ——チェッ、どうせ、君の毒舌に中毒するんなら、いっそ神秘体験から醒めようなんて思わなければよかったよ。いささかてめえの<愚かさ>に腹が立ってくるね…。

 そうそう、そういえば、その神秘体験っていうのが、どうも臭うわね。

 ——ん、どうして? このコーヒーのように、いい香りですよ…。

 ウソウソ!! <夢物語>なんていう劇中劇みたいなものを仕組んでおいてさあ、しかもそれが夢うつつの出来事だなんて惚けてるけど、どう考え直してみても、あれは悍しいほどの<宗教的野望>を臭わせてるのよね。
 つまりねえ、あなたは自動書記現象によって存在理由の曖昧な<表現者>になり、どのようにでもパラダイム・チェンジしうる情況を用意しておけば、いつでも<夢物語>を<虚構>と見なし<現実的なあなた>の<夢物語>への参入を認めさせることが出来るというわけで、それと同様に、<虚構の夢物語>を<物語的愛のドキュメント>などと言い繕うことにより、<夢物語>を<物語論物語>の延長上に位置付け<物語論物語>をも<虚構>と見なすことが出来れば、そのときに<現実的あなた>は<神的表現者>として<物語論物語>に君臨することが出来るって踏んだんじゃないの、でしょう?

 ——とっ、とんでもない。ぼっ、僕はね…。

 あらあら、そんなに動揺しなくたっていいのよ。
 ま、あなたが自動書記現象にこだわる気持ちも分かるけどねえ、でもねえ、あなたの夢うつつの企みは、あたしが<物語論物語>の現実性に覚醒している限り、どうせあなたは<虚構にすぎない神>として自ら消滅する運命なんだから、あんまり深追いしないほうが、身のためってところかしら、ハハハ。

 ——ウオッホン!! 

 でもまあ、今日のところは、あなたの神秘体験の中から、隠された欲望を摘出しておくことにしようか? ねえ、もうちょっと、そっちいってよ…。
 さて、あなたの神秘的な劇中劇という手法を引き受けて、陰険な企みを暴露していきましょうか、どお、覚悟は出来てる?

 ——ああ、このコーヒーは、無性に眠気を誘うねえ…、どうしたんだろう、眠くてしょうがないよ、ムヒヒ。

 バァーカ、無駄な抵抗は見苦しいだけよ。
 いい? とにかくここでは、<劇中作家>たるあなたの身体に<とりあえずの現実性>を与えることによって、その<現実的な身体>が<夢物語>を<とりあえずの虚構>へと位置付けるときに、あなたがほとんど無意識のうちに<夢物語>に対して担っている<何ものか>を見定めようってわけね。

 ——さあ、どうかな、そんなものが都合よく見付かるもんかね…。

 ねえ、ちょいとお尋ねしますけど、あなた、その身体の下に何か隠していませんか?

 ——なっ、何をバカなこと言ってんの!? 夢の中と外を混同しないでもらいたいね。

 なによ、あなたがそんなこと言ったら、自分で神秘体験を否定することになっちゃうわよ。いいの? さっきも言ったでしょ、あなたの神秘体験は<夢>と<現実>を繋ぐ<無意識>によってこそ成立可能なんだって…。つまり、あなたの<無意識>を手繰ることによってこそ<夢物語>を覗くことが出来るんじゃないの。
 ふむ、それにしても、そうか…、この落とし物は夢のような形をしていることも有り得るってわけね。どお、何か思い当たらない? ねえ、知ってることがあるんだったら、早めに言っちゃったほうが楽よ。ジワジワと問い詰められてから白状するのって、とても辛くて苦しいって言うわよ。

 ——しっ、失礼な!! 僕は、犯罪者じゃないんだよ。

 ハハハ、でもねえ、知らず知らずのうちに罪を犯してるってことだってあるのよ。
 まあ、それにしても、あの夢の構造からして、あなたが意図的に語りえたと考えるほうが不自然よね。だってさあ、あの<夢物語>って、とても合理的な思考の型をしてるんだもんね、ハハハ。
 そうか…、そう考えてみれば、<夢物語>において「〜できない」にもかかわらず、あるいは夢の中に忘れ物をしているにもかかわらず、つまりは不成就性ゆえに充実してしまうという<正体不明性の夢的人格>であったにもかかわらず、なぜか、今ここで、あなたにこの安らかな朝を保証していることが説明つくってわけよね。
 その意味において、罪深きあなたは神秘体験を<物語論物語>に対する免罪符にしているってわけね、相変わらず悪賢いじゃん…。
 でもねえ、あなたのこの平安が、<自己同一性>として語りうるものならば、このインポテという事態は、いったいどう理解したらいいのかしら? ねえ、ひょっとしてあのギンギン的体質こそが、あなたの悪賢い装いだったってことなの?

 ——フン!! 僕は知らないね。
 もしもご不審がございましたら、直接ここへお問い合わせください!! ここへ、ねえ。ほら、誰も構ってくれないから、すっかり退屈しちゃってるんだから…。

 それじゃ、今のあなたとしては、夢の恥は夢の中にかき捨てってところかしら?  

 ——ふうん、そういうことになりますか?

 それにしても、その<恥のかき捨て>的構造っていうのが、あたかも<夢物語>に呪われたインポテがインポテであることによって精力絶倫を達成しうるトリックであるように、あるいは問うことに呪縛された<物語の欲望>に身を任せることによって、回答の与えられない欲望に見事なほどの回答をする<物語>があるように、どう叩いてみても自己完結していることが気になるのよねえ。どうなの、そういう企みがあるの?

