4.<何>論的パロディ


 a.パロディの仕掛け


 われわれの言う<パロディの仕掛け>とは、体制的な価値を疑似的な体制の中へと横滑りさせること、あるいは、すでにヒトビトに認知され有効性のある価値を<価値もどき>にすることといえる。つまり、反省的な表現「行為=経験」によって、常識・文化・制度の無意識化されている「思い上がり」にカウンター・パンチを、そして亀裂を入れることなのだ。
 ここで<パロディ>は、すでに認知されている「価値=作品性」に<手を加え>て本来の目的を掠奪し、ずれてしまった「価値=作品性」を新たなる目的のために偽造するというわけだから、正に<ビニール・パッケージ的構造>の表現「行為=経験」であるが、それは<何>的な自己完結性でお高くとまっていては<パロディ>たりえないのだ。なぜならば<パロディ>は、その<もどき態>としての歪みやズレをそのまま<とりあえずの作品>として、ヒトビトの常識・文化・制度の中に再び挿入し「真面目な価値」に「不真面目な笑い」を仕掛けなければならないからである。
 その意味においては、欲の皮が突っ張って目が見えなくなってしまった成り金を騙して売りつける<贋作といわれる作品>こそが、もっとも辛辣な<パロディ>として完成された手法といえるが、それはその完成度の高さゆえに、騙された誰かの被害が大きければ大きいほど、バカを見た誰かの怒りは<パロディ>などといって笑って済ますわけにはいかなくなってしまう。それゆえに<パロディスト>は、貨幣価値などという国家権力を受肉する制度などをたぶらかし笑いのめしてやろうとするときには、よほど根性をすえて笑いかからなければ、きめたはずのカウンター・パンチも、その強力な反動をくらって笑えなくなってしまうのだ。
 では<コピー時代>といわれて「本物−偽物」の関係が揺らぎはじめている現在における<パロディの仕掛け>とはいかなるものか?
 何はともあれ、<似ていないものどうしの関係>において「オ、オ!? これはよく似ている!!」と言わせるほどに、比較される意味・価値の差異性が反照的に喚起されればいいわけで、もともと「比べようのない何的連係」あるいは「無関係という関係」にとりあえずの<価値もどき>を発見的に仕掛けることといえる。あるいは、ちょっと見た目には<違いに気付かないものどうしの関係>に「オヤ? こんなところにいたずらがしてあるゾ」と言わせるほどに、作為に満ちた<意味のずらし><価値のずらし>が発見されればいいわけで、もともと「同じ物と見なされている関係」とか「密接な関係」にあるものに<無意味><無関係>を仕掛けることといえる。
 ところがコピー時代の<パロディ>は、どんな関係を切り取ってみてもとめどなく<ずれていくコピー>が<作品もどき>として発見されるばかりであるから、たとえ<もどき態>としてではあれ<価値>が捏造されていくその常識・文化・制度の構造的な歪みや矛盾に積極的な笑いを仕掛けるためには、何かを<本物>とか<オリジナル>と呼ぶことの出来る根拠が<とりあえずの約束>にすぎないことを暴露し、何かが<コピー><作品もどき>と呼ばれる根拠も<とりあえずの約束>にすぎないことを指摘して、結局はどちらも<とりあえずの身分>にすぎないにもかかわらず、ヒトビトの勝手な思い込みによって差別するという無自覚な「思い上がり」こそを脱落させることでなければならないのだ。
 だからこそわれわれは、あの「かい人21面相」事件のビデオを見るときに、ピンボケの原画を最新技術とやらで<修正>するということが、ありもしない<正体の捏造>でしかないために、それらしく<犯人もどき>に仕立てられた<誰か>が、<原画再生>というおおまじめなウソによって<パロディ化>されていくのを見ることになるのだ。あるいは、あの3億円事件のときのように<犯人もどき>のモンタージュという、どこまで遡っても正体不明の犯人でしかない死者の写真によって、たまたまモンタージュに似ているということで別件逮捕でもされた<犯人もどき>は、正に冤罪で投獄された<犯人もどき>と同様に国家権力のメンツのために<犯人逮捕>を捏造するという<パロディ>であるのだから、警察や検事が笑えても<犯人もどき>のみならず強権の前ではまったく無力なわれわれも笑って済ますわけにはいかないのだ。
