呪われた女を抱きつづけていた僕〜B



 バァーカねえ、それじゃちっとも切羽詰まってないじゃないの。
 それにねえ、たとえマーラーが、あなたの理想的な作家像だとしてもよ、あたしの見解によればねえ、あなたが言うところの『第8番』でことごとく救済されたはずの苦悩は、そのまま浄化されて消滅することもなく、再び『大地の歌』で不安を掻き立てることになり、揚げ句の果ては、もはや救済への希望も空しくなった深い哀しみの中で絶望という葬送の『第9番』へと生き延びてしまうのよ。
 おまけに未完の『第10番/アダージョ』では、あの沈痛なまでの静寂と回想がかえって壮絶にして悲惨な傷みを思い起こさせるばかりなんだから、<表現者>が<神>を信仰する限り人間的創作の有限性において、いかようにも無限性の<神の創造>を超えることができないために、自らが<神たりえぬ表現者>の<挫折する愛>を露呈させてしまうってことになるのよ。
 どお? これが<信仰する表現者>の末路ってわけね。

 ——それは、君ねえ、マーラーを今日的問題として提起しえたと言いうる'60年代のバーンスタインの偉業に拘泥しすぎてるから、そういうことになるんだよ。確かにCDなんかで復刻されたバーンスタインのマーラーは、20年という歳月を隔ててもなお新たな衝撃として、僕の切ないほどの宗教心を狂おしいほどに掻き立ててくれるわけだから、もはや今となっては、アメリカ的な訴求力という血筋のバーンスタインこそがマーラー芸術の正統派といえるはずだけどねえ、その血筋を引くレヴァインとか、あるいはさらに若いエリアフ・インバルなんかの『第9番』を聞いてみればだよ、これらの元気印の芸術家たちは、マーラーの<絶望的な愛>を見事なほどに救済していると言えるはずなんだよ。

 するとマーラー教徒とも言いうるあなたは、<絶望する愛の救世主>たるマーラーがあまねくヒトビトの絶望を自らの死によって贖ってくれたために、たとえばレヴァインやインバルのように<信仰する表現者>となることによって、<創造主たりうる表現者>ならずもせめて<神の愛を受肉する表現者>として、つまりは<マーラー的神霊>を捏造することによって<救世主>に成り上がろうって腹じゃないの?

 ——またまた、君は、どうしてそう疑い深いのかねえ…。
 僕としてはね、君とマーラーという芸術によって感動を語りあえる関係であることを知ってね、大いに満足してるところですよ。つまり僕は虚心坦懐にですよ、どれほどの下心を持つこともなく、マーラーによって宗教的な感動を語りうる<表現者>であることを、認めて頂くだけで十分だと言ってるんですよ、ほんとだよ。

 さあ、どうかしらね。あなたが<芸術>と<宗教>との間に<感動>なんてものを置いて何事かを語ろうとする<表現者>であるかぎりは、到底気を許すわけにはいかないのよ。あなたが、<感動>という<言葉>にどんな思いを託しているんだか知らないけどねえ、あたしに言わせれば、たとえ<感動的事件>であれ、あたしがあなたに、あるいはあなたが神に、愛という命を売り渡すことになるとは限らないってことね。
 それゆえにねえ、今改めてあなたのマーラー論に対してあたしが言ってあげられることってね、マーラーという<表現者>のみならずマーラー教徒である<表現者>たちは、未だ<神>に首根っこを掴まれた人間的営為の<作品論>を引きずってるから、<神の創造と救済>を超越することなどできっこないというわけで、<表現者>であるかぎり自由意志としての創造性も獲得できず、結局はいかなる創作活動によっても<苦悩者>であることからは逃れられないっていうことね。
 つまり、ここで<神>による救済とは、あまねく<表現者>が<表現者>であることを放棄することによってしか獲得できないというわけだから、<表現世界>における<神>とは、傲慢と独善という意味の代名詞にすぎないってことなのよ。

 ——ウオッ、<神>をも恐れぬ暴言!! 君ねえ、<神>を見くびってはいけませんぞ!!
 いいかい、かつて<神>は、その崇高なる全知全能の意志に基づいてだよ、<世界>を創造したと言われてるんだよ。

 そう!! 正にそう言われてるんだから、結局は、そう言わざるをえなかったヒトビトの<物語的人格>にすぎないってこと、これはさっきも言ったじゃない、忘れちゃった?

