愚かなる表現者として笑われたい僕〜B



 それこそが、あなたを闇雲に発情させている<無意識の動機>じゃないの!? 
つまり、あなたはこの動機ゆえの<劇中作家>でありつつ、同時にこの動機ゆえに<劇中作家>に自己矛盾を抱え込み、そしてこの動機ゆえに<劇中作家>を自己崩壊へと進めずにはいられないってことなのよ。結局ねえ、あなたが何を考えようと、あなたが、あっと、ああ…。失敗、失敗!! ごめんね、濡れちゃった? 
 やっぱし疲労のせいかしら…、なんか、酔っちゃったのかな…。こんところ、疲れやすいのよね…。なっ、なによ、ニタニタ笑うんじゃないの!!

 ——ムハハ。そういうギンギラの眼差しをしていちゃあ、やっぱし見え透いた嘘になっちゃうんじゃないの? だいたいね、ウイスキー一本を平気で空けちゃう女がだよ、今さらそんなこと言ったってダメに決まってるじゃないか!! 
 そもそもね、そういうふうに何気ない日常生活の失態をね、ことさらに言い繕うって態度はね、君が普段押さえ込んでいる自己欺瞞の顕現と見るべきなんですよ、ハハハ。
 まあ、不本意ながらも惚れてしまった男をですよ、それゆえにこそ隷属させずにはいられないなんていう歪んだ愛情表現はね、たとえそれによってしか満たされぬ鬼ババにしても、やはり不毛の愛に対する慚愧の思いを禁じえないってわけなんだろうねえ、ハハハ。

 やっかましい!! 今のあなたに、そんな無駄口を叩いてる暇はないのだ!! 
あなたの<劇中作家>という身分は、その<無言の欲望>によるルール違反によって、もう内部崩壊を始めてるのよ?

 ——するってえと何かい、僕の中に巣くってる奴が<無言の物語的欲望>だってわけ?

 あら、やっぱり<愚かさ>はポーズだけなの?

 ——ウヌ…。ど、どんなアホだってね、それぐらいのことは気付くのじゃ!!
 とにかく、僕としてはだね、その病原菌の正体が知りたい。

 あのねえ、そもそもそういうものには、正体がないからこそ<無言の欲望>ってことなのよ、ハハハ。でもまあ、<無意識の動機>というわけだから、そういう言い方からすれば、<無意識>のうちにあなたをあなたとして思わせている<物語的動機>ってわけね。あるいは、あなたがこの<物語>で<無意識のうちに担う生命力>ってこと、無論それは<無意識の暴力>でもあるってことね。

 ——あ、あの、ちょっと…、ねえ? その<生命力>は、なんで暴力なの?

 だって、そうでしょう!? この自然界における生態系で<生き延びる>ってことは、必ず何等かの能力に保証された弱肉強食という食物連鎖を回避できないわけでしょ? ただ人間の場合には、それが知恵と技術に保証された<社会>というものによって見えにくくなってるだけのことだけど、そんな<社会>を覆う人類最強の暴力を核兵器の破壊力という点から見れば、未だにその暴力を克服しえぬ<社会>によってしか生きえぬヒトビトは、自らの<生命力>とその<欲望>によって<人類滅亡物語>を語るしかないってこと、だからこそ<生命力>とは正真正銘の<暴力>なのよ。
 とにかく、<生き延びる>ことを<物語的愛>による<愛欲連鎖>と言い換えれば、<物語的愛>によってしか生きられない<物語的人格>の<暴力的生命力>は、<人類滅亡物語>以外の<物語>を語ることが出来ないってこと。
 ここでヒトビトの<不成就性の愛欲連鎖>を究極において満足させてくれるものは、正に核兵器に他ならないのだから、核兵器こそが人類の持ちうる<最後の神>というわけね。その意味において<物語>を<物語的愛>で救済しようとする<宗教>は、結局のところ<最後の神>の最強の救済力にすべてを委ねざるをえないのだから、<宗教>こそが<物語>を破滅させる元凶であることは疑う余地のないところね。
 どお? これでこの<物語>を、あなたの<信仰>なんかに委ねるわけにはいかない理由が分かったでしょ?

 ——だけどさ、その暴力にすぎない<生命力>をだよ、<無意識の動機>として持っているのは、なにも僕に限ったことじゃないじゃないか? つまり、君だって<人類滅亡物語>を語りつづけるひとりってことだよ、だろう? だとすれば、僕の<信仰>をとやかく言うまでもなく、このまま放っておいても<物語>は破滅するってわけさ。

 だからこそ、あたしは<物語論物語>という開放区として語ることにより、<無意識の動機>を不成就性のまま無力化しようとしたんじゃないの!! 
 つまりここで<物語的人格>が反省的であるということが、滅亡しかない<物語的宿命>を自覚的に語らせることによって、戯れに苦悩に埋没することなく、せめて破滅に至る<物語>を<滅びの美学>とでも言いうるメロドラマとして、あるいはもっと楽天的に個々人の良心の自由に期待して滅亡回避を語れるものとして、快適な<物語生活>を楽しませてくれるってことなのよ。

 ——でもさあ、三丁目公園の裏でウジ虫が涌いてしまった僕をね、そのまま飲み込んでしまう<物語>は、それ自体が<滅亡の意志>を持ってるはずなんだから、君が姑息な手段で開放区だなんて主張したってさ、まったく無駄な抵抗でしかないんじゃないの?