 ——まったく、知らないね。そんなに僕の忘れ物が心配なんだったら、いっそのこと、この枕でも切り裂いて探してごらん? 
 んん? ひょっとすると、君のお尻に潰されちゃってるんじゃないの? ねえ、どこかそのへんにペシャンコになったやつが落ちてるんじゃないの? ああっ!! そうか、失礼。君は尻軽女だったっけ、その尻じゃ潰せっこないよね、ムハハ。

 フン、なによ!? インポテのわりには、やけに大きな口を叩くじゃないのさあ…。それともなあに、あたしの愛の媚薬がさっそく効いてきたっていうの?

 ——だめだめ…。ひょっとすると、君の愛に偽りがあるんじゃないの? ピクリともしないねえ、ムハハ。アアッ、痛っ!! 
 さては、心当たりがあるな? おっと、危ね、ハハハ。でもねえ、君のコーヒーを飲んでね、いつも思うことがあるんだよ、これはマジでね。

 なあに…。

 ——うん。要するにだ、君の鋭い<言葉>でズタズタにされることを免れえた事件とは、なんと僕に優しいのだろうか、とね。正にこれこそが、誰も疑いえぬ愛の味わいではあるまいかってね、ハハハ。

 ふうん、そういう挑発的な賛辞を弄ぶことが出来るんなら、あの<夢物語>の中で<言葉>にされなかったものの正体についても、よくご存じなんでしょ? 白状するのよ!! 

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 ——うぬ。それは、言い掛かりってもんさ。とにかく知らないものは知らない!! 
 でもねえ、僕は、君が探しているものを<何か>として語れるようには提示してるんだからさ、それで十分じゃないの? つまり、君は<言葉>にされなかったって言うけどさ、すでに語られた<言葉>の解釈の問題にすぎないんじゃないの、ねえ?

 まあ、いいわ。とにかくねえ、ここであなたによって隠されている問題っていうのは、あの自己完結性からしても、あたしやあなたが乗ったぐらいで潰れたりするような、そんな柔なもんじゃなかったはずなのよ。それゆえにこそ、いまここで言えることは、あの<夢物語的思考>はあなたが心身喪失状態であったからこその奇跡であった、と、断言せざるを得ないってことね。

 ——なっ、なんという侮辱!! 
 きっ、君ねえ、僕という人間はですね、本来そういうふうに非常に几帳面な完全主義者だったんですよ。それがねえ、それがですよ、君のようなアバズレ女と、口にするのもいかがわしい愛欲の関係なんかを持つようになってしまったために、ほれ、こんなかっこでコーヒーを飲むほどに荒んでしまったんですよ、トホホ…。

 バァーカ。それは、あなたが勝手に倒錯へと転げ落ちてしまった結果じゃないのさ。ヒトのせいにしないでよ。あたしはねえ、あなたを破局に向かう退廃的なメロドラマへと勧誘はしたけれど、甘いメロドラマを抜きにして倒錯しようなんて言わなかったわよ。それなのに、あなたは、ただ倒錯への反省に足掛かりを持つことによって、かろうじて創造的であるにすぎないところまで落ちてしまったんじゃないの。いったいメロドラマはどうしたのよ?

 ——チェッ、そういう言い方はずるいよなあ…。だってさあ、僕が君と愛欲の関係で暮らすようになったその第一日目からだよ、君がワンワン・スタイルで陰門に懴悔させたりして、僕をペット的情夫に仕立て上げたんじゃないか? 僕たちの退廃的な淫行関係は、メロドラマ以前の既成事実でしょうが?

 あら、あたしに言わせれば、淫行が先だろうとメロドラマが先だろうと、そんなことはどっちでもいいことなのよ。それなのに、あなたはメロドラマを始める気配もないままにひたすら淫行をつづけて、もう、あたしの想像を越えるほどに退廃的才能を開花させてしまったんじゃないの? でも、まあ、今となってはね、あなたの言ういかがわしい関係も、すっかり懐かしい思い出話になっちゃったみたいねえ、ねえ、ホレ…、ハハハ。

 ——そんなに、いたずらしないでよ、かわいそうじゃないか…。
 ほら、すっかりいじけちゃったよ。病気のときぐらい、いたわってあげてよ…。君ねえ、自分のことはすっかり棚上げにしちゃってるけどさ、インポテ男に淫行を強要するほうが、なんぼか退廃してるとは思わないの?

 そうかしら? あたしの感じだとねえ、呪われたインポテのくせに呪われてこその罪悪感に舌なめずりして発情しつづけるほうが、ずっと淫らっぽいと思うけど、どお? 
 とにかく今朝の暇潰しは、あなたの<夢物語>に忘れ物を探り当てること、いいわね?
 ふむ…、それにしてもねえ、改めてこの<夢物語>を見てみると、これはひょっとして、あなたが書きえた唯一のメロドラマかもしれないって感じね。でも、神秘体験によらなければメロドラマも書けないってことかしら…。
 いやいや、そうじゃなくって、神秘体験ゆえに書きえたメロドラマだとすれば、やはりあの茫漠とした不成就性の欲望は、あなたを退廃的淫行へと埋没させずにはおかない<愛の陰画>として見ることが出来るってわけね。
 つまり、あなたが神秘体験としてしか語れなかった<はかない望み>とは、常に<不成就性のはかなさ>によって、<自己愛>を納得させなければならない挫折感でありつづけたはずだから、そんな抑圧しつつ諦めつづける愛欲を生きることは、いつのまにか意志薄弱という性格と発育不全という人格へと倒錯せずにはいられなかったと見ることが出来る、どお? 
 とりあえずこれが、<倒錯的愛欲>によって神秘体験と<物語論物語>とを繋ぐあなたの<自愛的構造>ってわけね。
 ねえ、ちょっと!? 暑いんだからさあ…、そんなにベッタリと懐いてないで、もっと離れてよ…。

 ——どうしてさあ? 今日はご存じのように人畜無害なんだからさ、これ以上は暑がらせたりしないよ…。

 バァーカねえ、だから煩わしいって言ってるんじゃないの?
 とにかく、呪われたインポテ男は、そっちの隅で倒錯的な自己愛にまみれたままで、あたしの尋問に答えればいいの、いいわね?