 ——ちっ、違う!! そういう言い方は、不当に<神>を貶しめているのだ!!
 たとえ君が言うように<世界>が<物語>にすぎないとしてもだよ、<世界>とは<神>の為せる業なんだから、われわれにとってこの<物語世界>を超越する<物語>は虚構にすぎないという君の主張を尊重すれば、この唯一<現実的な物語>にこそ<創造主>としての<神>が存在しなければならないといえる。これが真実なのだ!!
 その意味においても、常に<神>とは、<物語的人格>を超越するものとして存在していなければならない。言い換えれば、僕たちが<物語的人格>として存在するかぎり、この<物語世界>は<創造主>たる<神>を要請していることに気付かなければならないってわけさ。
 無論それは、君が僕の亡霊にすぎないと決め付けたあの<生理的な表現者>の出現を待ち望むことに他ならないのだ、ハハハ。

 あなたねえ、こんなつまらないことは何遍も言いたくないんだけどねえ、あなたが瀕死のナルシストになる以前から、そしてようやく回復して今に至るまで、その間心の中でずうっとウジウジとしていた憂欝っていうのは、この<生理的表現者>が虚構にすぎないことを知ってしまった挫折感に起因していたんじゃないの?

 ——そ、そう言われてみれば、そうだったかねえ…、ハハハ。ま、それにしてもだ、僕は<表現者>の血筋を引くものとしての信仰を捨てる気はないからね。

 ふうん、微妙なところでは、それなりに反省的なポーズを維持できるんだから、それはやはりシャワーの浄化作用に負うところが大きいってわけね。

 ——し、失礼なんだから…。僕はシャワーなんかを浴びなくったって、もともと素直で反省的な、それゆえに将来を嘱望された好青年だったんですよ。それがなんの因果かかわいそうに、君という毒婦に見初められてしまったがためにだよ、ご覧なさいよ、あっという間に歳を取らされて、おまけにシャワーを浴びたって今さら浄化できない淫乱の染みが、もう身体じゅうにベットリってわけさ。いやだいやだ…。

 その顔して、何がいやなんだか知らないけどさ、相変わらずいつもの戯言はいつものように戯言にすぎないようだから、どうやらシャワーに過大な浄化力を期待しすぎたみたいね。でもまあ、アルコールだけは抜けたみたいだから、好いとするか、ね?

 ——アホ言っちゃいけませんよ。シャワー浴びたくらいで、いちいち人格を変えてられますか? もしもだよ、シャワー浴びたぐらいで人格が変わっててごらんよ、君なんか、一日に何度変身したって追い付きゃしないでしょうが?

 ううん、あたしの場合は、シャワーを浴びて変身するのが仕事よ? あなたみたいに、しょうもない自己愛なんかにかまってられないの。しかも一日に何遍も生まれ変わり死に変わりしてあげることこそが、あたしの優しさってわけ、ね? それはもう、ほとんど博愛にも似た慈悲心みたいなもんなのよ…、ハハハ。

 ——チェッ、糞面白くもねえ。
 んん…、なんと、不愉快になったら、とたんに<言葉>の欲求が脱落してさ、空腹に目覚めちまったぜ!! 腹が、クオークオーって泣いてるよ…

 うん、じゃちょっと待ってね。いま用意するわね。
 あたしとしても、空腹の死にそこないを粉砕したんじゃ寝付きも悪いし寝起きも悪いもんねえ。やっばり極悪非道のアホ男をやっつけないことには、正義感を満足させられないってわけね。

 ——相変わらず、かわいくないねえ…。ちくしょう、なんか無性に燃えてきたなあ、覚悟しろよ、腹いっぱい食ってやるからな!!

 じゃ、そこのヨーグルトとクラッカーでも食べてて…。あとちょっとね、これだけ済ませちゃうから…。

 ——ええっと…、ブルーベリーのソースかジャムがあったねえ…、おお、あったあった。よしっと。んで、コーヒーでも入れるかな…。

 ああ、コーヒーやってくれちゃうの?

 ——そお、到底待ってなんかいられませんね。

 悪いわね。
 …… 
 さあてっと、お待たせ。で、卵はどうするの? いつものスクランブルで好い?

 ——ああ、好いすよ。それにと、きょうはベーコン・ロスティ、すなわちじゃがいものパンケーキにしよう…。それに何んかスープが欲しいねえ…。

 じゃ、パンはいいの?

 ——まあ、あとは気分しだいだから分からないね…。ええっと、君がスープやってくれれば、じゃがいも剥いておろし器かけてあげるよ、どうです、この優しさは!?

