3) 不空芸術菩薩論の展開 〜何行者とは


a ) 不空芸術菩薩論の「宗教性」



 

 ここで koya のいう何行者とは、繰り返しになりますが、「自分とは何か」「いかに生きるべきか」という倫理的大命題をふまえつつ、芸術を語り、宗教を語りつつ、果ては「問いつづける自分とは何か」と問いつづける表現者ということになります。
 この表現者が行者と名乗る唯一の根拠とは、仏教にいう菩薩行の自利行として「絵空事」と呼ぶ一日一画の懺悔録を描き続け、利他行として「絵実物」と名付ける表現活動を行うことといえます。
 しかし、未だ「不空芸術菩薩」というご本尊様の正体については何も語ってはおりません。理想的には「不空芸術菩薩」様をご本尊とする新興の仏教団体を創立するのが妥当かもしれませんが、ハハハ。
 わたしは「不空芸術菩薩」への信仰などということを語るつもりはありません。そもそも「不空芸術菩薩」の正体とは「絵空事 = 絵実物」をめぐる表現活動の総体のことだからです。そしてその表現活動の方法論として仏教にいう菩薩行を取り入れたいと考えているのです。戯けていうならば、釈尊的修行生活のパロディとして位置づけることで十分だともいえます。
 言い換えるならば「不空芸術菩薩論」としての世界観とは、「仏教もどき」であり「芸術もどき」の「何か」に尽きるのです。それは、真・善・美・聖・愛という諸価値によって武装してしまうことの恐ろしさとおぞましさに警鐘を鳴らし、糾弾し続けるためのスタンスだからです。宗教に限定していうならば、固有の宗教的価値観に固執しそれによって武装してしまっては独善的な救済に埋没してしまいます。いま、これからも、もし宗教に期待し未来に向かって語ることのできるものが「宗教」にあるとすれば、それは「自らへの反省力の喚起」です。ですからここでは「自らへの反省力の喚起」が保証されずに宗教者である理由はないのです。
 ここまで語ってしまえば、借りものの坊さんの袈裟でほっかむりをした似非仏教者として語るに落ちるようなものでありますが、もはや「6F的表現者」が行者であるための宗教性、あるいは宗教的根拠は端っから無かったということになります。仏教的職業人たる僧侶がその血脈の正当性を楯に何事かをなさんという問題ではないのです。
 それでもなお繰り返しますが、6F的表現者が仏教者といいうる根拠とは、菩薩行を方法論とする表現活動のみにあり、「絵空事」そのものは仏教の布教活動を担っているわけではありませんので、個人的に表現者が仏教徒である必要は無いのです。私の場合、出生がたまたま常識的な仏教徒であるにすぎないということです。無論、仏教者であることも否定される理由にはなりません。

 

              ⅰ) 「神父 / 本田哲郎」


 この「絵空事」の立ち位置を確保することができれば、不空芸術菩薩論の脱宗教性の先に、キリスト者の優れた知見を見ることもできます。
 例えば NHK - TV2ch「こころの時代 / 釜が崎で福音を生きる現場の神父 / 本田哲郎」という番組は、救済論において閉塞状況にある宗教の現状にささやかなる可能性を拓くものとしての「反省力」が語られています。
 本田哲郎神父は、従来の「聖書」に語られた言葉は、権威主義的な宗教団体の思惑による表現で、イエス・キリストの語った救済の本質を見誤り、救済のための信仰の姿までを見失っていると指摘します。
 神父は、ローマ教皇庁立聖書研究所を卒業した聖書学の立場から、イエス・キリストの言葉に一番近い聖書から読み解き、本来は教団的「上から目線」で「小さき者たちよ」と苦悩者に呼びかけていたわけではなく、イエス・キリストの目線は常に世間、社会によって差別的に「小さくされた者」からの切実な訴えであったことを示し、この「小さくされた者」に寄り添うものとしての神の姿を説き、その救済の実践を生きていることになります。
 ここでは、宗教が人々の救済のためにあるならば、人々の苦悩に寄り添わずして何が宗教と言えるのかという神父の宗教者としての切実なる思いを見ることができます。
 「神は小さきものたちのそばに」、この言葉が神父の実践的な「反省力」になっています。
 神父の語るイエス・キリスト像とは、当時モーゼの十戒を絶対的な価値観としていたユダヤ教の地ベツレヘムで生誕。マリアは死罪にも当たる姦通で妊り、人目を忍んで出産しなければならなかったというわけです。
 イエスは生誕の時から、すでに人々からは差別された弱き、貧しき、小さきものとして生きざるを得ない宿命を背負わされていたことになります。差別されたものの立場から世間の不合理に対して「自らがつきうごかされる思い」で立ち上がる。これがイエス・キリストの救済者としての原点ということになります。それは、人々の様々な思い、苦しみ、悲しみ、痛みに寄り添って生きること。すべての人々がささやかであれ自立して生きられる社会を目指す。世間の理不尽な部分を指摘、糾弾し続ける立場なのです。
 神父の語るイエス・キリスト像は、我々の前に説得力のある人間像として立ち現れてきます。神父によれば、この「人に寄り添って生きる」ところに神の力は宿り、神によって生かされる道が拓かれるといいます。これがイエス・キリストが説いた宗教の本質であるといいます。そしてこれは反宗教であっても、脱宗教であっても人の生き方として通じる本質であると説きます。
 つまり、救済者という他者救済を心がけるものにとって「人に寄り添って生きる」ことの「反省力」は、キリスト者がその宗教性を超えた未来へのメッセージとして語られているのです。ここで見落としていけないことは、キリスト教における救済とは、自己救済という立場を表明しても「人の苦悩に寄り添って生きる」ことよる自己の抱える苦悩の普遍化によってそれを解消していくと理解することになります。
 このキリスト教的救済の世界観を理解すれば、「人の苦悩に寄り添って生きる」ことが、我々のいう不空芸術菩薩論の脱宗教性の地平へと拓かれているのを知ることができます。
 そして「人の苦悩に寄り添って生きる」ことは仏教においても救済論における最重要課題であるといえます。それを仏教では「慈悲」という言葉で語ります。
 『広辞苑 /第五版』によれば、『慈悲 ①仏・菩薩が衆生をあわれみ、いつくしむ心。一説に、衆生に楽を与えること(与楽)を慈、苦を除くこと(抜苦)を悲という。特に大乗仏教において、智慧と並べて重視される。②いつくしみあわれむ心。なさけ。慈悲心。「―を垂れる」』とあります。 さらに中村元著『佛教語大辞典』によれば『「慈」いつくしみ。思いやりの心、ことば、行い。楽しみを与える情け深さ。真実の友情。』『「悲」① かなしむ。悲嘆。② あわれみ。同情。あわれむ。いとおしむ。③ 苦しみを除く。苦しみを除くあわれみ。』とあります。中村先生は、常々「仏教の救済とは、人々の苦悩に慈悲の心をもって向き合うことだ」という趣旨のことを語っておられました。
 世間の生きがたき人々が克服しえぬ苦悩を抱えて生きざるを得ないときに、人々が宗教の門をたたく以前から、あるいは選択肢のないままに回避し得ぬ宗教的世界観の中に生まれ落ちても、弱きものは互いに寄り添って生きるしかなかったことを思えば、いかなる宗教がどの様な救済の楽園を提示しようとも、宗教が真摯に苦悩救済を掲げるならば、人々の苦悩に寄り添わずして救済はあり得ないのです。
 さらに神父は、この本質を踏み外すことがなければ、人はいかなる死に方をしようとも、例えば死に直面した絶望感と苦痛の中で救済されない自己が神を恨んで死に至るとも、それでも「神はその人に寄り添っている」のだから神の祝福の中にあるといいます。
 神父は、たとえばあなたが、神が不在の地の果てで死のうとも「神はあなたを見捨てはしない」というキリスト者の絶対的信念を示されていますが、ここではキリスト教的死後の世界観が前提になっていて、苦悩者の死後の魂にも神の恩寵が降り注がれるという解釈になります。
 つまり「神があなたを見捨てない」という確信はキリスト教的死後の世界観が不可欠になっています。すると神父が言及する「人の苦悩に寄り添って生きる」ことの脱宗教的普遍性は、結局のところ宗教的結末に逢着し普遍性からは逸脱してしまいます。しかし、逆に言えば、この脱宗教的普遍性のテーゼは、表現体験、苦悩克服のありとあらゆる入口で「自分とは何か」と「いかに生きるべきか」に回答を用意することができる魔法の呪文であり、その決着の付け方はそれぞれ個々人の価値観、世界観に任されていると考えることができます。

 

               ⅱ) 「井上ウィマラ」


 ここでもう一人「人の苦悩=念(おもい)によりそって生きる」人として井上ウィマラ(高野山大学文学部教授)について見てみます。彼の主張は「社会で仏法を生かす」ということになります。
 NHKラジオ「明日へのことば」とNHK-TV「こころの時代」からの引用です。
彼は青年期に道元の言葉に触発されて自己探求に目覚めます。京都大学で仏教を学んでも学問的探求と求道の実践との乖離という問題に突き当たり、結局は中退し永平寺の修行僧として出家します。しかしここでは規律重視の修行生活に違和感を覚えて挫折、後に縁があってビルマの僧としてふたたび出家します。彼の一貫した修行の方法は主に瞑想ということになります。
 彼の瞑想による目的は
 ①自分の呼吸を観察すること、
 ②相手の呼吸を観察すること、
 ③自分の呼吸と相手の呼吸を交互に観察すること、
 そして経典では教えない②,③の問題を解決したいと考えます。
ここで彼が手がかりと感じていたものは無意識の世界ということです。彼はビルマでの修行中に師匠より重要な啓示を受けています。それはどれほど仏典を勉強しようがあなたが瞑想で得たこと以外のことは書いてありませんと言うことです。結局②,③の問題解決のために、無意識に踏み込んで道を拓かなければならないと考えますが、師匠は「無意識なんぞ知らん」と突っぱねます。そこでビルマに留まるか出るかの決断を迫られて、彼はビルマを出ます。
 これは文化人類学者の中沢新一がチベットで修行に入ったときに、やはり師匠に言われた言葉が、いままで大学で勉強してきたことは何の役にも立たないから忘れろと言われたことに相応します。経典とは単に修行の道しるべにすぎないという認識といえます。
 彼は弟さんの縁でカナダに行き、瞑想を教えるうちに心理療法と巡り会います。ここでセラピーについて学び心理療法士のいう呼吸の観察を知ります。話をしている相手の息づかいから呼吸の観察に入り自身の呼吸と合わせていきます。
さらに瞑想を教えるときも、仏教の概念を教えるときも、心理療法の言葉、精神分析の言葉を使った方が伝わりやすいことに気付きます。これで彼の心理療法と仏教瞑想が繋がります。
 この段階で彼は聖母マリアの聖堂で瞑想する機会があり、「あなたにこの子を委ねます」という啓示を受けます。彼は直接的には語っていませんがキリスト者としての霊的世界においても高い霊格を与えられたことになります。
 そして弟さんに誕生した子供に祝福を求められたときに、今までに無い感覚として「命をかけて守ってあげよう」という思いが起こったといいます。これが彼に仏教僧を超える世界を拓かせ還俗するきっかけになります。今度は自由な生活の中で、瞑想を深め僧侶当時からの観察する心、思いやる心を試してみたいというわけです。
 彼はマインドフルネス(そもそもは念という意味)という立場を踏まえて瞑想を説きますが、自分の念いのなかで自作自演の苦悩がループしているときにそれをアース(放電)するものと捉えます。それは呼吸のリズムという体感に意識、心を向けることだといいます。
 苦悩という過剰電流の放出は正に心理療法というわけです。
 最近では終末期医療に携わる医師や看護師にも心のトレーニング方法としてマインドフルネスの指導をしています。
 彼の瞑想者の遍歴とは、宗派、宗教に拘束されることのない立場で、「人の苦悩=念いによりそって生きる」ところへと踏み込んでいるということに大いなる意義があると思います。言い換えるならば、「瞑想」という方法論が、あらゆる人々に反省を喚起し自己の尊厳を回復させ自立して生きる道を示すことが出来るということになります。

 今ここで我々が語っておかなければならないことは、いかなる領域、世界観においても、つまりはキリスト教と仏教という価値観の違うそれぞれの宗教の立場においてさえ、「自らへの反省力の喚起」を発動できるキーワードは存在するという確信についてです。
 

 余談ですが、不空芸術菩薩論とはいうものの、仏教のみならず、宗教的拘束を限りなく解消したところでも語りうるものとして実践していきたいという発想は、その実践の場における世界観において、いわゆる霊的世界観と現実世界といわれるものとの境界に特別なバリアーを設定するということもないのです。宗教には霊的世界観の存在が不可欠ですから、救済論の延長として霊的世界を語るのならば、宗教という窓口はやはり不可欠です。しかし、霊的世界観もまた宗教によってのみ独占的に語られなければならないという理由もありません。霊的世界観に踏み込んだ芸術というものもあり得るのです。ですから不空芸術菩薩論において霊的世界観に関わる問題が生じたとしてもそれをことさらに排除しなければならないとは考えません。

 

               ⅲ) 「不空芸術菩薩論の方法論」


 あらためて今更ながらに、不空芸術菩薩論を菩薩論として成り立たせる根拠について語るならば「自利行 = 利他行」の確立であり、絵画的には「絵空事 = 絵実物」、哲学的には「否定 = 肯定」「行為 = 経験」、「伝達 = 享受」、「事件 = 事件報告」などの対概念の存在構造を明らかにし、実践的方法論を構築することです。

          ァ) 「私」の存在構造

 ここでまず始めに「私」の存在構造について見ておきたいと思います。
 我々にとって「私」とは、常にすでにある「自分」への気づきによって始まります。「私」が「自分」をどのように考え捉えようとも「私」はすでに存在しています。
 そこで「私」の出生に思いを巡らせば、無垢の世界に何の差異もないものとして生まれ落ちた「私」は世界とのいかなる境界もない「即自」として、あるいは無力であることを知らない全能者として存在しています。ところがそれも一瞬のことで、命はひとりでは生まれてこなかったという事実に直面します。「私」は母親の胸に抱かれて生かされ始めます。ここで「対自」を獲得します。そもそも人間の創世においてもひとびとは言葉を共有する以前から群れとして生存したであろうと考えるならば、いつどこであろうと無垢の全能者として実力行使を知らないまま生まれた「即自」は、時を経ず言葉を獲得する以前に群れの中で他者とは違う「対自」として存在していたはずです。言い換えるならば「私」は常に言葉以前の世界に「即自」として生まれ、言葉を獲得する以前に「対自」としての立場を獲得します。ここで「自分」として意識されるものが生まれます。この経過は多分、言葉を持たない動物たちの社会構成と大きな違いは無いと思います。
 「対自」としての「私」が他者と共有する世界観に取り込まれたときに、たとえば言葉によって、あるいは共有する感覚、価値観によって「反照的」「反省的」「対他的」に「対自化」された主体が成立します。これが「自己」であり「自分」の客観化、客体化によって「同一性」「統一性」を語りうる立場を獲得します。
 
 「私」の存在構造を「即自」「対自」「対他」という階層としてみていくと、改めて「対他的対自」という立場を考えることになります。それは「自己」という自覚の構造を「自分自身」としてみることになります。
 「自分」が無意識、無自覚であっても、「私」が人々と共有する物語によって「反照的」に獲得した「自己という主体性」が、無自覚のまま自己拡大化の欲求により自らの立ち位置を共有する物語へと移行させて「自己の客体化」がされたときに、さらに「自己」は「自身」という「反照力」を獲得します。つまり「自己=自身」とは、表現活動においては「表現行為=経験」として、「表現経験=行為」として循環する反省力を内包する立場になります。「自己=自身」が循環、反転すればもとの「自分=自身」に戻りますから、「客体化した自己」も「自分自身」であることに変わりはありません。
 言い換えるならば表現活動とは、「自己という主体性」が「主観的」に「他者」に対して、さらに「客体化された自己」が「客観的」に「自身」に対して「循環する反省力」を喚起して成り立つものと考えられます。ここで「客体化された自己」が「自身」に対する反照性を「対自的対他」ということになりますが、これは「客観性」の獲得に他なりません。

 ところで表現者自身、そんな面倒な手続きは踏んだことはないとお思いでしょうが、それはそれで結構なのです。これは無意識のうちに一瞬にして済ますことのできる手続きにすぎないのです。
 なぜなら茫漠とした無意識の中から表現活動が発動したとしても、その事件の真っ只中に立ち上がった表現者はすでに無意識という地平を反照する「自分自身」というスタンスを獲得しているのです。これが「主観的」な「対他的対自」であり、無意識という地平の霧が晴れそれが「物語」として語り起こされたときにはすでに「客観的」な「対自的対他」というスタンスも獲得しています。
 つまり表現活動における「自分自身」の存在構造を見れば、繰り返しになりますが「対他的対自」と「対自的対他」の循環構造になっているということになります。
 言い換えるならば「表現者」としての自覚とは、表現活動をする「私」の中に「自分という自己」と「自己という自分自身」と「自分自身という他者」を措定して「私の物語」を語り起こしていくことなのです。「自分自身」という自覚のない表現者は、すでに表現者たりえず、いかなる「行為=経験」も単なる日常的営為として埋没していきます。さらに言い換えるならば、如何なる日常的営為も、表現者としての「自分自身」を獲得したときには「私の物語」を語り起こす地平へと拓かれていくのです。

          ィ) 「絵空事」の存在構造

 では不空芸術菩薩論の地平における「絵空事」と呼ばれる作品の存在構造からみていきます。
 これは作品の在り方を、直接的与件性として作品がいま我々の現前にある構成要素を解体し分別しつつ、それを表層的に包括的に捉えることになり、それぞれの構成要素が何を意味しているのかと個別的に意味的所知性を探っていくことになります。ここでは表現者たる何行者の制作意図は初めから明白ですから、絵空事の意味的所知性から語り起こしていくことになります。
 絵空事の絵画としての意味的所知性に宗教的理念の自他実現を意図し、その絵画的な直接的与件は、文字という記号的与件と図形的与件によって構成され、文字記号の意味的所知は宗教的理念の哲学的考察 (あるいは哲学的考察への誘い) 、そして図形的な意味的所知は、宗教的理念の芸術的問題提起 (あるいは芸術的感動と宗教的法悦への誘い) という構想により表現されていますが、存在論的には単なる表現行為 = 6F的現場として提示されているにすぎませんが、ここで作者はあくまでも不在となり正体不明のままでよいのです。なぜなら、ここで表現活動が目指しているものは自己無化への超越的自己投企という企みだからであります。
 したがって作品の存在理由とは、常に読者、鑑賞者諸氏の表現経験 = 6F的現場に委ねられているわけですから、作者としては「生きつづける」という人間性の台座において考察される芸術と宗教の問題として、ささやかなる問題提起 (つまりは芸術的感動と宗教的法悦への誘い) ができればと思うのみなのです。言い換えるならば 6F的現場 = 表現経験に遭遇する人々を個別化された感動と法悦によって新たなる表現行為者として立ち上がらせることを意図しているのです。これが不空芸術菩薩論の他者救済性の拠り所ということになります。

