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 北西の風が吹きっさらしの雪原で凍てついた霊力を纒い、うかつに<私>でありつづけようとする自己愛ばかりを探り当て、問答無用に丸裸にして欝血した欲望に辛辣な自己批判の審問を始める荒ぶる冬が、いかにも冬らしく「寒中」と呼ばれつづけるあいだ<私>はたいてい三時ごろまでには家を出る。ドアの鍵を閉め、玄関の庇を支える柱にさげられた寒暖計をみれば、風を遮る家の温もりをうけて、ほぼマイナス五〜六℃に留どまっているから、雪原の結晶した霊力が吹き荒れなければ、それなりに穏やか高原の午後といえる。
 いままで<私>の隠棲する雑木林は、ひとたび凍てついた根雪がこの界隈を覆ってしまえば、もはや迷い人も車も入ってこない静寂の領域であったから、ここには<私>が町へと出る一人分の道が、吹き抜ける風と雪に足跡を消されながら細々と確保されるのみであった。ところがこの冬は、根雪になる前に隣の貸別荘に地元のSさん一家が七人と四匹で引っ越してきたために、二台の車による毎日の出入りが一本の生活道路を確保することになり、凍てついた自然の積極的なる静謐はたわいもなく崩壊することになった。かつて七年にわたって静寂でありつづけた<私>の積極的な冬の隠遁生活も、ついに今年になってスノータイヤで踏み固められた道によって欲望の臭う風穴を穿たれてしまい、あたかも冬眠する自己愛といいえた<自然>の<消極化されていた荒ぶる霊性>も無遠慮に踏み荒らされて浮足立ち、一面の自然がごく自然に自然でありえた霊力が、失った安息に贖いきれぬ無念を孕んでざわめき、自動車道による小賢しい人間的価値の侵略に眉をひそめるのだ。
 それゆえに、今までになく冷笑的な諦めとためらいの風が舞う中で、それでもこの雪原ゆえの隠遁者として家を出る<私>は、そんな無意味な生活さえもヒトビトの価値に対して身構えてしまいかねぬ思いに揺れて、放っておけばいつもよりは暴力的にしかもより密かに<私>でありつづけようとする欲望のうずきに気づくから、それこそを積極的に凍てついた霊性へとさらけ出すために、より周到な覚悟で反省者たる<私たりえぬ私>にとりあえずの霊的な人格を措定しておかなければならない。つまり<私>は、密教の<護身法>という霊的手段により、<私たりえぬ私>としてこその雪原の隠遁者を霊的世界へと踏み出させるのだ。
 まず初めの<塗香>という作法は観想ですませ、そしてかなり擦り切れた登山手袋の上に黄色いナイロンの軍手をしたその不細工な手のままで身を清め、「戒、定、慧、解脱、解脱知見の五分法身を磨瑩す…」というわけである。左の肩から右の腰へ大きめのショルダー・バッグを下げ、不器用な手を前に組み印契を結んで真言を唱えながら歩けば、いささか寒気が鼻腔を走り胸を情熱的にふくらませて熱く深い息を何遍か吐くことになる。
 しかしすぐに腹式の呼吸に変えて<気>を整え、<浄三業>により「一切諸法は自性清浄なるがゆえにわれもまた自性清浄なり」となりつつ短いが急な坂を下り始め、<仏部三摩耶>で「仏部の諸尊、行者を加持して速やかに身業清浄なることを獲得せしめて、罪障消滅し福恵増長す」となったころには下りも終わり、続く<蓮華部三摩耶>で「観自在菩薩及び蓮華部の聖衆、行者を加持して速やかに語業清浄なることを獲得せしめて、言音威粛にして人をして聞くことを楽わしめ、無礙弁歳にして説法自在なり」となりながら、今度は下りの倍の長さの坂を昇り始め、<金剛部三摩耶>で「金剛蔵菩薩並びに金剛部の聖衆、行者を加持して意業清浄なることを獲得せしめて、菩提心を証して、三昧現前し、速やかに解脱することを得べし」と昇りつづけ、いよいよ<被甲護身>で「如来大慈大悲の甲胄を被ることを得て、一切の天魔及び諸の障者、ことごとく行者の威光赫奕なることを日輪の如くなるを見て、各々慈心を起こして障礙することを能わず。及び悪人も能く便りを得ることなく、煩悩業障身に染着せず、諸の悪趣の苦を脱れて疾く無上正等菩提を証す」となったころにはすでに昇りも終わり、とりあえずの<金剛薩埵身>という密教的な霊的身分を装うことになる。