 うん、感謝のチュウしてあげるわ…。
 でもねえ、さっきの<神さま>を、もう少しはっきりさせておきたいんだけど、いいかしら? あなたの信仰は信仰でいいんだけどね、<神>の概念っていうのは、結局<物語>の存在理由に関わることなのよねえ。

 ——き、君ねえ、感謝のチュウひとつぐらいで、済んだ話を蒸し返されるのは歓迎しませんよ。とにかく君がなんと言おうとも、すでに<神>の存在は明白なのです。そして僕たちは、<神>の創造した<物語>に存在している、これが真実なんだよ。

 何よ、じゃがいもの下ごしらえぐらいで、<神>の存在を認めるわけにはいかないわよ。だいいち、あなたが<神>の存在を主張する根拠って何よ?

 ——まず、ここに<物語>があること、そして<物語的人格>が存在すること、この事実こそが<神>の存在証明に他ならないってわけさ。

 それじゃ駄目よ。ここにじゃがいもがあるからって、必ずベーコン・ロスティが出来るとはかぎらないってこと、当然でしょう?
 <物語>って所詮は<常識・文化・制度>のことだったでしょ? とすればよ<常識・文化・制度>なんていうものこそ、人間的営為の典型的な所産というべきじゃないの? まして<神>が永久不変の超越的な普遍的価値だとすればよ、<常識・文化・制度>は時と場所に拘束された個別的特殊性の価値基準にすぎないじゃないの? こんないいかげんなもので<神>の存在を証明できると思ってんの?
 それにねえ、たとえあなたの言うように、<神>の存在が<物語>の存在によって、あるいは<物語的人格>の存在によって証明されているとすればよ、<神>の位置から<物語>を見たことのないあたしたちは、<物語>の中から<神>を語るにすぎないんだから、結局、<神>は<物語>の産物にすぎないってことなのよ。
 つまり、もっと挑発的に言えば、<神>もベーコン・ロスティと同様にあたしたちの創作物ってわけね。

 ——き、君ねえ、<神>をベーコン・ロスティなんかと、一緒にするわけにはいかなんだよ。今頃寝言なんか言ってちゃ困るよ。君ねえ、<神>が<物語世界>を創造しヒトビトを創造するのは当たり前だけどねえ、ヒトや<物語>が<神>を創造するわけにはいかないんだ。これが歴史ってもんだろうが!!

 駄目よ、それじゃ全然反論になってないわよ。だいいちねえ、<神>が<物語世界>を創造したりヒトビトを創造しているのを<見た>ヒトがいたっていうの? そもそも<神>の創造なんてもんは、人間が誕生する以前の出来事なんでしょ? そんなものは誰が考えたって、見てきたような嘘を得意とする人間の作った<物語>にすぎないじゃないの?

 ——むむ…。き、君がなんと言おうと、<神>は存在しなければならないんだ!!
君は信じないだろうがね、僕は実感として、いや、そういって悪いとすれば、確かな記憶として言えることなんだ。つまり、僕が常々言ってきたところの<生理的な表現者>というものが存在しなければ、いかなる<物語>も成立しないってことなんだ。
 そもそも<物語>と<常識・文化・制度>をリンクさせるなんていう罠に引っ掛かってだよ、ここまで落ちぶれてしまった僕の場合は、そんな<生理的表現者>もすでに信仰の対象へと抽象されちまってるけどね、確かに僕は<生身の表現者>として、キーボードを叩いていたという記憶を打ち消すわけにはいかないんだ。

 その件に関しては、もはやあなたが何を言おうとも単なる<宗教体験>にすきないってこと。無論信仰者としては、それほどの生々しい信仰体験ってものが、他人に冷たい目で見られながらでも信仰しつづけるという動機を獲得させるんだと思うけどね。
 とにかくあたしは、あなたの信仰内容にまで踏み込むつもりはないのよ。ここではあくまでも、<神>の存在論について問い正しているだけなんだから…。
 あ、お湯が沸いたから、コーヒーやってあげるわね。

 ——うん。じゃついでだから、僕がロスティを焼いちゃうよ。
 しかしねえ、君は信仰こそが<神>を存在させたような言い方をするけどさ、信仰ってものは、<神>の存在証明によっても裏付けされていくもんなんだよ。言い換えればね、僕にしてみればだよ、初めっから虚構にすぎないと分かってるものは、君に言われるまでもなく信仰したりしないってことさ。