          ゥ) 反省論の循環構造

 ところで、先にちょっと提示した件、つまり禅宗的な自己否定的発想も密教に至っては厳密なる自己認定がなされた段階で自己肯定的発想へと変換されることがあるという事態についても、反省論の循環構造として考えてみます。ここでは「即自=対自=対他」「伝達=享受」「行為=経験」「否定=肯定」という概念が重層的に反照されていきます。

 まず始めに、「表現者の伝達的現場 」において無意識から「 即自的表現行為 」が発動されると同時に表現者の享受性である「対自的表現経験 」が覚醒し 、表現活動が持続的に循環する現場においては、伝達者たる表現者の「対自的表現経験」が (「即自的表現行為」を喚起させる場である) 無意識性へと送り返されていくという循環構造になり、次に享受者たる表現者が循環の現場ゆえの「 対自的表現経験 」を不可避の要因とする伝達者として立ち現れ、無意識化されている「対自的表現経験」からの「対他的伝達欲求」が喚起され、この循環の現場に立つ伝達者たる表現者が新たなる「対他的表現行為者」へと変換されて感動の現場を開示することになります。
 端的にいうならば、表現の現場においては、行為は経験として、経験は行為としてほぼ無意識のままフィードバック (帰還) されていく関係にあるということになります。それは一人の表現者が伝達者でありつつ享受者であり、享受者でありつつ伝達者であり、複数の表現者間においては、伝達者と享受者の役割が複雑に混在することになります。
 これを仏教における自己否定と肯定に置き換えてみると、すでに「無自覚のまま即自的に肯定的に存在する自己否定的行為者」が自己を糾弾する修行 (懺悔) の場で「自己否定的経験者」として反省を貫徹し体得 (帰依) すれば、この「自己否定的経験者」は持続的に循環する自己無化の場に埋没 (結縁) しつつ、さらに希薄になった自己ゆえのあらたなる「自己否定的行為者」として立ち現れるのです。ここは「自己否定者」の依って立つ無自覚にして大いなる肯定の場として拓かれており修行者の自己無化によって人称性を解き放された欲望が無垢な人間存在の根本原理として、つまりは「仏の大欲」として「仏の意思を担う」場が用意されているのです。
 ここで自己無化 (仏) へと向かう修行者は全世界を肯定する無垢の欲望者として再登場します。もはや誰に後ろ指を指されることのない十全たる自己肯定的行為者となり、ひとたび無垢の欲望者へと転身する気になれば、欲望の実現、体得によってさらに自己無化へと向かうことができるという奇跡のマジックを実現することができるのです。これが密教にいう大楽金剛不空真実三昧耶経 (般若理趣経) の世界観ということになります。
 つまり「宗教者の修行現場」が「 即自的修行行為 = 対自的修行経験 = 救済体験 」を成立させる持続的で循環的な場を開示していれば、自己実現の領域で展開する救済者的自己と苦悩者的自己の関係は、さらに自己無化的反転により修行者を対他的な救済者へと変身し得るのです。これが正に菩薩行が目指す「自利行 = 利他行」の実践ということになります。
 すでに即自的に体感しているものを肯定せざるを得ないところから始まり、持続的に循環する場へと自己を否定的に投企するときに、それを極上の至福感へと昇華する自己肯定的な営みが体得されるのです。
 蛇足ながら申し上げるならば、ここにいう営みは、自己目的的な表現者がその表現活動の中で作者的立場から鑑賞者的立場へと移行し、次に他目的的な表現者として立ち現れるという、至って有り体の表現構造を語ってるにすぎないということになります。

 

ⅳ ) 「道元 正法眼蔵」を読む

 

 この本に巡り会うきっかけはNHK2chEテレ「100分de名著「道元 正法眼蔵 (しょうぼうげんぞう) 」です。YouTubeでこの番組を見ました。なかなか面白い場組でしたので、さっそく番組テキストを購入しました。正に「道元 正法眼蔵」への入門です。

 表題の意味は「釈迦の正法を正しく読み取る智慧」ということです。解説の「ひろ さちや」さんによればこの書物は「仏教を理解する智慧をなんとか言語化しようと試みた道元の、哲学的思索の跡として読む」ことを勧めています。その趣旨によって書かれた「ひろ さちや」さんの解説書を頼りに道元の思想に触れてみたいと思います。

 まず初めに出てくるのは、「身心脱落」という言葉です。
 道元はこの言葉によって悟りの境地に達したということです。道元、悟りのキーワードということになります。
 「身心脱落」の意味は、「あらゆる自我意識を捨ててしまうこと」ですが、その心構えは「悟りは求めても得られるものではない。悟りを求めている自己を消滅させるのだ。」といいます。
 だからといって「身心脱落」をしようとする自己が消滅してしまうわけではありません。解説によれば「悟りの状態・境地」「悟りの世界」に溶けこむことだといっています。
 では、早速ですが、この「身心脱落」について、私の「絵空事的反省論」で読み解いてみたいと思います。
 そもそも「身心脱落による悟り」とは、準備万端整えて身心脱落行為に挑むということではなく、ある日ある時に突然遭遇する出来事と思われます。
 修行者にとっては、予期せず何かを踏み外し一気に奈落の底へと吸い込まれていくような衝撃的事件というわけです。
 そこでここでは「身心脱落事件に遭遇する自己」と「身心脱落事件報告する自己」を措定します。
 この脱落事件の現場は、すでに用意されています。どこでもよいというわけではなく、ここは仏教修行の場、あるいは「修行者のいるところ」ということになります。すでに解決すべき問題も用意されているのです。言い換えるならば、いまだ修行者が自己愛の価値判断にとらわれて、仏の価値観、判断基準が分からないという情況ということになります。
 そんなときに、修行者が無意識の自己愛にくるまれて自己温存ばかりを考えているときに身心脱落事件は起きるのです。
 不意に遭遇する事件ですが、修行者にとっては、いつ来るかと心待ちにしていた事件でもあるのです。そして事件に遭遇したときに身に付けていた自己愛を、事件の衝撃でいとも簡単に手放してしまいます。そのときに無意識でさえ握りしめていたあの自己愛を手放して、無防備、無垢で丸裸の自己として、未知の世界に投げ出されていることに気づくのです。すると仏の価値基準が脱落した身心にすうっと浸みてくるのです。
 この事態に覚醒したときに「脱落事件報告する自己」が立ち上がり、仏の価値基準を身に付けた自己として自身を語りはじめるのです。自愛的欲望をはなれ事実をあるがままに直視した仏の見識が示されるのです。
 では、状況設定を変更し、意図的に「身心脱落する自己」を仕掛けることは出来ないのでしょうか。修行者がいまだ「悟り」を体得できてはいないが、仏の世界観はすでに垣間見ているとするならば、そこを目指して「自己投企」することは可能です。
 そもそも「自己投企」という問題を考えるには、自己を喪失しないで身心脱落をいうための「脱落する自己」と「脱落させる自己」を措定しなければなりません。なぜなら「自己」が「脱落する自己」のみであれば単なる「自己消滅」に埋没してしまいます。つまり事前に「脱落させる自己」を「あるがままの世界」側へ移行しておかなければならないのです。しかしこれは「脱落する自己」を見定めるための仮の視座に過ぎず「脱落体験」なくしては「あるがままの世界」に溶けこむことは出来ないのです。
 「脱落体験」とは、あたかも「悟りの世界」から降り注がれるものを肯定的な感覚で享受することになりますが、ここでは脱落させた何かの欠落感があるにもかかわらずその場にいることに何の不足もなく、むしろ身軽になったという「解放=開放」感で、存在そのものが正当的に認知されたといいうる充足感に満たされ、「それでいいのだ」的な「自己了解」に至る感覚体験ということになります。
 ではもう少し掘り下げてみます。さらに「身心脱落『行為する自己』」と「身心脱落『経験する自己』」を措定します。ここで「身心脱落」を願う行為者は、自らが反省的に摘出しうる限りの自愛的欲望を身にまとい、自己喪失の恐れを抱きながら仏の世界へと身を投じることになります。抱えた自愛的欲望が重いほど落ちていく底は深いというわけです。奈落の底で自愛的欲望の自重に潰された脱落行為者はもはや再起不能です。するとそれを確かめるかのように「脱落経験者」が立ち上がり、目の当たりにした自愛的欲望の惨劇に打ち震え仏の慈悲にすがるのです。自ら仏の慈悲へと身を投じた身心脱落者は、身心脱落を「経験した仏」となり人々の前に「慈悲の実践的行為者」として回帰するのです。まさに「仏だからこそ修行ができる」場が拓かれたことになります。
 これが「絵空事的反省論」で見届ける「身心脱落情況」ということになります。

 さらに「現成公案 (げんじょうこうあん) 」から「身心脱落」を読み解きます。
 「現成公案」とは「いま目の前に現れている世界の構造」はどの様に理解すればいいのかという問題です。
 そして「世界をあるがままに認識できたとき」が悟りであるといい、悟りで開かれた世界は、「ここには悟りも迷いもない、仏と衆生もない。ただあるがままの世界 (現成) があるのみ」という視座の反転が待っています。  
 迷える人々は悟りの地を目指してやってくるが、悟りの地に到達して振り向けば、すでに自身が悟りの地にたっているのだからもはや悟りを目的としてみることはないというわけです。
 これが「身心脱落によって得られる世界認識。」です。「現成」は因縁生起、因果応報を読み込むのではなく「現実」を見定めることにつきるのです。この現在性への覚醒は屹立する今を生きるわけですから、因縁生起、因果応報のループを遮断、あるいは逸脱することを可能にするのです。
 さらに付け加えるならば、「身心脱落」した境地も、自愛的欲望にまみれていた迷いの世界も、同じ現実世界に他なりません。端的に言えば「悟り」とは単に視座の転換による生き方の変更に過ぎないのです。つまり、この現実世界を生きる限り過去の因縁生起、因果応報をいかに遮断しようとも、そのことによる新たな因縁生起、因果応報に取り込まれていきます。過去のしがらみを解き放しつつ新たなるしがらみに捕らわれていくという営みは、生き続けていく限り回避することは出来ません。これが「因縁解脱」による「運命の転換」の現実に他なりません。

 さらに、「身心脱落とは「自己の脱落」と「他己の脱落 (他なる自己、すなわち自己のうちにある他人) 」をいう。」とあります。
 ここにいう「自己と他己」について、「絵空事的反省論」の立場から検証してみます。次に引用する「絵空事的反省論」の「表現活動」という言葉は「宗教 (修行=悟り) 生活」として読み替えてください。

 『「私」の存在構造を「即自」「対自」「対他」という階層としてみていくと、改めて「対他的対自」という立場を考えることになります。それは「自己」という自覚の構造を「自分自身」としてみることになります。
 「自分」が無意識、無自覚であっても、「私」が人々と共有する物語によって「反照的」に獲得した「自己という主体性」が、無自覚のまま自己拡大化の欲求により自らの立ち位置を共有する物語へと移行させて「自己の客体化」がされたときに、さらに「自己」は「自身」という「反照力」を獲得します。つまり「自己=自身」とは、表現活動においては「表現行為=経験」として、「表現経験=行為」として循環する反省力を内包する立場になります。「自己=自身」が循環、反転すればもとの「自分=自身」に戻りますから、「客体化した自己」も「自分自身」であることに変わりはありません。
 言い換えるならば表現活動とは、「自己という主体性」が「主観的」に「他者」に対して、さらに「客体化された自己」が「客観的」に「自身」に対して「循環する反省力」を喚起して成り立つものと考えられます。ここで「客体化された自己」が「自身」に対する反照性を「対自的対他」ということになりますが、これは「客観性」の獲得に他なりません。』
 『つまり表現活動における「自分自身」の存在構造を見れば、繰り返しになりますが「対他的対自」と「対自的対他」の循環構造になっているということになります。
 言い換えるならば「表現者」としての自覚とは、表現活動をする「私」の中に「自分という自己」と「自己という自分自身」と「自分自身という他者」を措定して「私の物語」を語り起こしていくことなのです。』

 引用が長くなりました。修行者が「私の物語」として「宗教 (修行=悟り) 生活」を生きるという自覚を持てば、必然的に自己 (対他的対自) と他己 (対自的対他) の循環構造が成立し、「身心脱落」もこの循環構造によって体得されると考えます。
 ここにいう「私」の循環する存在構造をふまえ、「自己と他己」を身心脱落の現場へと引きずり出すということは、「脱落させる自己」と「脱落する自己」の構成に従い、「脱落させる自己」を「自分という自己」に設定して「自己の脱落」を確認し、次に「脱落させる自己」を「自己という自分自身」へと移行して「自分自身の脱落」を確認し、さらに「自分自身という他者」に移行して「脱落する他者」を確認することになります。
 「私」の循環構造をふまえるとちょっと面倒ですが、これは「表現者」ならば、どこまで意識しているかは人それぞれですが、おおかたは表現活動の中でほとんど無意識のうちに経過している心の働きということになります。それを踏まえるならば、「身心脱落」した修行者も日常作務のなかで無意識のうちに経過している心の営みということができます。

 では次に「諸法実相」についてみてみます。
 これは『法華経』の言葉ですが、「この宇宙に存在するあらゆるものの真実の相です。したがって、仏法と同義です。」とあります。
 それを道元は「わたくしたちの目の前にある、あるがままの 世界を認識 し、いま、ここにある、このわたくしを生きるのだ」と解釈しました。
 それを「生死 (迷い) 」という巻から引用するならば、「迷いのなかに悟りがあれば迷わないし、悟りを求めてあくせくしなければ迷わない」といい、これで生死を離れることが出来るというわけです。
 ですから「生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふとき、滅のほかにものなし」の状況が訪れます。解説によれば、この状況に立つということは、「自分を仏の世界に投げ入れる」ことであり、仏に「なりきる」ということだといいます。
 そもそも宗教者として修行のみならず信仰の世界に入るということは、「懺悔」「帰依」「結縁」という三つの段階を踏むことになります。これをふまえて「仏になりきる」という事態についてみてみます。これも前出からの引用です。

 『これを仏教における自己否定と肯定に置き換えてみると、すでに「無自覚のまま即自的に肯定的に存在する自己否定的行為者」が自己を糾弾する修行 (懺悔) の場で「自己否定的経験者」として反省を貫徹し体得 (帰依) すれば、この「自己否定的経験者」は持続的に循環する自己無化の場に埋没 (結縁) しつつ、さらに希薄になった自己ゆえのあらたなる「自己否定的行為者」として立ち現れるのです。ここは「自己否定者」の依って立つ無自覚にして大いなる肯定の場として拓かれており修行者の自己無化によって人称性を解き放された欲望が無垢な人間存在の根本原理として、つまりは「仏の大欲」として「仏の意思を担う」場が用意されているのです。
 ここで自己無化 (仏) へと向かう修行者は全世界を肯定する無垢の欲望者として再登場します。もはや誰に後ろ指を指されることのない十全たる自己肯定的行為者となり、ひとたび無垢の欲望者へと転身する気になれば、欲望の実現、体得によってさらに自己無化へと向かうことができるという奇跡のマジックを実現することができるのです。これが密教にいう大楽金剛不空真実三昧耶経 (般若理趣経) の世界観ということになります。』
 と、かなりはしょって先走りしていますが、「仏になりきる」ことにより、このような世界観が拓かれます。

 次に、「他力と自力」についてみてみます。
 ここでは道元の思想における「他力と自力」を次のように解説しています。自分を仏の世界に投げ入れるという初めの行為は自力、そして仏になりきるという修行行為も自力。しかし、自己投企的行為を認知する自己投企的経験は、投企した先の「仏の世界」における経験であるために仏からの働きかけを他力として享受してるといいます。したがって「仏になりきる」という修行経験は仏の他力の具現化に他ならないことになります。

 さらに「諸法実相」という見知から「唯仏与仏」についてみてみます。
 「仏法は、人の知るべきにはあらず」「仏のみが仏を知る」とあります。
 解釈としては、われわれは本性が仏であるのだから、それになりきれればよい。分からないことが分からないと分かればそれが悟りであるといいます。それは「あるがままの姿を拝む」ことと同じ。拝むとは「ありのままに引き受ける」と解釈できます。
 「悟ろうとせず、しっかり迷え」、するとあるとき「悟りのほうが遙かに超えて自分にやってくる」ものだというわけです。

 次に、「仏性」とは何か。
 「仏の性質、仏になる可能性」ということですが、ここで道元は、「たぐいまれな日本語力と哲学的洞察力を発揮し、非常にユニークな論を展開」しているといいます。
 「一切衆生、悉有仏性 (しつうぶっしょう) 」 (いっさいの衆生がことごとく仏性を有している) とは、『涅槃経』による主張で「生きとし生けるものすべてに仏になる可能性を認めよう」ということになります。これは大乗仏教の基本テーゼといわれるものです。
 では道元は、これをどのように解釈したのか。
 「有している」といえば「有していない」状態もありうることになり、「失ってしまう」ことも考えられる。そこで「哲学者・道元は、仏性というものが「有る・無い」といった相対概念でもって平板的に受け取られることを惧れた」というわけです。
 そこで道元は「一切は衆生なり、悉有が仏性なり」(一切が命あるものであり、全宇宙が仏性である) と結論しました。これは漢文解釈からは逸脱していますが、「全存在は仏の世界のなかにある」といいたかったというわけです。言い換えるならば、宇宙生成、存在の原理を「仏性」という言葉で表現しようとしていたということになります。
 この仏性論は、「無仏性 (「すべてが仏性であれば、「無」、つまり「ない」ことも仏性である) 」という概念も包括していきます。さらに「時節因縁(そのときのそのあり方)」が仏性であるといい、ありのままの現状に仏性を認めていきます。
 「山水経」の巻には、「爾今 (じこん) の山水は、古仏の道現成 (どうげんじょう) なり。」とあります。その意味は、いま我々の目の前にある山水は、この世に出現された諸仏の説法にほかならないというわけです。つまり「一切の衆生」ではなく「一切は衆生」であるからというわけです。