 この道の陥没した地形は、土砂が凍結し雪で固められている冬の間はいいけれど、雪が解け土砂がゆるみ、そこに春の長雨があり、そのうえ台風が来れば、道はたちまち川となって土砂を流してしまう有り様で、<私>がここへ来てから八年というささやかなる自然的時間においてさえ、道はその深さを一.五mは侵食されたと思われる。すでに廃道となり行政的措置は及ばないと言われているこの道は、それでもここを通らなければ夏の別荘にたどりつけぬヒトビトにとっては、毎年頭を痛める禍々しい領域であるが、いま正体不明の<私>にとっては、とりあえずは<金剛薩埵身>といいうる霊的意味を担い、ときには<行者>などと嘲笑的に呼ばれるにふさわしく「常識、文化、制度」的に変身する聖的領域でもあるといえる。
 この坂道を過ぎれば、これから約五〇分間歩き続ける呼吸が整うことになる。そこでとりあえずは霊的な<私>をより昂揚させるために、<大金剛輪陀羅尼>を十唱して、罪障消滅、魔怨粉砕を目的とする三慧(聞慧、思慧、修慧)成就最勝尊に帰依してその徳を称え、<準胝真言>を十唱して、一切の七億の正等覚尊を称え、諸々の大難から身を守る徳を授かり、<宝生真言>を十唱して、宝生尊を称え、あたかも無記の自己愛としてあるがままにあるごとく塵垢を離れた修行により涅槃に向かうことを誓い、<光明真言>を十唱して、大日如来を称え、あらゆる苦悩の中で光明を得て、重罪を滅し、宿業、病障を除き、さらに知慧を語る能力と長寿福楽の徳を得て、最後に<不動真言>を十唱して、三世十法に遍満する金剛部諸尊を称え大忿怒尊の力により害障を打ち破る徳を得ることになる。
 何はともあれ霊的感動ぬきにした正気の価値観では、到底鵜呑みにはできぬほどに結構ずくめで、おいしいことばかりの楽天的な昂揚感で充実した<金剛薩埵身>は、雪に埋もれたゲートボール場に、それでもビニール・ハウスの特設競技場をしつらえて正気で遊び続ける老人パワーを左にして、「そう、正気などという幻想こそが迷いのもとであったはず」などとほとんど正気で呟きながら、正面からくる除雪された県道が右へ折れるところへと出る。
 では<金剛薩埵身>たる<私>はどれほど正気なのかと問えば、たぶん幻想的に生きうることにも正気であろうとする程度のことでしかないけれど、とにかくこれからは誰に何を問われても霊的意味において回答しうるはずの<私>は、とりあえずは行者と呼ばれるのにふさわしく変身しているはずであるが、冬になればゲート・ボールの老人たちも自動車でご出勤というわけで、今どき歩いて通る地元のヒトなどめったにいないこのあたりでは、まるで観光客風情であるにすぎない。
 ちょっと胡散臭い顔をサングラスに隠し、ベージュと赤のラインの入った紺のショルダー・バッグを下げ、ベージュのフィッシング用のダウン・ヤッケに黄色い大きな手袋をして、モスグリーンのウールのズボンをはき、ビブラム・ソールの革のスノー・ブーツを履いた姿は、スキー場や雪祭なんかの会場ならばどれほどの違和感もない旅行者ではあるけれど、冬の避暑地にはやはり季節はずれの観光客といわざるをえない。そんなわけで何年住んでいても観光客もどきの、しかもどこかが尋常ではないとヒトビトに緊張感を喚起しうる程度には行者もどきの<私>は、たまに擦れ違う車の雪煙りにあおられて、そのまままっすぐに県道を進めば、鼻歌がわりの般若心経を一度口ずさむうちには国道一四六号線との交差点へと出る。
