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 「洗心洞」はS字形にカーブしたトンネルで入り口から出口が見通せないために、雪景色に慣れた目にはまるで暗黒の世界への墜落と同じだから、視界という<私>を喪失させるビックリ効果で<洗心>させようとは、いささか安易な発想だと思っていたら、今年になって蛍光灯の設備が回復して洞内の様子が見えるようになり、長い間の勝手な想像が消えて見えぬものを見ようとする楽しみが見えなくなった。
 「洗心洞」の右の壁には、たぶんこの界隈に散在していたと思われる道祖神が五体、何とも心傷む鉄格子の中に幽閉されているのだ。すでにヒトビトの「観光してやる=観光させる」としか言いようのない「荒れるにまかせる物語」は、自然的なる神々から安らぎと優しさと思いやりというものばかりを貧り続けてきたというわけなのだ。しかし石仏が、たとえ苛立ちと刺々しさで人を寄せ付けない哀しみで呪縛されているものになっているにしても、そうさせてしまったヒトビトの「荒ぶる自己愛」とは、結局<何>行者である誰かの<私>的存在理由でもあるのだから、すでに<私>であるものへの真摯な反省をこめて、「荒んでしまった自然」への供養の一言を欠かすことはできないのだ。そんな霊的挨拶と滝行への導きを感謝する<私>の足取りは、洞内が明るくなた今でも長いこと暗闇で石仏を探り当てた習慣のままに、初めの石仏から五歩、五歩、四歩、五歩と進む歩調のままなのだ。
 「洗心洞」を抜けると、狭くなった視界は無数の若い裸木を抱いた白い斜面が囲む谷間となる。このささやかなる空間は、左にカーブしつつここからは見えぬ大滝で袋小路になっているが、この辺りでは最も水量の豊かな熊川が谷の左斜面に沿って流れ、「洗心洞」を出た道は右岸の広場へと続く。いまは「洗心洞」を車で抜けてくる観光客はめったにいないから、この辺りはかなり雪の少ない冬でも、タイヤの跡に踏み荒らされることのない静かな雪景色なのだ。
 いま自然自らが安易な欲望に反省を喚起しつづけ、静寂のために静寂でありつづけようとしていると言いうるこのわずかな空間には、右の斜面に沿って雪に埋もれた公衆便所があるだけなのだ。ここが反省の空間として<静寂>でありつづけるようになったのは、つい今年になってからのことで、かつて八二年の台風が来るまでは、公衆便所の斜め向かいに売店という醜悪な欲望が挫折して、赤錆びた鉄骨をトタン張りの戸で覆うだけの残骸が立ち尽くし、その真向かいになる右の斜面の中腹に、公衆便所に並んで立つ小さな鳥居をくぐり十数段の石段を上る小さなお堂があった。
 ところが八二年七月三一日から八月一日にかけての台風一〇号で、このお堂の上から山崩れを起こし、お堂を石段と鳥居もろとも押し流し、それらを飲み込んだ土石流が、廃屋の売店を根こそぎ川の中へと倒壊させてしまったのだ。さらに少し先の右の斜面にも山崩れがあり、数十本の大きな木を根こそぎ押し流し、その惨状が広場から川までも埋めていた。これらの山崩れの原因は、長期にわたって降り続いていた雨と台風による瞬間的な大雨にあるとしても、より直接的な引き金は、この辺りでも水位を二メートル以上も押し上げたであろうと推測される滝からの鉄砲水が、滝壷に何十年も眠っていたはずの大木の脊柱を押し出し、滝の手前を渡る丸木橋を流し、この広場をも飲みつくして一気に通り抜けたことだと思われる。とにかく台風の直後にここで見た光景は、「荒ぶる自然」であるわれわれの自己矛盾の哀しみに他ならなかったのだ。
 そして八三年夏の観光シーズンに間に合わせて、応急の復旧工事がなされたのであるが、改めて八四年の一月中旬になって大滝の手前から「洗心洞」に至る区間の熊川の整備とその護岸工事が本格的に始められた。
 つまりその工事は、去年<私>が滝行を続けている途中から始まったのであるが、ほっかむりをしたオバチャンや、ほっかむりの上に帽子をかぶったオッチャンや、あるいはヘルメットや帽子にサングラスのオニィチャンたちが、雪の中でスコップを振るい、凍土を穿ち、石を運び、石堤の金網を編み、あるいは川の中でブルトーザを操作していたけれど、誰もが掛け声ひとつ上げるわけでもなく、まったく言葉を失った硬い表情で身体を凍らせて働いていた。
 それにしても今想い返してみると、彼らのあの目はいったい何だったのか?