 あるいはまた、親の若いころの写真が今の自分に似ていることを発見する子供は、いま見る親の体たらくに己の悲惨な未来を垣間見て因果な笑いで滅入るとすれば、今さら親を選べない子供の不幸は、<パロディ>化した親を改めて笑い飛ばす冗談を見付けなければ、いつまでも明るい未来を語ることができなくなってしまう。
 つまり、いかなる事象の存在理由をその出生に遡って明らかにしようとしても、結局はことごとくが<正体不明の何か>に逢着するしかないのだから、とりあえずの<価値もどき>が十全たる<価値=オリジナリティー>へと捏造されて素知らぬ顔で「コピーされていく(ずれていく)」ということは、あらゆる<価値>がコピーの産物にすぎないということなのだ。それゆえに、表現者が自らの存在理由である<個別的な価値観>を反省的に見定めることができれば、<私たりうる私>とはすでに無意識のうちに<何か>をヒトビトとコピー(引用)し合うことによって構築された価値観の<私>的占有にすぎないと気付くことになるから、この不節操にして曖昧な関係こそが「常識・文化・制度」としての<とりあえずの約束>であることを見定めなければならない。
 したがって、ここでは次々に「感染=コピー」していくといいうる程度の<価値のずれ>関係において、発信者として「コピーさせる=取り込む」側の戯れが「コピーする=取り込まれる感染者」のうろたえる様を、かつては自分が自分になるときにもヒトビトに笑われたことの反照として、かなり刺のある暴力的で辛酸な笑いを此見よがしに笑い返すときに、あるいは、<私たりうる私>を捏造するために必死で<何か>を「コピーしている」愚かな感染者である自分に失笑するときに、さらには誰かに「コピーさせられている=取り込まれている」自分の愚かさを笑うときに、<体制的欲望=自愛的欲望>という病原菌が「ずれていくコピー=感染者」を<パロディ>化していることを知ることができるのだ。
 しかし<パロディ>が、はっきりと<パロディ>としてヒトビトに認知されるためには<何>的に自己完結しているわけにはいかないから、ここに「パロディを仕掛けました」と分からせるために、<作品もどき>としてのゲシュタルト・チェンジあるいはパラダイム・チェンジの痕跡が、地震による断層模様のように容易に発見されなければならないのだ。
 それをいま改めて、<意外な関係>に「パロディを仕掛ける」ことと言い換えるならば、誰も気がついていないところに<パロディ>化されている現象を発見するという「行為=経験」こそが、あの「レトリック的認識の前衛」であると同時に<何>論の<パロディ的手法>ということなのだ。
 そこで言えることは、もはや<芸術>が、体制的価値観に飼い馴らされた「心貧しき表現者たち」の陳腐な<自愛的欲望>の哀しみの<パロディ>に成り下がっているとすれば、<宗教>もまた、体制的価値観に飼い馴らされた「心貧しき生活者たち」の陳腐な<自愛的欲望>の苦しみの<パロディ>でしかないといえる。それゆえに、<何>論的な「パロディの仕掛け」とは、体制的欲望に苦悩し心揺れるものたちの「誰もがすでに体得しているはずの(言われてみれば心当たりのある)快的遊感覚」の<パロディ>でなければならないのだ。

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 b.玩具的疑似体験


 <玩具>的疑似体験とは何か?