 「時節因縁」の現状認識をたどっていくと、道元の時間論がみえてきます。それを「有時 (うじ) 」の巻でみていきます。
 「有時」を「あるとき」と読めば、A「或る時(過去の時間)」、B「有る時(現在性の時間)」の二つの表記があります。
 「有る時」とは「時(現在)」が「有(存在)」であり、「有(存在)」が「時(現在)」であること。道元は、時間というのは「現在(いま)」という意味だといっています。それは「時節因縁」に対応する考え方で、現在性への覚醒が仏性になります。
 ここから演繹して「過去を追うな、未来を求めるな」といえば「今を生きることに精進せよ」ということになります。これに徹底してさらに「反省するな」といえば、日常的な自己愛的欲望にまみれにっちもさっちもいかないときの、現場の処世訓としていわざるを得ないお節介ならば了解できますが、実は、何はともあれ「反省的フィードバック」がなければ「現在性への覚醒」も成り立たないのです。
 道元の時間論は、「現在・現在・現在…」だといっていますが、反省的フィードバック機能を考えずに「現在性への覚醒」はいかに検証されるのでしょうか。さらにいえば瞑想における「現在性への覚醒」においてさえ、瞑想を支える「瞑想的反省者」が措定されていなければ瞑想さえ成り立たないのですから、「認識」「認知」「自覚」「覚醒」にいたるすべてが、「対自化」という反省的営為であることを忘れてはならないのです。
 宇宙的時間の中に身を置いて、あたかも永劫に流れる時間感覚を「経験」し、そこでいまに屹立する自己を仏性として発見する「行為」なくしては「いま」は語れないのです。つまりこれは「経験と行為」の反省というフィードバックによって成立しています。あるいは、たゆたう時間の中に流されていく「行為」、奔流のごとき時間に抗って自己のくさびを打ち込む「行為」は、流されようと留まろうと、そこで「現在性の仏性」に覚醒するためには反省的な体感的「経験」を必要とするのです。
 つまり、たとえ「没時間的瞑想状態で仏性を体得」していても、それが「現在性の時間」に位置づけられているのを知るためには瞑想的反省者によって時間の中に引き戻されなければならないのです。
 つまり、「仏性への覚醒」は体感者にとってはしばしば没時間的感覚であるといいますが、それとて時間の流れに呑み込まれているのですから、時間そのものも仏性と心得るのが無理のないところと思われます。宇宙生成、宇宙存在の原理を仏性と見なすことが出来るのですから、「時間」が仏性で無い理由は見当たりません。たとえ「時間」が仏性であるといっても、道元的時間論に不都合が生じることはありません。むしろ断絶する時間の集積よりは現実的理解だと思います。
 「反省」という営みは「私が私である」ための必要不可欠な条件ですからそれを回避することは出来ません。たとえば「私は仏性である」という自覚においてはすでに「私」はなく、単に「仏性である」ものだけしか存在しないとしても、ここで「〜である」事態の人称性は曖昧になっていても、そこに仏性を具現化している誰かは歴然として存在しています。これはそこに何らかの「行為と経験」が成立している限り回避し得ぬ反省的フィードバック機能があることを示しています。

 禅の心得としてしばしば出てくるのが「只管打坐 (しかんたざ) 」という言葉です。その意味は「座禅だけが修行ではない。ひたすら座り抜き、眠り抜き、歩き抜く、その姿こそが仏であり、悟りである」といいます。
 修行と悟りは一つ、行住坐臥 (ぎょうじゅうざが) のすべて、日常生活が修行であるということになります。
 「大悟するために修行するのではない、悟りのなかにいる (仏である) からこそ修行できる」ともいいます。言い換えるならば、「悟りが目的で修行が手段なのではなく、修行の中に覚りを見、悟りの中に修行がなければならない」というのが道元の禅ということになります。
 つまり、修行と悟りは自己目的的な「一元的構造の行為と経験」というわけです。これは持論において、「何って何!?」に至る「問いが回答であり、回答が問いである」という設問と同じ一元的な純粋体験であり、「行為と経験」のフィードバック機能において「人称性を回避しうる」、言い換えるならば「身心脱落の体感」を保証する最強の体制であるということが出来ます。しかしここで体感する「身心脱落した仏性」は「十全たる仏」としては存在し得ず「とりあえずの仏」に留まることになります。
 その事情については、「悟りと修行のフィードバック機能」を<とりあえずの私>から引用します。

 『つまり、私という存在のみならず、何かがここに存在するということが、世の定めとして恒常不変でいつづけるとができずに「何かが何かに変わり続けようとする力」を回避できないまま横滑りし続けることであるとすれば、「悟り」であるはずの「私を解消した」境地としての「私たりえぬ私」への到達と、それを体得した解脱者としての「私たりうる私」状況は、生きて存在しているかぎり、どうしても「とりあえずの私」というところに留どまらざるをえないということになります。 
 言い換えるならば修行者の「悟り」という自覚体験は、「修行=行為者」が「解脱=経験者」としての反復 ( フィードバック) と、「修行=経験者」が「解脱=行為者」として反復されていくという重層的な反復状況により、「修行している私」と「解脱していく私」と「解脱した私」が同時に横滑りしながら共存していることになります。』

 さて、「只管打坐」の生活が定着し、<とりあえずの仏>としての仏性が活性化するとどうなるのでしょうか。「諸悪莫作 (しょあくまくさ) 」の巻でみてみます。
 「諸の悪を作すこと莫(なか)れ」といい、「物事は縁(条件)によって善になったり悪になったりする」というわけで、所詮、善悪の判断は条件次第ということになります。
 ということは、道元さんとしては<とりあえずの仏>として善悪の判断をしっかりしなさいというのかと思うと、「しるべし、「諸悪莫作」ときこゆる、これ仏正法なり。」といいます。つまり、「修行者=とりあえずの仏」は自然に悪いことをしなくなる、悪を思いとどまることになるというわけです。
 「悪いことをしようと思っても、自然に悪いことができなくなる。善をしようと意気込むことなく、ごく自然に善をしてしまうようになる。心を浄くしようなどと思うことなく、自然に心が浄まる。」これが「莫作」だと道元はいいます。
 では、「行住坐臥」が修行だという生活はどのような心構えで臨めばよいのでしょうか。「菩提薩埵四摂法 (ぼだいさったししょうぼう) 」の巻を見てみましょう。
 「布施」欲望を少し抑制すること。他人にへつらわない。
 「愛語」慈愛の心を起こし、いたわりの言葉をかける。相手をそのま ま肯定する言葉。
 「利行」「利行は一法なり」「自他不二」による「自利=利他」の立 場。
 「同事」自分と他人は同じであるという立場。
 これら四つの実践徳目はそれぞれに四つの実践徳目を具備しているといいます。つまり、4☓4で16通りの実践徳目があるというわけです。

 さらに、道元は菩薩が学ぶべきことを「八大人覚 (はちだいにんがく) 」の巻でも残しています。「大人」とは菩薩のこと。
「少欲」 物足りないものを、物足りないままにしておくこと
「知足」 与えられたものを、全部が全部自分のものとしないで、一  部を他人のために回すこと
「楽寂」 静寂を楽しむ。喧噪の場所を離れること
「勤精進」精進に勤める。おのれ一人の利益のためにがんばらないこ  と
「不忘念」常に仏法を思っていること
「修禅定」心静かに真理を観察すること
「修智慧」智慧を修得すること
「不戯論」物事を複雑にせず、あるがまま、単純そのままに受け取ること
 これらの八つの教えには、それぞれに八つの教えが具わっているといいます。全部で 8☓8 で64通りの教えということになります。
 「菩提薩埵四摂法」「八大人覚」とは正に仏の価値観ということになりますが、「修行者=<とりあえずの仏>」として精進すればいずれは「諸悪莫作」でいうように、自然にこの徳目が身についてくると考えるのが自然と思われます。しかし、わざわざ実践すべき徳目を列挙することの意義は、この徳目が実践できているかどうかという「反省力を喚起」することに他なりません。修行しなければ徳目は身につかず、徳目は不十分でも実践しなければ仏になれません。言い換えるならば、「修行」とは、「懺悔」「帰依」「結縁」で始まるように、事あるごとに「反省」のくさびを自身の心に打ち込んでいく営みであるからです。
 もはや、「反省し続けること」なくして修行者、表現者は生き延びる道を見いだすことが出来ないというわけです。

 道元は、「迷いをしっかりと迷うことが悟りなのだ」といっています。今更ながらに、「ひょっとすると、いや、やっぱり、持続する表現生活なんてやつが迷いだったんだね、ヒヒヒ」と、わざとらしく下心満載でしかも自嘲気味に、ちょいとシニカルに笑ってみると、悟りちゃんも見当たらず… てなところが実感です。
 さあ、先はまだまだ長いぞ

 ここで、「ひろ さちや」さんの解説による『道元著「正法眼蔵」』の読み解きは終わります。原本は膨大な著書ですが、それでもそのエッセンスだけは十分に堪能できたのでないかと勝手に思っています。それは、私がわずかな知識とささやかな実践の中で構築してきた「絵空事的反省論」があながち荒唐無稽の戯言でもなかったという実感が得られたということです。それは「煩悩」を「自己愛」「自愛的欲望」と読み替えて「愛」の処遇を考えていく中で、辿り着いた確証が次の言葉であったということです。

 『ここでもわれわれの前に立ちふさがるのは、「肯定原理としての <愛> 」であり「すでに生まれ生きつづけている」という絶対的な事実、すなわち「 <愛> の現実」なのです。したがって、われわれの「見定めること」における選択肢は限られています。この <愛> をいかにして引き受けるのかということにつきるのです。では「見定める」という反省的眼差しはいかにして生きられるのか。
 もはやわれわれに残された回答とは「この <愛> を消極的に引き受けて積極的に (対自として) 解放 = (対他として) 開放しつつ生きる」ことしかないということになります。
 つまりこれが因縁解脱へ向かう修行ということになります。と同時にこれこそが到達点としての因縁解脱的生き方そのものといえるのです。』

 いま思えば、ワープロに向かうたびに、後ろに人の気配を感じていたのは、道元さんだったのでしょうか、ハハハ。

2017.04

 

ⅴ) 「親鸞 歎異抄」を読む

 

 これも、NHK-Eテレ「100分de名著 / 『歎異抄』/ 解説・釈 徹宗」をテキストにした入門講座ということになります。

 『歎異抄』とは、「親鸞聖人を直接知る唯円という人物の手によって、親鸞の語録とその解釈、さらに異端の説への批判を述べるもの」として書かれ、「原稿用紙にすれば三十枚程度の分量しかない」といわれます。そして原本は現存せずいくつかの写本によってその内容を知ることになります。
 したがって、この一冊で親鸞思想や浄土真宗のすべてを理解することは困難といわれます。しかし「求心力を持つ書物として、時代を超えて現代に読み継がれている」というわけです。

 釈さんの解説は「人間の影を見つめて」という視座で始まります。
 法然の教えは「阿弥陀仏の本願によって誰でも浄土に往生できる。厳しい修行などできない凡人は仏の名を称えよ (称名念仏) 」というものです。あらゆる階層の、非力な、弱者のための宗教として受容されました。親鸞は二十年間も比叡山で修行しながらも迷い続け、法然との邂逅によりはじめて開花するのです。
 法然の提唱した仏道は、仏教本来の自力による「難行=修行して悟りを開く」「聖道門」に対して、「易行=他力の仏道」による「浄土門」ということになります。
 同じ仏教とはいえ、救済の対象と手段が違い、目的とする到達点が違うのですから、それぞれの世界観を同じ土俵で語ることには無理もあります。
 阿弥陀仏の誓願とは「浄土に生まれたいと願って念仏する人をすべて救います」というわけで、唯円は「こんこんと煩悩が湧きあがる人でも大丈夫。仏様の願いにわが身をお任せすれば救われるのです」といいます。
 親鸞は「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけまゐらすべしと、よきひと(法然) の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」
 さらに解説によれば、『もし自力で修行して悟りを開ける人が、法然の言うことを聞き、他力の仏道を歩んで地獄に行ったなら、だまされたと思うかもしれない。でも自分 (親鸞) は他力しかないし、どんな行も満足にできないのだから、もし法然の教えが嘘で地獄に行ったとしてもそれでいい。「そもそも自分は地獄しか行くところがない身なのだ」と言うのです。』
 さてさて、親鸞は自分が阿弥陀仏により正当的に救済されるべき人格であることを言うために、ここで対比される修行者を想定します。ところが、その修行者の設定に違和感があります。自力で修行して悟りを開ける人ならば涅槃寂静の意味するところも見えているのでしょうから、わざわざ浄土に生まれ変わりたいと願う理由が見つかりません。まして仏教者なら、他者救済の視座を持つときに、法然のいう極楽往生にもその正当性を認めるにやぶさかではないはずですから、なんで地獄とやらに落ちなければならないのでしょうか。そもそも地獄と極楽を語る世界観とは他力救済の一神教的宗教の特許のようなもので、自力の人にはなじみません。
 そんな自分勝手な論法を無頓着に披瀝してしまう親鸞は地獄に落ちるという自覚なのでしょうか。

 解説によれば、親鸞は「慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります」といっているようです。ここで釈さんは、慈悲に関することとして「仏教は智慧と慈悲の獲得・実践を目指す宗教です。仏教の悟りの内実は、智慧と慈悲です。」と定義します。
 『歎異抄』によると聖道の慈悲とは、「すべてのものを憐れみ、愛おしみ、育むこと」とありますが、それを親鸞は批判します。「いずれも自分の都合にって歪んだ愛情」で「それでは真に他者を救うことなどできない」といいます。したがって、「浄土へ往生して、仏と成って、人々を救うことを目指す。それが浄土門の慈悲」だというわけです。
 これも親鸞得意の論法ということでしょうか。聖道の修行者が歪んだ愛情の慈悲を施しているというわけです。親鸞がそのように糾弾する聖道の人がいたのかもしれませんが、それですべての聖道を批判してしまうとは論理が雑駁(ざっぱく)に過ぎます。
 では宗教によって「真に他者を救済する」とはどういうことでしょうか。
 親鸞は「今生に、いかにとほし不便とおもうとも、存知ごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。」といい、自分が思うようには救うことができないのだからこのような慈悲は不完全だといいます。なんと思い上がった救済論でしょうか。救いを求めている人々は、だれもが完全なる慈悲など望んでいるのでしょうか。完全なる慈悲とやらでなければ人は救えないのでしょうか。
 救済体験は救済に手をさしのべた者の判断ではなく、あくまでも救済されたと実感する人の心の問題です。ですから、たとえば死者が自身で成仏したと体感しない限り、端であんたは成仏したといっても救われた保証には成りません。まして、死者は自分が成仏したかどうかを教えてはくれません。さらに不可解なのは、この世で救われないとされていた人々に救済の手をさしのべたのが浄土宗であり、浄土真宗であったはずなのに、浄土門の人は、現世では煩悩にまみれいかようにも慈悲を発動する資格がなく、まずは自分が浄土へ往生し、仏になってからでなければ慈悲の手をさしのべないというのでしょうか。支離滅裂です。
 さらに親鸞の念仏は追善供養ではないといいます。これまでの経過を見れば、これは当然のことと思われます。追善供養とは死者のために縁のある者が積徳の行を行うことですが、親鸞は、自身が称える念仏も、自身の功徳ではなく、あくまでも仏様の導きで称えさせていただいているだけのことだといいます。確かにこれでは追善供養にはなりません。つまり、法事であげる念仏でさえ、死者が仏となって念仏を称えさせてくれていることになります。では、死者が仏となっている根拠はどこにあるのでしょうか。ここでは死者本人が自身の判断で成仏していると認知しているかどうかの問題で、現世に残された者には判断のしようがありません。つまり、すべての死者が成仏しているという根拠はどこにもありません。しかも、ここには死者を弔うという発想も見当たりません。
 でも、浄土真宗では事あるごとに法事を営むということです。ここにあるのは、あの人は念仏を称えながら死んでいったのだから、あるいは、極楽浄土への往生を願っていたから、「たぶん成仏したはずだ」という、生き残った人々が「念仏信仰」で自己正当化をせずにはいられない「ご都合主義の成仏」を見るに留まります。
 仏教本来の念仏とは「仏を念ずる修行」であり、「観仏」により身心が仏と一体になる三昧を目指します。それに対して法然が提唱したのは「せめて口に仏の名前だけでも称えよう」ということで、これが「称名」という念仏になります。「これこそが阿弥陀仏の願いに相応する」こととして、「称名念仏ただ一つを選び取る道 (専修念仏) 」を切り開きました。したがって、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」といい、「自分の能力によって人を導いているのなら弟子と言えるけれど、そうではない。私も仏様にお任せする道を歩んでいるし、皆さんの同じでしょう。」ということになります。本来の仏教ならば、信心は個人の問題へと還元されていきます。それなのに親鸞の場合は、信心の扱いも違うようです。親鸞のいう念仏、信心をふまえると、あらためて次の問いをしなければなりません。はたして親鸞のいう完全なる他者救済とは何なのでしょうか。
 親鸞に係る言説を見る限り、「自分はいかに救われる苦悩者になるか」という立ち位置を探り続けた人と思われます。そこで「究極の絶対的救済者である阿弥陀仏」に遭遇します。そのとき親鸞は「絶対的苦悩者」である自己を発見します。ここで親鸞の自己救済願望は、「絶対的な他力救済力」との邂逅によって初めて成就される保証を獲得します。つまり、親鸞の自己救済はいかにして他者からの「他力救済に適合した苦悩者になるか」というところへ落ち着きます。では、この親鸞から発動される他者救済力とはどのようなものか。
 自身が「他力行為者」であるためには、絶対的苦悩者である自身を救ってくれた阿弥陀仏と同様に「絶対的な救済者」にならなければならないという認識があったと思われます。ところが他者救済の現場で、救済願望の苦悩者が求めているものは、繰り返しになりますが「絶対的な救済者」であるとは限りません。でも親鸞は、阿弥陀仏と同じ位置に立たない限り他力は発動できないと逃げてしまいます。つまり親鸞には、元々その気は無かったといわざるをえません。したがって救済願望の愚者、弱者の前でも、ただ「わたくしはこのようにして救いの保証を獲得しました」と解説、指導するだけのことになります。これで親鸞は、自身の不完全な他力を使うこともなく、苦悩者には自身が享受したのと全く同じ完全無欠な他力を紹介することができます。親鸞に他力の実行力を期待するのはお門違いだったのです。
 とここまで、テキストに沿って読み進んできましたが、いくつかの疑問がまだ残ります。
 ではなぜ、「極楽浄土ツァーの案内人」にすぎない親鸞さんが、多くの迷える人々を救うことができたのか、と問いかけてみると、「いや、私は道案内をしただけだ」と親鸞さんはいうかもしれないが、どこからか聞こえてくる「親鸞聖人さま、おかげで助かりました」という人々の言葉を無視することはできないはずです。でなければ、親鸞さんの歩んだ後をついて行く人はいません。
 ここで親鸞がいくら私は救ってはいませんと言い張っても、現に「救われました」と感謝の言葉を受けてしまえば、問答無用に親鸞の他者救済は成立しています。親鸞にしてみれば、不本意に他力の積徳を積む結果となり浄土門から外れるてしまっていることを認めたくないということでしょう。
 そもそも人が救われる機会とはどのようにしてやってくるのでしょうか。ある人が、友人か知人に「いまそこで、誰でもみんな救ってくるなんて言ってる人が話をしているよ」と知らされて、「どうせ嘘に違いない」と無関心でいることもできるし、「へえ、面白そうだね」とそこへ行ってみるのも自由です。で、まずは「興味を持つ」という「経験」があれば、ちょっと「行ってみるか」という「行動= 行為」を起こし、それが極楽浄土ツァーというやつでなかなかすばらしく、いままで聞いたこともない様な内容で至福の喜びが得られそうだと感動します。その「感動という経験」が次にこのツアーに参加しようと思い立たせ、旅行者は宗教者と名を変えて「出発=行為」します。さて、この宗教者は何歩も進まぬうちに、すでに進みはじめていることを「経験として自覚」するフィードバック機能が覚醒し、その客観的な視座が自身の道案内人へとスライドしていきます。その視座は、この限られたルートでは阿弥陀仏の眼差しに相違ないのです。「あれ、私は阿弥陀さまのお導きよって歩かされている」という宗教体験を享受します。
 そんな救済体験が想定されるときに、宗教への覚醒が「阿弥陀仏の救い=招き」経験のみで始まるかのような本末転倒のええとこ取りは、「念仏行為」なくしては成り立たない「阿弥陀仏の救い=招き」経験のええとこ取りと同じです。