 そのころこの広場には、「洗心洞」を通り抜け出来る小型のブルトーザの外に、たいてい二〜三台の車が入っていて、公衆便所の並びに丸太を組み帆布を張っただけの焚火を抱えた仮設の飯場が建てられていた。<私>にしてみれば、ある日突然、工事現場に変貌したこの広場を抜けて行場に入って行くことになったわけであるが、だからといって<何>行に不当な神聖さなどを装い、ヒトビトの侵入を阻止したり不快感を露にしたつもりなど毛頭なかったし、ましてせっかく滝行を覗く観客としてのご縁を結んだのだからといって、毎日五色のテープや万雷の拍手で迎えてくれなどと強要したわけでもないのに、あの目はいったい何んだったのか?
 初めのうちは彼らが何んの気なしに目を上げたときに、思わぬ光景が繰り広げられていたであろうことによる驚きと奇異の眼差しが見て取れたけれど、それもほとんど一瞬にして消え、日を重ねるごとに誰もが面と向かって話し掛けたり語り掛けられるのを恐れて目を反らせるようになった。それは禍々しいもの醜悪なるものを、無理やり見せられてしまったヒトビトの欝屈した哀しみの表情に思えてならないのだ。だから通りすがりに軽い挨拶を送る<私>の眼差しを、顔を伏せたままの会釈でかわし、あたかも「この寒さダンベ、氷の滝なんぞにヘエッテサ、それっきりになっちまったって、誰も助けてやれねえベサ」とでも言っているようなのだ。
 たぶん彼らにしてみれば、この辛い仕事でしか生きざるをえない山の厳しい生活を、スキーやスケートで浮かれている観光客になら、まだ捨て台詞のひとつも言って憂さを晴らし、切ない惨めさを諦めでなら納得もできるであろうところを、あんな得体の知れぬものを見せられたんでは、いったい誰が己の不幸を愚痴ることが出来ようかということだったのかもしれない。
 そんな彼らの欝屈した思いとは、たとえば誰もが、いつものあの店で今日も一杯やって帰ろうと思うことで辛い仕事を凌いでいるときに、フッと「今日は休みだ!」と気づいてすっかり仕事の張りがうせてしまう哀れさのように、つまりは「そんなことを思わずにいれば何も落胆しないですんだものを…」とは言えるけれど、でもそう思わずにはいられない自分の切なさがいつの間にかやり場のない悔しさとなって、誰にも当たるわけにはいかない不機嫌に落ち込んでしまうようなものとでも言えるかもしれない。
 だからもしも<私>が、凍った髪の毛で鼻からツララでも下げた濡れ行者のままで、しかも呂律の回らぬその口で、「みらさん、まいりち、おしごろ、ごくろうさまれえす!」なんて屈託のない声を掛けたり、「やはあ、みらさん、これは、ほんの、ほんの、じょうらん、じょうらん、なんれすよ、ハハハ」なんて手でも振って行けば、彼らのその生きがたき人生はたわいもなく愚弄されたことになってしまったであろうから、凍えた彼らは一斉に川からはい上がり、悍しい道化者に襲い掛かり、たちまち燃え盛る焚火の中に投げ捨てられてしまったかもしれないのだ。
 つまりこれは、尤もらしい戯言を弄するまでもなく、自分にとっては救いようのない辛さを見せ付けるだけの他人の<行>なんかは、いかなる救いにもならないということの見本であるとさえいえるのだ。としてみるならば、<私>は毎日なんと重く辛い眼差しを背負って、此見よがしな<行>をしていたことか、ハハハ。
 ところがどうしたことか、滝行も最終日になった日の帰り道に、<私>の身体が感覚を取り戻すために震えを感じはじめるころになって、現場監督のオニィチャンが通りすがりの車を止めて声を掛けてきた。「ねえ、ちょっとすいません、あ、あれは何かの修行なんですか? とにかくスゴイヨ、スゴイ! でもサ、どうしてあんなことするの?」と、<私>が予期していなかった彼の問い掛けが、ほかでもない<私>の滝行に対する最も予想される問い掛けであったことにより、彼らにとってはわけもなく禍々しい事件として凍結されてしまうはずの滝行が、「ほっ!」とぬける吐息に暖められて、ようやく<何>化されていくかもしれないという安堵と希望を与えてくれたのだ。正に誰かに問われてこそ成り立つ「何か!?」の修行でもあるのだ。
 しかし今考えてみれば、より早く彼らのあの凍えた目を解かしておくには、ツララを下げたままの震える心を抱え、あのころ流行語になっていた「チャップイ、チャップイ」を呟きながら彼らの焚火にすがることこそが、ともに生きがたき人生を慈しむ共感を暖めあう最良の演技であったかもしれないと思えてならないが、もしそうしていたならば、あの現場監督のオニィチャンをあれほどの感動と羨望の眼差しで昂揚せしめたようには、<私>の<何>行の無意味さを彼らに説き明かす手掛かりを見付け出すことが出来なかったかもしれないとも思えるのだ。