 この交差点の信号は、終日国道が黄色で点滅し、県道が赤で点滅しているけれど土曜、日曜に都会からまぎれこむ不慣れなドライバーがいなければ、雪道走行に慣れたヒトビトには冬季休業していても何の支障もないほどに間のぬけた役たたずを演じている。<私>はひとまず足を止め、右手後方の裸樹の中に垣間見える白い浅間山と、そのすこし上に輝く太陽の位置を確かめる。とにかく積極的な隠遁生活というものは、自然現象といわれる日常的な変化を、あえて天変地異の事件であるかのごとく驚いてみたりしなければ、老衰した番犬のごとく発見的な感性が退化してしまうほどに平穏無事であるから、一日の気温の変化に胸をときめかせるように、一月五日の寒入りから二月三日の節分に至る三〇日間は、ここでほぼ三時一〇分の定時観測として<光の春>を期待しつづける喜びの目盛りを読み取ることにしているのだ。それゆえに冬のときめきが雲に隠れ、あるいは雪が降って観測不能の日が続けば、その次の日により一層明晰な碧落の風を定規で裁ち切る白い稜線のその上に、いままでよりはほんの少し高く鮮やかな輝きを発見することは、それらしく驚いてみるには十分な事件といえる。
 そんなときに、たまたま国道を左の長野原方面に向かって下る車の雪煙りをよけて身体を左に向ければ、この交差点の角地にさんざん見慣れた駐車場と、大小あわせて四棟の家屋が雪に埋もれて冬眠しているのを見ることになる。この場所は避暑地であるこの一帯の国道ぞいの商業地としては抜群の好条件といえるが、なにせ雪に埋もれた姿が無用の倉庫か廃屋といった有り様だから、夏になってレストランなどという怪しげな看板を掲げてみても、用心深く失敗のないそれゆえに冒険と発見の乏しい小旅行を計画するようなヒトビトを引き寄せることが出来ないから、いまいち経済成長を望むことが出来ないようであるけれど、知人である経営者にはそれなりの事情と計算と覚悟があってのことと思われる。もっとも、そんな店の事情に好都合のアルバイターである<私>は、あまり地元のヒトビトの出入りのないこのレストランの、しかもかなり臨時の助っ人的人材であるにすぎないのだから、ほとんど地元のヒトビトと苦楽を分かち合う労働者の位置を獲得することもなく、夏を過ぎればまるで観光地たりえぬ小さな町の話題に飢えたヒトビトにさえ、正体不明の観光客として八年間も過ごしえたというわけで、人生を持て余した感傷的身分の別荘族というリッチさもなく、さりとてどこかの寮や別荘の管理人というほどには慎ましくもなく、正に無職の自由人として心優しいヒトビトのおせっかいさえ届かぬ羨望の隠遁者でありつづけられたというわけなのだ。

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 さて信号を渡った左側は、夏に「高原まつり」が行われたり秋に乳牛の品評会が開かれる大きなグラウンドであるが、それとても未だ投資に見合った経済効果の期待できぬ地主の、よんどころない有休地の仮の姿であるのかもしれない。このグラウンドの隣に小さなガソリン・スタンドがあり、それにそって県道から左に入る道を進むと、すぐ左側はこの高原の中継点にあたるバスターミナルで、これを過ぎると道はすぐ水の凍った噴水をロータリーにする細い道と交差するが、この道こそがこの小さな町のメインストリートというわけである。右の角が、かなり前に廃線になっている軽便鉄道の寺社型の屋根をかぶった駅舎で、今では経営難のお寺さんが本堂でご開帳のスナック・バーといった様子だから、今どきの観光客ならば誰もがもっと上手な利用方法もあるだろうと眉をひそめる事態は、何事も間に合わせですませうるわれわれの文化的体質を貧困なる観光地として象徴する姿だとすれば、それは哀しいほどに滑稽な引用論的オリジナリティという摩訶不思議を楽しませる。<私>はここを右折して、まばらな店舗を七〜八軒行った右側の新聞屋に向かう。