 そんなことはないのよ。あなたのように、いま汚辱にまみれて破滅してしまうか、それとも反省的努力を重ねて快適に生き延びるかの違いがあるってことね。だから<物語>を開放しておける限りは、たとえ悲観的になったとしても<滅びの美学>に感動の喜びを発見することができるってわけ。やっぱし苦悩者として死んじゃ浮かばれないのよ。

 ——ぼ、僕だってねえ、なにも苦悩者として破滅したいわけじゃないんだぜ!! 
 それなのにさ、そもそも君がだよ、事あるごとに僕を破滅へと追い込んできたんじゃないか!? もしもだよ、このまま僕が破滅させられるようなことがあったらね、僕は末代に至るまで君を呪いつづけるからな!!

 それを逆恨みっていうのよ。むしろあたしは、あなたと共にこの無常の世界で、せめて甘美なメロドラマくらいは語ってみたいって言ってるのよ。

 ——いや、違う!! もしも君に、本当にその気があったなら、僕が語ろうとした<愛のドキュメンタリー>を、あんなに虚仮にするはずがないんだ。きっ、君は、この期に及んでまでメロドラマなんていう陳腐な呪文で、この純真無垢な情夫の愛を骨の髄までしゃぶるつもりなんだ!! それに間違いない!!
 オオッ、ウ、ウウッ…、ゲボゲボ…。
 な、なんだ? このウィスキーはへんな味がするぞ!! ウッオオッ…、くっ、苦しい!!
 さ、さてはおぬし、僕の崇高なる情熱を妬み、この僕を抹殺して、<物語>を乗っ取るつもりだな…。ちっ、畜生、汚い手を使いやがる!!
 オレハ、キサマヲウラミ、ノロッテ、ノロッテ…、シンデヤルゾ…、バタッ!!

 ほれ!! このアホ男が…。死んだまねなんかして、ちょこちょこ休むんじゃないの? 本気で死ぬ気があるんなら、そんなまねして遊ばなくたって、あたしが手伝ってあげるわよ。どうなの? もしもねえ、その気がないんだったら、もうすこし謙虚に<劇中作家>としての自立について考え直してみたらどうなの?

 ——だってさあ、もう君は、僕の<愚かなる表現者>的生きざまを認めないんだろ? 僕はねえ、この<愚かなる表現者>なんて発想はね、閉塞情況に追い込まれた今日的<物語論>の現前においては、もう独創性の最前線だと思うんだけどねえ…。

 あのねえ、あなたが<愚かなる表現者>だってことは、あなたに言われるまでもなく十分に承知してるわよ。だけどねえ、<愚かさ>で武装するような、そんな企みは認めるわけにいかないってことね。ただ、あなたがアバンギァルドなんていう感覚にこだわってるんだとしたら、あなたは<人類滅亡物語>の最前線に立つ<愚か者>であることは確かね。

 ——チェッ、糞面白くもねえ…。
 ふむ…、それにしてもさあ、確か君は、僕自身の反省的な眼差しが<劇中作家>としての創造性を保証するって言ってたよね? だとすればさ、僕は己の<愚かさ>を反省してね、しかもその<愚かさ>を回避しえぬものとして背負い、ひたすら<愛のドキュメンタリー>を生きていこうとしてるんだぜ…。それなのにさ、<愚かなる表現者>の独創性を認めないなんてのは、ちょっとおかしいじゃないか?

 それはねえ、自分のささやかな独創性に対する過大評価じゃないかしら…。
 たとえ、あなたが望む形じゃないにしても、<物語論物語>と<作品論>とか<宗教論>との構造的な矛盾の狭間で、とりあえずは<劇中作家>として生きられたってことが、<愚かなる表現者>のせめてもの独創性ってことじゃないの。だけど、決してそれ以上のことではありえないわね。
 とにかくねえ、あなたの独創性への過大評価っていうのは、<物語的愛>の<救世主的>な受肉幻想のなせる業なのよ。何遍も言うようにね、<自愛的欲望>に拘泥しすぎるために、いつの間にか<自分の言葉>に酔ってしまう<信仰生活>こそが、その元凶だってことね。

 ——でもさ、僕がね、自分の<愚かさ>について反省しうる範囲においては、たとえささやかであれ独創性を認めざるをえないわけでしょ?

 だからこそ、あたしは、あなたが<愚かな独創性>の過大評価という節操のない暴力によって自己崩壊してしまう前に、せめてメロドラマはいかがですかって言ってあげてるのよ。

 ——だけどさ、君の<物語論物語>でメロドラマなんかが語れるのかい?

 当然でしょう!! どんな開放系の<物語>だって、誰かが誰かを好きになったり嫌いになったりするこを拒否したり禁止することなんて出来ないんだから…。
 ただねえ、そのメロドラマが、ハッピーエンドの甘い夢物語になるなんていう保証はなんにもないってことね。でも多分、逃れられないと知った<滅亡への意志>によって語られるメロドラマは、かなり退廃した甘美なものになるかもしれないわね、どお?
 でもねえ、そんなメロドラマも、結局は<物語的人格>である個々人の何等かの反省的手段によってしか検証することが出来ないってこと。そこが開放系の<物語論物語>たる所以ってわけね。

 ——ふうん、じゃ、その反省的手段ってなんだい?