 大人が子供たちに与える<玩具>とは、プラモデルからリモコンに至る自動車であれ、あるいは縫いぐるみの動物から人形に至るまで、さらには<玩具>を使った<遊び>から<スポーツ>に至るまでもが、それらはどれも大人社会の疑似体験を強要するものになっていることを見定めるならば、とりあえずは<玩具>を、大人が子供に与える「常識・文化・制度」的疑似体験の手段であると言うことができる。
 そこで子供の<玩具>的疑似体験を改めて<遊ぶ>と言えば、同様に大人が<玩具的なもの>で<遊ぶ>ことは、大人自身が自らの存在理由の疑似体験をすることになって<大人らしさ>の自己否定性へと撞着してしまうために、「常識・文化・制度」の<パロディー>になってしまうのだ。  
 ところが、すでに「常識・文化・制度」的人格である大人も、社会的で建設的で拘束的な日常性から解放されるために<遊ぶ>ときには、ほとんど無意識のうちにかつて子供の時に与えられた<玩具>による<遊び方=疑似体験>へと回帰してしまうから、もはや子供たりえぬ大人たちは自らの威厳と名誉のために非日常的な関係への横滑りと称して、より積極的な「常識・文化・制度」的価値の疑似体験を演出せざるをえないことになるが、しかしここではそんな自分の愚かしさを笑う<パロディー>という意図がないかぎり、すでにあたりまえの<遊び方>と思い込んでいる大人たちが、自らの<遊び>にわざわざ<玩具>的疑似体験の追体験であるという「常識・文化・制度」的約束の身勝手さに目覚めることはないのだ。
 ここで一言付け加えるならば、大人にとっての「疑似体験の横滑り」が<遊び>たりうるかどうかの判断は、とりあえずそれが<非日常的体験>であるということによってでしかないのだから、最初はいくら<遊び>のつもりでも、それがいつのまにか<日常的体験>になってしまえば、プロのスポーツマンを見るまでもなくもはや<遊び>たりえぬ<仕事>になってしまうというわけなのだ。
 しかし「常識・文化・制度」の抑圧から逃避したいと願う発育不全の大人は、<逃避>あるいは<発育不全>ということがすでに社会人の<パロディー>であるために、本人の自覚に拘わらずいとも簡単に子供的な<玩具>的疑似体験の<遊び>へと退行してしまう。しかもこの大人による<子供もどきの遊び>は「常識・文化・制度」的価値観からの逃避でしかないために、いくら<日常的体験>になったとしても<社会的な仕事>へと転換されることはないのだ。
 そこで改めて考えてみると、<遊び>によって「常識・文化・制度」から脱落せんとする意図に関しては、<何>論者も発育不全者もたいした違いが無いことに気付くのだ。しかし<何>論からすれば、そもそも発育不全の大人とは、無明無知な暴力者のことであるから、「子供もどきの大人」による<玩具>的疑似体験は、<自愛的欲望による貧り>という意味において限りなく暴力的であると言わざるをえないが、一方<何>論者とは、暴力へのとめどない反省者のことであるから、<何>論にいう<遊び>とは非暴力的な快的遊感覚のことだと言えるのだ。
 したがって<何>論の<遊び>は、あくまでも疑似体験としてではなく「常識・文化・制度」そのものを「解放=開放」的な戯れとして<遊ぶ>のであるから、ここでもしもそんな<遊び>ために<玩具>を必要とするなら、それは体制的な価値観を<笑い>によって脱臼させるパロディーの手段としてのみなのだ。それゆえに<何>論的玩具とは、あのデュシャンの提示した「便器たりえぬ便器」のように、「絵空事化された道具(常識・文化・制度)」ともいいうる「玩具もどき」として遊ぶに遊べない<玩具>ということになるはずなのだ。

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5.風の<何>景

 われわれは、心の中に風の流れているところを発見することがある。たとえば、虚脱感とか喪失感という<空しさ><不安>の中でやり場のない<想い><思い><念い>にさいなまれているときに、あるいは未知なるものへの<ときめき>として、悲壮なる戦いに挑むものの決意を煽るものとして、さらには快適な開放感・解放感として、それは<とりあえずの私>が<私>的在り方へと<眼差し>を送るときに、そして<私>的在り方に<呼び掛け>るものとして、風は様々な心の軋みを吹き抜けていくのだ。