 仏教においては「知と信は一体」であると言いますが、「親鸞は、自分自身の知も信も、不完全なものでしかないという立場に立脚します。」それは「自分の都合に彩られているから」。それゆえに「阿弥陀仏の救いのめあてとなる」といいます。「自分の影の部分が見えるのは、救いの光りに当たっているから」で、親鸞はその影を凝視し続けたというわけです。

 次は、「親鸞思想の最大の逆説」といわれる「悪人正機説」です。しかし、このフレーズはすでに法然が使っていたということです。
 『善人なほもつて往生をとぐ。いわんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。』
 (善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人はいうまでもありません。ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往生するのだから、もして善人はいうまでもない」といいます。)

 ここにいう善人とは、「自力で修めた善によって往生しようとする人」のことであり、「他力」の心が希薄で、自分の修行や善根によってどうにかなると思っている人のこと。こんな人でも阿弥陀仏は救ってくれますよ。そして悪人とは、「煩悩具足のわれら」のことであり、阿弥陀仏は、いかようにも迷いの世界から抜けられないわれわれこそを救済するための仏ですから、その仏にすがるわれら悪人こそが浄土に往生させていただくことができるというわけです。
 つまり「他力の仏道においては、悪人こそが正機であり、善人は傍機である」ことになります。(機とは対象の意味)

 もういちど、不本意ながら他力を発動し、自力の積徳をしてしまった親鸞を想定してみれば、いつもは悪人面しているくせに本当は根っからの小心者で小賢しい善人なのかもしれないというわけで、阿弥陀仏からの眼差しを一身に受けたいがために、自身の素直な善人性を抑圧している欺瞞の悪人性が露呈すれば、阿弥陀仏の救いである本願を偽るほどの極悪人へと昇格できるどんでん返しのチャンスがあったはず。とはいうものの、そんなことは承知のうえで、不作法な極道気取りの悪人面は好まないというわけで、ちょっとシャイに阿弥陀ジャケットなどかあるく羽織り、下心は見え見えのちょい悪親爺を決め込んでいるのかもしれない、へへへ。
 話はそれますが、遠藤周作著「沈黙」の主題が、神の救い、キリストの導きを裏切るものにさえ、その裏切りの痛みに神は無言であるが寄り添っているという救済が語られていました。
 だから親鸞も、そんなささやかな一事においてさえ、ここに起死回生のチャンスがあることを見据えていれば、救済型宗教の一番の泣かせどころにデビューできたと思われます。いや、多分、そんなこともお見通しで、姑息は性分と割り切って、ええ格好しいのええとこ取りは止められない人だったのかもしれない。
 ここで釈さんは、イエスの言葉を引き「貧しい者、飢えている者、泣いている者、あなたこそが幸せだ。なぜなら神の国はあなたたちのものなのだから」と、宗教的救済の社会通念に対する逆説性を説明しています。それが宗教というものの社会的存在理由だともいっています。この点で符合するものとして、すでに私が引用した本田哲朗神父の言葉があります。本田神父は、キリスト教内の救済論の矛盾、つまりは「弱いもの」を「弱きもの」へと見下して救済しようとする欺瞞に対して、「弱くされたもの」に寄り添ってこその救済であるという、宗教的救済のあるべき姿を語り実践されていました。
 そして釈さんは『弱者や愚者にとって「信じる」という姿勢こそ、生きる術です。「信じる」とは、人間のあらゆる営みのなかで最も強いエネルギーをもちます。根源的な力です。苦難の人生を生き抜くための手立ては、信じることです。』といいます。そういえば、日本で作られた古い賛美歌の中に「信ずる者は救われる。みんな救われる。ただ信ぜよ、云々」というフレーズがあったことを思い出しました。
 思い起こせば1960年代に青年期を過ごした我々は、闇雲に信ずるもの、信じ込ませようとするものには懐疑的でありました。「信じてしまったらおしまいだ。何にも見えなくなってしまう」と揶揄したものです。つまり、どんなに苦しくても、現実を直視する勇気と洞察力、判断力は失ってはならないという自戒をこめて、「信じなければ何も始まらない他力の宗教」を敬遠しました。そもそも我々は信ずるに値するものの価値を崩壊させることに力を注いだ張本人世代の奔流を生きたのですから。そんなわけでこのスタンスが、親鸞への違和感になっていると思います。

 続いて釈さんは、「念仏は阿弥陀仏の働きである」という観点に立ち解説していきます。
 「念仏は行者のために、非行、非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善といふ。」
 つまり「他力念仏は、自分の力で実践している修行ではなく、善をつんでいるわけでもない」というわけです。まさに追善供養の入り込む隙間はありません。
 とするならば、他力念仏は「私という身心」によって阿弥陀仏がその働きを具現化していることになりますから、そこには当然のこととして成仏という体感が拓かれることになります。それは雲水の座禅が、座ることによって仏を具現化していることに対応していると思われます。しかし、ここでも親鸞は、成仏からドロップアウトして、愚者へと埋没していきます。これが親鸞の真骨頂ということになります。
 では、なぜ親鸞はここからドロップアウトしてしまうのか。
 親鸞の念仏が真実のものであれば、阿弥陀仏の具現化による成仏を体得していなければなりませんが、しかし愚者でなければならない親鸞は、現世で成仏したといってしまっては、愚者でなければならない自身を裏切ることになります。まして、念仏していても成仏の体感が得られないとすれば、念仏そのものの虚偽性が明らかになります。それは同事に、嘘偽りのない十全たる念仏であるはずなのにいまだ仏からの回答がない事態でもあり、そもそもの阿弥陀仏の誓願とやらを疑わざるを得なくなります。
 つまり、この三重拘束の真っ只中で親鸞の念仏は、阿弥陀仏から頂いたものだというにとどめておかない限り、自身の身の置き場がなくなってしまうというわけです。
 「念仏申し候へども、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。」
 (念仏しておりましても、おどりあがるような喜びの心がそれほど湧いてきませんし、また少しでもはやく浄土に往生したいという心もおこってこないのは、どのように考えたらよいのでしょうかとお尋ねしたところ、次のように仰せになりました。
 この親鸞もなぜだろうかと思っていたのですが、唯円房よ、あなたも同じ心持ちだったのですね。) 
 ここで親鸞は愚者に留まる立場を明確にします。とはいえ、ちょっと斜めに見ると親鸞さんはやっぱり演技過剰のええ格好しいに見えてきます。おおっと失礼。では、親鸞も唯円もいい加減な念仏しか称えていなかったということでしょうか。それはどれほど真摯に念仏を称えても、ひとたび念仏が途絶えてみれば、現世では煩悩にまみれて勝手な自己愛で生きざるを得ないのだから、所詮は愚者に過ぎないといって、判断中止の念仏に安住しているといわざるをえません。たとえば雲水が只管打坐をいうように、親鸞の念仏は日常生活そのものが念仏であるとは言い切らないのですから、逃げることからは逃げない判断中止の覚悟には感服せざるを得ないのです。

 もう少し親鸞の念仏についてみてみます。
 「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき。」
 (本願他力の念仏においては、自力のはからいがまじらないことを根本の法義とします。なぜなら、念仏ははからいを超えており、たたえ尽くすことも、説き尽くすことも、心で思いはかることもできないからですと、聖人は仰せになりました。)
 『親鸞は、南無を「おまかせします」ではなく、「まかせてくれよ」と仏に呼ばれているのだと領解します。自分の称えた「南無阿弥陀仏」が、仏の呼び声となって聞こえてくる。それが他力の念仏なのです。「称える」ことは、すなわち「聞くこと」である。「称名」は、すなわち「聞名」である、ここが親鸞の念仏の本質です。』と解説されています。
 これを「行為と経験」の構造としてみてみましょう。
 「南無阿弥陀仏」という自己の「念仏行為」が仏からの「念仏経験」としてフィードバックされ、仏からの呼び声を聞くことになります。認識の構造としてみると、「対<阿弥陀仏>的対自」の「念仏行為」が、「対自的対<阿弥陀仏>」の「念仏経験」になっています。ここでは、自己の中の反省的視座が「客体視」されて「阿弥陀仏」として存在します。この認識構造がなければ仏に出会うという宗教体験は成立しません。さらに念仏が続き循環すれば、「客体視は客体化」を進め無意識においてさえ「阿弥陀仏」を引き受けざるを得なくなります。ここからあらたなる「念仏行為」が発動されれば「南無阿弥陀仏」は他者に共有される「念仏経験」を開示します。
 つまり、親鸞が念仏を「聞名」として捉えているということは、「念仏行為」による「成仏経験」に踏み込んでいることになります。しかし親鸞は「成仏経験」を日常生活にフィードバックすることなく、それを仮の体験にとどめて煩悩の中へと埋没してしまいます。
 親鸞自身は一度も「悟った」とは言わなかったといわれますが、「信心の人は如来と等しい」とか、「他力の信心を得た人は、仏様と同じく悟りを開いたのと等しい」といっているようです。これを「成仏経験」なしで語っているとすれば、親鸞は単なる嘘つきに過ぎないことになります。ま、そんなはずはありません。
 自力による解脱、成仏とは、このフィードバックを引き受けて現世で生きることでしかないのですが、この釈尊から流れる自力の系譜を、救済の自己実現をめざす「リアリスト」と言い換えてみます。それに対して、死後にしか巡り会えない浄土あるいは極楽物語に、究極の救済を想定する親鸞を「ロマンチスト」とよぶことができますが、そんな親鸞は今更この現世では、他者救済力のない宗教家としては生きようがないのです。「リアリスト」にとっての救済はいかなる形であれ、現世でそれを具現化せざるを得ないのですが、来世に夢見る正統的な「ロマンチスト親鸞」は、他力の念仏者としのスタンスを捨てるわけにはいかないのですから、極楽往生行きの親鸞様限定予約切符を握りしめ、煩悩の中へと逃げるしかないのです。

 次に進みます。唯円が「歎異抄」で異議を正すときにとりあげたキーワードは「造悪無礙」と「専修賢善」です。
 「造悪無礙(ぞうあくむげ)」(悪事をしても何の障害にもならない)
 これが「浄土宗、浄土真宗の存在意義」であり、一念義(ただ一回の念仏で救われる)を唱え、「信心重視(誓願不思議)」の立場をとりました。
 「専修賢善(せんしゅうけんぜん)」(ひたすら善を積まなければいけない)
 これはおもに浄土宗と浄土真宗の中で異議とされた立場の主張で、多念義(往生までできるだけ多くの念仏)を唱えるという、「念仏重視(名号不思議)」になります。

 「学解往生」教義、教学を勉強しなければ往生できないという主張に対して、本願を信じて念仏すれば往生できるということ。
 「本願ぼこり(造悪無礙)」で、どんな悪事をしてもよい、むしろ悪事をした方が往生できる。この主張に対し、悪事はしないに越したことはないが、それでも往生にはさしつかえないといいます。

 次に、親鸞が唯円に「千人の人を殺してくれ」といった話が出てきます。
 ここでは「人間の意志に拠る倫理の不確実性」の問題が取り上げられ、「状況次第で人間はなにをするかわからない」という事実を見据え、善悪、意志、判断の曖昧さを指摘します。それ故に現世ではいかようにも悟り得ないというわけです。

 「念仏滅罪」、親鸞の教えでは、臨終の念仏で罪を消すことはできないといい、「臨終で罪や煩悩を消さなくても、罪や煩悩がそのまま悟りになるのだ」というわけです。その根拠は、「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」といい、「信心成立のとき、往生、成仏する身になる」からだといいます。とはいえ、それは「往生、成仏」行きの予約切符を頂いたことにとどまります。なぜなら、どうしたって現世では成仏できないのですから。

 「回心滅罪(えしんめつざい)」「罪を犯したときには、そのつど懺悔、回心しなければ往生できない」という専修賢善、多念義系の主張に、唯円は、「回心などというものは、ただ一度の出来事ある」といいます。他力の仏道では、「信心が定まったそのときただ一度のもの」であり、そのときに往生行きの予約切符は頂いているのだから、後は阿弥陀仏のはからいに任せておけばよいというわけです。

 「辺地地獄(へんじじごく)」自力の念仏では仮の浄土に生まれ変わり地獄に落ちるといわれているが、そんなことはないといっています。

 「施量別報(せりょうべつぽう)」お布施や寄進の多少により、大きな仏になったり小さな仏になったりすることはない、ということです。

 いよいよ「歎異抄」も大詰めです。
 「弥陀の五劫思惟(ごごうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり。(阿弥陀仏が五劫もの長い間思をめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。)
 善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。
 (何が善であり悪であるか、そのどちらもわたしはまったく知らない。)
 解説によれば、『自分のための教え、自分のために準備された物語に出遭う喜び、そして「救い」ーー。この一文には、救済型宗教の根幹の部分があると思います。』とあります。

 では、「ひとえに親鸞一人がためなり」の言葉を引いて、最後にします。
 前出の部分において、無意識のうちに自分の都合で生き、結局は煩悩にまみれて生きざるを得ない自分に気づかせてくれるのが「阿弥陀仏の救いの光り」であり、この光りにさらされて自分の影の部分がくっきりと見えてくるのだと、釈さんは言いました。そしてこの影に生涯向き合ったのが親鸞であったというわけです。
 そこで、「阿弥陀仏の救いの光り」と影の関係についてちょっと妄想を巡らしてみます。
 親鸞は自身の不完全性を見定めるために、この影の不鮮明な部分を凝視してそのディテールの細部に至るまでを的確に捉えていたはずです。すると親鸞の空想工房では、その影をまるまる石膏取りして鋳造彫刻の雌型をつくり、自身の影と全く同じ「阿弥陀仏の光り」像を作ることもできたはずです。つまり親鸞型にリニューアルされた「阿弥陀仏の光り」は、もはや親鸞以外のものではあり得ないのです。そのとき、「阿弥陀仏」は「親鸞一人をおすくいくださるため」にあるのではなく、むしろ「親鸞一人しかおすくいできない」光りになっていたというわけです。
 仏教というたおやかな世界観は、ありとあらゆる苦悩者に至れり尽くせりで対応可能な「救済者=仏」をいつでも創出できる可能性の中にあると思います。そんななかで悪人正機のスローガンでありとあらゆる苦悩者を救済しうるという阿弥陀仏は、時がたつほど縦横無尽、融通無碍、完全無欠、云々とスーパーパワーを秘めたスーパースターへの道を進みます。我々が自身の中に探りあてたありとあらゆる苦悩で、阿弥陀仏が救えない苦悩は存在しないのです。つまり、阿弥陀仏ライフの楽しみ方は、阿弥陀仏に向かい自らの苦悩をどれほど厳密に摘出しうるかにかかっているのです。
 そんな意味をふまえていえば、親鸞は煩悩の限りを尽くして「阿弥陀仏」を愛し、そのすべてを「阿弥陀仏」に愛でられし幸せ者であったということです。
 それは、臍曲がりの私が傍で見ていても、「非僧非俗」「宙づりの親鸞」が「完全無欠の阿弥陀仏」のはからいで「とりあえずの親鸞」を貫徹できたと納得できることなのです。めでたし。

 

2017.05

 

 


b)不空芸術菩薩論における「芸術性」

 

 

  ⅰ) 美意識と芸術


 この文の端緒において、岡本太郎との邂逅について語り、芸術家としての系譜を正当化しようという姑息な手段を講じたわけですが、それとは別に、不空芸術菩薩論としての芸術観というものを語っておかなければならないと思います。

 まず「国語辞典 / 大辞泉」で「美」について引いてみると、
『哲学で、調和•統一のある対象に対して、利害や関心を離れて純粋に感動するときに感じられる快。また、それを引き起こす対象のもつ性格。「真善―」「―意識」』

 さらに「Wikipedia」によれば
『哲学における美
美とは、価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。』

 端的にいえば、「美」とは常識・文化・制度によつて相対化された価値であり、普遍的に定義しえないものであるということを踏まえておかなければなりません。
 ここでいう「美」とは、本来、個別的な「私」に安らぎとか癒やしの快感を保障し、豊かさと満足感の至福をもたらし、新たなる自己の発見に立ち会う衝撃と感動に満ちた平衡感覚といえます。
 平衡感覚としての美意識とは、例えばA、B、C の三つの要素が揃えば美しいといえるが、それ以外の組み合わせでは美しいとはいえないという状況。あるいは人によって美的感覚の領域が決まっていてそこから外れると美しいとはいえないという状況。さらに言い換えるならば、天秤の片方には美的感覚分の重りがのっていて、反対側にどれだけのものを乗せたり下ろしたりしてバランスを取るのかというものとして見ることになります。
 さらにこの平衡感覚は、たとえば常識的な美的価値判断の範疇を逸脱したものに美的価値を発見するといった事態では、一見して著しく不均衡な状態であっても、それとバランスを取るための「負の要因」である何かを想定することができれば、それもまた「美」と見なすのです。つまり「美」が自身の価値を主張するためには、それと等価の「美ではないもの」を措定していると考えます。
 したがって「醜」は「美」によって反照的、反省的に定義される感覚として、一つの事象の両価性とみなし「美」との均衡を保持しているため、「不美」「非美」の概念に含めて「美」といえます。つまり「不美」も「非美」も「美」に対する「想像力」によって補完され創出される「美」というわけです。と同時に「醜」とみなされるものはその「醜さ」を補完する「美」を背負っていることになります。
 ここでは「美」の性格として「本来的には <私>という 個別的な平衡感覚」であることをいいましたが、次の段階として「美」の普遍性に道を拓くためには、「私」が他者と結び共有する共同主観的な世界観、あるいはネットワークといわれる共同体に参画することによって形成されるものとしての「美」を語らなければならないと思います。
 では上記の「美 = 醜」を踏まえ、不空芸術菩薩論にいう「芸術」とは如何なるものでしょうか。

「国語辞典 / 大辞泉」
『げい‐じゅつ【芸術】
特定の材料•様式などによって美を追求•表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画•彫刻•建築などの空間芸術、音楽•文学などの時間芸術、演劇•映画•舞踊•オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」』

「類語例解辞典」
『げいじゅつ【芸術】
鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術、および、その作品。空間芸術(建築、工芸、絵画)、時間芸術(音楽、文芸)、総合芸術(オペラ、舞踊、演劇、映画)など。英art』