 それにしてもあの若き現場監督の与えてくれた安堵感、あるいは彼らの凍てついた目を解凍しうることの手掛かりとは、普段はあまり見掛けることのないこのオニィチャンが、幸か不幸かこの現場で雪と氷と土にまみれ、マイナス一〇℃を越えるようなところで作業する彼らの無言の痛みを共有しえていないということの発見にこそあったのだ。それが現場監督の楽天的な若さゆえの至らなさであったにしても、とにかく彼らにとっては同じ仲間でありながら少なからず浮いていると思われるオニィチャンこそが、その無邪気な気軽さによって氷河のように解けぬ苦悩であるはずの彼らのあの目を、思わぬ失笑がにじませる涙によって解かし癒してくれるかもしれない希望を与えてくれたということなのだ。
 たぶん若き現場監督は次の日の休憩時間にでも、立ちのぼる焚火の煙りに黒い顔をしかめている彼らに、なかば得意そうな身振りでタバコでもふかしながら、「あの人は、もう八年も滝行してるんだってサ。あの修行っていうのはサ、誰だって自分が引きずってると思う厭なもんがアンダンベ、そういうのをサ、きれいに洗い流すことだって言うんダイネ。だからサ、もう何んにもいらないってサ、そういう修行なんダイネ」と、<私>から仕入れた話をするかもしれない。とすれば、そのときに彼らは、冬の霊気に対してこそ自己愛で武装しつづけてきた重い顔を歪め、「ふうん、何んとか言うダンベヨ、ああ、そう、超能力とかの修行じゃねえって言うんカイネ?」とか、「それじゃやっぱし、何かの宗教ってわけダンベ」あるいは「それにしたってサ、あの人はサ、あんな無茶してサ、よっぽど何んにもいらなくなっちまってるんカイネ?」と問い返してくるかもしれないのだ。尤も<私>は、現場監督にそういう会話のネタしか与えなかったのだから、何はともあれ彼らが<私>について何事かを問い返してくれさえすれば、<私>のささやかなる企みは成就されようというものなのだ。
 それゆえに若い現場監督が、自分で蒔いた話の種は自分の責任で刈り取らなければならないと気負い込み、「だってサ、現にああやって修行してんダンベ、だからサ、結局は<まだ>っちゅうことダンベ」と続けてくれるなら、彼らの氷河のような眼差しが軋み、「だったらサ、何もサ、あんな辛いことしないだって、いいダンベ。どうせ何か引きずってサ、汚れてんのはお互いさまダンベ」と言うであろうところの言葉を期待することが出来るのだ。とすれば、現場監督が特別に戯言に長けたおしゃべりでないかぎり、「だからサ、あの人はあれで、好きでやってることダンベ」と言う程度の情報しか持ち合わせていないのだから、彼らに「なんだ、だったら、みんないっしょダベサ。俺らだってサ、結局、カカァに頼まれて働いてるわけじゃねえベサ。なあ、ヘヘヘ」と言わせることは容易なことと思われる。
 とにかくここまで話がうまく進めば、若い現場監督に託した言葉の遊びは、凍った目の彼らがちょっと浮いているオニィチャンを皮肉る笑いによって、まったく無駄骨の<何>行者をも笑い捨て、何はともあれとんだ取り越し苦労をしたものだと思うことが出来るはずだから、願わくば、いかなる<苦悩>も結局は取り越し苦労にすぎないと、笑い飛ばしてくれることこそを期待せずにはいられないのだ。

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 さて、すでに工事の終わっている広場は、四方を作り付けのベンチで囲まれている大きな木のところから狭くなり、ここからは川沿いの道になる。この木を過ぎるとすぐ左に、丸太四本を番線で束ねただけの雪に覆われた小さな橋がかかっている。去年は、この橋の雪をソロソロとブーツで払いながら渡り、道らしい道のない左岸を進まなければならなかったけれど、今年は従来からの道が整備されているので、このまま右岸を進むことができる。するとすぐ突き当たりに小さな窟があり、ここでもヒトビトの「荒んでしまった自己愛」を象徴する一メートルほどの観音像と、なぜか達磨大師を思わせる小さな仏像が、鉄格子の中に祠られている。ここで手袋を取って手を合わせる<私>は、「荒ぶる自然」への供養のためにわずかの賽銭を入れるけれど、雪に埋もれた賽銭箱は冬の観光客には発見されなくて、<私>が指で押し入れる硬貨が毎日重ねられていくだけなのだ。