 そもそもねえ、<信仰の動機>はそれ自体が<信仰の証>なんだから、あなたが何故に信仰するに至ったのかなんてことは、あなただけの<真実>にすぎないのよ。
 つまり<信ずる>ってことは、<あなたがあなたであるための理由>を探ることでしかないんだから、<信ずる対象>はそのための足掛かりにすきないってこと。だから<信ずる対象>はそのときの都合でいかようにでもなるってことなのよ。
 もっとも何かを<見定める>はずの<認識論>が、そのように<在る>と確信する<存在論>へと転換するところにこそ、<宗教>の醍醐味があると言ってしまえばそれまでなんだけどね。だからあなたが、想像的認識の産物にすぎないかもしれない<霊的世界>を存在論的に確信して<神霊としての人格>を現出させ、それを<信仰の対象>にして感動的な<あなたたりうるあなた>を獲得できるなら、それは他人がとやかく言えることではないってことなのよ。だけど、<神の救済>を信ずるよりも<金の救済>を信ずることによって生きられるヒトもいるってことね。
 そういった意味から言えることはね、<物語世界>が自らの存在を正当化するために持つ最も完成された欺瞞的手法とは、自らの可能性を閉鎖する合理的思考ってことなのよ。言い換えればねえ、ひとつの<原理>へと収斂していく合理的思考こそが、<物語>を閉鎖させてしまう原因だってことなのよ。

 ——なんだなんだ!? すると君は、科学的な合理的思考までも欺瞞だと言う気なのか?
 君ねえ、いまの僕たちは、科学的思考による確信と科学技術の恩恵を無視しては、快適に生きられないはずじゃないか、だろう?

 まあ、そうね。確かに<科学>は科学的な世界観では、その論理的な整合性と技術的な有効性を保証されてるけれど、<原理>を標榜するという閉鎖性を解消しないかぎりは、オールマイティーな思想性なんて持ちえないのよ。ところが<科学>は、論理的な整合性による洗練された合目的性と、それゆえの高度に管理された技術力が、絶大に他者を排斥する<暴力>となってしまうために、<管理された暴力>として排他的に<物語>を武装させる元凶になってしまうってこと。
 その意味において<科学的客観性>とは、<科学信仰の神学>の論法である<論理的整合性>を暗黙の了解事項にして、自らの普遍的な正当性を捏造するために仕組まれた反省的視座にすぎないのよ。つまりねえ、<唯一絶対>とか<完全無欠>とか<超越性>とか、さらには<論理的整合性>なんていう<概念>は、それを<意味>として所有する<物語世界>に住まう<言葉の作品>ってわけね。
 とにかく、あたしたちの<言葉>なくしては<神>を語ることもできないってこと。
 はい、コーヒー!! ねえ、ロスティの面倒はあたしが見るから、先にサラダと卵で始めてたら…。

 ——おお、悪いねえ…。し、しかし君は、手が動きだすと口も動きだす仕組みになってるんだね。それはかなり優れた特性ですよ。その手際の良さを無駄にしちゃ勿体ないねえ。もはやヤクザな自由恋愛業から足を洗ってさ、地道にスナックのママでもやったらどうなの? 及ばずながら協力しますよ。

 ハハン。いずれ気が向いたらね。でもねえ、そんなお世辞で<神>の存在論を中断するわけにはいかないのよ。いい? いよいよクライマックスよ。
 つまり<神>こそは、ヒトビトの純粋なる合理的思考と豊かなる想像的感性と、さらに不成就性の欲望である自己愛によってこそ創造された最高傑作!! それは正に傲慢にして独善的なヒトビトが、自らの責任を<完全なる他者>へと転嫁しえた奇跡的事件だったということね。

戻る目次

 ——き、君ねえ、そういうかわいい顔をしてね、しかも平然と食事の準備なんかしながらですよ、<神>を冒涜するとは、いったいどういう神経してるんだ? 恐ろしいこった!! 要するに君は、<宗教>なんか認めないって言いたいんだろ?
 まったくねえ、君の入れてくれたコーヒーなんか飲んだら、何んかとんでもない祟りがあるんじゃないの? オエッオエッ…。

 なによ、あたしはさっきから、<宗教体験>の存在を認めてるでしょ?
 それにしても、きょうのコーヒーはちょっとしたもんでしょ? あなたの自惚れに亀裂が走ったんじゃないの? ハハハ。
 ま、あたしに言わせればねえ、そもそもその冒涜なんていう発想こそが、悍しき偏見なのよ。いい? 冒涜っていうのは、自分の不浄を棚上げした人間が己の潔癖性を捏造するために、<神>の名を語ることによって他人を制裁することでしかないじゃないの?
 それにねえ、あなたは何か誤解してるようだけど、あたしは<神>が存在しないなんて言ってないのよ。

 ——ま、またあ…、今さらそれはないよ!!