「Wikipedia」
『芸術(げいじゅつ、希: η τεχνη、 techné、羅: ars、英: art)とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。美術、文芸、音楽、建築、演劇などを指す
概要・定義
とりわけ表現者側の活動として掴まれる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情など様々である。
一般に、美的価値をめぐって藝術は成立する。美的価値は時代や社会や文明によって異なるのか、それとも普遍的な理念なのかは、古来より議論が続いている。プラトンはイデア論にのっとり、イデアの実現を藝術に見た。カントは、『判断力批判』において、趣味判断を論じた。ヘーゲルは、『美学』において、プラトンと同様に美の理念の実現を芸術の役割とした。』
 というわけで、ひとたび「芸術」となると基本的には「美を追求•表現しようとする人間の活動」でありながら「 鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術、および、その作品」をいい、「 表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ」というわけで他者への関わり方が不可欠の問題として浮上してきます。
 この芸術観に立つならば、「美の普遍性」とは「美」が他者への関わりを持ち始めたときからの必然的な要請というわけで、言い換えるならば「芸術」が自らの欲求により構築しようとした価値観が「美の普遍性」であるということかもしれません。逆に言うならば、「美の普遍性」を語ろうとしたときに「芸術」が生まれたというわけです。
 ここで我々は、不空芸術菩薩論における「芸術」を「美の普遍化を求める営み」と定義することにします。
 この「芸術の定義」を顕著に示している例があります。

 NHK-TV『映像の世紀「世界を震わせた芸術家たち」』で、新しい芸術の誕生、つまりは人々の日常性に根を下ろした民衆的美的価値観の創造と可能性を提起した番組の最後の場面において、19世紀ロシア文学を代表する文豪であり思想家であったレフ・ニコラエヴィチ・トルストイの言葉が彼の『芸術とは何か』(1898年)という論文から引用されていました。

 Wikipediaからその趣旨だけを引用しておきます。

 「芸術とは、人が己に起こった最高のまた最善の感情を他者に伝えることを目的とする人間の活動である。」というわけです。
 これらのことをふまえ、不空芸術菩薩論において「美的想像力」とは、いかにして喚起されるのかについて考えてみたいと思います。

 

 

 ⅱ) いかにして「美的想像力」は喚起されるのか

 

ア) 「脳機能」としての「美的想像力」

 

 まず「想像力」について、辞書に見てみると
「国語辞典」では〘哲〙
『① 想像する能力やはたらき。過去の表象を再生するもの,全く新しいイメージを創造するものなどに大別される。
② カントでは,感性と悟性とを媒介して認識を成立せしめる能力。すなわち直観における多様なものを結合して統覚による統一にもたらす能力。構想力。』

「国語辞典」にいう「全く新しいイメージを創造するもの」は、「Wikipedia」では、「生産的」「構築的」な想像力として
『想像力(そうぞうりょく、英語: Imagination)は、「想像する能力」とも呼ばれ、心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに、作り出す能力である。想像力は、経験に意味を、知識に理解を提供するのを助けとなり、人々が世界を理解する基本的な能力である。』

 次に「国語辞典」にいう「 過去の表象を再生するもの」は「Wikipedia」では「再生産的」な想像力として
『想像力は、我々がすべてに出会うための能力である。我々がさわり、見、聞くもの全ては、我々の想像力を通して「像」に結合する。想像力は、共有世界の感覚認識に由来する諸要素から、心の内で部分的または全体的な個人の領域を生み出す、生来の能力・プロセスと認められる。
と言い、これらの『想像されたイメージは、「心の眼」で見られる。』ということになります。

 ここでは美意識に関わる「想像力」について語ることになりますが、その領域は「Wikipedia」のいう「生産的」「再生産的」「構築的」な想像力について語ることになります。
 カントの言う「直観における多様なものを結合して統覚による統一にもたらす能力」を引くまでもなく、日常的、体感的な感覚からしても「美的想像力」の発動とは、そもそも我々の無意識の領域に端緒があると見定めるのは至って自然なことといえます。したがってこの無意識に踏み込まなければ話が進まないわけですが、ここでは無意識を深層意識として構造的に解明するのではなく、我々の日常的な意識にとらわれることのない潜在的な意識あるいは意思・意志を司る「脳機能」に照準を定めていきたい思います。この論点は、以前 NHKスペシャル「脳と心」という TV の番組が、非常に有意義で示唆に富んだ情報を与えてくれました。それを踏まえて語っていくことになります。
 まず脳機能という視点から自己の存立というものを見ていくと、言葉以前に「即自」としてある段階から既に問答無用の自己肯定的欲求を認めざるをえません。そして脳機能の日常的欲求は快適志向です。場合によっては、本来は快適志向であるにもかかわらず過去の抑圧された記憶による自虐的欲求をも含めた不快志向も想定することになりますが、いずれにしても無意識を凌駕する脳機能は常に現在性において自己正当化という営みを支配していると思わざるを得ません。
 自己正当化作用とは快適なもの、不快なものをも含めて現状維持としての安定状況ということになりますが、その安定状況とは脳が管理する情報の意味という表象の駆け引きによって成立するのではなく、あくまでも質量とでもいいうる情報量による均衡状態を模索する「平衡感覚」によって実現されると思われます。
 したがって美意識に限定するまでもなく、無意識の領域においては「私」としての自覚、認識そのものがここにいう「平衡感覚」によって形作られている考えることが出来ます。
 我々はこの「平衡感覚」をたぐり寄せることによって無意識の領域に美意識の手がかりを見つけることが出来ると確信します。因みに「美的想像力」の具現化を実感することの出来る場面とは、
 a. 曖昧模糊、茫漠たる事象に、自己正当化の具体的なイメージを重ね抽出するとき
 b. いくつかの具象的な、あるいは非具象的な事象が連携し共振し新たなる具体的なイメージを喚起するときというわけです。
 a の場合は、すでに脳機能にインプットされた形状認識が、対象の不鮮明さに触発されて、あるいはその不鮮明さをいいことに自己の目的的な形状を勝手に想起し、さらにそれを捏造していることになります。ここで脳機能は、すでに無意識のうちに醸成されている美的欲求を、表現者である「私」の美的欲求であるかのようにすり替えて、快適志向と不快志向で平衡感覚を操りながら、「私」の自己実現を偽装しているのです。我々は脳機能のこの企てに立ち会うことで、イメージの創出を体感することになります。端的に言えば、自己が無意識のうちに創出しているイメージに遭遇していることになります。
 つぎに b の場合は、連携し共振させる個々の事象は、安易に自己正当化のイメージを想像させる曖昧さ、不鮮明さ、混沌を必要としないのです。むしろ具象的な確実性、明晰性、秩序性を根拠としますが、確実性、明晰性、秩序性を有するものもであれば非具象的なものであっても排除することはありません。つまりここでは喚起されるイメージは、その対象が多種多様な条件に分散しているものを連携させそれを統括することによって醸成されてくるものといえます。これも言い換えるならば、自身が直面している現場、状況、環境によって想像的感受性が刺激されて新たなるイメージの創出に向かう事態といえます。

 では、本来、関係性の薄い事象群に、あるいは異質な条件で混在するものたちに、新たなる関係性を構築する「美的想像力」はいかにして喚起されるのか。この様に問いかけてみると、当初提示した脳機能の自己正当化作用に多様性を拓くものとしての「適応力」に目を向けることになります。
 それでは、この自己正当化作用の自由度が広く、柔軟性が高く、切迫しない「適応力」を発揮できる脳機能はいかにして作られていくのかと問い直してみます。
 脳機能の自己正当化という営みが記憶によって培われていくことを考えれば、記憶の幅を広げ、多種多様な情報からなる大量のデータを蓄積できることが必要となるわけです。しかも音でいわれるところのダイナミックレンジの広さ、強弱、陰影の豊かさと同様の質感が求められますが、これは脳機能の適応力の幅を広げることになります。
 ところで、記憶を辿るという言葉がありますが、辿れる記憶には何らかの検索ルートがあるわけで、芋づる式に引き出せる物語があるということかもしれません。何らかの秩序だったルールにより整理され記憶されたデータは脳の財産であり、データを秩序立てて蓄積していくことが記憶の領域を拡大させていく確実な方法なのかもしれません。
 しかし、「美的な想像力」に関与する記憶データとは、知識として秩序立てて整理されたデータよりも、「感覚的なフィーリング」といいうるものによって統括されたデータという気がします。このフィーリングという体感的な検索方法がたぐり寄せるデータこそが重要になってくると思われます。そもそも記憶領域に関与する「感覚的なフィーリング」というものが、記憶されていくデータに様々な彩りを与えていくということかもしれません。
 我々の日常的な営為にみる「感覚的なフィーリング」とは、心のあり方、心構えとして常に感情と密接な関係にあることが分かります。言い換えてみると「感情という心の居所は感覚という知覚機能なしには成り立たない」ということがいえると思います。
 つまり、記憶領域にいうダイナミックレンジの広さ、強弱、陰影の豊かさを与える根拠とは何かとあらためて問えば、感覚によって整理されたデータに関与しうる感情であるということになりますが、と同時に感情によって色づけされたデータを感覚によって整理するということが行われているといわざるを得ません。
 それはごく日常的な場面で我々が当たり前のように遭遇している事で知ることが出来ます。ある風景に出会うと「あれ、ここは初めて来たところとは思えない」という感覚で古い記憶の中へ、あるいはいつ見たのかも知れない夢の中へと旅立ちます。またあるときは、漂ってきた香りに一瞬触れただけで、あの懐かしい過去へと引き戻されてしまうといことがあります。さらに、予期せずに思わぬ困難な状況に追い込まれてしまったときに、その焦り、困惑、絶望感などが、過去の不幸な体験へと回帰させてしまう。その逆に、豊かな自然の優しさ、美しさ、清涼感などに包まれて過去の楽しい思い出に浸るということもあります。
 これらの「感覚的なフィーリング」が足がかりとなって我々は日常的に古い記憶へと舞い戻っているのです。
 感情とはそもそも過去の記憶に委ねられた自己正当化作用の所産でもあることを思えば、現在遭遇している感情が、かつて経験したことのない感動、歓喜であったり、あるいは苦悩、恐怖であることによって、感情の領域がさらに広げられていくことが分かります。ここで感情は、平穏な日常を揺るがす突然の衝撃としてそれに遭遇するのか、あるいは予想を超える驚きとして遭遇するかによって、さらにはそれをどのように受け止め向きあうかによって感情の彩りと豊かさが形成されていくというわけです。
 新たなる感情の強弱、密度に遭遇したときに、そこで過去の感情を司る脳機能が、如何なる自己正当化を企てるかということ。つまりそれを肯定的に引き受けるのか、否定的に抑圧していくのかということになります。いずれにしても脳機能のご機嫌にかかわらず記憶の幅は問答無用に広げられてしまうことになるのです。
 脳機能が意識的であれ、無意識的であれ、広がった記憶領域が用意されれば、脳機能が自己正当化を形成する素材が増えたことになります。無論、脳がそんな事態を受け入れたくないと自己正当化のために脳自身を裏切るかもしれないし、時として自身の判断ミス、誤謬をそれと知りつつ認めないという自己欺瞞を犯すかもしれないし、あるいは脳が自己保全のために生命の本能を司る条件反射的領域への関与も隠蔽して「私」の価値判断をも翻弄することになったとしても、何はともあれ新たなる記憶領域が用意されていきます。
 そこで、あらためて素材として増えた記憶データが何かによって関係性を作られ活性化していく根拠とは何かと問えば、それは記憶データを蓄積させた感覚と感情自身に他ならないと考えられるのです。「感覚と感情によって蓄積された記憶は、感覚と感情の連鎖によって呼び起こされる」のが自然というわけです。
 そして、いま新たに沸き上がった感覚と感情が、そのフィーリングとして体感される感情的状況で如何なる感覚と感情の対自化、さらには感覚と感情の発露である対他化を生起させるのか。
 言い換えるならば、その時の感情の体感が、自身の脳機能による自己正当化をどのように満足させうるのかと問うことになります。
 するとこの満足度とは、とりもなおさず自己愛、意思、欲求などによって措定される尺度によって獲得されるものといえます。「感覚と感情体感」の対自化により掘り起こされた自己の欲求の満足度こそが新たなる記憶の関係性を結ぶ要因というわけです。つまり 感覚、感情と密接な関係にある自己愛、意思、欲求、欲望こそが、個々の記憶データに新たなる関係性を構築する動機といわざるをえないのです。そしてここで想起された感覚的フィーリングが次第に言葉、意味へとたどり着き、具体的なイメージとして結実することになります。しかし状況によっては、その感覚的イメージが言葉を必要としないまま具体的で新鮮な感覚、感情として自足することになります。
 いずれにしても「感覚と感情体感の真っ只中で、自己の存立に至るほどの表現欲求に遭遇することが出来れば、新たなる関係性による快適志向、不快志向により新たなる美的イメージは増殖する」のです。
 ここでは「美的想像力」が喚起されていく状況について考えてみましたが、前出の TV 番組「脳と心」を踏まえれば、ここにいう「想像力」が提示する情報とは何かと問うことが出来ます。
 それは個人的な「記憶」という入口から深層の非人称的な記憶である無意識に至るまでのアーカイブが対象になります。当然ながら言葉以前のフィーリングとしかいいようのないものまでも含まれます。この古い深層の無意識は表層の「私」という「想像力」のセンサーに感知され「表現欲求」にすくい取られることによって、そのことごとくが「創造的な素因」として位置づけられていくのです。
 この番組では、深層の無意識の扉を開けるための方法がいくつか示されていますが、それを「脳の安全装置」を外すメカニズムとして解説しています。それは「霊的体験」「荒行としての宗教体験」「幻覚症状」などによって語られていますが、これらについては次の『美的「想像力=創造力」の霊性』で取り上げますので、ここでは日常的な記憶の範囲を踏まえ、「美的な想像力」が喚起される心模様について語るところまでになります。
 いまここで「心模様」という言い方をしましたが、この「心」とどのように向き合うかということが、実は「想像力」を喚起させる最後の関門になってきます。そもそも、ここで提起した記憶、感情、自己愛は脳機能にお任せの無意識の領域で育まれたものですが、これらを無意識の中から意識化に向かわせるときに脳機能と相思相愛の仲である「心」と称する記憶、感情、自己愛が、新たなる現状維持、安定志向の抵抗勢力になり、勝手気ままに躍動しようとする脳天気な「美的想像力」に立ちはばかるのです。
 しかしそれはどれほどの重大事というわけではありません。自己同一性という基準をどこに定めるかという自己の目的意識、言い換えるならば表現者として主体的ではあるがまだ生命観ともいいうる程度の緩やかな表現欲求にすぎないものによって、まだ防衛本能に目覚める前の「心」との穏やかな領域配分に折り合いをつければ良いことなのです。
 この「心」との領域配分を「感性」の目盛としてみれば、何らかの事情で「心」が硬直化して「領域争い」になってしまっては「感性の目盛」は狭くなってしまいます。つまり、自己同一的基準をその目的に適応させて柔軟に変更し生きられる感情が「豊かな感性」といえるのではないでしょうか。ここで見落としてはいけないことは、「豊かな感受性」が育まれる環境は、「心」によって自身の感覚・感情を拘束したり抑圧してしまってはならないということです。日常的な「心模様」に拘泥して自己に埋没していては「豊かな感受性」は生まれてこないのです。
 美的想像力の増殖は、無意識によっても、あるいは意識化されても獲得できるものですが、「美的想像力」が「美的創造力」として発露するのは、概して自己同一性の基準が曖昧となっていたり、未だそれが確立していない状況のままであるときに、押さえきれない自己実現欲求に突き動かされてということになります。それは、創造力というある種の無謀で強引な営みを抑制しようとする密かな脳機能の欲求が、曖昧さという判断中止状況では無力化されてしまうからというわけです。
 芸術的才能とは、常識・文化・制度の目的欲求により価値づけられた「美的想像力=美的創造力」のことといえますが、それが無意識、天賦の資質であると考えなければならない理由はないのです。つまり、記憶、感情、自己愛を司る脳機能に折り合いをつけて、自己正当化の欲求をコントロールすることが出来れば美的創造力は容易に増殖を始めるのです。ただし、その自己実現欲求が、その時のいま生きている常識・文化・制度の目的欲求に適合した芸術的才能であるかどうかの判断は常に時代の裁量にまかされています。
 その意味において、デザインという方法論は時代の常識・文化・制度の求める目的から新たなる美的想像力を掘り起こそうという逆転の試みであるといえます。したがって、ここで語られてきた芸術論を個人的な美的想像力を普遍化する試みであるとするならば、デザインとは、普遍的な、すでに誰もが共有しうる価値のなかから個人的な美的想像力を発見し具現化する営みということになります。
 さらに感情という視点から見るならば、人間生存の営みそのものの笑い、悲しみ、喜び、痛みという個人的感情の普遍化、さらに誰もが共有する感情の中にごく特異な感覚としての個人的感情を発見し共感するという営みに芸能があり演劇があり、それらはここにいう美的想像力とは入り口の違う感性で芸術という領域を拓いているといえるのです。

 

イ) グラデーションという「美的想像力」


 前節の『いかにして「美的想像力」は喚起されるのか』においてa、b、二つの条件を提示しましたが、「b. いくつかの具象的な、あるいは非具象的な事象が連携し共振し新たなる具体的なイメージを喚起するときというわけです。」について「脳機能としての想像力」という領域とは別に、日常生活に垣間見える事象の連携、共振にかかわる想像力ついて見てみたいと思います。

 まず個別化された事象に新たなる関係性を構築する想像力を語るのに、漠然とした現実に突き出されたままでは話が進みませんから、ある程度の問題整理をしていきたいと思います。そこで、とりあえず画材における色彩、例えば絵具の話として考えてみます。そしてキーワードはグラデーションということになります。それはA色とB色をつなぐ色の架け橋についてです。

 絵具という画材には極彩色といわれる数百の色数を揃えたものがあります。その反対に墨の濃淡だけで表現する画材もあります。
 しかしどちらの絵具も表現者の色彩感覚が表現可能性において無限であることによって、自らの色彩の意味を抽象性へと掠め取られてしまうのです。つまり、どれほどの極彩色画材であっても表現者の無限の色彩感覚の前では、所詮限定的な色数でしかないのですから、それぞれの個別化された色彩は自らが表現しえぬ無限性の現前で、その無限の可能性を象徴する抽象的存在にすぎないということになります。正に墨という画材はその性格を端的に表しているといえます。
 そして、表現者の表現可能性における無限性もその根拠を問えば、当然ながら、自然現象の色彩的発現に辿り着きます。
 ということは、いかに無限の表現可能性に愛でられし表現者も、自然界の色彩的発現を超えることはなく、それを逸脱することもできません。たとえ自然界に存在しなかった物質を造成しても、あるいはそれを燃やしてみても、それらがいかなる状態であれ色彩として存在する以上、自然的現象であることには変わりがないからです。百数十億年も彼方の宇宙を電波望遠鏡で捉え、電脳的に色彩変換してとてつもない神秘的極彩色の世界を垣間見せても、やはり自然的な色彩的発現であることには変わりがありません。
 さらに、ここで我々が指摘しておかなければならないことは、絵の具のみならずあらゆる自然的発色現象には名前がつけられているということです。それが絵の具の場合、絵の具の名前が自然的発色現象を象徴的に抽象する存在であることを示しています。
 子供用の画材として認知されているクレヨン、クレパスは、色の名前に自然の色彩的発現がそのまま取り入れられているものが多数あります。空色、水色、肌色、橙色、ミカン色、桃色、黄土色、小豆色など様々です。われわれは画材のみならず身近なものの識別に身近な具体的発色原因を割り当てて生活してきました。朱色、茜色、藍色など、自然現象の豊かな日本の場合、色の識別範囲はその豊かさに呼応して豊かな言葉で意味づけられています。日本とは異質な文化圏の油絵の具は、画材の命名もより即物的でその原料となったものの名前が多く使われています。しかし、いずれにしても自然的発色現象が元になって画材が名付けられていることには変わりはありません。
 つまり、画材に名前がついているということ、言い換えるならば画材は名付けられた自然的発色現象を「想像させる」ものとして位置づけられているということです。われわれは、絵の具のみならずあらゆる色彩現象に対峙したときからすでに「想像力」を発動させる準備段階に入っているということです。