 ——チェッ、んじゃ…、こんなもんで、どお?

 それじゃあ、あんまり他人行儀に過ぎると思わない? もうちょっと、連帯感を大切にしたいわね。

 ——ほんじゃ、こんなもんで…。

 もう少し…。

 ——きっ、君は、何を考えてんの!? これじゃ、さっきと同じじゃないか?

 あら、そういうことになっちゃったの、ハハハ。
 あのねえ、ほんとのところはねえ、起きてから一向にベッドを出ようとしないあなたの<物語的身体>が、ひょっとすると何かをひた隠しにしてるんじゃないかってね、<読者>の皆さんが勘ぐっちゃいけないと思ってさあ、あなたの身体検査をしたってわけよ。とりあえずは、合格!! 

 ——ったくもう…。

 でも、ついでだからさあ、今度は、腹黒い男のはらわたを覗いてみようかしら…。
 ねえ!? この内視鏡ったら、縮んじゃって使い物にならないわよ? ハハハ。

 ——ハハハじゃないんだよ!! これはねえ、女が覗くもんじゃなくて、男が女のはらわたを覗く内視鏡でしょうが…。

 ハハハ、それもそうね。ねえ、どうしたの? インポテになって以来、すっかり明晰じゃないの? ということはねえ、ひょっとすると、あたしとしてはアホ男をアホへと回復させて情夫にしておくべきか、それとも老後のために茶飲み友達を養成しておくか、それを選ばなくちゃいけないときなのかしら?

 ——ふん、勝手にしてくれ!! 
 まあ、このぶんじゃ、君がどっちを選んでも、僕は長生き出来そうにないってことさ。

 あら、そんな弱気なの? それじゃ今のうちに、聞きたいことは聞いておかなくっちゃね。うっかりと早死になんかされちゃったら、元も子も無いもんね、ハハハ。
 じゃ、さっそくだけどねえ、ゆうべあの<夢物語>を書くときにね、ひょっとして何か他のことを書こうなんて思ってなかった?

 ——他のことって?

 そうね、たとえばボツにしてしまった何か。あるいは挫折に挫折を重ねて諦めてしまった<物語>ってところかしら…。それともコレのおかげで、すっかり取り逃がしてしまった女への諦め切れないモヤモヤとか、ね?

 ——くっ、くすぐったいよ、アアッ、そっ、そんなことしたら壊れちゃうじゃないか!! 
 ハハハ、それで?

 ——ん…、まあ、これでも<表現者>ですからねえ、いわゆる<言葉>にしなかったところの<言葉>なら掃いて捨てるほどありますよ。それにねえ、当然ながら書くに至らなかった<膨大なる情報>とかね、<とめどない想像世界>なんかがあるわけですよ。つまりねえ、僕はこの情報と想像世界にこそ生きてるわけですねえ、いかがかな?
 まあ、こういうところで散策してますとねえ、期せずして美貌の女人に遭遇したりすることもありますがね、今さら君が関知するところでもないでしょうが、ムハハ。

 ふうん、ま、ささやかな自惚れはやり過ごすとしても、そのなけなしの情報と想像世界ってさあ、結局のところ、無言のまま生きられた日常生活と考えていいわけね?

 ——ん? いや、ちょっと違うんじゃないかな? 僕の日常生活ってやつは、<表現者>として抱える情報や想像世界を引っ張り出す以前の<事件>ってわけさ。だから、たとえ僕が<劇中作家>でなければならいとしても、<劇中作家>の日常生活は情報化する以前のもっと<生々しい現実>であるはずなのさ。

 でもねえ、あなたの<生々しい現実>を保証する<記憶>とか<無意識>とか<常識>みたいなものを束ねる<想像世界>ってさあ、結局は<言葉>になってるんじゃないの?
それをあたしたちは、<物語>って呼んだわけでしょ? だったら誰の日常生活であれ、<無言の物語>なくしては<生々しい現実>も有り得ないじゃないの、でしょ?

 ——ああ、そうか…。ということは、言い方を間違ったってことか…。
 つまりねえ、日常生活者である僕の<生々しい現実>のなかで、僕がたまたま<劇中作家>であるときの<自覚>は、日常生活を支える<無言の物語>とはおのずと違ったものとしての<物語的情報>とか<想像世界>を持っているはずだってこと。
 たとえば、ここでこうして淫行関係の日々を送るしょうもない奴じゃなくて、あの隣のビルから覗いてる目のような、そうそう、お許しが頂けるならあの<正直者の口述筆記者>の眼差しを支えるクリアーな<物語>のようなもんだね。

 ふうん。ま、あなたの言う<口述筆記者>がクリアーな眼差しであるとは思わないけど、とりあえずは<反省的視座>ってわけね。
 すると<夢物語>は、ここで<劇中作家>であるあなたが、<言葉>にしなかったところの<反省的何か>であり、<夢物語>もまた<言葉>にしなかった<反省的何か>として、<劇中作家>の<矛盾に満ちた自覚>を抱えているってわけね。

 ——ん、まあね。

 とすれば、夢の中への忘れ物とは、<夢物語>で反省的に対自化しようとしつつも、結局はその反省的事件からこぼれ落ちてしまった反省、いや、むしろあなたの場合は、<夢物語>では反省的に語れなかったところの<何か>ってわけね。
 つまり、こういうことじゃないかしら、この<夢物語>の謎の完結性は、<劇中作家>として<物語論物語>を<世紀末的芸術論のメロドラマ>として語るはずだったあなたの、その存在理由である<反省>をも幻惑しうる狡猾なる自己欺瞞が行われていた!! 