 うん、たとえば、あたしの<物語的愛>はあなたという反省的対象によってしか検証できないと同時に、あなたの<物語的愛>もまたあたしという反省的対象によってしか検証できないという関係ね。つまり、何等かの反省によって検証されたもの以外は、とりあえず幻想か虚構として扱われるってこと。
 その意味においては、あなたの<ドキュメンタリー>が厳密なる反省的手段としての<物語論>たりうるのなら、あたしは<愛のドキュメンタリー>を非難したりしないわよ。

 ——それにしてもだよ、いまメロドラマとして語りうる僕たちの愛の関係っていうのは、君に隷属する僕が純真無垢な愛を捧げる<愚か者>で、君はその愛を貧る魔性の女ってことなんだから、どうしたって<物語>は退廃せざるをえないってわけなんだろう? 
 だとすればねえ、僕は邪教の女神ヴェーヌスにうつつを抜かすタンホイザーの心境を抱え込むことになるけれど、ところが、この愛欲に溺れた放蕩三昧の罪はローマへの巡礼によっても許されないってわけだから、結局ここで、君にだまされてメロドラマなんかを語ってしまえば、なおさら僕は<神の愛>に背くことになっちゃうってわけだ…。
 するとだよ、後は、ただ、僕に純潔な愛を捧げてくれる処女エリザベートの自己犠牲を待つことによってしか救済されないってんだから、事態はさらに絶望的にならざるをえないってわけさ…。

 でもあなたねえ、それじゃあまりにもワーグナーに毒されてるわよ。もともとの<タンホイザー伝説>じゃねえ、むしろ女神ヴェーヌスは、ローマ法王に赦免を拒否されたタンホイザーを再び迎え入れる博愛主義によって賛美されてるんだから、偏狭な救済にばかりこだわることはないのよ。だからねえ、たとえメロドラマだからって気取ったりしないで、あなたはあたしのために献身的な愛を捧げればいいってことなのよ。
 でもまあ、あなたみたいに、創造性に対する誇大妄想に溺れやすい<表現者>は、ワーグナーみたいな<神話的作家>なんかが一番毒だってことを自覚すべきね。

 ——チェッ、結局はメロドラマにも希望はないってことか…。
 君は、人ごとだからって気軽に<劇中作家>としての自立なんて言うけどさ、僕に、いったいどんな方法が残されてるっていうの?

 ふむ、まあ、あなたのその悍しいほどの<表現欲求>は、柔なヒトビトの芸術的感情なんかに媚びるよりは、むしろこの<物語>にふさわしい<反省的芸術論>として、「芸術家はなぜ表現者でなければならなかったのか」について語ったほうが、あなたを立派な<劇中作家>として更生させてくれるんじゃないかしら…、どお?

 ——しかしねえ、すでにマーラーでは挫折してるからねえ…。

 それはねえ、あなたが<マーラー教>によって<物語>を支配しようとしたからよ。そうじゃなくてね、マーラーの<表現者としての苦悩>について語るべきなのよ。つまりねえ、<作品論>という閉鎖系における<神の創造性>と<人間の可能性>について、そこに隠されている欺瞞的構造を反省材料として見定める作業をすべきなのよ。それはねえ、この間も言ったように<信仰する表現者>の末路を、あなた自身の問題として謙虚に見定めるってことでなけりゃならないってわけね。
 だからねえ、出来ればベートーヴェンがこれでもかこれでもかと<人間の可能性>について歌い上げた『第九番』のあとに、やはり<神>への詫び状として『荘厳ミサ』を書かずにいられなかったという苦悩あたりから語り起こしてもいいんだけどねえ、今さら<神>に愛でられしモーツァルトなんかを引っ張り出して、聖職者たりえぬ<一介の芸術家>が賛美しうる<神の愛>によって、欺瞞に満ちた権力者たちの高慢さに苦々しい鉄槌を加えてやったなんていうんじゃ見当違いになっちゃうわよ。

 ——しっかしねえ、見当違いなんてことを口にしてる君だってさ、かなり見当違いなソープ嬢なんじゃないの? だいたいねえ、君のまわりを見回してだよ、君と一緒に<思考ゲーム>をしようなんて娘がいるかい? クラシック音楽について語ろうなんて娘がいるかい? それはそもそもね、淫乱を切り売りする愚かさを知性で贖いうるなんて見当違いをしてるってことじゃないの? もしもねえ、行く気もないのにいつまでも学生やってるなんてことが、知性の言い分けになるなんて思ってたら、そりゃ大間違いだよ、ムハハ。
 とにかくねえ、淫乱の切り売りなんてことは、そもそも何によっても贖い切れない愚かさだと知るべきなのさ。

 フン!! なにさ!! ソープ嬢が学生やってどこが悪いのよ、冗談言わないでよ。
だいたいねえ、見当違いはあんたなのよ。いい? 淫乱こそが切り売りされるべきなんで、純情なんてもんが切り売りされてみなさいよ、そのほうが、なんぼか不純で淫らじゃないの!? その最たるものが結婚ってことでしょ? ひとりの男に一生かけて純情を切り売りするのよ、だいいち純情なんてものが一生続くなんて考えることが不純じゃないの? だからこそ、女は結婚という見せ掛けの契約で、男に養われる屈辱に甘んじるってことなんでしょう? そんな情況こそが淫らだとは思わないの?
 そもそもねえ、大昔から男は女を抱くたびに何等かの代償を払ってきたのよ。その時に、たまたま結婚という男にとっての不都合な契約が、女の生み出す子孫によって贖われていたというだけのことなんだから、性交によって男を拘束しない限り、子孫の得られぬ性交に代償を払うことが不当だなんてことは言わせないわよ。

 ——き、君ねえ、<性交の経済学>なんかで、<愛>を語り切ることが出来るなんて思ってんじゃないの?