 前置きが長くなりました。そんな色彩の性質を踏まえて、我々が日常的に色彩作品に対面した時に感じることのできる感覚とは、たとえ色数の限られた画材によるグラデーションであれ、我々はそこに彩の変化を追認できれば、豊穣なる色彩感覚が想起され状況によっては無限に広がる愉悦感、至福感までを獲得することができます。そもそも人々が感知できる色彩とは、正に自然的現象として無作為にすでに存在しているものへの遭遇体感であり、人智、作為を超越したものとしての圧倒的な存在感によって、人間的な色彩感覚は規定されていると考えられます。それゆえに色彩的自然現象に感応した人々の色彩感覚は脱個人的感動であるといえるかもしれません。原初的な人格形成における即自的誕生から始まり、一切の「私」的体感が無意識のうちに色彩的自然現象による対自化の洗礼を受けていると考えるならば、人々の色彩感覚は無意識であるがゆえに共通感覚というものを想定することができると思います。
 そして人々が共有する色彩感覚はすでに濃淡、明暗、あるいは陰影のグラデーションを含んだ総体的な色彩的現象の体感ということになります。ですからこの体感の現場では、見えていいはずのものが、たとえば霧や雲や闇によって茫漠とした陰としてしてしか見えない状況が発生しても、それを不自然と思わない感覚が備わっているということになります。これが陰影のグラデーションを人々が無条件で受け入れる素地といえるかも知れません。そもそもは日の出の光の中で闇から立ち上がった全ての事象は思い思いの色を纏って屹立し、日没を迎えては再び個別的色彩を失って闇に帰ります。時として雑然とした街の風景が新雪に覆われて幻想的な銀世界に変貌すれば、我々は銀世界のグラデーションに心を奪われます。闇のグラデーションも、銀世界のグラデーションも雑多に混在する事象を一瞬にしてグラデーションという一つの方法論による一つの価値観の中に統括してしまうというわけですが、それは至って自然的現象ということになります。
 つまり、色数の限られた絵具の隙間をグラデーションで埋め、あたかも人々の共通感覚といえる豊穣なる色彩的自然現象を体感できるのは、与えられた条件によって触発された無意識の色彩感覚が、個々人において一番懐かしい、ピュアな自己存立に立ち会う色彩体感の感動を呼び覚ましてくれるからと考えられます。それは新たなる「反省的自己」の発見ということになりますが、それを実現してくれるのが「想像力」ということになります。ここで発動する「想像力」もまた無意識における色彩の共通感覚を土台にしていますから、この意味においてグラデーションとは、まことに理にかなった「想像力発現の方法論」として、個別化して屹立するものの性格を見据えた無理のない「現象統括力」を示していると思います。
 グラデーションをこのように位置付けることにより、私の絵空事 (6F) における限定的な色数の色画用紙によるコラージュを見ていただければ、様々な用法の重ね貼りが意図するところがご理解いただけるのではないかと思います。6Fにおける色画用紙の集積は、その作業自体が「美的想像力」を発動させる行為になっているというわけです。

 さらにグラデーションについて見てみましょう。例えば12色環の補色の関係にある赤と緑をグラデーションで結ぶには、赤、橙、黄橙から黄色の先へと進む色環か、その逆順か、さらに緑、青緑、緑青から青、紫へと進む色環か、その逆順のどちらかを実際に見えるものとして提示してもらわなければ、グラデーションの彩の変化を楽しむことはできません。想像だけで赤と緑を結ぶグラデーションを体感できる人は少ないと思います。これは12色環の対極にある補色の関係のみならず、赤と黄色、黄色と緑、緑と青、青と赤の関係でさえ見事なグラデーションで結ぶことが困難な人もいるはずです。つまりここで私が提起したグラデーションとは、様々な色彩をひとつの色環の中に取り込む想像力の問題ということになります。さらにいうならば、グラデーションとは直接的な関係性が希薄な色彩間に何らかの関係性を構築する想像力の姿といえます。グラデーションは色と色の間を、さらに明暗を、濃淡を、透明性と不透明性をも、関係付ける間隔を階層的に分割し連続的に変化させて、両者の性格的な差異性を交換、入替る営みということになります。こうしてみると、グラデーションとは異質なもの同士をつなぐ想像力としては、想像を超える可能性を秘めていると思います。
 同じような働きをするCGの手法にモーフィングというものがあります。Wikipedia によれば『ある物体から別の物体へと自然に変形する映像を見せる。これはオーバーラップを使った映像のすり替えとは異なり、変形していく間の映像をコンピュータによって補完して作成する。変身・変化「メタフォルモルシス(metamorphosis)」の中間部分から命名されたという説と、move(移動)+morphology(形態) の合成語であるとする説がある。』とあります。たとえば少女の顔が見ているうちにライオンに変わってしまうという動画です。
 手法としてはコンピュータの力を借りますが、創出するイメージは正に人々の想像力の産物です。これほど見事に異質なもの同士を繋いでみせる想像力の発現は少ないと思います

 したがって、色の三原色を見てそこに色環を想定する人もいれば、赤、黄色、青が何かの意味を担う記号として、日常的には交通信号機の色として認識する人もいるはずです。あるいは、この人の顔はタレントの誰かに似ているとか、さらには物真似、形態模写似た至るまで、何かが何かに似ているということだけで、およそ似ても似つかぬもの同士の間にほんのわずかな類似点を発見し、それを誇張し、演繹し、レトリックとして見せる芸人がいて、関係付けを企てる想像力の飛躍はとどまるところを知りません。つまり、色環も交通信号機も誰かに似た人もモノマネも、それぞれを支える「物語」が想像力によって想定されていることになります。当然ながらその「物語」とは、人々の常識、文化、制度であり、それを育む人々の希望と欲求の蓄積と段取りということになります。
 我々は自身が遭遇している混沌とした現実で、混在する雑多な事象に何らかの関係を見つけ出すということは、とりもなおさず現場に立ち会う表現者の想像力の働きということになります。それを言い換えるならば、そこにいかなる物語を語り起こすことができるか、あるいは自身の物語の中に偏在する雑多な事象を取り込むことができるかということになります。これらの営みがすべて想像力の所産ということになります。


 と、ここまで語り終えて、これは補足になりますが、ここでは表現者の「表現可能性における無限性」と「絵の具の有限性」から語り起こしましたが、表現者の表現無限性とは自然的発色現象に保障された権能というわけでした。ところがこの状況を別の角度から見直してみますと、絵の具という画材における「色の三原色の有限性」と自然的発色における「光の三原色の無限性」の話に還元されていくことに気づきます。それは絵の具の混色が究極においては黒に埋没し、光りの混色は無色になって拡散してしまうという性格の違いに起因すると思われます。
 現在の表現者は室内に閉じこもったままでパソコンという表現手段を獲得し、わざわざ光り輝く屋外に出て自然的発色現象に回帰することもなく「光の無限性」を操ることが出来るようになりました。ところが表現者における「色 (絵の具) の有限性」と「光の無限性」の問題は、私の場合、パソコン内の原画をプリントアウトするときと、その逆に絵の具の原画をパソコン内に取り込むときの色彩変換の誤差を修正する技術論に留まっていたといえます。
 それ故に、ここで提起したグラデーションという問題は、自然光による発色と絵の具の発色の誤差を埋める想像力を足がかりにして語り起こし、絵の具の有限性という限定的な色間の誤差を埋めるグラデーションこそが想像力の発現を促す最良の方法論であると考えました。
 しかし、改めてここで触れておかなければならないことは、表現者が光の無限性を操るときの美的想像力は、光りの発色現象を絵の具で追体験する想像力とは違い、自身の無限の表現可能性に委ねられた異次元的ともいえる想像力が要請されるという問題です。
 もはやパソコンの中における表現者は自身の意のままに発現できる万能の光りを手に入れたわけですが、それは同時に、自由自在といわれるだけの何の制約も拘束もない無作為の地平に放り出されただけのことになります。そして混色の究極が闇に埋没するか光りとして拡散するかの違いは、自ずと活用の方法論に発想の転換を求められることになります。そんな環境の変化で自身の問題意識を失ってしまっては元も子もありません。
 光りであれ絵の具であれ、色環によって管理可能な色彩はグラデーション的展開の可能性を示しています。この地に踏みとどまることにより自身の新たなる物語を語り続けていけるのなら、新たなるグラデーションの端緒を発見し新たなる想像力の出番を迎えることが出来るはずです。
 光りの発色現象を手に入れた我々は、もはや自然界の発色現象と同じ地平で表現できる立場に立ったことになります。そんな方法論を暗示しているのが、光りのイルミネーションであったり、三次元空間に立体映像を投影したり、あるいは強力なプロジェクターで巨大な映像を作り、すでにある建造物に投影 (アーキテクチャル・マッピング) してその姿を異次元の世界へと誘うなど、様々な可能性を垣間見ることが出来ます。それらはすでに、国内においてはプロジェクション・マッピングと総称される技法として、ビデオマッピング、マッピング・プロジェクション、ビジュアル・マッピングなど様々な手法を包括しつつ発展し続けています。


ゥ) グラデーション補講「色について」


 グラデーションについて書き始めて、改めて「色」についての考察が必要であると思いました。表現者として絵の具を手にすることによって「色」のすべてを手中に収めたつもりでいましたが、やはり、「色と光」の関係を捉え返しておかなければならないという反省です。
 
それは同時に、仏教語における「色」にも目を向けることになります。

 早速、「色」について「広辞苑」を引いてみます。
 『 視覚のうち、光波のスペクトル組成の差異によって区別される感覚。光の波長だけでは定まらず、一般に色相(単色光の波長に相当するもの)、彩度(あざやかさ即ち白みを帯びていない度合)および明度(明るさ即ち光の強弱)の3要素によって規定される。色彩。』


 さらに Wikipedia には
『 色 (いろ)は、可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。
色覚は、目を受容器とする感覚である視覚の機能のひとつであり、色刺激に由来する知覚である色知覚を司る。色知覚は、質量や体積のような機械的な物理量ではなく、音の大きさのような心理物理量である。例えば、物理的な対応物が擬似的に存在しないのに色を知覚する例として、ベンハムの独楽がある。同一の色刺激であっても同一の色知覚が成立するとは限らず、前後の知覚や観測者の状態によって、結果は異なる。』とあります。



 かなり厳密な考察ですが、それがかえって茫漠とした印象になり要領を得ません。ここで色を感知する「知覚」について「広辞苑/第五版」をみてみます。

 『ち‐かく【知覚】(1)〔仏〕知り覚ること。分別すること。 (2)〔心〕(perception)感覚器官への刺激を通じてもたらされた情報をもとに、外界の対象の性質・形態・関係および身体内部の状態を把握するはたらき。→感覚。 →―‐しんけい【知覚神経】 →―‐まひ【知覚麻痺】』

 これを踏まえて、Wikipedia のもう少し先を見てみます。

『ある人が視覚を通して受け取る光の波長が変化すると、それに伴って変化する視覚経験の内容が色であると言える。ただし、正常の色覚を持つ者以外に、正常の色覚をもつ人と色知覚が部分的に整合しない人(色覚異常)、1色覚(全色盲)や全盲など色覚を持たない人もいるため、この事例にも例外がある。しかしながらこの事態に限っては、色覚特性があっても知覚可能な波長にあっては事情は同様である。また、1色覚であっても、波長の長短の知覚が成立する場合があり、どちらかといえば長波長を好む傾向がある。
無色の紙のように、全波長において高い反射率で乱反射する物体は白と呼ばれる。一方、全波長において反射がほとんど無い場合、その色は黒と呼ばれる。完全な黒体は、例えば中空の物体に微小な開口部を設けることで実現できる。この場合、中空の部分に入った光はほとんど吸収され外に出てこないので、反射率はほぼゼロになる。』
 さらに『 スペクトル(色収差 )
物理学的には、光学を基礎とし、色の変化は、物体と物体を照らす光との相関を用いて説明される。物体に入射する何らかの波長の光が観測者の方向へ反射(正反射・乱反射を含む)する際に、その物体の物性に応じた特定の波長のみが反射されそれ以外は吸収される(=波長に応じ反射率が異なる)という現象が起こる。観測者には反射された光だけが届くため、その波長に基づき判断される色が、「その物体の色」として認識される(つまり、光そのものに色という性質はなく、光を受けた器官が色を作っている)。
またそのように観測者に届く光とそれに対する認識とに左右されるため、一般的な色は、人間の視覚即ち可視光線の範囲内を基準として表現されている。逆に言えば、可視光線の範囲を超えた波長の光について観測すると、可視光域で見た場合に比べて全く別の「色」や模様になっている物体もある。例えばチョウの羽根の模様は紫外線領域では人の肉眼で見る場合とはまた異なる鮮やかな模様を描き出し、真っ黒に焼け焦げた新聞紙などは赤外線領域のある波長では燃えた紙とインクが燃えた部分とで反射率が異なるため書かれていた元の内容を読むことが出来る。』

 

 ここで我々は、「色と光」についての常識的な記述に辿り着きます。それは『 観測者には反射された光だけが届くため、その波長に基づき判断される色が、「その物体の色」として認識される(つまり、光そのものに色という性質はなく、光を受けた器官が色を作っている)。』という部分です。
 この記述は同時に、「物体の色」そのものの曖昧さも示しています。
 我々が光りによって「物体の色」を認知している現場は、なんとも変幻自在な状況の関係性に委ねられた「とりあえずの事象」に過ぎないという事実です。
 我々は日常的に、「百聞は一見にしかず」といわれるごとく、「見る」ことによって様々に自己の確信を得てきました。しかし「見る」とはとりもなおさず「色」と「形」と「明暗」を認知して、それらの「状況・状態・変化」などを総合的に見ていることになります。すると回避することの出来ない「色」の曖昧さは「見ることの確信」にかなりの揺らぎが生じることになります。現に、「見ることの確信」は盲目の人にとってどれほどの説得にもならないということです。
 さらに Wikipedia から引用します。

 『色にまつわる見解[編集]
色を説明する場合に、様々な色彩理論を集合的に概説する場合がある。代表的なものに三原色と反対色性がある。色彩にまつわる現象は様々あり、照度や輝度、反射率の変化に従って、見える色も変化する。ベツォルト・ブリュッケ現象やアブニーシフトなど様々な見解が知られている。
三種の錐体細胞と三原色[編集]
人間の錐体細胞 (S, M, L) と桿体細胞 (R) が含む視物質の吸収スペクトル

人間の視覚が色を認識する際には、その光の分光分布を直接計っているのではなく、眼球の錐体細胞に含まれる3つの色素が光を吸収する割合を計っているに過ぎない。そのため、独立した複数の色を合成する事で人間に別の色を感じさせる事ができる。
例えば、黄の波長の光は、赤の波長の光と緑の波長の光の組み合わせによってほぼ同じ刺激を与えることが可能であり、黄は赤と緑の組み合わせの光として表現出来る。そしてこの場合、黄の波長だけが眼球に入っている場合と、赤の波長と緑の波長が組み合わされて眼球に入っている場合を人間は区別できない。』

 「光りの世界」を「絵空事」で読み返してみます。すると、「黄」という人格は「赤」的資質と「緑」的資質が合成された人格と同義ということになります。光りの三原色とは赤と緑と青紫といわれます。これを踏まえるならば、「緑」的資質と「青紫」的資質が合成された人格は「青」という人格と同義ということになります。さらに「青紫」的資質と「赤」的資質が合成された人格は「紫」という人格と同義ということになります。ここでは混色の素材になる赤と緑と青紫が原色というわけです。
 ここで原色について「広辞苑」を見てみます。
『げん‐しょく【原色】(1)他の色を生み出すもととなる色。適当な割合に混ぜることによってすべての色を表せる三つの異なった色。その一つが他の二つの混合で生じ得ない限り、任意に選ぶことができるが、実用的には赤・緑・青紫の三つ(光の三原色)が選ばれる。絵具のような吸収媒質を混ぜるときはシアン(青緑)・マゼンタ(赤紫)・黄の3色が選ばれる。(絵具の三原色) (2)三原色またはそれに近いはっきりした色。あざやかで派手な色。 (3)印刷などで、もとのままの色。「―に
近い色を出す」「―植物図鑑」 →―‐ばん【原色版】』

 さらにWikipediaでは『原色はどの色なのかと問う人がいるが、実際に選択される塗料やインク、あるいはカラーフィルターその他が形成する「原色」の色合いが、常に特別に優越される色合いだという訳ではない。減法混合においては彩度が高い状態において明るいものにある種の優位性が伴う。効果的に色を表現できる着色材料は重宝されるが、一定の方向性、共通性はあってもその色相や色調は一致しない。原色の説明はあくまで単純化された抽象論に過ぎない。その上、理想的な原色は実在しない。』

 というわけで絵の具の三原色はシアン(青緑)、マゼンタ(赤紫)、黄になりますが、原色自体の自己同一性もそれほど確固たるものというわけではありません。
 三原色が展開する世界観、つまり混色について Wikipedia で詳しくみてみます。

 『色光の三原色による加法混合
有色の光線によって色を演出する場合、光を加える形で色を合成する(加法混合)。このとき、積極的な発光によらない、黒さ(暗さ)を表現できる仕組みが求められる。この結果、効率的に光の透過を抑えることが出来る塩素を含む顔料が採用される場合が多くなる。
白色の光を合成するための波長を「光の三原色」や「色光の三原色」と言い、下記の三色を用いる。カラーフィルターを用いる場合に採用される顔料の一例を上げると、赤がPigment Red 254に少量のPigment Orange 71、緑がPigment Green 36に少量のPigment Yellow 138、青がPigment Blue 15:6に少量のPigment Violet 23、などである。
色料の三原色による減法混合
一方、物体の表面を特定の色にするためにインク等を塗る場合、元の光を遮る形で色を合成する(減法混合)。その合成の元になる色は一般に「色の三原色」や「色料の三原色」と言われ、シアン、マゼンタ、イエローの三色(下掲)を用いる。この三つの材料を混合すれば、光の三原色の場合と反対に黒を作ることが出来る。しかし、この三色によって白を構成することは出来ない。
故に、印刷等に用いる場合には白色素材の表面に使用することが前提となる上、白色の併用が必要になる場合もある。また、透明性の高い着色材(colorant)を使用しても、三原色の重ねや混合で成立する黒は理想とは異なり、純黒にはならない。このため、より自然に色を現す目的で黒色の着色材が併用され、これは一般にCMYK(Cyan, Magenta, Yellow, Key plate) と呼ばれる。
反対色性[編集]
光の混合においては、橙と青によってマゼンタなどの紫の色相が得られ、橙と緑を混ぜると黄の色相を得ることが可能である。このとき、紫には元の赤味も青味もあるが、黄においてこの印象は寡少である。黄には元の色彩(赤、緑)がないと主張する人がいる。しかし、現実に得られる黄は赤気味であったり、緑気味であったりする。赤気味でも緑気味でもない「理想の黄」が現実に得られるとは断言できない。また、黄と青から白を作る場合も、元の色味が極度に減少する。このような色味を打ち消しあう性質を反対色性、色自体についてはもう一方の色の反対色、補色という。ただし補色という語は厳密な反対色を意味しない場合が多い。
反対色性は網膜から大脳へ効率的に色情報を伝達しようとするために生じると考えられている。なぜなら、それぞれの色は錐体応答間でも高い相関があるからである。そのため、相関が低くなるよう線形変換し、冗長性を低減している。』