 ——どっ、どうして、君にそんなことが言えるんだよ? 本人でもないのにさあ…。

 だってそうでしょう、たとえあなたが<夢物語>においては<自己忘却的な表現者>であったとしても、<物語論物語>において甘美なメロドラマを語るつもりだったあなたは、<夢物語>に対する<潜在的な劇中作家>であったはずなのだから、たとえ<夢物語>が<メロドラマもどき>にすぎないとしても、あなたは<夢物語>においても<物語論物語>においても<愛のドキュメンタリー>を語る<劇中作家>として、あくまでも反省的視座を無視することは出来なかったはずなのよ。だから、あなたがどこに<何>を反省しえぬものとして引きずっていようとも、<劇中作家>として生きつづけている限りは、自分の都合で勝手に<反省>を止めたりすることの出来ない<限りなき反省者>でなけりゃならないってことなのよ。
 それなのに、<限りなき反省者>であるはずのあなたにとっては、<夢物語>が未だに無言のまま放置された<反省的何か>であることを知りながら、<夢物語>が「〜したい」という不成就性の欲望で自足しているのをいいことに、<限りない反省>を喚起することなくいたって平然と沈黙していられるっていうことは、いったいどういうことなの?
だいいち、<夢物語>の中であれほど執拗に欲求していたにもかかわらず、今のあなたが、かつて「〜しえなかった」はずの不成就性の欲望を検証することもなく、未だに不成就性のまま放置していることを、<限りなき反省者>のみならず<無言の欲望者>としての重大な過失あるいは自己否定とか喪失と思う形跡がないっていうことは、いったいどういうことなの?

 ——うおおっ、ま、またあ、いつもの鋭い目付き!! 
 ぼっ、僕は、本当に何も憶えてないよ!! 君ねえ、この正直者の僕がだよ、君のその眼差しの前で、白々しくも嘘の言える人間に見えますか?

 うん!! いつだって、そう見えてるわよ。つまりねえ、あなたが、あたしをこんな目付きの女にさせてしまったのよ。なんて罪なことしてくれたのよ!! 
 さあ、いったい落とし前は、どうつけるつもりなのよ!! 

 ——ハハハ、まあまあ、とにかくねえ、一息入れてはいかがですか? 
 ほら、僕たちが話題にすることさえ忘れていた風景があるじゃないですか? 
 どうです、この穏やかな初秋の朝は…。ん? ああっ、わりいわりい。朝だからって、穏やかとは限らないよね、ハハハ。まあ、豊満なる欲求不満がかもしだす艶やかな朝なんかがあったっていいわけだよねえ、ムハハ。

 しっかし、あなたのそういうヘラヘラした性格って、どこから来るのかしらねえ? 

 ——当然、宇宙に遍満する<優しさ>じゃないんですか? 僕は、そういうものに感応しやすい体質なんですねえ…。

 何よ? その<宇宙の優しさ>って? 
 宇宙に遍満するのは<暴力的生命力>のはずでしょう?

 ——それだけじゃないでしょうが、宇宙とか自然には自浄能力ってのがあるでしょうよ、ねえ? これこそが<宇宙の優しさ>ってわけですよ。

 自浄能力? ふうん…、でもねえ、それは、とりあえずの体制的暴力が安定的状況を維持しようとする力のことでしょ、だったらむしろ抑圧としての暴力と言うべきなんだから、反省力としての保証なんかないじゃないの? あなたねえ、反省力のない<優しさ>なんて単なる偽善にすぎないでしょう? 
 ああ、そうか、そういうのは閉塞情況に陥った暴力ってわけだから、正に疑似インポテンツそのものなのね、ハハハ。

 ——チェッ、余計なこと言わなけりゃよかったよ。

 ううん、そうでもないわよ、あなたのいう<優しさ>が、<閉塞情況に陥った暴力>であるってことは、とても重要なことよ。
 いい? <夢物語>があなたを不安にさせる<優しさ>によって語られ、しかもあなたが<不成就性の欲望>という閉塞情況を出ることが出来なかったってことは、閉塞せざるをえない欲望によって発動する閉塞するための暴力によって語られた<夢物語>は、インポテンツとして完結せざるをえなかったってわけなのよ。
 つまりねえ、<夢物語>では、あなたのいう<優しさ>がインポテンツの象徴であり暗示であったために、<夢物語>をインポテンツのまま放置することこそが、あなたの表現行為をあたかも<反省的な暴力>といいうるものに似せて、それを自己完結的な回答にすることが出来たってこと、どお? 
 あなたにとっては、何はともあれ<夢物語>を書くということこそが、<不成就性の夢物語>を完結させる回答であったということ、たぶん、これね!! 

 ——んん? 僕の背中になんかくっついてんの?

 ううん、あなたの心の中にインポテの企みが見えてきたったこと。
 つまりねえ、あなたはゆうべ、<永劫の反省的表現者>でなければならないにもかかわらず、ワープロの前で想像力の貧困に為す術もなく挫折し、ほとんど切羽詰まった凡庸さのままで、闇雲に原稿用紙をベッドへと持ち込んだ。当然そのときに無意識のうちにも反省者でなければならない<劇中作家>であるあなたは、いつものようにささやかなる<事件報告>を抱えてはいたけれど、いざ新たなる<事件>を喚起しようとして「何か書かなくちゃならない」と思えば思うほど、今度はワープロよりも辛辣に拒否的様相で昂揚してくる真っ白な原稿用紙と対峙しなければならなかった。
 ところが、ノラリクラリとしたあなたのインポテ的性格に、正に奇跡ともいうる衝撃的な閃きがあった。それは、「今さら何も書くことはない!!」という自覚に逢着してしまったってことね。

 ——またまた…、そんな訳の分からないキーワードなんか捏造しちゃってさ、僕でさえ開けることを忘れている心の扉をだね、こじ開けたりしないでもらいたいね。だいたいねえ、女の子がひとりでそんなところへ入っちゃうと、迷子になっちゃうよ!! 