 夏を過ぎれば、バラエティ・ショップと名を変えた雑貨屋でもあるいはスーパー・マーケットでも、あまり人に出会うことのないこの通りへ、<私>は毎日のように新聞を取りに来ているけれど、よくよく人に出会わない理由を考えてみたら、それは真面目なヒトビトならばわずかの仕事を捜し出してでも働いているはずの時間であり、もしも夏に稼ぎまくったヒトビトならば、あの嬬恋村の高値で売れた年のキャベツ農家のように、朝からヤクザな遊びで留守にしているはずの時間だったというわけで、<私>は町のヒトビトのおせっかいな眼差しにも正体不明としてありつづけることに貢献していたにすぎないのだ。
 ところで新聞屋とはいうものの夏でも店頭販売するわけではなく、ましてこのメイン・ストリート以外には配達もないというわけで、まったく片手間の取次店にすぎないから、家の人は奥の新しい家に移り、今ではもっぱら集会場や出張の勉強塾や寝具の特売場に使われている無人の家に、契約者の名前をつけた新聞が放置されているだけなのだ。新聞は、玄関の土間を入った正面の棚と、左側の壁とその下の台に並べられているが、<私>の新聞はこの場所で何度か紛失、盗難にあったために、いまはこの家屋の左側にある勝手口の棚に置かれている。ここにもいくつかの新聞が並べられているが、それがみな同じ理由で置かれているのかどうかは分からないけれど、ここでも何度か紛失しているのだから本来の目的が十分果たされているとはいえない。
 この新聞販売の信頼関係を乱す不心得者は、通りすがりの観光客か子供の悪ふざけらしいとのことであったが、新聞屋さんに言わせればなぜか被害にあうヒトは決まっているというわけだから、その悪意のヒトが誰であれここにヒトの悪意を受けざるをえない己の悪意に満ちた体質を見定めるならば、たとえ正体不明の反照性であるにしてもこの町のヒトビトに対して担う暴力的役柄を発見しえたと言いうるけれど、しかしそれは新聞屋さんにしてみればいつも詰まらない迷惑を掛けてしまう気のいいヒトとして、代わりのローカル紙なんかで贖いながら信頼関係をより確かなものへと継続、発展させていくことに他ならないのだ。そんなわけで信頼関係とは、誰かの悪意によって蒙る己の損失を、第三者の善意で贖いうるときに第三者に対して抱く安心と親近感の「支配=暴力」関係にすぎないなどとうそぶいてもしょうがないけれど、情報輸送の僻地でどんなに早くても九時ごろにならなければ手に入らぬ一日一回の新聞に、ニュースの速報性など求めるヒトはいないから、すでにテレビ・ラジオで知られている事件をどれほど読むに足るものとして書かれているかが問われているというわけで、それに答えることこそが読者の信頼を確保することだとしても、ここの新聞はたかが遅いと言うだけでほとんど役たたずと呼ばれてしまう程度の情報(事件報告)を、それでも新たなる事件として読んでくれるヒトビトの善意を貧る体質にすぎないから、毎日出る週間紙として読者の知りたがることのみを用意するというヒトビトの善意を逆手にとった手法でささやかなる新鮮さを獲得することが出来るにもかかわらず、客観的な報道(事件報告)などという幻想から醒めようとしない傲慢さゆえに読者の信頼を獲得できないままに、もはや事件たりえぬシンブンガミとしてチリ紙と交換されてしまうのだ。
 しかし<私>が毎日の新聞を取りにくることにはもうひとつの理由があるのだ。それは電話を持たず、しかも郵便屋さんも出入りをしないところで隠遁生活をおくる<私>への伝言が、新聞の中に差し込まれている事があるからなのだ。その連絡を入れてくれるのは、<私>がアルバイトをする店のオーナーであり、<私>が住んでいる山小屋の家主であるJさんの奥さんであるが、たまにJさんが<私>に連絡したいことがあったとしても、いままでは車で容易に山小屋へはたどり着けなかったために、冬には雪の中をあるいは夏には道が流されてしまった瓦礫の底を歩き往復で二〇分以上もかかってしまうというわけで、特別の緊急連絡でないかぎり新聞にはさむメモで十分に用が足りてしまうというわけなのだ。つまり誰かからの<私>宛の連絡は、たいてい午前中に新聞を取りに来るJさんに間に合えば、夕方になってから新聞を取りに来る<私>の手元へ届くことになるのだ。