 つまりとりあえずの色環もとりあえずの原色によって構成された関係性の連鎖ということになります。「光りの色」も「絵の具の色」もこれを人格にたとえるならば自己同一的根拠はことごとくが関係性へと解消されていくことになります。
 そして「光りと色の世界観」における自己同一性の根拠を Wikipedia で探ってみると、

 『色覚の認知と比較[編集]
同一の個体の色覚は、ふつう安定していると考えられている。光源が多少変化しても同じ物体の色が同様に見えるのは、色覚の恒常性があるからである。
複数の個体間で知覚される色がどのような色であるかを直接すり合わせることは出来ないが、人間同士であれば言語やカラーチャートを用いて情報交換することが可能である。他方で、人間が様々な生物の色覚を知ろうとする試みがあり、色覚の有無や性質が研究されている。
色覚の恒常性[編集]
人間が光線の波長そのものを知覚しているのではなく三種類の錐体の出力比を知覚していることを述べた。これだけでは例えば、極端に黄色い照明の下では全てのものが黄色く見えてしまうはずだが、実際には色味のある照明の下でもその照明に支配されない認識が得られる。これを色覚の恒常性という。
人間の視覚には慣れや知識などによる補正があり、多少の光源の色度の違いは補正される。このため昼と夕方とでは日光の波長分布が違うにもかかわらず、物体は同じ色に見える。太陽光と異なる波長分布を持つ照明下でも「白色」のものは白色と感じられる。例えば、「白熱灯」の波長分布はその名に反してかなり赤に偏っているが、その照明下でも白い紙は白く見える。周囲の色々なものの見え方からそのときの照明条件を推定し、その推定に従って色の見え方を補正していると考えられる。
太陽光と同じ波長分布の光が最も自然な白色とされるが、それより青成分の強い光を「爽やかな白」と感じる人が多い。故に多くのディスプレイ上に表現される白色は純白より青味が強い色になっている。そのような青味の白も極端でなければ、日常的に白を吟味していないような多くの人の眼には「青」でなく「爽やかな白」と感じられる。
夜間など十分な光の得られない環境では、錐体の機能、特にL錐体の機能が低下する。そのため夜間には赤と黒の識別が困難になるのだが、そのような環境にあっても赤色であると知っているものは赤く見える場合がある。例えば、黒く塗った林檎を暗い環境下で見せると赤く見える、といったことが起こる。
太陽光線の波長分布は季節や時刻によって異なる。また、周囲に反射した光によっても影響される。例えば周りが青い物ばかりならば反射光によって環境光は青さが増す。だが、周囲の色に引きずられて物の色が違って見えては困るであろう。色の恒常性は、そのような場合でも出来るだけ一定の色覚を保つために発達したとの考えは、ある自然さを持っている。ただし、この補正にも限度があり、極端に偏った波長分布では補正しきれない。』

 つまり「色覚の恒常性」という物語に「自己同一性の根拠」をみることは至って容易なことです。様々な条件下で変容する同一性を補正する能力、たぶん必要に迫られて発達した能力であるかもしれませんが、我々はその能力に無反省のまま仮託して「自己同一的安住」を享受していたというわけです。そして「自己同一性」の発展的展開である「共同主観的な世界観」についてまで垣間見ることが出来ます。

 『色覚の共有[編集]
同じ組成の光を受けた場合でも、それをどのように知覚するかは人それぞれの目と脳の相関関係によって異なるので、複数の人間が全く同一の色覚を共有しているわけではない。同様に、ある人が同じ物を見ても右目と左目では角度や距離が異なり、見えた色も一致しない。他者の色知覚を経験する手段は存在せず、同一の色知覚を共有することも不可能である。
また、知覚した色をどのような色名で呼ぶかは学習によって決定される事柄であり、例えば緑色を見て二人の人間が異なる知覚を得たとしても、二人ともそれを「緑」と呼ぶので、色覚の違いは表面化しない。
色覚の違いが表面化するのは、複数の色の区別に困難が生じるなどの場合である。大多数の人間とはっきり異なる判断をおこすものの色覚特性を指して、その生理については色覚異常、機能については色覚障害と呼ぶ。
いわゆるバリアフリーと呼ばれる動向において、色覚異常の者に対する配慮が必要であるという意見がある。他方で、眼科学においては、1型色覚および2型色覚に代表される多くのケースでは、日常生活に大きな支障をきたしていないという考え方が定説とされている。
標準化団体であるW3C は、HTML の色使いは色覚異常に配慮したコントラストを保つべきだとして綱領を出している。HTML は 16,777,216 色(23×8 色)が表現出来るが、環境に依って見え方は左右される。256 色環境で Windows と Macintosh に共通する 216 色(63 色)の事をウェブカラーと言い、この 216 色は見え方が環境の違いに左右され難いため、使用が推奨されている。』

 そもそもわれわれ個々人が『同一の色知覚を共有することは不可能』であり、知覚した色を呼ぶ色名は学習によって獲得されているため、同じ色名でよばれている色の個々人における『色覚の違いは表面化しない』というわけです。しかし人々の生活における利便性を無視することは出来ませんから、大多数の人々が共有する色覚の範囲で、色覚異常においても支障を来さないという了解のもとにとりあえずの色環境が標準化されているということになります。これは正に、色覚における共同主観的な了解点と言い換えることが出来ると思います。
 自己の確認、認知における手がかりが知覚というわけですから、我々は常識、文化、制度という様々な学習システムにより知覚の共同主観的な了解点を共有し、さらにそれによって自己認識としての自己同一性を確保しているということになります。
 つまり言い換えるならば、曖昧模糊としたとりあえずの状況から始まった「私」が自己同一性の根拠を実体的な確信によって求めようとすれば、それらはことごとくが様々な関係性の中に解消しいってしまうという事態に遭遇するということです。
 ところで「色」について考えていくときに色の様相として「色の三属性」といわれる色相、彩度、明度についても見ておかなければなりません。

 『色の三属性[編集]
色の見えは光源や物体によって変化するが、色味とその濃淡(強度)や明暗を具えている点で共通する。これは、色相、彩度、明度と呼ばれる。色相、彩度、明度、合わせて色の三属性と呼ぶ。
白や灰色、黒のグレースケールは、明度で区別され、色相を含まず彩度が0である。このような色を無彩色と呼ぶ。グレースケール以外の色は三属性すべてを持つ有彩色である。しかしながら実際には、白や黒、グレーであってもふつう幾らかの彩度を示すので、いわゆる白や黒、グレーをして、色の三属性を一つしか持たない色とするのは不適切である。
血色などは体調等に対する反応に過ぎず、色ではない。上記の様に、色の三属性を全てを具えたものが色であり、「色には明度が無い」とか「白や黒は色ではない」などと主張している人たちが、志向しているものは色ではない。
色相[編集]
「色相」も参照
色相は赤、黄、緑、青、紫といった色の様相の相違である。「ピンク色」、「レモン色」、「空色」、「赤茶色」、「肌色」、「水色」などの色合いを表現する名詞と知覚内容を表す述語、そして、固有色名は色相を表現する語彙ではない。
色相は特定の波長が際立っていることによる変化であり、際立った波長の範囲によって、定性的に記述できる。ただし、常に同じ帯域が同じ色に見える訳ではない。この総体を順序立てて円環にして並べたものを色相環と言う。
彩度[編集]
「彩度」も参照
彩度は色の鮮やかさを意味する。物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる。
明度[編集]
明度は色の明るさを意味する。明度の高低は、物体の反射率との相関性が高い。光の明暗に関して、明るさ (brightness, luminousity) があるが同様の知覚内容を指していると言える。』

 自己同一的様相といえるものは『色の見えは光源や物体によって変化するが、色味とその濃淡(強度)や明暗を具えている点で共通する。』ということに対応しているといえますが、この「色の三属性」を「人格」に当てはめて見てみましょう。グレースケールという無彩色は特殊な事情と考えて保留し、三属性を備える有彩色について、たとえば「色相を人格の個性」「彩度は意思」「明度は性格」に対応させてみます。
 「色相を人格の個性」としてみると、『色相は特定の波長が際立っていることによる変化であり、際立った波長の範囲によって、定性的に記述できる。ただし、常に同じ帯域が同じ色に見える訳ではない。』というものとしての人格性は、他者と比較したときの個性の相違、差異として十分な条件を満たしていると思われます。個性とは、他者との違いがそのように見えるという程度のことで十分理解できます。無論、どこかが似ている仲間は無数にいるはずです。
 「彩度は意思」とは、色の鮮やかさこそがその色の持つ固有の主体性であると考えたということです。『物体の分光反射率が平坦になる程、彩度は低くなる。また、色相によって彩度が高いときの明度が異なる』というわけで、様々な条件に遭遇することにより、自身も知らぬうちに主体的な意思の発露を獲得していくというわけです。たぶん、主体的な意思も意欲も先験的な特性と見なすよりは、後天的な条件下で育まれるもののほうが大きいのではないかと思います。
 「明度は性格」と見るのは至って自然なことと思います。人々の性格を言い表すのに「明るい」「暗い」という基準はもっとも一般的なものといえます。性格を言い表す言葉は無数にありますが、総じて明暗は性格を決定づける大きな要因と考えられます。
 ところで『白や灰色、黒のグレースケールは、明度で区別され、色相を含まず彩度が0である。このような色を無彩色と呼ぶ。』といわれる事態とはどの様なものとして考えたらよいのでしょうか。
 つまり固有の性格を認められない人格を想定することになります。
 『しかしながら実際には、白や黒、グレーであってもふつう幾らかの彩度を示すので、いわゆる白や黒、グレーをして、色の三属性を一つしか持たない色とするのは不適切である。』という指摘もありますが、特殊な条件下で個性を認めることが困難になっている人格は、それほど珍しいことではありません。集団に同化して没個性的に行動している者はいくらでもいます。

 つぎに、文頭において提示した仏教語としての「色」についても少しみておきたいと思います。

 「佛教語大辞典」(中村 元 著) においては
 『【色 】(しき) (出典は削除)
要するに形を有し、生成し、変化する物質現象をさすことばである。
①いろ。いろどり。②いろと形。眼の対象。眼で見られるもの。いろ・形をもったすべての物質的存在。視覚機官の対象であるから、単にいろではなく、いろと形を含む。視覚の対象。五境の一つ。色塵ともいう。色界・色処に同じ。③形。ものの形。すがた。④物質。物質一般。物質的存在。形質をもち、生成変化する物質的現象。物。この世を構成する物。色蘊(しきうん)に同じ。 ⑤物質(必ずしも色蘊の一つではない)。心に対していう。⑥五位の一つのときは色法。五蘊の一つのときは色蘊。⑦形あるもの。⑧肉体。形骸。⑨容色。⑩衆生の心に映現した仏身に現れている種々の形相。⑪色界のこと。清らかな物質からなっている世界。⑫ヴァイシェーシカ哲学において性質(徳)の一つ。⑬執着。⑭色欲のこと。⑮おもむき。ようす。』とあります。

 さらに仏教に疎遠の人々も一度は聞いたことのあると思われる有名な言葉を同じ辞典からみてみます。「般若心経」の一節です。

 『【色卽是空・空卽是色】(しきそくぜくうくうそくぜしき) (出典等は削除)
①物質的なものそのままに空であり、空そのままに物質的なものになっている、の意。②およそ存在するもの(有形の万物)は因縁によって生じたものであり、実体がないということ。すべては実相の仮のあらわれであるという意。~[解説]すべて存在するものは現象であって、永劫不変の実体などというものではないという意味である。』

 正に仏教の世界観の根幹がこの「色」の一語によって表されているという感じを受けます。それに対する「光」についてもこの辞書をみてみます。

『【光】(こう) (出典は削除)
①ひかり。光明。②太陽の光。③顕現・似現に同じ。④無明の対。智慧をいう。⑤後光。仏・菩薩の図像においてその項背より発する円輪の光明。』

 これを見る限り仏教語においては「色」と「光」の関係についての直接的な記述はみられません。しかしここにみる「色」の理解は、視覚の対象に過ぎないものとしての立場から、現在の「色と光り」に関する科学的知見と何ら矛盾するところがないと思われます。
 ここまで、「色と光り」の関係を「絵空事」の仏教的知見と照応しつつ辿ってきましたが、私の立場において色知覚について考えることは、自己認識について考えることと同様の意味を持つことが明らかになりました。
 すでに知覚における「色」の認識構造、存在構造が明らかにされていて、つまりは「色」の存在理由が「私」に関わる様々な考察に対応し、さらにそれを補完する見解を持ちうることに改めて驚かされます。
 したがって表現者として色知覚に関わる以上、色についての考察は不可欠のものと考えました。


ⅲ) 美的「想像力=創造力」の霊性について

 

 不空芸術菩薩論の「宗教性」において、ちょっと霊的世界観に触れましたが、ここであらためて我々の遭遇する「霊感」について考えてみたいと思います。そもそも美的「想像力=創造力」について語るときに、「霊的なインスピレーション」を無視するのは至って不自然なことと思われます。

 まず「国語辞典」で「霊感」についてみてみます。
① 霊的なものを感ずる不思議な感覚。インスピレーション。
② 神仏の不思議な感応。霊応。

 つぎに「Wikipedia」のいう霊感(れいかん、inspiration)を踏まえてその概要を語ると、
a) 神・仏が示す霊妙な感応のこと。
b) 神や仏が乗り移ったようになる人間の超自然的な感覚。
c) 霊的なものを感じとる心の働き。
d) 理屈(理知的な思考過程など)を経ないままに、何かが直感的に認知されるような心的状態。
e) さらに転用として芸術家・哲学者・科学者などが説明しがたい形で得た着想、ひらめきのことも指すようになったというわけです。
 霊感は例えば次のような状態で見られるといいます。
a) ひとつは断食、不眠(お籠り)、修行による疲労 等の生理的条件、および山中・神殿・深夜の時間帯といった環境的条件をととのえて、余計な意識活動・理知的活動を消してゆくことで得られる場合。つまり聖職者や預言者、僧などの宗教家が修行や悟りの結果として神仏からの啓示を得る場合というわけです。
b) もうひとつは、霊能者と言われる、生得的に無意識的活動に入りやすい人物がそれを得ている場合。つまり生まれつき霊能者として霊感を得る資質を持っている場合です。但しこの場合は、霊能者が感応するものが神仏の啓示のみとは限らず、通常いうところの霊界からのメッセージも含まれることになります。
c) 祈ることによって神・仏からの反応が得られる場合。 これには人々が宗教的法悦への期待を昂揚させることを目的として作られた宗教的施設という場において、聖職者と信者による協働体験としての宗教的儀式によって感応することも含まれると思います。
d) さらに宗教的施設と同様に「劇場」という芸術的至福へと誘う環境の整えられた芸術体験の場において、演技者と観衆とが美的、芸術的感動を共有する神秘的な感応状態 (崇高な至福感、愉悦感) が拓かれるのは当然のことといえます。
 つまり感応体験を目的とした施設の有効性は当然認めなければならないわけですが、この施設が霊的意思の宿る場所へと昇華していく可能性をも否定することは出来ません。

 前出の TV 番組「脳と心」においては「霊的体験」「荒行としての宗教体験」「幻覚症状」さらに「苦痛による脳内麻薬の分泌」についても触れていますが、ここではシロシン、セロトニン、ドーパミンなどの脳内物質が働くメカニズムを明かにして、脳が日常生活を逸脱しないように持っている「安全装置」が外され深層の無意識に足を踏み入れる状況が詳しく紹介されています。
 先にもちょっと触れましたが、深層の無意識から掬い上げられる何かが創造性の素因であるということですが、この領域は狂気にも身を晒す危険を孕んでいます。「苦悩による脳内麻薬の分泌」によってドーパミンが分泌され「古い脳」に働けば「快感」となり、「新しい脳である前頭葉」に働けば「昂揚感」となり、この二つの働きによって得られる至福感が新しい自己の発見へと繋がるというわけです。しかし、この分泌のバランスがいつも均等であるはずはありません。例えば、苦痛による脳内麻薬が「快感」に偏ればマゾヒストとして自足してしまいます。「昂揚感」の方へ傾けば、創造的な資質の発露となります。この番組では、この領域から立ち上がったであろう天才的な芸術家や思想家をあげてはいますが、この脊梁でどちらに向かって立ち上がれるかの分岐については語っていません。多分それを語る根拠がないということでしょう。しかし、我々はこの分岐についても考えていかなければならないと思います。だからといって、それは何の根拠もない荒唐無稽な空論をでっち上げようというわけではありません。我々の当然の論理的帰結によれば、この分岐において、当事者が「表現欲求」を持っていたかどうかということに尽きると思います。

 これらを踏まえて深層の無意識を視野に入れながら、改めて芸術的領域における霊的「想像力=創造力」は いかにして喚起されるのか と問わなければなりません。
 まず表現者、芸術家の場合、第一に、神仏からの啓示あるいは霊界からのメッセージを受けやすい器になることが求められるということができます。 それを「美的想像力」の喚起で語ったことを踏まえるならば
a) 美的想像力が喚起される記憶領域を豊かにすること
b) 美的創造力が発動しやすい柔軟な環境を用意すること
 そのためには表現者としての技量、これは表現者自身が不自由を感じない程度のものでも良いのですが、何よりも重要なのは柔軟な感受性を身につけるということになります。
 それは「私」の救済のために自己無化を志向し意思決定の判断を神仏の価値基準に委ねるという発想と同様に、現状の「心」の居所に固執せず流れる風に身を任せ、そよぐがごとく軽やかに揺れる感覚で感情を楽しむことといえます。前出の「脳と心」を踏まえるならば、この程度のことで「脳の安全装置」が解錠出来るのかということになりますが、われわれは、これこそが第一歩となり、それが可能だと考えます。
 最近、耳にするようになったマインドフルネスという簡略化された瞑想法がありますが、座禅などに比べると特別な礼儀、作法もなく、状況によっては時間的拘束、制約もなく、単に五感を環境に合わせて解き放し、自身の存在感を引き受けるという程度のことが目的になります。しかし、この程度の瞑想でさえ、脳機能の科学的な解明が進む中で瞑想の効用が目に見える科学的なデータとして評価されはじめたことで、精神療法としての位置を獲得できるようになったと思われます。このマインドフルネスでさえ、遺伝子の活性化が起こり、眠っていた自身の可能性が開かれることがあるといいます。
 経験則として瞑想による自己実現の可能性を様々に体感している修行者にとっては、五感による自然的環境との穏やかな同期が、何かに固執し定着しようとする < 私 > を安定的な浮遊感に誘うことを知っているはずです。自己の反省的発見の足がかりといえる瞑想こそが、古来から「脳の安全装置」を解錠する最良にして最も有効な方法論であったということです。