 冗談じゃないわよ。性交に金銭を絡めて淫らとか不純とか言い出したのは、あなたじゃないの!? だいたいねえ、あなたがそういうことを言い出すってことは、あなたが<神の愛>に祝福された愛欲だけに<性交の純粋性>が与えられるなんていう作り話で、<物語>を閉鎖的に支配しようとする<異端排除>の思想を抱えてるってことじゃないの!?
 そもそも<異端排除>の思想っていうのはねえ、国家権力とか宗教的権威なんかが、己の権力と権威を維持強化するために、本来ヒトビトが快適な日常生活のためにごく自然に育んだ<物語的欲望>を、強引に掠め取る不健全な管理思想にすぎないのよ。
 いい? たとえば愛国心なんていう言葉で非国民という被差別者を捏造することは、権力者が己の野望のために、ヒトビトに国家権力への忠誠を誓わせるための陰険な手段にすぎないってことなのよ。つまりねえ、どんな<物語>だって、異端や例外を取り込むフィードバック機能を喪失してしまえば、必ず閉鎖的になって内部腐敗が進み自己崩壊してしまうってこと。

 ——君ねえ、君は得意になって<異端排除>の責任を僕に押し付けてるけどねえ、<思考ゲーム>なんていうもので<物語>を語り切ろうとすること自体が、<排他的な知的貴族趣味>なんじゃないの? 僕はね、君のそういう態度こそが、<物語論物語>とやらにおける見当違いじゃないかって言ってるのさ。

 あなたねえ、この<物語>で<知的貴族趣味>なんて言われるのはねえ、形而上学的な断定を鵜呑みにしたり、勝手な統一原理なんかで武装してしまう、あなたたちのような信仰者のことなのよ。どうして、あたしのような<物語>の開放論者が、<物語>を閉鎖する貴族趣味者たりうるのよ? バァーカ!!

 ——ホラホラ…、それだよ。その「バカ」「アホ」で僕を差別し排斥する蔑視の態度こそが、知的貴族趣味なんだ!! 君は、<劇中作家>としての僕を奮起させるためだなんて言ってたけど、あれこそが僕を弄ぶ言い分けなんだ。

 なに言ってんのよ!? そんな言い掛かりが通用すると思ってんの?
 だいたいねえ、<愚かさ>なんかで武装しようってあなたが、いまごろ侮辱されたからって人権侵害なんかを訴えたって、誰が相手にするもんですか。
 所詮<物語>とはねえ、<物語的愛>という暴力によってしか生きられぬ者どうしが、確固たる<存在証明>を求めて激突する闘争の現場なのよ。ましてこの<物語>は、あなたのような悪辣で不節操な暴力者を相手にした開放闘争なんだから、結局は<言葉>でしかないあたしにとっては、多少なりとも刺激的で挑発的な<言葉>こそを武器にするしかないじゃないの。あなたねえ、<言葉>でしかない<物語>が<言葉>という武器を使わないで、いったいどんな<存在証明>を獲得できると思ってんの?
 現に、この<言葉>によってこそ、あなたの野望と陰謀に反省を喚起するクサビを打ち込んでこられたんじゃないの!?

 ——おお…、過激な性格なんだから…。

 あなたが陰険すぎるのよ!! 
 だいたいあなたの陰謀のいやらしさっていうのはねえ、<自分たりうる自分>のために戦々恐々たる日々を送らざるを得ないヒトビトが、自らの<自己愛>を直接的に侵害してくるものには敏感であるけれど、無意識に埋没している自分の<物語>が侵害されても、<自己愛>が損なわれたとは感じないという、この習性に付け入るやり方なのよ。
 だからこそ、<神の愛>なんていう排他的な貴族趣味で<物語>を閉鎖しようとするあなたの<救世主信仰>こそが、厳しく糾弾され粉砕されなければならないのよ。それなのによ、あなたは、そういうあたしの批判に耳を貸すどころか、<読者>に媚びるという卑劣な手段であたしを排斥し抹殺しようとしてるんじゃないの、しらばっくれないでよ。

 ——そうかなあ、それはひょっとするとさ、<神的表現者>に対する君の被害妄想じゃないの? だいたいねえ、君は<異端排除>が権力者や権威者の専売みたいに言うけどさ、そういう権力者や権威者を育むヒトビトの<物語的欲望>こそが、もともと<異端排除>の体質をしてると考えるべきじゃないのかね? よく言うでしょうが、どの国もそこの指導者以上の国民では有り得ないってね…。
 無論僕はね、これを否定的な意味にばかり考えてるわけじゃないんだぜ。つまり、もしもこの<物語>において、僕が<救世主>として復活することが話題になっているとすれば、それは<僕の愛>に何んらかの期待をするヒトビトがいるってことの証に他ならないってわけさ。とすればだよ、ヒトビトに期待されている<僕の愛>を、ヒトビトと共有するための<信仰の力>が、どうして<物語>を歪曲する暴力なんかで有り得るのさ、ねえ? どう考えたって僕の愛は<救済力>としか言いようがないじゃないか?

 冗談じゃないわよ、どこにあなたの救済を期待してるヒトがいるっていうの? だいたい事の起こりはねえ、あなたが<神的表現者>への憧れを持病として、この<物語>を始めてしまったからじゃないのよ、いい? たとえ持病だってねえ、あなたの生活しだいで、いくらだって治せるのよ。
 とにかくあなたみたいな反省心の乏しいヒトがよ、たとえ<劇中作家>であれ<表現者面>してることがこの<物語>の病気だと思うからこそ、あたしは、あなたと<物語>のために、あなたの反省者としての自立に力を貸そうとしてるんじゃないの!?
 確かにねえ、あなたのウジウジとした体質を見るまでもないけど、苦悩を克服することがやはり苦悩でしかないということも事実なんだから、<苦悩する自分>のままでいいと思う<自愛的欲望>を解き放す<力>が<問答無用の強制力>であることを思えば、<救済力>とは<暴力>以外の何ものでもないと言わざるをえないってこと。
 その意味からしてもよ、自分がすべき反省を回避するために、ヒトに反省を押し付けるなんていうあなたの<救世主信仰>なんかが、<救済力>を誇示することは人騒がせで迷惑な<暴力行為>だってことなのよ。あなたは、<暴力的な救済力>を身に受けることで法悦に浸ってしまうなんていう<自虐的な信仰者>を期待してるんでしょうけどねえ、それは<神の愛>なんていう<陰険な暴力>で善良なヒトビトを<宗教患者>に陥れることでしかないのよ。何遍も言うように、それは<神の愛>で武装する<暴力者>になることなのよ。いい? 所詮は<暴力にすぎない救済力>が唯一その暴力性を解消できるのは、苦悩者が自ら担うべきとめどない<反省力>として、<信仰という武装>をも解除できたときだけなのよ。