 ううん、ちょっとジメジメしててカビ臭いけど、結構見通しはいいのよ、だってねえ、ほとんど空っぽって感じだもん、ハハハ。
 ねっ、ねえ、その地下室のガラクタは何んなの? ああっ、そっか、わりいわりい、記憶のお部屋だったのねえ、ハハハ。

 ——ムムッ、おっ、面白くなんか、ない!! とっ、とにかく、とにかく!! <表現者>というものは、ほとんど毎日「今さら何も書くことなんかない」のだ!! 
 それが<生活者>としての平安であり、<作家>としての苦悩なのだ!! 

 ふうん…、そんなもんかしらねえ。でも、ひょっとすると、それは才能を問う以前に<表現者>が<物語的意志・欲望>に対して無自覚であるってことが原因じゃないの? 
多分、それは反省に手心を加えているってことじゃないのかしら…。

 ——ううっ、うるさい!! 

 ハハハ。ついに、ここでひとつの問題に回答が用意されるのだ。
 それは原稿用紙の前で「今さら何も書くことはない」あなたが抱えていた問題、つまりは、あの<夢物語>を書くに至らせたところの問題とは何んであったのかと問えば、「何かを書かなければならないということは、今さら何も書かなくてもいいということなのだ」を証明せよということだった、でしょう? 
 つまり「書くということは、書かなくてもいいということを証明せよ」ってこと、ね!?

 ——ど、どうして?

 どうしてって、でなきゃあなたは、多分「〜したい」なんていう<夢物語>なんか書かなかったはずなのよ。もっと厳密に言えば、あなたはこの問題に見事な回答を出したからこそ<夢物語>を書きえたってわけね。しかもあの心身喪失的思考によってね。
 つまりその回答っていうのはねえ、「書くということは、書かれなかったものについては、書かなくてもいいということ」
 どお?

 ——なっ、なんで、そんなことが言えるの?

 あなたはねえ、初めに「書きえないもの」とか「書きたくないもの」を、どうしても「書かざるをえない」という問題に直面していた。そこであなたは、ほとんど奇跡的閃きによって、「今さら何も書くことはない」という回答を出した。しかも、ちょうどそのときにベッドにいたあなたは、<夢うつつ>という心身喪失的思考の真っ只中で奇しくも自動書記という神秘体験に遭遇し、心ならずも<夢物語>を書くに至った。
 この<夢物語>の出現によって、あなたは「書きえないもの」「書きたくないもの」を「書かずにすます」ことを実現することが出来たってわけね。ここであなたの<夢物語>は、「書くということは、書かれなかったものについては、書かなくてもいいということ」を証明しているってこと。

 ——ふむふむ、ということは、僕にしてみれば「書きえないもの」を「書かざるをえない」羽目に追い込んでしまっていたからこそ、夢の中に迷い込まざるをえなかったっていうわけだね。つまりは、無駄な抵抗だったってわけさ。

 んん? というと…。

 ——だってさあ、僕はね、愛を<物語論>で語る<ドキュメンタリー作家>ですよ、つまりは陳腐なメロドラマをも愛によって崇高なる芸術にまで高めうる<表現者>ですよ、ムハハ、その僕がねえ、ベッドの中でさえめったに夢を見ることも許されない情夫という立場を強要されていれば、日常生活の思わぬ雑事に追いまくられて、なかなか充実した仕事ができないという情況にあったというわけさ、ね。だからこそ、僕は、非日常的な夢へとスリップして行かざるをえなかったちゅうことですよ、ハハハ。

 あなたねえ、結局は、その「ハハハ」こそがあなたの自己欺瞞を暴露してしまってるのよ、分かってんの?  
 いい? あなたが夢へとスリップしてしまったっていうことは、<永劫の反省者>である<ドキュメンタリー作家>が、日常的な反省的事件を回避して夢へと現実逃避してしまったことにしかならないのよ? ということは、反省によってこそ<愛のドキュメンタリー作家>たりうるあなたは、反省の回避という自己逃避をしてしまえば、もはやこの<物語論物語>における<劇中作家>たりえないってことなのよ。
 つまりねえ、<夢物語>以前に自己逃避してしまったり、反省からの自己逃避によって<夢物語>を書こうとしても、反省的行為としての<夢物語>なんか書けないのよ。
もしもあなたが、それでもなお<夢物語>は存在すると主張するつもりでもねえ、すでに<劇中作家>たりえず<愛のドキュメンタリー作家>という身分を喪失してしまったあなたは、どこにも<表現者>としての主体性など確保しようがないのだから、<夢物語>は自らの<物語的意志>によって自分のための<物語>を語ったにすぎないってことになるわね。ここであなたが、唯一<夢物語>に拘わりを持ちうる条件は、不特定多数の<読者>のひとりになることでしかないってわけね。

 ——そりゃ、詭弁だ!! いまさら君が何んと言おうと、あの夢は、僕の夢なんだ!! 
僕はねえ、断じて現実逃避なんかしてないよ。あの<夢物語>はね、この<物語論物語>への反省的視座としての<夢的人格>である僕が、僕たちの愛の行方について語ってるんだよ。

 そしたら、あなたの言う自動書記現象が真っ赤な嘘になっちゃうわよ? あれは神秘体験なんかじゃなくて、実はまったく当たり前な正気の<劇中作家>として、単なる<夢物語>という劇中劇を書いただけのことになっちゃうのよ?

