「反省的循環」としての「何の循環法」とは、「まえがき」で述べたよ「引用の戯れ」と「切り捨ての戯れ」という技法によって表現されつづけていくのだ。
 そして「戯れ」こそが、何行者 koya noriyoshi の情況認識に基づく「現在の救済」であることは、ホームページ「<何って何!?>美術館/表紙のメッセージ」あるいは「何の錬金術/はじめに、あとがき」で語ったところでもある。
 ここでは手がきで始まった「絵空事」が次第にコラージュに移行し、さらに「引用する=引用される」ことから「切り抜く=切り捨てる」という徹底したコラージュの技法に至るその動機について語っておきたいと思う。
 すでに述べてきたことであるが、「絵空事」とは、何行者を標榜する私が、不空芸術菩薩論という仏教的表現生活の修行として一日一画の懺悔録を吐き出しつづけるという発想で始められたものである。
 そもそも仏教者の修行生活というものは因縁解脱を目指して生きられるものであり、さらに成仏を願い究極においては涅槃にはいることこそが最大の目的として営まれるわけである。その第一歩として、三宝(仏・法・僧)に「帰依」し、次に一切の諸仏諸尊、特にご本尊に「懺悔」してお力添えを頂き、さらに最勝無上の法縁を頂いて行法を成就するまで初志貫徹を誓うという「結縁」によって初めて成り立つものなのだ。
 私の場合はここにいう懺悔の方法として「絵空事」を始めたわけである。仏教にいう懺悔とは、「はたして我はいずこより来たりしものか」などと気取ってみても、所詮は始まりの分からない(本不生といわれる)「私」が身・口・意という三つの原因によって貪り、傲り、怒り、愚痴るという厄を生じて苦労していると認識して、これを反省して苦労のない快適生活を目指し正しく生きようということになる。つまり懺悔とは猿でもできる反省のポーズではなく、「反省的生活」のことなのだ。そして「反省の眼差し」は身・口・意という三つの原因によって生まれ変わり死に変わってきた正体不明の「私」にまで遡及し、貪ることのない、傲ることのない、怒ることのない、愚痴ることのない「私」の正当性を究極の目的に照らして反省的に獲得するのだ。無論ここにいう「反省の眼差し」とは常に因縁解脱から成仏へと向けられていなければなない。
 さて、何はともあれ私の場合は「反省的生活」が懺悔録としての「絵空事」によって生きられることになった。無我夢中で吐き出すものがあるうちはいいが、そのうちに表現者としての血が反省的立場にとどまることに満足できず芸術的にうずいたりする現場に遭遇することになるが、そのたびに厳密なる反省者の立場に立ち返り、初めのうちは知らんぷりを決め込んだり他人事のような顔で自らの表現意欲をやり過ごしていても、いずれは反省の至らなさだけでは解決しない表現意欲の昂揚にたじろぐことになる。それは厳密なる反省者になる努力をすればするほど回避し得ぬ大問題になってしまうのだ。
 たとえばブタサンの絵を描こうと思う。すると馬を描いたり、犬を描いたり、キリンサンを描いたり、コオロギを描いたりしたのではダメ。たとえ表現者のいうブタサンが様々な事情 (たとえばイヌではないブタサンを語らなければならないためにあえてイヌのご登場を願うという場合も含めて) によりたまたまイヌやロースハムにしか見えなくても、表現者の発想の段階ではブタサン以外のものはすべて切り捨てられていることになる。つまり「表現という営みは表現しようとすること以外は一切表現しなくていい」という約束によって成り立っているのだ。これは具象としてのブタサンやキリンサンのみならず、抽象的な問題についても言えることで、言い換えるならばあらゆる「表現の宿命」でもあるのだ。
 繰り返すならば「表現の宿命」である取捨選択の方法論とは、とりもなおさず「切り捨て」の方法論なのだ。
 すると、未生以前の「私」にまで反省の眼差しを送ろうという懺悔録は、日常的に見過ごしてしまったり無意識に重ねられてきた悪因悪業を一つ一つ「拾い上げ」「汲み上げて」、これを反省的に克服していこうという営みであるのだから、「表現の宿命」である「切り捨て」の方法とは相容れないものであることが理解される。
 つまり「絵空事」が絵を描くという営みである限り、厳密なる反省を心がけるたびに昂揚する表現意欲を解放する場が得られなくなるというわけで、いずれは懺悔録として挫折するのは必定ということになる。「絵なんぞ描いとったんじゃ救われないぞ」という大問題なのだ。
 ここで、すでに言いたいことはお見通しというところかもしれないが、あえて言わせていただくならば、「どうせ切り捨てざるを得ない絵空事ならば、切り捨てごめんで生き延びる道を見つけだせばいい」というわけなのだ。
 そうです(突然口調まで変わってしまうが)、ここで、徹底して「切り捨てる=切り抜く」あるいは「切り捨てられる=切り抜かれる」ことこそが方法論のコラージュへと辿り着くのです。もはや、「絵空事」はこの方法論なくしては生き延びられないところまで追い詰められていたということなのです、ハハハ。
 と、脳天気に笑ってしのいでみれば、一時の冷や汗もとうに乾き、「絵なんぞ描いとったんじゃ救われないぞ」という大問題には様々の解決法があることに気づく。この件は、いずれ再び「絵空事」が手がきに戻ることがあるかもしれないということでご了解いただき、その解決方法についてはまたいつか、乞うご期待。

1999年6月


              不本意ながら快適モラトリアムの何行者
                    koya noriyoshi


「あとがき」はここで終わりです。

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