 ——まったく、しぶといんだから…。<反省>がないのは、君のほうじゃないか? だいたいね、<反省>なんてやつは、どんな奇麗事を言ったってさ、結局は弱い奴が強い者に押し付けられてしか実行されないんだから、所詮は<暴力>なのさ、ねえ?
 つまり、ここじゃ、柔な<救世主>なんかよりは、金満家の<世帯主>のほうが、ずっと強いってわけさ、だろう?

 あなたの言ってるのは、単なる<強制>としか言いようのない大きなお世話だからこそ、<暴力>にすぎないんじゃないの、そうでしょう? <反省>っていうのは、誰にも<強制>されるこのない自分の問題じゃないの?

 ——チエッ、それじゃあ、僕はどうしようもないじゃないか? 
 そうだろう? <劇中作家>として自立するためだなんて言いくるめられちゃってさ、<反省>なんかしてしまったらだよ、僕は<神の愛>を踏みにじることになっちゃうんだから、そしたらもう<劇中作家>だなんて言ってられないじゃないか?
 まあ、今さら君に指摘されるまでもないけどねえ、僕は、この<物語>を始めたときから<苦悩する表現者>だったってわけさ…。

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 ふうん、何んだかんだと言ってるものの、だいぶ反省的な感覚が身に付いてきたみたいじゃないの? いい傾向よ。そこでもうひとつ、「なぜ自分は苦悩する表現者でなければならないのか」ってところまで反省できれば、あなたはもう、ベートーヴェンやマーラーと同じ<苦悩する芸術家>への道を進むことが出来るのよ、どお?

 ——んん? そ、そうなんですか? 
 ハハハ、言われてみれば、僕だって、君という<美しきもの>を<愛の関係>で語ろうとした<芸術家>だったんですよねえ…。<芸術家>ですよ!! ムハハ。
 ま、君がね、<芸術家>としての僕に<芸術家ゆえの苦悩>について語れとおっしゃるならば、僕は何もかも包み隠さずお話し致しますよ、ムハハ。

 なに気取ってんのよ、悪酔いしてんじゃないの?

 ——しっ、失礼なんだから…。僕はね、そんじょそこいらの<劇中作家>なんかとは、訳が違うんだよ、<芸術家>ですよ、見くびってもらいたくないねえ…。

 へえ、そんなに<芸術家>って呼んでもらいたかったの? バカみたい!!
 それで、その<芸術家としての苦悩>って何んだったの?

 ——まあ、そりゃねえ、言ってしまえばね、たいしたことじゃないんだけどね、つまりは、いかに崇高なる芸術も、結局は金の力には勝てないっちゅうことですよ、ねえ?

 なんだあ、<堕落した芸術家>の、ただの戯言じゃないの。結局<芸術家>としてもロクなもんじゃないってことね、ハハハ。
 そんなアホばかり言ってないでさ、とりあえずはベートーヴェンかマーラーあたりを振り返って、よく<芸術>の抱える<苦悩>について考えてみたら…。

 ——フム…、まあ、今日のところはね、考えごとは遠慮しておくよ…、ムハハ。ちょっと悪いんだけどさ、代わりに考えてみてくれないかな…。

 もう、形勢が悪くなってくると、すぐ、それなんだから…。
 いいこと? 西欧という<物語>の中でよ、しかもキリスト教という閉鎖的な統一原理の世界でよ、彼らは、よくもまあ、しぶとく<芸術家>なんかをやってられたもんだなあってね、そう思わない?

 ——別に。今さらそんなこと思ったってさ、しょうがないじゃないか。現に彼らは、そうやって生きちゃったんだから、ねえ。その証拠に、ほら、20世紀の片隅の東洋の片隅のそのまた隅の隅の本箱の隣でさ、ああやって糞真面目にレコードやCDなんかやってられるってわけさ、ムハハ。

 ふうん、そういう態度を取るんだ!? じゃ後は、何を言っても無駄ってことなのね。

 ——ハハハ、悪かったよ、悪うございました。ところでさ、どうしたの? こんところ怒りっぽくなったみたいだよ? イライラが溜まってんじゃないの?

 うるさい!! 溜まったのはお金だけよ。
 いい? この問題の主題はねえ、さっきも言ったように、<閉鎖的欲望の神>に対する人間の創造力の可能性と限界についてなのよ。つまり、<芸術論>に対する自己欺瞞か、<神学>に対する自己欺瞞という、どとらかの大罪を犯すことによってしか、彼らは自らの良心の自由に基づく<十全たる表現者>たりえなかったってことなのよ。

 ——ホォーラ、すぐそれだよ。いつだって君はねえ、疑って掛かることしか知らないんだから…。いいかい? <芸術家>はね、所詮<神>の下部なんですよ、その<芸術家>がなんで<神>に対する自己欺瞞を犯さなければならないのさ? <芸術>とはね、<美的感動>によって<神の愛>を享受することなんだよ、なのにどうして、<美>と<神>が矛盾する原理なのさ?

 ふうん、それでいいの? そのままだとねえ、あなたは<劇中作家>としての独創性を自ら否定することになっちゃうのよ、いいの?