 そんなわけでメモの有無を確かめてから新聞を満杯のバッグに押し込んで、さらに先を急がなければならない。ところでついでだから、ここでバッグの中身についてちょっと説明しておくと、まずバス・タオルの大中小がそれぞれ一枚づつ、それからTシャツ、長袖シャツ、ブリーフ、オーバー・パンツ、熱いココアの入った魔法瓶が本体に入り、ポケットにはビニール袋二枚、毛糸の帽子、足袋、ポケット・ティシュー、それにウォークマンとヘッドホンというわけで、そこに新聞が割り込むことになる。とにかく<金剛薩埵身>としての冬の小旅行という日課には、これだけの物が必要なわけで、たとえ寒いからといっても帽子やオーバー・パンツは、帰りのための用意だから決して行きに使うことはないのだ。そんなわけで行きに雪が降れば、もともとはフードのついていないヤッケに昔使っていたコートのフードを流用することになるが、帽子をかぶっていないために頭の熱が直にフードをぬけてしまい、フードの上に積もった雪が解けてさらにそれが凍って氷の皿になり、白い皿を頭の上にのせて歩く様は、まるでブクブクのダウン・ヤッケに背中の甲羅を隠した季節外れの河童のようにも見えるはずなのだ。
 新聞屋を右に出て、二軒目の駐在所を過ぎ、この町唯一のクリーニング店のある角を右に折れ、凍結した小さな坂を上れば、再び県道に戻ることになる。このまま県道を左に行けば目的地までは一本道であるが、おおかたは除雪されているとはいえ日影ではいつも雪が凍結しているこの道を、かなり気楽に突っ走っていく車と擦れ違うのは不用心にすぎるので、<私>はすぐ右の小路に入り、さらに左折して小学校につづく裏道を行くことになる。雑木林に囲まれ大きくS字形にカーブする雪の上り道は、めったに車は通らないけれどいつでも新しい雪は除雪されていて快適だから、しばしば観音経などを口ずさみ裸樹の高い枝で結晶している霊力を称えれば、高原の小路は踏みしめるブーツに心地よい雪の唱和を返してくる。
 このあたりでは色とりどりのスノー・ウエアに身を包み、雪の坂道を転がり下りてくる下校途中の子供達と擦れ違うことになるが、なぜか三〜四年生ぐらいの女の子ばかりが元気に「こんにちわ!」を投げ掛けてくる。子供達の挨拶には笑顔で答える<私>も、観光客ずれして目をそらしたり、「おじさん、いつもどこ行くの?」と言わんばかりのうるさい眼差しや、あるいは人見知りしてはにかんでいる様子の子供達にあえて声を掛けることはないけれど、気が付けばそれがどこにいても変わらない<とりあえずの私>の歩きかたになっているのかもしれない。なぜなら、この小さな町にも<私>に似たヒトがいるらしく、「おや、今日はお休みですか?」とか、「どうも、きのうはお世話になりました」あるいは「いやあ、どうもどうも、きょうは私、ちょっと急ぎますので、また後ほど…」なんて、明らかに人違いと思われる挨拶をされることがあるけれど、たぶん<私>は見事なほどにその<誰か>の役を演じながらとりあえずの応答を心がけているというわけで、ヒトビトに期待されれば誰にでも成りうる正体不明者というわけなのだ。それにしても<私>は、思えば一九七八年の冬から八五年の冬に至るまで、ずっと同じ時期に同じ道を歩き続けてきたのだから、小学校に入学してから卒業するまでの間を通じて顔を合わせている子供達がいるはずなのに、誰ひとりとして<私>が顔を憶えている子供がいないということは、<私>の己に対する正体不明性さえも見定めざるをえないといえるのだ。もっともこの<正体不明>性とは、<金剛薩埵身>としてある<とりあえずの私>を正体不明性へと葬り去ることを加速させるのだから、誰であってもいい<私>の積極的な隠遁生活には、まことに都合の好い快感といえる。
 しかもそれは、お涙頂戴的な世捨て人という敗北者や逃避者の、挫折する自己愛への倒錯的快感としてあるのではなく、むしろヒトビトが常識・文化・制度によって密かなる<私>とツルんで自己愛に保証された価値観で武装しつづけるときに、非暴力的で無意味な反省を喚起しつづける「がむしゃらな世間知らずの悪ふざけ」を装うことによってこそ得られる自己否定的な情熱の<ほてり>と言いうるものなのだ。