 ——どうして君に、そんなことが言えるの? あれは誰が何んと言おうと、正真正銘の神秘体験だったんだよ。

 駄目よ、今さらそんな勝手な思い込みだけの救世主的発想は通用しないわよ。
とにかく、あなたが、<夢物語>は「現実逃避ではない」「反省的な表現行為だった」しかも「神秘体験であった」ために「何をしたかったのか憶えていない」と主張しつづけるならば、やはり明確なるひとつの企みを想定せざるをえないってわけね。
 いい? まず言えることは、あなたにとって永劫の反省的事件である<物語論物語>に対して、さらに<夢物語>がその内容にかかわらず反省的事件であると言うためには、あなたは<夢物語>が単なる事件報告であってはならないと考えた。
 そこで<劇中作家>の意識下の欲望にまで手の届く非日常的な反省的視座を確保する必要があったあなたは、<夢物語>を神秘体験と言い繕うことによって<夢>そのものを<現実>へと擦り替えたってわけね。でなければ、あなたの劇中劇としての<夢物語>なんか、所詮は、あたしの<物語的愛>というベッドの中のたわいない<寝物語>でしかなかったったはずなのよ。
 そうすると、ではなぜ、あなたは神秘体験を捏造してまで<夢物語>を書かなければならなかったのか? つまりこの問い掛けは、はじめの疑問をさらに深く問い直すことに他ならないってわけね。いい? あなたは、なぜ<夢物語>を捏造してまで「書くということは書かなくてもいいということ」を証明しようとしたのか?
 いよいよ、これについて回答を用意する段取りね。

 ——さあて…、そんなものに回答を用意できるのかね? だいたい自分のことをヒトに聞くのもおかしな話だけどさ、君は、何もかにもが僕の企みだと決め込んでるけどねえ、もしも<夢物語>が自動書記現象でないとするならば、あの「〜したい」欲望についてさえ記憶のない僕が、いったいどうして正体不明のまま<夢物語>を書くことができたって言うの? 

 今さら何よ!? それこそが、あなたの救世主的発想の罠だって言ってるのよ?
そうでしょう、そもそもは<神的表現者>のみならず満足な<神話作家>にもなることができなかったあなたが、その凡庸さを逆手に取って<口述筆記者>とか<愛のドキュメンタリー作家>として復権しよとしたにもかかわらず、そんな安易な<反省的表現者>においてさえ己の自愛的体質の傲慢さに振り回されて、結局は<愚かなる表現者>に至るまで、ささやかなる反省を次々に挫折させてしまった自分に愛想を尽かしたものの、それでも<劇中作家>としての見栄を取り繕わずにいられないあなたは、いよいよ「書くということは、書かなくてもいいということを証明せよ」という問題を捏造して、<永劫の反省>を止揚しようとしたってわけなのよ。
 つまりそれは、自分が提唱した<愛のドキュメンタリー>が、己の意志薄弱という閉塞情況によって破綻することを恐れたあなたの、苦肉の策だったってこと。あなたは<ドキュメンタリー>を空洞化させることによって<ドキュメンタリー作家>たらんとして、その存在理由である反省性そのものを埋没させようとした。
 そこで、あなたは<永劫の反省>という桎梏を解くために「今さら何も書くことはない」自分を正当化しなければならなかったから、何はともあれ神秘体験を捏造してさえも、この<物語的愛>の地平に<反省的分身>という<虚偽の身分>で、<あなたたりえぬあなた>のまま<夢物語>というフィクションを書かざるをえなかったってわけね。
しかし、あなたは<ドキュメンタリー作家>としての積年の挫折感を払拭するには至っていなかったために、その抑圧された念いが<夢物語>における「〜したい」欲望として、哀しい痕跡を留どめてしまった。
 まあ、その意味においては、あなたってヒトも嘘をつきつづけることのできない正直者ってことかしら、ハハハ。

 ——チェッ!! なんでえ、なんでえ!! 勝手な御託を散々並べやがって、てめえって女は、どこまで性根の腐った厭味姥なんだ!! 

 バァーカ!! 

 ——ハハハ。ま、とにかくね、君は、僕の野望を暴露したつもりだろうけどね、たとえばその企みとやらを仮定したとしてもだよ、それを僕の立場で考え直してみれば、<劇中作家>たる僕は<夢物語>の<不成就性の欲望者>であることによって、凡庸さゆえの閉塞的な日常性を不成就性のまま自己完結的に活性化させることが出来たってわけさ。
その意味において<夢物語>は、明らかに<ドキュメンタリー作家>である僕の<反省的事件>たりうるってことだね。
 それにねえ、たとえ僕が<永劫の反省>に呪縛されてるとしてもだよ、それは君の大いなる親切というお節介によってだね、僕が<劇中作家>として自立するための自覚として与えられたものにすぎないんだよ、ねえ? 
 ということはね、無明無知といわれた僕には、僕というささやかなる自覚以前に<先在的な永劫の反省的物語>なんかは存在していなかったってことさ、それが当たり前でありそれですべてだったってわけさ。だからね、いま僕が、いままでの無意識という深淵に回避しえぬ<永劫の反省>を掘り起こしたとしても、それは<劇中作家>である僕の<反省的事件>の現場で、<現在>が拓かれることによってしか<永劫>も語れないし見えてこないってわけさ。
 いいかい? その証拠にねえ、僕が自己愛やアルコールに溺れていたり、神懸かりにでもなっていれば、そこには<反省的事件>が成立しないってわけだから、この<物語論物語>には<反省>も<永劫>も存在しないってことさ、ね? 
 ま、君は得意になって、僕の野望を暴いたなんて言ってるけどさ、僕は夢から醒めてこの<夢物語>を読み返してさえ、<反省>が完結しているなんてことを知らなかったのに、どうして<永劫の反省>とやらを細工したり、陰謀を企んだりすることが出来るっていうの、そうだろう? とにかくねえ、この自己超越性によってこそ、<夢物語>は、僕の<反省的ドキュメンタリー>における奇跡ってわけなんだよ。