 ううん。ただしねえ、それは<言葉>に<意味>があるように、<想像>にすぎない<神>を<霊的人格>として存在させることが出来るってことね。無論<言葉>がその意味によってヒトビトを感動させることが出来るように、たとえ虚構にすぎない<神>もまた、ヒトビトを現実的な事件において感動させることが出来るってわけ。
 言い換えれば<神>は虚構であるがゆえに、どれほど不信心なヒトビトの心の中にも、いまだ語られことのない<言葉の意味>として存在することができ、それゆえにあらゆるヒトビトに救済の可能性を拓きつづけることが出来るのよ、そう思わない?

 ——君ねえ、ヒトをおちょくるのはいいかげんにしてくれよ。未だ焼き上がらないロスティと同様にね、虚構としての<神>なんか、いくら存在してもしょうがないんだよ。腹の足しにもならないんだ。もしもだよ、ヨーロッパにおいて<神>が虚構でしかなかったとしたら、あのヨーロッパの歴史と文化をどう説明するつもりなのさ?
 そりゃまあ現在はヨーロッパにおいても、<神>の不在とか死滅が囁かれたりはしてるよ、だけどねえ、あの壮大な歴史と文化を目の当たりにしてごらんよ、キリスト教徒でなくたって<神>の存在ぬきには何も語れないことに気付くはずなんだよ。
 あれだけの<神>の住まいが現実に用意され、それによって多くのヒトビトの生活が営まれている以上、どうして<神>が虚構なんかでありえるのさ? そこで、もしもいま<神>の霊性に触れることがないとすれば、それは<神>が不在である以前に、ヒトビトが堕落して宗教的な反省力を失ってしまっただけなのさ。

 ——はい、大変お待たせ…。どお、好い色に上がったでしょ?
 それにしてもあなたって、ほんとに石頭なのねえ…。でも、そのひたむきな信仰には感心させられるけど、あなたが<生理的な表現者>への回帰を望むべくもないままに、せめて<劇中作家>として真摯な信仰者の<告白物語>を書きたいというのなら、たとえばマーラーのように、あるいはマーラーを語るレヴァインやインバルのように、今度は場所を変えて出演者を変えて、改めて書き始めるしかないのよ。
 だけど<劇中作家>であるあなたが、たとえばイエスやマーラーのように<神の愛>を受肉して、あたかも<予言者>や<救世主>であるかのように<神の言葉>を語るならば、それはすでに<神の物語>にすぎないのだから、この<物語論物語>という開放的な世界ではなく<神話>という閉鎖的な世界になってしまうってこと。
 つまりあなたが、ここでマーラーのように<神話>を語る<表現者>であろうと願うなら、いずれは<未完の神話>を抱えてマーラーのように野垂れ死にするか、あるいは<神>の前で己の創造的な自由意志を破棄することになるのよ。だからもしもあなたが、たとえなけなしの創造性であれ自由意志を主張したいと願うなら、あたしのこのマンションから自立して、まさに<神的表現者>として<小説>と呼ばれる<神話>でも書き始めるしかないってことね。そのときにこそ、あなたは憧れの<生理的な表現者>という<神>になれるってわけね、どお?

 ——まあ正直いって、今さらどうもこうも無いでしょう…。なんせ僕の乏しい才能では、このマンションを出て自立するなんてことは、なかなか決心できることではないんですよ、ハハハ。

 それじゃやっぱり、看板だけの<劇中作家>で我慢するってわけね。

 ——ムハハ。そういかないところが、僕の好いところだね。ま、僕としてはね、ほとんど思い付きに頼るしかないような状態ではありますがね、<劇中作家>とは<劇中表現者>というわけですから、言い換えれば<劇中神>でもあるっちゅうわけですよね。ハハハ。まあ、そんなわけで気が付いてみれば、この<物語>における<現人神>たる僕はですね、<神的権威>を授かる者として君臨することにしたわけですよ。

 何よ、それ? その権威を授かるのはあなたの勝手だけど、いったい誰がその権威を権威たりうるものとして認め礼拝してくれるつもりになってるの? だいたい<現人神>なんてのは、権力者に祭り上げられた権威にすぎないんだから、<現人神>自身にはどれほどの権能も救済力もないのよ。ということは、なんら<劇中作家>と変わるところはないってこと、残念でした。