 この窟の左を抜けて進む道はさらに細くなり、狭い谷間は、ここからでは見えぬ滝の重く絶え間無いうなりに包み込まれてしまい、水量の少ない今年の川は、とくにこの辺りでは氷と雪に閉ざされたその下をながれているというわけで、ここには、とりあえず見えるものよりも響き出すものによって、見えない何事かを見ようと思わせる戯れの仕掛けが用意されていることになる。そして、このまま凍った道の足元に注意しながら二〇メートルほど昇っていけば、急に重い水の炸裂する音に弾かれて目を上げたときに、覆い被さるように降り注ぐ浅間大滝が、「荒ぶる自然」のために荒れ続ける姿をあらわすのだ。
 高さ一〇メートル余りの滝はふたつに別れて流れ落ちるが、その中央は巨大な青いツララで鎧われた氷壁で、右が四〜五メートルの幅で落下する本流となり、その重い固まりがそのまま巨大な岩石に激突して壮烈なる爆発をつづけているのだ。そして中空に向かって吹き上げる水と氷が、十分に蒸気を孕んだ風を巻き起こし、この滝を囲む小さな渓谷を白い羽根の形に揃えた樹氷で覆い尽くすのだ。それに対して左へ落ちる支流は、中央の氷壁から迫り出した氷のドームをかいくぐり、穏やかに着水して絶好の行場を用意している。
 ここで<私>は手を合わせて荒ぶる大滝の洗礼を受け、いよいよ問答無用の躍動感を引き受けて、滝の手前の樹氷で厚化粧した新しい丸木橋を渡り、川の左岸に入るのだ。この冬は去年ほどの寒さはないものの、一二月から一月にかけての寒波と夏からの渇水のために支流の小さな滝は凍結を進め、谷の左斜面から滝の領域を支えるために迫り出した氷柱と中央の巨大な氷塊に支えられ、風を孕んで豊かな曲面へと成長しつづける氷壁は壮麗なドームとなり、その中を水の精が輝きながら舞い落ちている。
 しかし今年は渇水により岩壁を蹴って落下する水量が減り、氷のドームはひとまわり小さくなって左奥へと後退したために、岩壁を伝って流れ落ちる土砂がそのまま堆積して川底が高くなったところで<行>をすることになった。そういえばこの高原で「自然的な荒ぶる力」の胎動が、小賢しい人間的欲望を震撼とさせた八二年の台風は、この支流の滝壷のなかった滝にまで、<私>のへその上まで浸かる深みを作っていたけれど、それも今では流れ落ちる土砂でほとんど埋まり元通りになっているのだ。そこでいま思い返してみると、渇水どころか秋の長雨の後にも支流の水量はたいして増えていないのだから、多分あの台風は、滝の地形を変えて水流を弱くした代わりに土砂の流れを多くしたということかもしれない。
 それにしても今までのうちで、この滝が最も見事な色と形と大きさを誇ることのできたドームとは、やはり去年の厳しい寒さによってこそ作られたものであったと言える。去年の一月は、まだ<行>が始まったばかりだというのに、すでに氷のドームは水面まで三〇センチ足らずのところへと降りてきていた。
 それは、この滝の担う女性的なる原理がいまだ受胎することを拒み、ひたすら自己純化を求める厳しく排他的な創造力で、行者の<何>化せんとする得体の知れぬ想念など一歩たりとも寄せ付けぬほどに、崇高なる美を纏おうとしている姿にも思われた。それに対して本流の滝は荒々しい男性的な原理を担い、この支流の女性的なる美を凌辱しようとする者をことごとく粉砕せんとするかのように、威嚇的な素振りでヒトを寄せ付けぬ破壊力を轟かせていた。まだ<行>に入って一週間もたたぬうちに、氷のドームは水面に至るまでの<美の荘厳>を完成させるはずであったが、連夜のマイナス二〇℃にもなる冷え込みがフッと緩んだ次の日に、左側の岩壁から成長し<美の荘厳>を支える礎石になるはずの巨大な氷塊が、はたして自らの重さに耐え切れずに崩落したのであろうか、ドームの下部にまったく見事なアーチ型の口を穿ち跡形もなく消滅しているのだ。その高さが三メートルもあるかと思われた氷塊は、なんとも不自然に唐突に消滅しているにもかかわらず、壮麗なドームはいかなる損傷を受けることもなくその青さを際立たせて輝き、初めからそのように成長してきたかのように正に自然に存在していた。