 さあ、どうかしらねえ…。ま、あなたがどういうつもりで神秘体験だと言い張るのかは知らないけど、でもねえ、あたしに言わせれば、あなたは<夢物語>を神秘体験として書くことによって、実は、<物語論物語>の汚物にまで転落した<愚かなる表現者>のままで、ヒトビトの冷笑どころか最上の喝采を博するために起死回生の事件を仕組む絶好のチャンスを、自ら逃してしまったんじゃないのかって思うのよ。

 ——そりゃまた、どうして!? 

 だってねえ、あなたは空しい<夢>の中を巡り巡ったそのあげくに、惨めな原稿用紙を晒したりしないでさあ、むしろそれを白紙の<夢物語>として提示しておけば、あなた自身の凡庸さに鮮烈なる<反省のドキュメント>を喚起しえたんじゃないのかってね…。
それなのに、あなたは、汚辱にまみれた不純的発想の日々においては正に奇跡とも言えるその純粋性を、よりによって自己喪失の「〜したい」なんていう欲望によって凌辱してしまった!! 
 つまり、この事件においてあなたは、<純粋性における自己完結>の希望を孕んでいながら、自動書記現象という企みによって<救世主的幻想>に取り付かれた不純的人格であることを、悍しき自己愛に鎧われた偽りの<反省的表現者>として露呈してしまったってわけなのよ。

 ——そ、そうかなあ? 僕が頼みもしないのにさ、わざわざ忘れ物を捜してもらったその上で、今さら文句を言っちゃ悪いんだけどね、それは、いま<夢物語>の外だからこそ言えることなんじゃないの?
 だってねえ、いま君が言ったように、僕にとっては、ゆうべの<夢物語>をなんとか書くことによってこそ、君が探り当ててくれた問題を「書きえないもの」として完結させることが出来たってことじゃないのかね、でしょ?

 ふむ、それもそうね。でもねえ、ここであなたの<夢物語>における<不成就性の欲望>の謎の完結性という存在理由は見えてきたとしてもねえ、いまだに正体不明の「〜したい」欲望は、「書くということは、書かれなかったものについては、書かなくてもいいということ」の構造的な裏付けによってこそ、その忘却的意味を不明のまま充実させていると思うのよねえ。
 つまりねえ、忘却的意味の<何か>を「〜したい」夢的人格として担うあなたとは、その目的も存在理由も正体不明であるために、<劇中作家>としてはいかようにも反省的に対自化しえぬ<無意味>に埋没しているというわけだから、そこでそんな<無意味>を対自化するしかない<劇中作家>もまた、自らの存在理由を<無意味>へと埋没させてしまうことになるってわけね。
 だから、この<無意味>へと自己完結的に反省するしかない<劇中作家>は、<夢物語>に対して自分の<何が><何んであるのか>を明らかにしていかないかぎり、この<物語論物語>においても「〜しえぬ」不成就性の欲望者として、あたかも現実逃避のように無意識を擦り抜けて、<夢的人格>の不成就性へと憑依することさえ我慢できなくなってしまうはずなのよ。
 ということは、ここに拓かれた<劇中作家>としての自己完結とは、確かに貴重な<純粋性>ではあるけれど、現実逃避という<不成就性の自己愛>なんかで武装することになってしまえば、<夢的人格>への憑依という構図が<救世主的発想>の<不純性>を回避しえないものにしてしまうってこと。つまり、あなたは、ここでこの<不成就性の自己愛>こそを懴悔すべきなのだ!! 

 ——なっ、なんだ、なんだ!? 今さら懴悔はないだろう? 
 ここで君の陰門に懴悔することになればだよ、僕は、<何が><何んであったのか>さえ分からないまま、君に隷属するペット的情夫に埋没するだけになっちゃうじゃないか?

 ふうん、するとまだまだ<不成就性の自己愛>に固執するわけが、何か隠されているってわけでしょ、白状しちゃいなさいよ!! 

 ——ググッ、とっ、とんでもない!! もはや僕は、懴悔すべき自己欺瞞も、白状しなければならない企みも、一切持ち合わせてはいないのだ。
 だいいちねえ、僕にしてみればだよ、<劇中作家>として自己完結的であるためには「書いてはならないこと」があったのに、君がだよ、頼みもしないのに無理やり<言葉>として掘り起こしてしまったから、<夢物語>によってこそ実現できていた<反省の完結性>が、まったく無残にも崩壊してしまったんじゃないか。どうしてくれるんだよ?
もう僕はね、答える必要のないことまで<言葉>にさせられているんだよ…。

 なんだ!! それじゃあなたは理由の如何にかかわらず、ここでも「書いてはいけないもの」について「書いてしまった」んだから、<表現者>としての致命的な自己欺瞞を犯しているんじゃないの? まあ、ルール違反はあなたの得意だから、今さら驚かないけどねえ、あなたは、またしても語るに落ちたってわけね、ハハハ。

 ——チクショー、いいか!? もはや僕は、<永劫の反省者>なんていう糞面白くもない<劇中作家>としての望みは一切破棄し、<救世主>に至るための宗教生活に入る決心をした!! つまりだね、僕は、この<物語論物語>なんぞという呪われた世界から出家してやるのだ!! どうだ!? ムハハ。

 ふうん、じゃその<出家宣言>とやらで、勝手に<救世主>として復活するなり、何んにでも変身してみたら? 出来るもんならやってみなさいよ!! 
 そんな空言だけでねえ、ここに<救世主>や<生理的表現者>や<口述筆記者>なんかが出現するっていうのなら、まあ、せっかくの機会なんだから、その宗教的奇跡とやらを見せて頂きましょうか? ほら、早くやってみなさいよ!! 