 ——ムムム。またしても希望の芽は摘んでしまわれたのか…。しからば一切れのトマトよ、我に再び<神的表現者>の権威と権能を授けたまえ!! …駄目か、ハハハ。
 おっ、そうだ、そういえば君は、かねがね<物語論物語>なんちゃって、まるで<物語世界>の開放区を気取っちゃってるけどさ、その方法論は君の<論理ゲーム>というわけなんだから、結局は君も、<合理的思考>なんてものを手段にしてるってわけさ、ねえ?
 ということは、もうみなまで言わなくたって承知のはずだね? ハハハ。
 君もまた、己の開放的手段によって<物語>を閉鎖してしまうという自己矛盾へと語るにおちるのだ!! どうだ? つまり君の方法論は、<神>の不在を証明するどころか、君自身が<神>に成り上がろうとする陰謀を抱えていることを暴露してしまったのだ。

 あなたにしては、気が利いた切り込みだったけど、もうちょっとね。
 あたしがこの<物語論物語>を開放区として主張する根拠ってねえ、<唯一絶対の原理>なんかのために<合理的思考>を使わないってこと。つまり、ことごとくの価値が相対的な関係にあることを語るための<論理ゲーム>にすぎないってことなのよ。
 どお、もっとコーヒー飲まない?

 ——チクショー!! 今さら呪われたコーヒーなんぞ、飲めるか。もはやトマトジュースでなければ救われないのじゃ、ゲポゲポ…。

 まだ気持ち悪いの?

 ——ええいっ、心配無用じゃ、グルグル…、ハハハ。
 ところがだ、ところが君は<合理的思考>というものの出生について考えてみなければなるまいが? とにかくだよ、<合目的的な科学>があのプロテスタンティズムの合理主義の遺産であることを忘れてはならないってことさ。

 なに、今度はバッハ教で復活しようってわけ? 
 ま、確かに<科学>と<西洋音楽>は、共に<神>の下部であったことは確かね。

 ——そうでしょう。つまり<科学>の性質である<合理的思考>とは、常に<唯一絶対なる神>の存在を論証する手段でしかないってわけさ。確かにねえ、しばしば<科学>が<神>の不在を論証しうるかのように言われましたよ、ところが、その<科学>すら、君の言う<物語>の閉鎖性によって、<神>の前に懴悔せざるをえないのが現状じゃないの、でしょ?

 それはねえ、<科学>さえも自愛的欲望を正当化する手段にしてしまうヒトビトの<科学信仰>が、再び<神学>の合理的欲望によって掠め取られたってことでしかないのよ。
 それゆえに<科学>が<統一原理>への欲望を解放しえないのならば、<科学的世界観>はなんらかの閉塞情況に甘んじていなければならないってことね。ただ、そんなどんずまりを救済するのに、<神の超越性>が「知りえぬものの存在を知ること」と重なって有効であったにすぎないのよ。
 結局あたしの言う<思考ゲーム>は、何かと何かがたまたまひとつの<意味論>を形成するために、必要な整合性を探る論理として語られる不節操な思考の遊びってわけなのよ。ここで軽薄に遊ぶっていうことは、とても重要なことなのよ。だってねえ、あたしの遊びのルーツを辿ってみれば、結局は「ねえ、お兄さん遊んでいかない?」っていうあれだもんね、ハハハ。

 ——な、なにをアホ言っとるんじゃ!!
 すると君は、<劇中作家>である僕が、<予言者>になることも<救世主>になることも<現人神>になることも、まして<神的表現者>になることなど望むべくもないというわけなんだろうけれどさ、それじゃ君は、<物語論物語>における<劇中作家>はいかにあるべきだと考えるのかね?

 あなたの場合は、その執念にも似た愛欲的な信仰心に基づいて、この<物語>をいかに<快楽の園>にしうるかに向かって努力するしかないんじゃないの? 
 それを言い換えれば、はたしてあなたは、その悍しいほどの愛欲をどれほど救済力へと浄化して、あたしを<快楽の園>へと誘うことができるか、これに回答を与える救済活動を生きるしかないのよ。無論この<快楽の園>を救済の境地として語るってことは、<法悦>と言いうる体験でなければならないはずだから、あなたが単に発情しつづける情夫としてあるだけじゃ解決されないってことね。

 ——おお、き、君を救済するなんてことが、この居候の僕に出来ると思うのかい? 僕は、こうして君に救済されている身分なんだぜ。まして<思考ゲーム・マニア>の君を調伏するなんてことは、無駄な努力というわけさ。
 まあ、そんなことをするくらいなら、横町のマンションの<プッツン神さま>なんてね、アホ呼ばわりされてでも<現人神>に成り上がっちまったほうが、世の中、愉快ってもんじゃないの?