 そのとき<私>には、この滝が受胎することのない女性性への自己完結を諦め、偉大なる自然の母性的な原理へと成熟する歓びに目醒めたことを確信することができた。それは「荒ぶる自然的欲望」である滝が、自己実現の希望である先鋭的な美への自己陶酔を打ち破り、豊饒なる母性原理へと変身するために、たとえ<私たりえぬ私>の<何>行者であれ、いまだとりあえずの男性性であるがゆえに結局は自己否定せんとする男性性を絡め取り、滝が自然のために自然でありつづけようとする欲望を、「人間的なる自然(自愛的なる自然)=荒ぶる自己愛(自然的なる自己愛)」として孕むことによって、<何>行者というとりあえずの<ヒト>の「生命=霊性」に仮託してこそ語りうる「荒ぶる自然」物語の胎動を始めたのだと感じさせる事件であった。それゆえにこの日の滝行は、<何>行者であるがゆえに「男性的な<私>」として無言のうちに担う自愛的欲望を、まことに周到に否定しつづける快感に酔わせるものであったと言えるのだ。
 ところがこの滝が、自然のために自然であることによってこそ豊饒と多産を担うべく、彼女を歓喜させ快楽へと誘うはずの<とりあえずの私>なるものに発情してみせたのは、この日一日だけのことにとどまり、それからの毎日は夜にマイナス二五℃にもなる自戒を立て、それまでの妖しい想い出の痕跡すら残さぬ完壁なドームを完成させ、ひたすらなる美への献身によって沈黙してしまうのだった。
 結局それからというもの<何>行者は、一度潜水してドームをかいくぐり胎内に閉ざされて<行>をしたのちに、また再び水中を通って生まれでる日々を繰り返したのであるから、<滝>は、行者の男性性ゆえの自己否定的滝行を受け入れて、「人間的なる自然」に「荒ぶる自己愛」を孕むことにより<滝>の女性的な美の自己完結性を自己矛盾へと追い込み、一方<行者>は、滝の女性的な美の自己完結性を損なうこともないままに、「荒ぶる自己愛」として「人間的なる自然」の女性性を歓喜させることで、<行者>の男性性ゆえの自己否定的滝行を自己矛盾へと追い込んでしまうことになるが、それでも両者のしたたかなる緊張関係が維持されていくというわけで、<滝>は歓喜と快楽によって母性的でありながらそこへ埋没することのない成熟した女性性として、さらに<行者>は滝の女性性の反照として男性的でありながら、それが自己否定的<何>行であるために男性性にこだわる必要がないというわけであるから、両者はともに不可分の関係によってしか語りえぬ<物語的欲望>を、<私たりえぬ私>へと横滑りさせる欲望によって無力化してしまう<何>的事件として、「荒ぶる欲望」を自己撞着へと追い詰めて去勢する<何>的遊感覚を拓いていたと言えるのだ。この<欲望の自己撞着>という語るに落ちる企みとは、あの「スケベをスケベすることが、いまだスケベでしかないとするならば、スケベはスケベされていないが、しかしスケベをスケベすることが、もはやスケベたりえないとするならば、スケベは正にスケベされている」という<何>論的命題を奇しくも体現しているとは言えないであろうか、ハハハ。
 ところが今年は、もはや潜水できるほどの深さがない以上、氷のドームが水面まで降りて完成されてしまえば、まったく滝の胎内に侵入することが出来なくなってしまうのだ。しかし、「滝行とは何か?」を生きる<何>行者は、何が何んでも滝行をしなければならないのだから、今日もまた行衣となって川へと入るのだ。

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 毎日着替えをするところは、表面の凍った雪が一段深く踏み締められて透き通るほどの氷になっているから、ここが<何>行者の<滝>的人格への変身の場だとは知らぬヒトビトには、まるで滝見物の指定席にさえ見えるはずだけど、それにしても際立った円形脱毛症的陥穽は、誰かが神秘的なほどに寒い滝の前でとめどなく込み上げる身震いに、思わず足踏みをしてしまったのかもしれない痛みの領域にも見えるはずなのだ。
 いつものように岩かげにバッグを下ろし、チャックを開ける。まずバッグのポケットから足袋を出し、本体のほうからは三枚重ねて畳んであるタオルを少し引き上げておく。それから手袋を外して、それをバッグのポケットに差し込み、そろそろ四時を過ぎる腕時計を外しヤッケのポケットに入れる。次にヤッケを脱ぎ、それをバッグの手前の雪の上に広げる。そして左足のブーツを脱ぎ、つづいて毛糸のソックスを脱ぎ、それをブーツの中に入れる。いま、ほっとするほどの解放感で湯気を上げている左足に足袋を履くのだ。足袋は底に生ゴムが張ってあるものの所詮は一時の「お祭り」用だから耐久力に乏しくて、同じ<お祭り>的戯れにしても長期に亘る<何>的祝祭にはいささか物足りないけれど、素足で<行>をしていた初めの二〜三年のことを思えば、川縁の氷を踏み抜いたり川底の石につまずいたり滑ったり、あるいは氷に足が吸い付いて剥がれなくなったりというトラブルが解消され、つまらない生傷をしないで済むようになったのだから、底があるかぎりたとえ擦り切れていようとも結構役には立つのだ。