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 そもそも、どう転んでみても苦悩ばかりを背負い込むはめになる不都合に目覚めて、「私とは何か?」「いかに生きるべきか?」の問いをたて、そんな不都合な<私>を一時しのぎの快感のみにすり替えるのではなく、たとえば芸術によって回答を探ることが芸術家とは美醜的自己愛に呪われた苦悩者としてあることなのだと知るように、あるいは宗教によって回答を探ることもやはり宗教者とは聖俗的自己愛に呪われた苦悩者としてありつづけることなのだと知ることでしかないという試行錯誤の果てに、何はともあれ情熱的な隠遁生活として探り当てた回答こそが、どうあがいてみても自然として荒れるにまかせる自己愛でしかない<私>をその欲望に身をまかせ、所詮は幻想にすぎぬと感じられる真善美聖を自己確信の踏み台にしてまで<私たりうる私>に成り上がらせることなく、あるがままの<私たりえぬ私>に踏み止どまり、あえて<とりあえずの私>として「どうせどれほどの者としてあるわけでもない<私>」に「<何?>を問いつづける<私>を生きつづける」ことであったのだ。
 そんなしょうもない<私>を積極的に引き受けようと決意することは、<不幸な私>を面白がらずにはいられぬ糞面白くもないほどに<幸福な私>でありつつ、糞面白くもない<私の幸福>を面白がらずにはいられない<私の不幸>のように、とめどない反省者として「<何か>をしつつ同時に<何も>しないこと」を生きなければならないというわけで、結局は「<何?って何!>の<私>を生きる」しかないところで、<問うこと>が即<回答>であり、<回答>が即<問うこと>でしかない自己矛盾を「無意味な<正体不明者>」として生きることになるのだ。
 つまり、「<何って何!?>をするためにいかに<何>もしないで<何>をしつづけられるか?」こそが、<何的私>の積極的な隠遁生活に課せられた問題なのだ。言い換えるならば、いつのまにか生まれ生きつづけてしまっている<私>が、<私>については無明無知であるからこそ「何?」「なぜ?」「どうして?」をとめどなく繰り返してきたのだから、<問うこと>によって始められた<私>とは、どのようにしたら<問いつづけられるのか>に回答することでかろうじて<私>であることこそが最もふさわしいということなのだ。
 それゆえに、<問いつづける>ことが反省者を生きることに他ならないといいうるときに、たとえばもう冬ではないと言いたげな希望という情念を孕んだ冷たい雨がこの高原に降れば、それが降りつづくあいだはいつまでも早春を楽しむことになるが、いまだ花ひとつない裸樹の白い霧に包まれた雑木林は、よく見通せないということによってこそ見事な遠近法を見せ、<私>という視座をより明確にして春の気配を奥行きのある物語として感じさせることになるけれど、そのままほおっておけば勝手に<私たりうる私>へと充実してしまう「見て」「感じる」ことの欲望に<静寂>を掠め取られてしまうから、そんな欲望にこそ人生の晩秋に似合いの溜め息ともいいうるブラームスの『クラリネット五重奏曲』(cl\ウラジミール・ルジーハ、スメタナSQ)というあまりにも傲慢な自愛的哀しみに酔い潰れる女々しいほどの<まどろみ>を仕掛けることで、ことごとくが平穏無事なる隠遁生活には今さら黄昏れることなど何事もないといいたげに「そう、今さら惜別が<私たりうる私>の喪失であるほどに哀しい自己愛は持ち合わせていないけれど…」と呟いて、どれほどの意味もない<希望というまどろみ>にどっぷりと浸かりながら、柔らかな土に吸い込まれていく雨垂れの音に春を「聞く」<私たりうる私>を託せば、これみよがしなブラームスの哀しみによってこそ春を際立たせる雨垂れのかすかな囁きは、かろうじて密かな自然の自然的なありかたをあるがままの<静寂>として見定める反省者を<私たりえぬ私>として露呈させることが出来るというようなことなのだ。