 そんな「心の<風>景」を、とりあえず<私たりうる私>と<私たりえぬ私>との狭間、あるいは<意識>と<無意識>との狭間に見定めるならば、それは次の12通りの「<風>景」として考えることができる。
 まず、『意識的な〈私たりうる私〉』という地平で (1)a意識的な〈私たりえぬ私〉を抱えているとき、(2)a無意識的な〈私たりうる私〉を抱えているとき、(3)a無意識的な〈私たりえぬ私〉を抱えているときであり、『無意識的な〈私たりうる私〉』という地平で (4)a意識的な〈私たりうる私〉を抱えているとき、(5)a意識的な〈私たりえぬ私〉を抱えているとき、(6)a無意識的な〈私たりえぬ私〉を抱えているときであり、『意識的な〈私たりえぬ私〉』という地平で (7)a意識的〈私たりうる私〉を抱えているとき、(8)a無意識的〈私たりうる私〉を抱えているとき、(9)a無意識的〈私たりえぬ私〉を抱えているときであり、『無意識的な〈私たりえぬ私〉』という地平で (10)a意識的な〈私たりうる私〉を抱えているとき、(11)a意識的〈私たりえぬ私〉を抱えているとき、(12)a無意識的〈私たりうる私〉を抱えているときなのだ。
 ところで、風の流れる心を「荒れるにまかせる力」によって見定めるならば、「自愛的欲望」という意味において<私>的でありつつ同時に「荒ぶる自然」という意味において<自然>的でありうるはずであるから、<私たりうる私>を<自然的私>として、さらに<私たりえぬ私>を<不自然的私>と言い換えることにする。
 すると、「意識的な<自然的私>という地平で (1)b意識的な<不自然的私>、(2)b無意識的な<自然的私>、(3)b無意識的な<不自然的私>であるとき」であり、「無意識的な<自然的私>という地平で (4)b意識的な<自然的私>、(5)b意識的な<不自然的私>、(6)b無意識的な<不自然的私>であるとき」であり、「意識的な<不自然的私>という地平で (7)b意識的な<自然的私>、(8)b無意識的な<自然的私>、(9)b無意識的な<不自然的私>であるとき」であり、「無意識的な<不自然的私>という地平で (10)b意識的な<自然的私>、 (11)b意識的な<不自然的私>、(12)b無意識的な<自然的私>であるとき」ということができる。
 そこでさらに、「意識的な自然的私」を「私の<自然的意識>」といいかえ、「無意識的な自然的私」を「私の<自然的無意識>」といいかえ、「意識的な不自然的私」を「私の<不自然的意識>」といいかえ、「無意識的な不自然的私」を「私の<不自然的無意識>」といいかえるならば、次のように整理することができる。
 つまり、心の中に風の流れるところは、「私の<自然的意識>が (1)c<不自然的意識>、(2)c<自然的無意識>、(3)c<不自然的無意識>、であるとき」であり、「私の<自然的無意識>が (4)c<自然的意識>、(5)c<不自然的意識>、(6)c<不自然的無意識>であるとき」であり、「私の<不自然的意識>が (7)c<自然的意識>、(8)c<自然的無意識>、(9)c<不自然的無意識>であるとき」であり、「私の<不自然的無意識>が (10)c<自然的意識>、(11)c<不自然的意識>、(12)c<自然的無意識>であるとき」ということができるのだ。
 それにしても<風>は、われわれの<意志>や様々な<想・思・念>とはかかわりなしに不意に「吹き付け」「吹き抜け」ていくものであるために、われわれにとってはかなり受動的な発見的事件ということになる。
 そこで、心の中を流れる風を「荒れるにまかせる力」における「私(自己愛)=自然」への「反省的な<閃き>と<輝き>」とすれば、とりあえず風の流れる方向を「無意識から意識へ」「不自然(消極的自然)から自然(積極的自然)へ」と見定めることにより、風は「私(自己愛)=自然」に<反省的閃き>と<反省的輝き>によって<無意識><不自然(消極的自然)>へと誘うものであることがわかる。