 続いて右足のブーツを脱ぎ、ソックスを脱いでブーツに差し込み足袋を履く。次にメガネを外してバッグのポケットに入れ、セーターを脱いでヤッケの上に置く。セーターを脱げば、その下はすでに家から着てきた行衣というわけである。行衣とは言っても、あの日本的お化けのトレード・マークである三角の鉢巻きが似合う白い着物などではなく、ガーゼのように荒目で織った薄い木綿の長袖シャツで、このインド製のバーゲン品は、背中と両腕に花のマンダラ模様が色あせた黄色とオレンジと紺で描かれている。そういえば、去年のあの若き現場監督は、しきりにこのシャツが「カッコイイ!」と言っていた。それにしても八年目の滝行を務めるこのシャツは、五年目のときにぼろぼろに縫い目がほどけて解体してしまったものを、ようやく縫い直して使っているという有り様で、当然生地の腰も抜けてしまっているから常に丁寧な扱いが要求されている。
 次にズボンを脱ぎ、これをセーターの上に置く。ズボンの下は、やはり行衣となる白地に青いストライプの入ったトランクス型水泳パンツを着いている。これも八年目を迎え、何故か尻の部分が擦り切れてわずかに横糸のみで形を保っている。とにかく、多少はくたびれて時代遅れであるかもしれないが、インドのシャツに水泳パンツというプールサイドや海辺にこそ似合いのスタイルで準備完了なのだ。そして、たまに雪の降る日には、脱いだ衣類やバッグの上に傘を立て掛けたりビニールの風呂敷などを広げておくけれど、滝から吹き上げる風でたいした効果は得られない。
 さて、ここで再び<護身法>である。身を清める<塗香>は手元の雪をつまんで済ませるが、そのとき濡れた手は印契を結んでいるうちにたちまち赤く腫れ上がっていく。次に滝に向かい「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前」と<九字>を切る。これを三回続け、その上に<星>を「バン、ウン、タラク、キリク、アク」と三回切り、再び<九字>を一回切る。これにて今まさに滝に入るという<気>が整い、滝行という事件が昂揚してくるのだ。
 そもそも「荒れるにまかせる自然」である滝にも風にも、<霊性>といいうる何かを認めざるを得ない<何>行者としては、それらを「荒ぶる霊性」と呼びうるがゆえに、その暴力性が強ければ強いほど、それに引き寄せられてくる不成就性の「荒ぶる霊力」をも想定せざるをえないのだ。しかもすでに生まれ生きつづけているヒトビトが反省以前的には無明無知の暴力者であるように、「自然的なる霊性」もすでに「人間的なる自然」であることを無視しては語りえない以上、「荒れるにまかせる自然」が<清浄なるもの>としてありつづけているとは言い切れないのだ。尤も<清浄なるもの>が、常に<不浄なるもの>という対概念を引きずっていることを見定めるならば、ヒトビトにとってはどのような「荒ぶる霊性」も無記としてはありえないのだから、<清浄でありつつ不浄でありつづける>ところの<暴力的な何か>として語ることはできるのだ。いずれにしても<護身法>とは、無意識的に「荒ぶる霊力」である<私>を<金剛薩埵身>という霊的人格へと変身させつつ、さらにより積極的に密教的悪霊払いの意味をも担っていたわけであるから、それを対自的な問題とすれば、対他的な悪霊払いを担うのがこの<九字>や<星>というわけなのだ。
 しかし、いかなる善意の霊力であれあるいは悪意の霊力であれ、相対化されたヒトビトによる<暴力的な何か>の勝手な霊的意味付けにすぎないのだから、<何>行者たるものは、たとえ密教的霊魂観であれそれを鵜呑みにするわけにはいかず、<護身法>も<真言>も<九字>も<星>も、結局は「荒れるにまかせる自然」を台座とする<私>的存在理由を、とりあえずの密教的霊性に仮託して自己否定的投企へと誘う方法論であり、その「解放=開放」的戯れにすぎないというわけなのだ。そうでなければ<何>的滝行は、「暴力=差別」へのとめどない反省的知見から逸脱し、美や聖なるものによって武装する欺瞞の暴力者に成り下がってしまうから、正体不明の<私>が霊的に浄化された<滝>として、同時に正体不明の<滝>が霊的に浄化された<私>として、それぞれの<私>小説でありつつも不可分の「霊的物語」を「解放=開放」することが出来なくなってしまうのだ。