 あるいはまた、<私たりえぬ私>であるために反省者として<問いつづける>戯れを生きざるをえないままに、五月の連休が過ぎてようやく高原の樹木が芽を吹き始めるころに、きのう満開を迎えたはずだと思われたこの界隈の桜が、風もなく穏やかな今日の夕方には「なぜか?」一瞬にして花びらを散らしてしまうような不順な年には、桜の散り方にさえ自然的なるメッセージを読み取ろうとする気象学者を気取って<問う>わけでもないけれど、ただそんなことが気になるほどに春の真っ只中で<何>景化されていく物語を「なぜか?」として語らずにいられない<私>的表現者に目覚めることもあるのだ。
 もっともここで「春の<何>景」を語る手段とは、時間をたぐる記憶としてよりも空間を移動することによる<何>化というべきもので、たまたま東京から来た友人家族と草津白根山まで花見に行ったときに、この高原から長野原の町へと下るにつれてちらほらと見掛けた満開の桜が次第に初夏の新緑に消え、今度は長野原から草津温泉を過ぎ御成山あたりへと昇るにつれて再び満開の桜が増え、その先の殺生ケ原から白根山頂まではもう桜を見ることもなくまだ裸樹の杉と白樺がそのまま立ち枯れた樹木の墓場へとつづき、いつのまにか残雪に覆われてしまうという浅間白根一帯の桜事情を踏まえての<問いかけ>なのだ。しかしこの空間移動によって生じた軋みが「なぜか?」の<問いかけ>であるにしても、それは<私>の知らない自然的なる必然ゆえに一瞬の開花こそを最善とする桜たちに、とめどない<私>的なる物語を捏造しているにすぎないのだから、たとえ気まぐれであれ「なぜか?」と<問わずにいられない>物語は、やはり風景の<何>化として語られるにすぎないのだ。
 しかもこの<何>景でさえ、友人たちが仕事に追われてそそくさと東京に帰った後に、再び<静寂>を取り戻すはずの隠遁生活が、彼らの残響ともいいうる<何>景に弄ばれてさらに<何>化してしまうという有り様だから、記憶の襞を手繰りながら訳もなく彼らに対して<私たりえた私>の整合性にわずかの軋みを捜しているというようなことが、まるで一夜にして散ってしまう桜に「なぜか?」と<問いかける>ことと同様に、すでに幻想にすぎないことで<とりあえずの私>を楽しんでいるにすぎないと知ることでしかないとしても、それは同時に「なぜか?」と<問わなければ>いつのまにか失われている<静寂>にも気付くことがなかったというわけだから、より積極的に<私たりえぬ私>としての<静寂>へと帰還することこそが望まれているのだ。そこで、あえて浮足立っていると思われる演歌を牧村三枝子や川中美幸で仕掛けてみると、曖昧模糊として<私たりうる私>を彷徨する思いが、演歌という自己愛への愛欲的陶酔を決して隠そうとしない直接的な想念に弾かれて、もはや春の黄昏の<静寂>として以外には<何>も語ることのない表現者が、うんざりするほどの自己愛の前で沈黙者であるにもかかわらず表現者でいつづけるという<私たりえぬ私>へと到達することができるのだ。
 つまり「冬の<何>景」を語る正体不明者は、それを<何>景として語る春のブラームスでありつつ、しかもそれさえも<何>景として語ってしまう演歌でもあるというわけで、とめどなく<私たりえぬ私>へと横滑りしていく体たらくなのだから、たとえどこにいようとも正体不明者には<何>景しか見えてこないと言わざるをえないとすれば、ここでは「<何って何!?>以外には何もない」という回答の用意された問題へと「<何>事かを問いかける」という表現者の見え透いた戯れを見るにとどまるのだ。

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