 言い換えるならば、<反省的閃き>とは無意識・不自然から「吹き付ける風」であり、<反省的輝き>とは<私>・自然へと吹き付ける風がそのまま無意識・不自然へと「吹き抜ける風」として流れることなのだ。
 したがって、「私の<自然的意識>が (1)d<不自然的意識>であるときには<不自然>から吹き付ける風に誘われ、(2)d<自然的無意識>であるときには<無意識>から吹き付ける風に誘われ、(3)d<不自然的無意識>であるときには<不自然>と<無意識>から吹き付ける風に誘われる」ことになり、「私の<自然的無意識>が (4)d<自然的意識>であるときには<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風であり、(5)d<不自然的意識>であるときには<不自然>から吹き付ける風に誘われつつ<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風であり、(6)d<不自然的無意識>であるときには<不自然>から吹き付ける風に誘われる」ことになり、「私の<不自然的意識>が (7)d<自然的意識>であるときには<自然>から<不自然>に向かって吹き抜ける風であり、(8)d<自然的無意識>であるときには<無意識>から吹き付ける風に誘われつつ<自然>から<不自然>に向かって吹き抜ける風であり、(9)d<不自然的無意識>であるときには<無意識>から吹き付ける風に誘われる」ことになり、「私の<不自然的無意識>が (10)d<自然的意識>であるときには<自然>から<不自然>へそして<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風であり、(11)d<不自然的意識>であるときには<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風であり、(12)d<自然的無意識>であるときには<自然>から<不自然>に向かって吹き抜ける風である」といえる。
 この<私>の「<風>景」を<自己愛>とその<欲望>の関係によってより簡潔に言い換えると、自己愛の「<自然的意識>的欲望は、<不自然>と<無意識>から吹き付ける風に誘われ」、「<自然的無意識>的欲望は、<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風でありつつ<不自然>から吹き付ける風に誘われ」、「<不自然的意識>的欲望は、<自然>から<不自然>に向かって吹き抜ける風でありつつ<無意識>から吹き付ける風に誘われ」、「<不自然的無意識>的欲望は、<自然>から<不自然>と<意識>から<無意識>に向かって吹き抜ける風としてのみある」ということになる。
 そこで、ここにいう4つのタイプの「自愛的欲望」を再び<私>として言い換えると「自己愛の<自然的意識>的欲望」は「自然的私の意識的欲望」となり、「自己愛の<自然的無意識>的欲望」は「自然的私の無意識的欲望」となり、「自己愛の<不自然的意識>的欲望」は「不自然的私の意識的欲望」となり、「自己愛の<不自然的無意識>的欲望」は「不自然的私の無意識的欲望」となる。
 次に「荒れるにまかせる力」において<私たりうる私>である「<自然>を<積極的な自然>」といいかえ、<私たりえぬ私>である「<不自然>を<消極的な自然>」といいかえ、さらに<意識>とは、常に「<私=自然>的である何か」についての意識であるから、ここにいう「<意識>を<何かとしての私>」といいかえ、<無意識>とは、常に「<私=自然>的でない何か」=「何んでもない<私=自然>」についての意識であるから、ここにいう「<無意識>を<何んでもない私>」といいかえることにする。  
 すると イa「<自然的私の意識的欲望>は、<何んでもない私>と<消極的な自然>から吹き付ける風に誘われ」、ロa「<自然的私の無意識的欲望>は、<何かとしての私>から<何んでもない私>に向かって吹き抜ける風でありつつ、<消極的な自然>から吹き付ける風に誘われ」、ハa「<不自然的私の意識的欲望>は、<積極的な自然>から<消極的な自然>に向かって吹き抜ける風でありつつ、<何んでもない私>から吹き付ける風に誘われ」、ニa「<不自然的的私の無意識的欲望>は、<消極的な自然>から<積極的な自然>と<何かとしての私>から<何んでもない私>に向かって吹き抜ける風としてのみある」といえる。