 いま正に、浅間大滝は<何>的滝行の行場として、<風>が閃きを与えしかも輝きを纏って流れ出す領域を結界したことになる。足袋を履いた足は表面の凍結した雪を容易に踏抜き、岸から水面へと迫り出した氷板をも踏抜いて快適に進むのだ。当然ながら川の水は外気ほど冷たくはないが、どっぷりと濡れて奪われる体温の消耗は、大気中にいるときよりはさらに大きいことを覚悟しておかなければならない。
 今年の川の深さは、せいぜい膝までである。一月の初め頃は、氷のドームはまだ顔のあたりまでしか下がっていなかったから、胸のあたりまで下がる無数のツララを素手で叩き落とせば容易にドームの中に入れたのであるが、そのうちにドームは下がりつづけ素手ではいくら叩いても一向に氷が割れなくなってしまったために、ド近眼の目を凝らして川底を漁り、大きな石を見付け出してドームを叩き割らなければならなくなった。
 しかし夜マイナス二〇℃位に冷えた次の日には、いくら頑張っても打ち付ける石の尖った部分が、辛うじてドームに刺さりほんの小さな穴をあけるだけの始末なのだ。だからといって今さら引き返すわけにもいかないから、よく見えない目を凝らし氷の薄そうな暗く見える部分を探しては、より大きな石でひたすら打ち続けるのだ。すると行者の執念に苦笑するドームが、まるで冬景色のショーウィンドーを落とすように、大きな氷板が裂けてドサリと崩れ、滝はあからさまな無念の思いを隠さないから、氷の破片を散らして行者の手や足を刺したり切ったりするけれど、もともとごり押ししているのは行者の方だから、思わぬ失敗や不測の事態に命を持ち帰るのを忘れてしまうことも覚悟の上だとすれば、今さら小さな傷を気にすることもなく、まして皮膚感覚もそろそろ休憩に入るころだから何事もなく前進してしまうのだ。
 とにかく一度努力して大きな穴を開けておけば、それ以降に一晩のうちに再生されるドームは周りの氷よりも薄いから、所定の石で容易に打ち破ることが出来るのだ。
 それにしてもいよいよ水面に到達するドームは、中から噴き出す風に乗って水面へと迫り出し、その上に雪を乗せそれがまた凍って雪を乗せるというわけで、それがドームを支える左右の氷壁から成長してくる氷塊と結合してしまえば、まるで豪華な飾りを裾に付けたロングドレスになってしまうから、もうそれは行者が手で持てる程度の石で叩き落とすことは出来なくなってしまうのだ。それでも上部の氷の薄い部分を叩き割ってドームに侵入することには変わりがないために、滝から上がり改めてメガネをかけて見直せば、自然の造形としては何とも説明のつきかねるものとして、中途半端な位置に直径一メートル程の円い穴がポッカリと開いているというわけで、それは氷壁の祠をねぐらにする冬の河童か氷の妖怪の人を寄せ付けぬ出入り口を思わせる。
 さてさて、いつまでも氷を割って遊んでいると、手がかじかんで印を結べなくなってしまうから、一気に滝の中へ入らなければならない。
 去年はドームの下を潜水するときに、うかつに頭を上げてドームの下のツララに頭を刺さないようにすることが、つまらない失敗をしないための第一の注意事項であったけれど、今年は叩き割った大きな氷を踏んで足を切ったり、そんな氷に足を掬われ狭いドームの中で転倒しないような注意力が要求された。
 今にして思えば、初めてこの滝に入ったころは、外で見るよりは遥かに多く速い水が想像以上の強さで叩きつけてきたから、まるで脳みそはグズグズの豆腐になってしまったし、全身濡れネズミでたちまち体温は奪われ、おまけに滝を受ける位置が浅いと放り出され、深すぎると首が支えられなくて呼吸が出来ず、なんとか良好な位置を探り当てたとしても、すぐに猛烈な水圧で行衣が後ろに引かれて首が締まり、もう真言を唱えることもままならず、痛い冷たい苦しいばかりでてんやわんやの大騒ぎだから、ほとんど真言もお経も思い出せないままに、ただ我慢で立ち尽くすばかりという壮絶な有り様だった。そんなときには氷塊とも落石とも思える水塊に叩かれて緊張してしまうから、思わず全身に力が入りようやく結んだ印契が解けなくなると、真っ赤に腫れ上がっていた指が疎遠な感じでピクピクとした瞬間に、赤い色が見る見る失せ透き通るほどの白さになって硬直し、骨に皮の絡んだ印契はすでに死者のものに思われてしまうのだ。