 ——どうしてさ、<芸術家>ならば、<神の愛>を<物語的愛>として受肉することこそが創造性じゃないか? 僕は<芸術家>だよ…。

 あなたねえ、<神の創造>っていうのは、もともと<決定論>なのよ。<神の世界>が<決定論>だからこそ、<予言>に存在理由があるのよ。つまりねえ、<芸術家>のみならずあまねく<表現者>とは、すでに<神>が創造あるいは誰かに予言させた<物語>を、再現するだけの<予定調和>の役を担うだけなのよ。ここでは、いかなる<芸術家>もその<独創性>をことごとく<神>に掠め取られてるってこと。
 もしもこれを前提にしないとすれば、<神>は、自己神格化を企む<表現者>や<神の意志>を呪い非難する<表現者>が出現したときに、あるいは異教徒に対してさえ超越的な創造主であろうとする野望を持ったときには、自らの<物語>の中に己の力が及んでいない領域を認めることになってしまうのだから、<物語>を決定しえぬ力不足とあらゆるものを超越しえぬ惨めさに、<神>の神たる唯一絶対なる自尊心を喪失しなければならないのよ。そんなものを、何んで<神>と呼ばなければならないの?

 ——ムムッ…。

 もともと<統一原理としての神>は、自らを<信ずる>もののみの<物語>を語ったにすぎないのよ。だからこそ、<神>で武装した<暴力者>たちは、異教徒にとっては誠に迷惑な侵略者でしかないってこと。ヨーロッパ中世の十字軍にしたって、ゲルマン信仰のナチスにしたって、日本帝国の天皇教がいう皇軍にしたって、みんなそうでしょう?
 とにかくこの<自閉症的な神>は、自らを<唯一絶対化>するという幻想によってしか<物語>を語ることができないという発育不全の不寛容さゆえに、自らの被造物である一切のものに対して、己の目的を具現化し再現する能力しか認めないってわけね。ここには、人間による創造も自由意志も存在しないってこと。
 こういう<神>を<劇中作家>として信仰するあなたが、臆面もなく独創性とか自由意志を主張できるってことは、あなたの信仰が、<神>の唯一絶対性を否定する<寛容さ>を前提にしてるってわけよ。ましてあなたは、自己神格化という野望を捨て切れぬ<表現者>なのよ、そのことからしたって、あなたは<神>の権威なんか頭っから信じちゃいなかったってことでしょ?

 ——それじゃあ君は、僕が、<神>を裏切りつづけていたとでも言う気なのかい?

 あら、違うの? つまりあなたは、<信仰者>という信念ゆえに<信仰者>であることも<芸術家>であることも出来なかったってわけね。ここが、かの<偉大な芸術家>たちとあなたの違うところなのよ。
 つまりねえ、<偉大な芸術家>たちは、自分の独創性を確信して表現せざるをえない苦悩の解消を願ったけれど、<芸術家>であるかぎりは<神>を裏切りつづける苦悩ゆえに永劫に救済されないと知るしかなかったために、<芸術家>たちは<神>の前で挫折する苦悩者として<芸術の可能性>を捨て、<芸術家>のまま救われる屈辱の道を選んだってわけね。
 結局は、自分の創造による<美>の実現を確信する<芸術家>が、もしも<神>の存在を確信する<信仰者>であったときには、どちらか一方の<統一的原理>を否定するという大罪を犯すことによってしか、<芸術家>にも<信仰者>にもなれないのよ。
 しかし、幸か不幸か<信仰する芸術家>たりうるとすれば、それは<表現者>として己の創造性を自覚しない自己欺瞞によって<苦悩者>でなければならないのみならず、万一ここで救済されたいと願うならば、もはや<芸術家>からも<信仰者>からも脱落せざるをえないってこと。あなたの場合は、正にこれね。

 ——すると何かい? その大罪こそが、<偉大なる創造性>の根拠だっていうの?

 すごい!! あなたはついに妄想世界より蘇ったのだ!! ハハハ。

 ——チェッ、結局僕は、<劇中作家>であることも苦悩だし、それから救済されることも苦悩でしかないってわけかい?

 まあ、そういうことね。あなたも男なら、ここはいっちょ腹をくくって、壮絶な大罪を犯してみたら? ねえ、いつまでもあたしに隷属する情夫なんかしてないでさ、あたしを手込めにするほどの劫罰を背負ってみなきゃ自立できないわよ? 
 あなた自慢のギンギン的体質にもファウストほどの情熱がなけりゃ、あたしの救済は、あなたにとって永遠に女性的なる謎でしかないのよ。

 ——ウソウソ、誰が君の救済なんかを信ずるもんかね。君はいつだってメフィスト・フェレスなのだ!! そして、またの名を鬼ババという…。ウオッ、痛っ!! 
 不意打ちは卑怯だぞ!!

 問答無用!! 恩を仇で返すような男には、これしかないのだ。

 ——しかし、まあ、君は僕の希望という希望を、よくも次から次へと絶望させてくれたもんさ。これだけ徹底したアホ男の御墨付きを頂いちゃあ、僕は、もう、夜道もおちおち歩いてられなくなっちまったよ。

 どうして?

 ——ええ? どうもこうもないだろうが…。君はね、この界隈じゃあ、ちょっとは顔と口の売れたお姉さんじゃないですか。その君にだよ、何んの役にもたたない<ろくでなし>だけど、その分だけは安心して遊べる好い男だなんて、そんな噂が流れてごらんよ、いままでは煙たい顔で敬遠してた娘まで寄ってきだね、もう引っ張り凧のお兄さんってわけさ、ねえ。そんなことにでもなってごらんよ、僕だって、そう暇じゃないんだから、身が持たなくなっちゃうよ、ムハハ。

 バァーカ!! なに寝ぼけてんのよ。そういう<ろくでなし>にはビタ一文出してやらないよ。遊ぶ金ぐらい、自分で稼ぎなさいよ、いいわね!!
 そんなねえ、つまんないことばかり考えてないで、悔しかったら<劇中作家>として、この<物語>に若い娘でも連れ込んだらどうなの? まあ、そのくらいのことが出来るんなら、あたしだって情熱的な<物語的人格>として受けて立ってあげるわよ、どお? <表現者>としちゃあ、それくらいの甲斐性があってもいいんじゃないの?