 ふうん、そんなもんかしら…。 ねえ、そんな<神さま>なんかになっちゃって、いったいどんな仕事ができるっていうの?

 ——ま、言うまでもなく、何んにも出来ないだろうねえ、ハハハ。
 まあ、そんなわけでね、どうせ何んにも出来ないんなら、こんなのはどうかと思ってね?つまり、救済力のない<現人神>なんだから、小説を書けない<小説家>ってわけでね、<小説たりえぬ物語>を<小説>として書く<私小説家>、どお? こういうのは、芸術のために苦悶する<芸術家の告白>みたいでさ、結構泣かせるでしょ?

 ふうん、どうやらこの<小説を書けない私小説家>っていうのが、今日の切り札ってところなのね。ま、この企みを潰しちゃっておけば、この<物語>もしばらくは安泰ってところかな、ハハハ。
 ねえ、それは<神話たりえぬ物語>を<神話>として書く<神的表現者>ってわけなんでしょ? つまりは<神話を書けない神>の<神話>ってことだから、結局のところ<懴悔する神>の告白ってわけよね。
 ん…、まあ、そういう発想はなかなかグロテスクで楽しいけどねえ、あなたみたいな反省には縁遠い体質の<表現者>を、懴悔なんていう条件だけで<神的表現者>なんかにさせてしまうわけにはいかないのよねえ、フフフ。

 ——なっ、なんと、それは取り越し苦労ってもんですよ。
 僕は、表現能力の欠如において神話を書けない<表現者>にすぎないわけですからね、ましてそんな恥を晒してみせるほどの反省者ですよ、どうして僕が、君を心配させるほどの<無反省な表現者>たりうるでありましょうか、ね?

 駄目、駄目。とにかく<私小説>なんていうのは、<神話>のなかでも最も欺瞞的な構造をしていると見るべきなのよ。そのくらいの常識がなくちゃ、あなたみたいな欲惚けた<表現者>相手に自立した<物語的人格>なんかやってられないわよ。
 そもそも<私小説>っていうのは、<小説>の中に<小説家の私>なんかを措定することで、<私小説家>がいかようにも<小説>を偽ることが出来ないなんていう情況を仕組み、<小説>の<脱神話化>によって<神話たりえぬ物語>を捏造することなるけれど、その実<小説家の私>とはその出生が<小説的人格>にすぎないのだから、<私小説家>は虚構の<劇中作家>を<脱神話物語>の人質に差し出すことによって、いつの間にか<神話>を語る<神>へと復活して、ヒトビトの<事実に即した物語>という希望を掠奪する仕組みになってるってことなのよ。
 つまりあなたは、ここで<小説を書けない私小説家>という怪しい身分を手に入れることで、<物語>の<脱小説化>という反省的態度を捏造しつつ、今度は<劇中作家>とは所詮<小説的人格>にすぎないなどと開き直って、<物語>と<物語的人格>の空洞化を計り、そこで<小説にすぎない物語>を主張して<物語>の<神話化>を果たし、まんまと<神的表現者>に成り上がるつもりなんでしょう? どお?

 ——ムムム。
 そ、それにしてもだ、君はだね、頭っから<小説>を<神話>と決めてかかってるけどねえ、どうしてそんなことが言えるのさ? 証拠があったら見せてもらいたいね…。