 しかし、そういうことは回数を重ねていくうちに自ずと解決してしまうことだから、ある程度の緊張を昂揚感に擦り替えることが出来るようになれば、一年目のあの仰天ぶりが滑稽にさえ思われてくる。


  

  


 それでも毎年<行>に入った数日は、思わぬ力みがあって調子が出ないこともあるけれど、あの一瞬にして安易な平安が脱落する問答無用のバカバカしさで叩かれているうちには、すぐにそこはかとない躍動感が込み上げてきて、ことごとくの<私>なるものが「荒ぶる自然」の霊的な脊稜で湯玉のごとく弾け、「何!?」でしかない事件が 「何!?」たりえぬ虚空に屹立して正体不明の<生命>が息づくのだ。そんな問答無用の生命感を快適な遊感覚の中で体得しつづけていると、外気がマイナス一〇℃を越える厳しい日にこそ、変わらぬ水の温もりが熱い<生命>のほとばしりを穏やかな快感へと誘うのだ。
 とにかく腹で深い呼吸が出来るようになれば、かなり自然に声も出てくるのだ。そこでまず大きく息を吐き、その反動で腹に息を溜め<大金剛輪陀羅尼>を十唱、それから一気に<準胝真言>を十唱、<宝生真言>を十唱、<光明真言>を十唱、そして<不動真言>の十唱を済ませる。このときに印契を結ぶ手が、感覚もないのに気が付くと真言を唱える口の温もりを求めて顔の前に上がっていたりして、しばしばそんな女々しさに苦笑いがこぼれることがある。しかし、ここまでくればいささか無意識に身構えていた力も抜けて、後はとめどなく叩き付ける<水の精>にとりあえずの身体を委ねることになるのだ。
 そして一月も中旬を過ぎる頃になれば、そんなときに夕焼けの雲が氷のドームに反映して、ドームの中は氷壁を伝って流れる輝きに揺らめき、「見える=見る=見せる」ことの表現体験においてさえ「何!?」でしかない自然的欲望が、<風>に纏われてこそ栄光を担う<何>的「解放=開放」の現場を、「純粋行為=純粋経験」と呼びうるときのみの荘厳さで飾り、いまだ表現者でありつづける「自然的なる生命」に反省的救済の伽藍を見せるのだ。そこでさらに<般若心経>を一度、<観音経>を一度、<準胝観音経>を一度、<準胝真言>を十唱して最後に<延命十句観音経>を三度唱えて滝行は終わる。

 

 

 

 だいたいこれで五〜六分のことだから、たまに気がむけばさらに<般若心経>を一度や二度唱えることもある。「自然的なる生命」を真言やお経で正体不明性へと送り返して遊んでいれば、取り立てて寒かったり辛いわけではないから、うっかりと<生命>を持ち帰るのを忘れてしまいそうになるけれど、指が動かなくなってからでは服を着られなくなってしまうから、印を結ぶ手が<生命>を支えているうちに滝から出なければならないのだ。
 ここで、<滝>であった<金剛薩埵身>は、ドームの穴をくぐり時にはドームの下を潜水して抜け、そこで<滝>に向き直り<九字>と<星>を切った法力を解き、<誰か>である<金剛薩埵身>へと再生するのだ。
 するとひとつの昂揚感が解け、思わず<何>化された笑いが込み上げてくるが、そんなときに望む本流の滝は中央の巨大な氷壁に隠れて見えないが、それでも白い腹を割って炸裂する水と氷の噴出はまるで永劫に爆発しつづける氷山というわけで、いまだ<何>とも名付けずにある解放感は「荒ぶる自然」をことごとく愉快にさせる。そんな光景はいつまで見ていても飽きさせないが、それでは<金剛薩埵身>でさえ人間に帰ることを諦めなければならなくなってしまうから、舞い上がる風が行衣の裾を凍らせ始めていることに急かされて川から上がるのだ。
 それにしても去年と今年の滝行は、あまりにも見事なほどに<何>的滝行の企みを完結させていたと言わざるをえないのだ。つまり、去年は氷のドームをかい潜ることによって「荒れるにまかせる自然」には<何>事もなかったかのように装いつつ、その実は「何!?」そのものの滝行を成就させ、今年は氷のドームを叩き割ることによって「荒れるにまかせる自然」に「何!?」かが起きていることを見せながらも、やはり<何>事もない滝行が成就されていたというわけで、結局は<何>もしないことによって<何>をしつつ、<何>かをすることによって<何>もしないですませることが出来たというわけなのだ。

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