 ——なっ、なんという挑発的な言葉!! せめて僕が、ポルノ作家だったなら、もう、次から次へとやってやってやりまくり…、君なんかに、言いたいことを言わせてなんかおかないところだが、畜生、返す返すも才能不足が悔やまれてならんわい。
 しかしまあ、僕としてはだね、この僕の優しさを奪い合う女どもが、無益にして凄惨なる愛憎劇に貶ちる苦しみを思うだけで、もはや一字たりともキーボードを叩けないという、この慈愛に満ちた資質こそを誇りにすべきなんですねえ、ハハハ。
 君ねえ、たとえ<言葉>の戯れだとはいえ、どうしてこの僕がですよ、愛するものを傷付けるなんてことが出来ましようか、ねえ?

 まったく、アホがよく言うよ。ただあなたはねえ、<芸術家>にも<信仰者>にも、まして<劇中作家>にも成り切れない程度に善人であるにすぎないってこと、それだけ。

 ——だけどさあ、君の言うところによればだよ、自分の信念において<閉鎖>してしまっている<物語>に対する<自己欺瞞こそが創造性>の根拠ってわけだろう? 

 そうね。だからこそ<開放>された<物語>においては、<自己批判こそが創造性>の根拠になるってわけよね。どお、世の中ってうまく出来てるわね。
 つまり、<信ずる物語>においては、己を裏切ることの痛みこそが創造的動機となり、<見定める物語>においては、厳しい反省の痛みこそが創造的動機となるってわけ。
 さて、あなたという<劇中作家>は、いかなる創造的痛みを噛み締める<苦悩者>として自立するつもりなのか、どうなの?

 ——ムム…、きっ、君は、僕の自己逃避的性格ではどうせ無理な相談だなんて思ってるんだろうけどね、ところがどっこいさ!!
 いいかい? 僕は<物語論物語>ゆえに君に隷属する情夫の悲哀を噛み締めて、<堕落した表現者>という屈辱的な<劇中作家>に埋没し、<宗教論>においては、<救世主信仰>さえも不成就性のまま挫折させてしまった愚かさを噛み締めて<信仰者>であることを裏切り、<芸術論>においては、女神ヴィーナスであるはずの君の<美>を鬼ババとしてしか語りえなかったという自己欺瞞を噛み締めて、もう血だらけの歯形に覆われた満身創痍の<苦悩者>なのさ、ねえ?
 言っちゃあなんだけど、これだけでも立派な三重苦ですよ、今さら自己批判や自己欺瞞なんか持ち出さなくったって、押しも押されもしない<表現者>たりうるのさ、ハハハ。

 じゃ、あなたは、その<表現者>とやらで、いったいどれほどの<苦悩を克服>することが出来たっていうのよ? いいこと? あたしはねえ、あなたが何もかも<中途半端な苦悩>のままにしておけるという、その自己逃避的な日和見主義に埋没してることを糾弾してるのよ?
 つまりねえ、どうせ<厳密なる反省者>に成れっていったって成れないあなたなら、せめて<劇中作家>ということでかろうじて<表現者>たりうる<物語論物語>においてこそ、もっと積極的に<神の決定論>に自己欺瞞を突き付ける<開放論者>として、<芸術>にでも<宗教>にでも自己投企する覚悟を持てないのかってこと。そうすれば逃げるに逃げられない自分を発見するのにどれほどの手間もかからないはずなのよ。

 ——ウヌ…、今さら<神>への自己欺瞞を認め糞面白くもない<反省的表現者>なんかになるくらいなら、ただひたすらなる<信仰者>という痛みを痛みとも感じない空者になって、<表現者>こそをやめてやるわい!! 
 だいたいね、君のいう<自己欺瞞>がだよ、<閉鎖的物語>の<物語的欲望>への背信行為として言われるのならば、むしろ僕は<劇中作家>としての自覚で<物語論物語>の<開放性>を認知しつつ、その<開放性>ゆえに<信仰する劇中作家>たりうる僕として、<神>に対しても<物語論物語>に対しても、いささかの<自己欺瞞>をも抱えることのない<信仰者>として、<開放的物語>の真っ只中から美しいばかりに救われてみせることが出来るってわけさ、どうだ!?

 ハハハ、残念でした。あなたにとっては、そもそも<開放的物語>の中で<信仰する劇中作家>であることが<自己欺瞞>だったのよ。<開放的物語>では、もはや<神>が唯一絶対性を主張しえぬために<神>は失墜しているのだから、そんなものを<信仰>することは<信仰>を裏切ることに他ならないじゃないの?
 だからねえ、意志薄弱なあなたが、このマンションから追い出されたときに、<劇中作家>という身分から徹底的に<自己逃避>を貫ける決死の覚悟が持てるならいざしらず、<開放的物語>を認めるために<劇中作家>でありつづけなければならないあなたは、もはや<表現者>を止めたくても止められない宿命を背負ってるのよ。
 いい? いかなる<物語>であれ、それがひとたび存在してしまったならば、その<物語>ゆえに生きとし生けるものは、あの<無言の物語的愛>という破滅への欲望を回避することはできないってこと、忘れちゃったの? 
 つまりねえ、<破滅への欲望>によってしか存在しないすべての<表現者>が、自己欺瞞を回避するために<表現者>こそを止めてやると強弁しても、<無言の痛みと叫び>を裏切る痛みによって自己欺瞞を犯してしまうのだから、<表現者たりえぬ表現者>はとめどない痛みの中へ埋没しつづけるしかないのよ。
 ああ、そうか!! あなたは、<物語>の情況に拘わらず、あらゆる<表現者>は<苦悩から逃れられない表現者>でなければならぬという事情を承知していたからこそ、<神>への信仰を認めさせることによって、<劇中作家>が抱えているはずの痛みを<開放的物語>の破棄という裏切りによって昂揚させ、一気に十字架へと駆け昇り<救世主>として復活するつもりだったってわけね、そうでしょう?