 エエッ、あなた、それ本気でいってるの? いままでの<思考ゲーム>こそが、紛れも無い証拠じゃないの。ここまできて、そんなお惚けは通用しないわよ。
 あなたねえ、「はじめにことばあり、ことばは神とともにあり、ことばは神なり…」、そして言葉が「光あれ」と言うと<光が生ずる>という、あの<聖書>の<言葉>はいったい<誰>が語ったものだと思ってたの? まさか<生理的な神>なんかが囁いたのを、<誰か>が書き留めていたなんて思ってたわけじゃないんでしょ?
 いいこと? これは宇宙も含めた世界の始まりについての記述なのよ。人間なんかが誕生する以前の話なのよ。たとえその時に<神>がそう言ったとしてもそれは<神>の独白にすぎないのよ、それなのに、どうして<神>以外には<誰>も知りえぬことを<誰か>が勝手に書くことが出来るの?
 いい? それは<神>の存在なんかを問う以前に、自分が<神>だと思い上がった<人間>が、あるいは<神>に成り代われる<人間>が勝手に語り書き留めたことでしかないじゃないの? そうでしょう?
 つまりねえ、<誰か>が<真実の物語>を捏造するために単なる<神話>なんかであってはならないと、<神の立場>を掠め取って<物語>を語ったとしても、<人間>が<神の領域>について語ったものはすべて<神話>以外のなにものでもないっことなのよ。それは同時に、<誰>も知るはずのないことを、<神の立場>を掠め取る<誰か>によって語られ書かれたものは、ことごとく<神話>と呼ばれるにふさわしい<作り話>にすぎないと知るべきなのよ。
 よく<小説>の中に「それは誰も知らないことだった」なんて書いてあるでしょう? そこに誰も知るはずのないことが書かれてるってことは、<小説家>が正に<神の立場>を掠め取ってるからこそ書けたってことでしょ、ね?
 とにかくねえ、<小説家>が<神的表現者>に自足しちゃって、おまけに<物語>が<文字>によって書かれていることすら忘却してしまった<小説>は、ことごとく<神話>にすぎないってことなのよ。そしてその時には、<神話>こそが最も<大真面目な嘘>だっていうことね。

 ——オオッ、き、君は、<聖書>と<神>の神聖さを冒涜し、その上<小説>を<文学>を愚弄する気なのか!? オオ…、恐ろしいことだ!!

 ねえ? どうして<文学者>が<神的存在>であることが、<文学>を愚弄したことになるのよ?

 ——ええ? だっていま君は、<聖書>も<神>も<文学>も、すべて嘘っぱちだと言ったじゃないか?

 ええ、言ったわよ。でもねえ、ことごとくの価値が相対化されている<物語論物語>には、あなたが思っているような<本物>なんてどこにもないってことなのよ。その意味においては<神>も<文学>も、怪しげな<価値>なんかで武装せずに、嘘っぱちかもしれないままに在るべくして在ればいいってこと。
 ねえ、ひょっとするとあなたは、すでに失墜している<神の権威>を実感しているために、<文学>が愚弄されたなんて思ったんじゃないの? そうでしょう?

 ——ググッ。

 なによ…、冷や汗なんか垂らしちゃって…。誰もが当然と思ってることを再確認しただけのことじゃないのさ。
 ま、どんな思いをしてでも、どうしてもあなたが<神的表現者>になりたいのなら、かろうじて<あなたたりえているあなた>を自ら裏切って、とめどない自己喪失と崩壊のために嘘の上塗りをつづければいいじゃない? 
 でもさあ、どうして、それまでして自分をズタズタにしてみたいのかなあ? 
ねえ? ひょっとするとあなたって、ほんとうは自分のことが大嫌いなんじゃないの?

 ——オオ!! かわいそうな僕。君こそが、僕の愛をこんなズタズタにしてしまったというのに、なんという惨いことを…。き、君は、こんなことをしていったい何が面白いっていうの? ああ、ぼ、僕は、なんという呪われた女を抱きつづけていたことか!! 恐ろしいことだ!! す、すでに僕の愛は、自分を呪わざるをえないほどに堕落してしまったのか!? オオ…、かわいそうなオチンチン。

 食事中に、なにやってんのよ? 
 そんなお行儀の悪いことしてると、お仕置きするよ!!

 ——ウオッ、オオッ!! な、なんだよ? そんな無気味な顔して、ち、近付くなよ!! ウワッ!! アアア…。だっ、だめだ!! き、君のような呪われた女は、僕の神聖なるオチンチンを…、アアッ、握っちゃ駄目だ!! たあっ、祟りで取れたら、どうするの!?

 ハハハ。どうせだから、変態男の元凶を空しくしてやる!!

 ——い、痛っ!! ウワッ、輪ゴムなんかで縛ったら、壊れちゃうじゃないか!!
ああ…、ぼ、僕の愛が、不成就性の絶望へと突き落とされる、かっ、神さま!!

 あら、あなたは<神>になりたいヒトなんでしょ? 
 だったら神さまは、あらゆる<物語的ヒトビト>の苦悩を贖うために、張り付けにでもなりなさいっておしゃってるわよ、ハハハ。

戻る


 


 戻る / 目次 / 次へ