 したがって、イb<自然的私の意識的欲望>の「<風>景」は、どれほどのわけもなくいつの間にか「常識・文化・制度」という約束によって<私>であることを確信している自己愛に、<私たりえぬ私>や<何んでもない私>という揺らめきを抱え込むことによって「反省的な閃き」としての風が吹き込んでくるのだ。それはまた、<消極的な自然>と<何んでもない私>から吹き付ける風に、<私たりうる私>と<何かとしての私>の儚ない自己認識が揺らぎ始めることでもあるのだ。われわれは、この感動的な事件に遭遇することにより、正体不明の<私>という未知の世界へと踏み出すことになるのだ。 
 ロb<自然的私の無意識的欲望>の「<風>景」は、常に<私たりうる私>であることを確信しているつもりでも、いつのまにか自らも知らぬ欲望に扇動され支配されているといえる。ここでは<私たりうる私>が<私たりえぬ私>という揺らぎを抱え込むことによって、普段見過ごしている<消極的な自然>から突然「反省的な閃き」としての風が吹き込み、さらに<何んでもない私>から<何かとしての私>を吹き抜けそのまま<何んでもない私>に向かって自らを「反省的に輝かせる」風が流れつづけていることに目覚めるならば、軋みはじめた<私>という<自己矛盾>を抱えた「積極的な反省」は<消極的な自然>という未知への果敢なる<自己投企>を可能にする。それに対して吹き付ける風によって<私たりうる私>が不安を孕みつつ、さらに自らの中を吹き抜けていく風によって<何んでもない私>へと連れ去られてしまうという「消極的な反省」では、<消極的な自然>から<自己逃避>しつづける不安によって苦悩することになってしまう。
 ハb<不自然的私の意識的欲望>の「<風>景」は、たとえ<私たりえぬ私>であっても常に<何かとしての私>たらんとする欲望に支えられて<私>たりえているわけである。それは何かの目的に向かって行動する姿ということになる。ここでは<何かとしての私>という揺らぎを抱え込むことによって「反省的な閃き」としての風が吹き込み、さらに<私たりえぬ私>から<積極的な自然>でもある<私たりうる私>を吹き抜け<私たりえぬ私>に向かって自らを「反省的に輝かせる」風が流れつづけていることに目覚めるならば、この<自己矛盾>へと身を投げる「積極的な反省」は、<積極的な自然>という苦悩からの<自己解放>を可能にする。それに対して、吹いてくる風によって<何かとしての私>が不安を孕みつつ、さらに自らの中を吹き抜けていく風によって<私たりえぬ私>へと連れ去られてしまうという「消極的な反省」では、<積極的な自然>からの<自己喪失>を回避しえなくなってしまう。
 ニb<不自然的私の無意識的欲望>の「<風>景」は、すでに<私たりえぬ私>でありつつ<何んでもない私>であるために、取り付く島もない<正体不明の私>を吹き抜けていく風が<失われた私>への痛みをえぐるばかりならば、その痛みを引き受けかねるヒトビトは自己喪失感の中でさまよいながら、<正体不明の自己愛>を自らの幻想で取り繕わなければ生きていけないことになる。しかし、<消極的な自然>でありつづける快適さに目覚めた自己解放によって獲得した「正体不明者=非人称的私」であれば、それは同時に、すべての<私たりうる私>と<何かとしての私>に快適な清涼感を与える「反省的な輝き」として立ち現れ、ことごとくの自己愛に鎧われたヒトビトの脂ぎった眼差しに、「反省的な閃き」を喚起する風を流しつづけるものとして<積極的な自然>の開放者になるのだ。言い換えるならば、<何>的表現者としてこの<不自然的私の無意識的欲望>に目覚め<何>的な生命力としての<風>を感じることこそが、ヒトビトの不成就性の霊的欲望に対しては至って無力な<何>行者に、ヒトビト自らが「体制的欲望=自愛的欲望」に反省を喚起することになる「反省的事件」の仕掛人として、脱自的自由人への<反省的閃き>と希望的人格としての<反省的輝き>を保証するのだ。

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