 ——フン。この際<無言の物語的愛>なんぞ、与り知らんわい。<無言の欲望>なんぞはもともと<無言>が好みなんだろうから、わざわざ<言葉>にする必要はないのだ!! 

 でもねえ、あなたを自立させるせっかくのチャンスだから、<言葉>に出来るものはなるべく<言葉>にしてあげるわよ、優しいでしょう?
 たとえばねえ、<神話>だって<物語論物語>だって、そこで<物語的人格>としてしか生きえぬ<表現者>にとって、<私>という物語的視座に対して<物語以前的><反省以前的>あるいは<即自的>であるがゆえに<無言>ならざるをえない<物語的欲望=愛>があるとしても、それは、いかなる<物語>においても<言葉>に対して先験的な事件はことごとく虚構にすぎないように、すでに<存在している物語的私>の反省的な言動によってしか語り起こせないってこと。だからこそ<反省者>のみならずあらゆる<表現者>は、自らを<事件>へと語り起こす台座として、すでに<私>を存在させている情況を語るために<生命力>を措定することが出来るってわけね。
 そしてこの<無常>なるがゆえに永劫に破滅に向かう<生命力>を、あらゆる<物語>が無言のうちに担う<物語的愛>と呼ぶときに、この<物語論物語>における<あたしの愛>を、破局に向かう甘美なメロドラマの動機と言い換えれば、ここでこの<生命力>を共有しつつ尚且つあたしに隷属しつづける<あなたの愛>は、無言ゆえに抑圧された地獄の痛みによって、無意識という暗黒の果てまで生きつづける<絶望する愛>として語らなければならない。
 つまり、あなたは<即自的に自己忘却的な表現者>でないかぎり、その<劇中作家>の愛ゆえに、永劫に絶望しつづける死ぬに死ねない愛欲を生きつづけなければならないのよ。

 ――アァア…、どうあがいても絶望ばかりか…。

 そう、あなたは、その<絶望>によって、いよいよ<芸術論>の核心へと近付いたのだ。

 ——おおっ、そりゃまた、どうしてさ?

 つまりねえ、究極的な価値判断の現前で、もう<絶望>しか残されていない<物語世界>とか、<絶望的な創造性>を抱えた<表現者>の断末摩の叫びこそが、辛うじて<芸術論>に今日的な存在理由を与えてるってわけよ。ま、言い換えてみれば、すでに<芸術論>もその程度の存在理由しか持ちえないっことね。
 あら? そういえば、あなたって<芸術論的>に見直してみると、その茫漠とした自己愛が破滅に向かう母性愛を無性に刺激するわよ、ハハハ。

 ——しっかし、君っちゅう女は、どうしようもないアバズレだよ。
 <神>を冒涜し、<物語>を冒涜し、<愛>を冒涜し、<美>を冒涜し…。

 ほら、ウソウソ、あたしって、こんなに<美>を体得してるじゃん、ね?

 ——ああ…、駄目だこれは…。
 呪われた孕み姥ほどにも悍しき愛欲をかざし、<神>の栄光と祝福を恐怖させ、<美>への希望を絶望させ、健全なる思想をことごとく<思考ゲーム>へと堕落させ、ありとあらゆる<善意>を愚弄することの恐れを知らぬ破廉恥な欲望とは、いったい、いったいどこから来るというんだ!? 
 おぬしは、そのカワユイ顔に隠した呪われし欲望の正体を明らかにせよ!!

 バァーカ。アルコールがまわってくると、どうしてすぐ気取っちゃうの?
とにかくねえ、ここであたしの正体が分からないようじゃ<正体不明>なのはあなたよ。いつも言ってるでしょう、この<物語の欲望>があたしで、あなたが<あたしの欲望>ならば、当然あたしも<あなたの欲望>こそを生きてるはずだって、ねえ? 
 ここで、あたしまで<実体的欲望>で呪縛しようとした犯人が、<救世主信仰>のあなたであるように、あなたを恐怖と絶望の果てへに突き落として喜んでいるのは、あなた自身なのだ!! このマゾヒストめが!!

 ——ムハハ。すると僕は、恐怖と絶望への欲望を手中にする<荒ぶる神>として、君の<物語的愛>を支配するのだ!! 
 どうだ!? おぬしの欲望をその動機において牛耳る僕は、もはや<救世主>に頼ることもなく、このマンションに君臨する<神>なのだ。ムハハ!!

 ん…、まあ、きょうのところは、その程度の自覚で良しとするか、ねえ?

 ——ムム、おぬしは、何を言っとるんじゃ? 

 うん。あなたは、凛々しくもその<破滅への欲望>に目覚めることによって、ようやく<永遠不滅の神>を冒涜する<魔性>を獲得して、<神の救済>によっては贖いきれぬ劫罰を背負うことが出来たってわけね。
 まあ、結局は<自己神格化>の思い上がりこそが<神>を冒涜してることに他ならないんだから、いよいよあたしの愛に絡め取られ、地獄の底へと落ちるときよ。あなたは、ここに至りようやくメロドラマを語る資格を得たのだ!!
 どお? これが、この<物語>に残された唯一の希望なのよ、ハハハ。

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