 ——チッ、チクショウ、虚仮にしやがって…。
 アアッ、そうか!! ワープロのスウィッチが切れてちゃ喧嘩にならんわい…。ええいっ、どけどけ、邪魔だて致すな…。
 よし、これで、どうだ!! システム・ファイルを入れりゃ、もうこっちのもんだ、ムハハ。まずは、手初めに<正直者の口述筆記者>として復活してやるわい…、ん!? 

 どうしたの? ようやく目が醒めたの、ちょっと時間が掛かりすぎたみたいよ、ハハハ。

 ——ハハハ。どうも、また、やっちゃったみたいですねえ、ムハハ。
 結局、第一章の繰り返しになっちゃいましたねえ、笑ってやってください…。

 あなたねえ、そういう見え透いた茶番は見苦しいだけよ。あなたは、<劇中作家>としてのみ<ドキュメンタリー作家>にすぎないんだから、<物語支配>の欲望で騒いでも自愛的欲望にまみれた敗北者に成り下がるだけなのよ。
 あっ、あなたねえ、そうやって、また、あたしの愛のベッドにどっぷりと埋もれてしまうんなら、初めっから、つまらないことしなきゃいいでしょ…。
 とにかくねえ、<物語論物語>を退廃する<芸術論>のメロドラマとしても語れないっていうのに、今度もまた自分の傲慢さを口先だけで言い繕うためによ、<夢物語>の不成就性もそのままで<神的表現者>への小説論的欺瞞なんかを捏造して、罪深き宗教者から<救世主>へと復活しようったってね、そうはいかないのよ!! 

 ——だけどさあ、君はね、非難がましく「言葉だけの言い繕いだ」なんていうけどさ、この<物語論物語>が<言葉>の関係のみによって成立するなんていったのは、君のほうなんだよ。
 だからこそ、僕はね、この<物語論物語>が永劫の反省者しか生き残れない不毛の地平であるかぎり、いかようにも自己欺瞞を回避しえないと悟ってだね、ここでこうして君のベッドの中で欲求不満の淫乱美人を抱えたヤクザなインポテンツであることを懴悔してね、その証である<出家宣言>によってこそ、ひたすら<神的表現者>の愛にすがる宗教者として自己無化の道を歩みたいと決心したんだよ…。
 それなのに君は、またしても迷える苦悩者をだね、このベッドの中へと誘惑してしまうんじゃないか!! そうだろう?

 あなたねえ、あなたのいう<自己無化>っていうのは<神の愛>という欲望による武装でしかないのよ。いい? もしも本気で<自己無化>を望むんならねえ、すでにあなたが生きつづけているこの<物語論物語>で担う一切の矛盾と不信を、<夢物語>から無意識に至るまで掘り起こす<永劫の反省>を生きることによってしか実現できないのよ。
言い換えるならば、こういうことなのよ、もしもあなたがここで<宗教論>によってこその<自己無化>をいうつもりなら、すでにこの<物語論物語>が語り始められる以前に、正々堂々と<小説>といいうる<神話>が語られていなければならなかったのよ。
とにかく、自己欺瞞から逃げつづけようとするあなたの病気こそが、<物語論物語>を実りのあるものにしようという希望から自己喪失を誘発してしまうから、正体不明という絶望の淵では辛うじて倒錯にすがることによって生きられないってわけなのよ。 

 ——だけどさあ、ここでは<宗教生活>が<小説世界>によってしか生きられないなんていうトリックが仕掛けてあるからこそ、僕のような真面目な信仰者がだね、謂れのない自己欺瞞へと貶められているんじゃないのかね? そうしてみればだよ、僕の<夢物語>がどれほど悲痛な叫びに満ち満ちているかなんてことは、今さら僕が語るまでもなく親愛なる<読者>には先刻承知であるはずなんだ。

 あなたねえ、いまノコノコとワープロのスウィッチを入れにいってまで確認した挫折感は何んだったの? いい? この<物語論物語>は開放系の物語なのよ、それに対して<神的表現者>によって閉鎖されてしまった物語はねえ、何が語られていようとも<神話的構造の宗教論>でしかないのよ。あなたはねえ、もうどんなにあがいても<劇中作家>としてしか生きられない<永劫の反省者>なんだから、ここから逃走しようとするかぎりはねえ、あなたには自己欺瞞の罪が付いて回るのよ。
 いい? ここはねえ、破滅せずにはいられないヒトビトの一切の<物語的愛>の呪縛を反照する<反省地獄>の一丁目なのよ。つまりあなたは、この<物語論物語>で己の因縁を見定めることもなく闇雲に逃走しようとする欺瞞によって、すでに三途の川は渡ってしまってるのよ。

 ——なっ、なにが、開放論だ!! これこそが悪魔の閉鎖論なのだ!! 

 あのねえ、ついでだから教えてあげるけどねえ、<神>のいない<物語論物語>には、やはり<悪魔>なんていう惚けた奴もいないのよ。あるのは<自己欺瞞>を放置させない<反省地獄>ぐらいかしら、ハハハ。
 だからねえ、あなたみたいに<自己愛>という<永劫に不成就性でしかない欲望>に呪われた者は、底無しの地獄で苦悩しつづけるしかないのよ。でもねえ、あなたにとっての唯一の救いとは、この<反省地獄>こそが、<神のいない愛>であるあたしに祝福された甘美なメロドラマであるってことね。

 ——あわわわっ、はっ、離れろ!! たっ、たっ、助けて!! 

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