 もしも、この瞑想的な手段に遭遇することもなく、柔軟な感受性を手繰りよせる方法が見つからないとしても失望することはありません。表現者ならば、ごく日常的で主体的で目的的な表現欲求の鬱屈した閉塞状況のなかから見つけ出すこともできます。ただこの方法は多少手間がかかりますが到達するところは同じです。
 そんな閉塞状況の緊張感の中でただ闇雲な希望だけでも持ち続けていられるならば、早晩、原因は疲労であるにしても不意、不測に未知の陥穽へと踏み外す脱力感が待ち受けています。この時、予期せぬ涼風が清々しい霊気を孕んで吹き込んでくるのです。つまり行き詰まった表現者は煮詰まったその場を逃げないで苦闘すれば、苦闘の脱力感に遭遇したときに苦もなく「脳の安全装置」は解錠されているのです。これは「瞑想」による深層意識の開示と同様に、座して瞑想するということ自体が忍耐と持続を求められることですが、これが抑圧ならば事態の硬直化、拘束状況を強めるばかりです。しかしこの硬直化、拘束状況は忍耐と持続によってこそ招来する脱力感によって「解放=開放」されるというわけで、瞑想者のみならず表現者にとってもごく自然で有効な方法論だと考えます。ただし、先に触れたマインドフルネスでは、単に瞑想というスタンスを確保するだけで、自然的環境による反省的自己の発見が可能というわけです。その成果は脳科学の評価に任せることになります。
 これで、美的創造力が発動しやすい環境が整えられたことになります。すでに脱力状況に吹き込む一陣の風が清々しい霊気を孕んでいたように、いよいよ「心 (感情、自己愛、欲求) 」の支配による表層的な自己同一的欲求が曖昧になり「私」としての拘束が緩和された情況が拓かれたとき、表現者はその思惑、資質、気力の器である「魂」を無意識のうちに霊的意思に献上し「霊魂」を授かるというわけです。
 もはや表現者は神秘的感動の扉を開く祭司へと変身し、協働体験者の自己存立にかかるすべての問いを「解放=開放」し自己無化、つまりは躍動する生命感そのものの歓喜の瞬間へと誘うのです。
 ここで見落としてはいけないことは、「心による表層的な自己同一的欲求」の弛緩、緩和、停滞、停止している状況においても、宗教ならば前提となる苦悩者の救済欲求が不可欠であるように、表現者、芸術家であるならば自身の個別化された方法論に基づく目的意識は確保されていなければなりません。たとえば作家は言葉の扉を、画家は形象と色彩を、俳優は心身の躍動を、音楽家は音が構築する世界観を、それぞれが彼ら自身の確固たる方法論を踏まえて「心を解放=開放」することになります。
 それは正に仏教のいう「空」の体得です。「空」とは提起された問題に対する自己無化の実現であり、それは何事も起こるはずのない「無」としてあるわけではなく、これから発動されるであろう問題提起のみの状態というわけで、いまだ舞台には登場してはいませんが、何事かを始めようとしている表現者はいるのです。ここでは表現者が全知全能のインスピレーションを授かるために、たとえば多くの作家が切望する「神の降臨」する境地を拓くことになりますが、これこそが表現者による「空観の実践」に他ならないのです。
 その意味において「心が解き放される」ことによって得られる神秘的な感応は、「心」に干渉されない「無垢な私」の潜在的な美意識が「行為」の当事者であり「心」はそれを追認する感動の「経験」者ということになります。ところが「我に帰った心」は、あたかも当事者であったかのように「私」の感動を語り始めるというわけです。もっともそれによって、「私」の感動が人々と共有しうるものであったことを人々と追認する「行為」になるという段取りなのです。
 ここで「霊魂」という言葉が出ましたので、我々が意図する「霊魂」について触れておきたいと思います。
 仏教が成立する古代インド社会においては永劫に輪廻転生する何かが想定されています。そこで肉体が消滅した後にも輪廻する主体をとりあえず霊魂とするならば、その存在の根拠を如何なるものと考えるかは別として、仏教においてもこの霊魂の存在を肯定しているのは理解に堅くないといえます。
 そもそも、釈尊は永劫の輪廻転生の輪から逸脱する方法を体得したというわけですから、自己の存在が絶対性を確保せず、何事かの相対的関係の中に解消していくことを理解し、霊魂の存在もまた何事かとの相対的関係の中で語られるのが自然だと考えられていたと思います。
 つまり、苦悩者としての自己が解脱、成仏、涅槃へと変身していくことが修行者であった釈尊の眼目であれば、霊魂もまた自己の存在を解消していくことが可能なものと考えていたことになります。生前の霊魂であった自己と死後の霊魂である自己をすべてひっくるめて解消しなければ修行は完成しないのですから、当然、霊魂が相対的存在であることは疑う余地がありません。そもそもこの前提がなければ、後の仏教においても迷える霊魂を成仏させる供養の存在理由がないことになります。
 霊魂とは何かと問うことは、究竟の存在理由を問うならば、自己とはなんぞやと問うことと変わりはないのです。ただ霊魂の存在は我々の「想像力」に委ねられている以上、言葉が人々との共有する想像力に委ねられて意味を理解されるのと同じように、想像力により形を与えられて存在していることになります。そして言葉が文字という存在を獲得するように、霊魂というイメージ、意味もまた文字のような与件としての事実性を体感できるものとして獲得していることになります。
 いまここで私が、ここにはいないけれど実在する誰かについて何らかの思いを持ったとすれば、それは特定できる誰かさんを私の想像力がいまここに創出していることになります。私はひとりではありません。しかし私以外の人から見ればここには私ひとりしか存在しないのです。誰かさんは所詮想像の産物ですが、その想像的人格である誰かさんは、私の思い、感情、想念、思考を受け止めるれっきとした実在です。そもそも誰かさんが現実において私の目の前にいても、私は誰かさんに対する想像力のすべてを取り込んで「誰かさん」という意味を理解しているにすぎないのです。極論すれば意味として対応している誰かさんに想像力によって成立している存在理由とは、現実であれ虚構であれどれほどの差異もないといわざるを得ないのです。これは唯識論を標榜しようというわけではなく、単に想像力による関係性を語るにとどまります。とりあえず霊魂はその様な関係で我々と共存しうるのです。
 人々に理解される言葉、意味として霊魂が存在する以上、霊魂の体感的事実性に基づく存在は疑う余地がありません。
 人々の崇高な想像力が、自らをも支配する神仏を存在させるように、霊魂もまた人々の心を支配する力を持つといわざるを得ないのです。

 

 

ⅳ) 「気」と霊性について

 

 不空芸術菩薩論で霊性、霊魂について語るときに、霊的想像力と不離不即の関係にある不可視な世界についても考えておかなければならないと思います。
 そこでまず一番始めに思い起こされる言葉が「気」です。「気」は不可視なる世界の総体をなすものとして、あるいは不可視でありながら力として実効力のあるものとして、正に霊力、霊魂の宿る領域として語るのには最適であると考えます。
 では「気」についていつものようにウィキペディアでその概要を見てみます。
 『気(き,KI,Qi)とは、中国思想や道教や中医学(漢方医学)などの用語の一つ。一般的に気は不可視であり、流動的で運動し、作用をおこすとされている。しかし、気は凝固して可視的な物質となり、万物を構成する要素と定義する解釈もある。宇宙生成論や存在論でも論じられた。』
 我々にとって「気」とは、ウィキペディアを引くまでもなく多分に古代中国からの文化的遺産を受け継ぐ部分があり、それは経験的事実として語られているものでもあります。言い換えるならば我々が「気」としてイメージするものは、「気」という漢字の出生を見るまでもなく明らかに中国的世界観に包み込まれているという感覚をぬぐえません。

 そこでさらにウィキペディアをみれば
 『気はラテン語 spiritus(スピリトゥス)やギリシア語 psyche(プシュケー)、pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、あるいはサンスクリット prana(プラーナ)と同じく、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する。』というわけです。

 いま我々が「気」という言葉によって語ろうとしているものは、古代からの人類共通の文化遺産ともいうべきもので、見えにくいものでありながら経験的事実としては無視することのできないものとして、我々と宇宙的な何かを連携づけるものとして存在しているものについてということになります。
 こう考えてみると、我々の生存する三次元を超えたものとしての「気」とは、時間も空間も超越しているという特性からみても、地球創世のときから生まれ死に変わった全生物の意識に相当する営みのすべてを、たとえば時代的、地域的風潮気分や個々人の感覚、感情を含めた精神世界といわれるすべてのものをまるで地層のように重ねながら、しかも流動する文化遺産として抱え込み常に同時性において存在しているということができます。無論、時間も空間も超越したアーカイブとしてあるわけですから、それはすべての人々に永劫に無条件で開かれていることになります。
 この経験的事実を踏まえるならば、「気」に象徴される広大無辺な精神世界の存在は有限な一個人の脳機能とは別の存在理由を持つということができます。しかし個々人の精神世界を前提にしなければ語ることのできない領域のものである以上、たとえばここで取り上げた「気」という霊的想像力によってしか人々と共有することのできない霊的精神世界とは、一個人の脳機能である「想像力」を不可欠のものとしているために、まったく個人的存在理由と乖離したものであるはずはありません。
 そんな「気」を前提としてかつて釈尊が提唱した究極の救済論について考えてみると、当時、釈尊は実体視されていた霊魂もその存在を解消しうるとする立場に立っていたことになりますから、翻っていま我々がいいうることは、ことごとくの実体視されているものが主張する実体性はいたって希薄なものということが出来ます。
 すると今度はそれとは逆に、本来実体性のないと思われている「気」が、何らかの条件で凝固し可視的な物質となるという解釈に異議を唱える根拠はなにもないということになります。
 言い換えてみれば現実という生活感覚は身も心も実体視することに不自然さはないのですが、その実体性の根拠を疑ってかかることにも何の不自然さもないというわけです。
 そんなものを何行者の知見として引き受けるならば、正体不明の私という心身は「気」という曖昧なものにその存在を委ね流れるままに漂うのが苦もなく生きることの極意ということになります。しかも何行者という表現者として生きるならば、この「気」に身を委ねることにより、無限の「想像的=創造的」インスピレーションを授かることが出来るというわけです。
 したがって、我々が不空芸術菩薩論で想像力を踏まえた霊性について語るときは、この豊穣なる精神的アーカイブの宝庫である「気の世界」を前提にすることになります。
 ところで、その「気」を日常的に体感しうるものとしてあらためて呼吸の重要性についても考えていかなければなりません。
 呼吸は、インドのヨーガ、禅宗の座禅のみならず、中国の「気功」、日本固有の「合気道」においても最も重要な修行、修業のカテゴリーととらえているわけですが、呼吸は本来無意識に「気」の循環を支えているものとして、ひとたび精神的な意味をにない体内に取り入れられることにより、活性化された身体の確固たる実体観を保証し、揺るぎのない行為者の立場を獲得させることができます。さらに体内に滞留する「気」は精神的な意味をになった呼気となり流動するものとして吐き出されて解消されていきます。
 流動する「気」があるがままに流れるように、心身も「気」を呼吸しあるがままに流れるように生きられればよいということになりますが、心身のどこかに「気」が滞るとこるが生じれば、そこに「気」が何かを凝固しはじめていることに気づくことになります。それは精神的なこだわりであったり、身体的な病気の原因ということにもなりかねないものです。
 人々の思いが「気」の中に滞留するときに、それはあなたと私という個人の心身の中に発見されることがあると同時に、我々を取り巻く生活環境の中に発見されることもあるわけです。そしてそれに感応するのが霊感ということになりますが、流動する「気」の中にそれぞれの時代の様々に個別化された環境の人々によって構築された多様な霊的世界観は、それぞれの個別化された言語の霊感を必要としますが、その世界において実行力となる霊力とは、やはり「気」を対流させ凝固させる人々の想像力と集中力によるものということになります。
 個別化された霊的言語というものは、その霊的言語を語る方法論の手順に従えば、それが善意であるか悪意であるかは霊的表現者に任されたままで、ピュアな想像力へと昇華された集中力で語ることができれば「気」を操ることが出来るということになります。
 しかし霊力ということについて考えてみれば、個別化された霊的言語によらない霊力についても想定しておかなければなりません。
 既成の霊的言語を操れば容易にその霊的世界へと誘われるわけですが、その世界観も対流する「気」の中では多様化した霊的世界どうしとして存在することになり、常にそれらは相対化されていく定めにあります。にもかかわらず霊的世界観とは往々にして現世における宗教的な拠り所であるために、宗教者が自らの正当性を主張するあまり霊的世界の絶対化という独善へと埋没する傾向を否めません。これが宗教戦争、あるいは人々の諍いの原因となる事実を踏まえるならば、宗教に拘束されることのない霊的世界観、そしてそこに宿るピュアな霊感の存在も認めておかなければならないというわけです。
 ところで、そんなことに関連した病気の治癒力としての霊力についても考えてみます。病気に苦悩する人々の原因がそれぞれの霊的世界観に特有の個別性を持っているのなら、その病気の治癒はその霊的世界観に委ねることが自然といえます。しかし、多様化した現在の病人にとって、苦悩者にとってその原因がたまたま巡り会った宗教家、霊能者によって特定されてしまっては、医学、科学で治癒する病気も直す機会を失ってしまいかねません。やはり霊力、気力による病気の治癒も、特定の霊的世界観に拘束されることのないものを望まざるを得ないのです。
 ここでわれわれが語る治癒力とは、精神的な病気に留まらず、身体的な疾患についても有効性を発揮するのです。なぜなら「気」には実体的要因をも解消する力があるからです。しかし、気力、霊力による治癒力が何にも勝る全能の手段であるなどとはいいません。物事に絶対性などあり得ぬ道理ですから、病気治癒も様々な治療法の中で相対化されて、そのときその状況に応じて取捨選択されていくにすぎないのです。
 我々が不空芸術菩薩論において霊性について語るときに、「気」を前提にしなければならないということの意義は、滞っている「気」を流動させる力、霊力を発動させる想像力があれば、その霊力の出生、所属、方法にこだわることなく、「実行=実効」力として想像の世界を切り拓くことが出来るという点についてです。
 それはこの混迷の世界において、日々生まれ変わり死に変わりして生き続ける我々の歓喜と苦悩が、宗教という現実世界の霊魂観に拘束されて埋没し、「気の世界」においても個別化された霊的世界観で「気」を凝固させ、あたかも永劫の苦悩なくしては与えられないささやかな歓喜が垣間見えるだけという不都合な拘束を「開放=解放」するためにも、「気」の流れるままに委ねられる霊感、霊力の獲得を願わずにはいられないからです。
 これらを踏まえて不空芸術菩薩論にいう「芸術」を語るならば、不空芸術菩薩論として定義した「自利行としての美」が「利他行としての美」へと変容するところで語られ体得されていく世界観が、「気」によって垣間見える霊的世界観にも踏み込んだ不空芸術菩薩論の「芸術」ということになります。
 ここで「美の普遍性」を視野に入れた不空芸術菩薩論は「救済の普遍性」という点についても語り起こす算段になります。

 



 c ) 「心における反省の居場所」



 「心」については、すでに「美的想像力」を語る際に「想像されたイメージ」は「心の眼」でみられることを「Wikipedia」より引用し、美的想像力が喚起されてくる記憶領域を語る際には「感覚的なフィーリング」としての「心のあり方」、つまり「感情という心の居所は感覚という知覚機能なしには成り立たない」であろうことを語ってきましたが、もう少し「心」について考えてみたいと思います。
 「心から反省します」という言い方があるように「心」は反省する行為の主体を担っています。しかし我々の身体に「心」という臓器はありません。ハードウェアという言葉がありますが、人間の身体をこれに当てはめれば、ソフトウェアに当たるのが「心」ということになります。つまり「心」は、頭脳によって統括される全人格的営為の精神的主体性を担うものの別称であるということが出来ます。
 ここではそんな曖昧模糊とした「心」と「反省」の関係について考えてみます。それは我々にとって「心における反省の居場所」を確認することでもあります。

 「こころ」を「国語辞書」で引いてみます。

『こころ【心】
❶ 人間の体の中にあって,広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの。
① 人間の精神活動を知情意に分けた時,知を除いた情意をつかさどる能力。喜怒哀楽快不快美醜善悪などを判断し,その人の人格を決定すると考えられるもの。「―の広い人」「―の支えとなる人」「豊かな―」「―なき木石」
② 気持ち。また,その状態。感情。「重い―」「―が通じる」
③ 思慮分別。判断力。「―ある人」
④ 相手を思いやる気持ち。また,誠意。「母の―のこもった弁当」「規則一点張りで―が感じられない」
⑤ 本当の気持ち。表面には出さない思い。本心。「―からありがたいと思った」「笑っていても―では泣いていた」
⑥ 芸術的な興趣を解する感性。「絵―」
⑦ 人に背こうとする気持ち。二心。「人言(ひとごと)を繁みこちたみ逢はざりき―あるごとな思ひ我が背子」〈万葉集538〉
❷ 物事の奥底にある事柄。
① 深く考え,味わって初めて分かる,物の本質。神髄。「茶の―」
② 事の事情。内情。わけ。「目見合はせ,笑ひなどして―知らぬ人に心得ず思はする事」〈徒然草78〉
③ 言葉歌文などの意味内容。「文字二つ落ちてあやふし,ことの―たがひてもあるかなと見えしは」〈紫式部日記〉
④ 事柄の訳根拠などの説明。また謎(なぞ)で,答えの説明。「九月の草花とかけて,隣の踊りととく,―は,菊(聞く)ばかりだ」
❸ 心臓。胸。
① 「別れし来れば肝向かふ―を痛み」〈万葉集135〉
② (「池の心」の形で)中心。底。「池の―広くしなして」〈源氏物語桐壺〉
③ 書名(別項参照)。』

 これを端的に言えば、「心」とは
 「人間の体内にあり広く精神活動 (おもに情意) ををつかさどるもとになる」ものとして、感情、感覚、感性を判断し、様々な気持ち、気分のあり方をいう。
 「物事の根底にある事柄」として、物の本質、事の事情、意味内容を示す。そして「心臓。胸。」を表す。ということになります。

 ところで「反省する心」という言い方ができるように、反省の居場所は「心」という事になります。そこで「国語辞書」で「反省」について見てみると

『はんせい【反省】
(名)スル
① 振り返って考えること。過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること。「自らの行為を―する」「―の色が見えない」「―を促す」
② 〘哲心〙〔 reflexion 〕注意感覚思考など,意識の作用を自分の内面,自己自身に向けること。何らかの目的や基準に照らしつつ行われる判断であり,普遍原理の窮極的把握そのものとは区別されることが多い。ヘーゲルがカントフィヒテなどの哲学を,現実の具体性にいまだ媒介されていない抽象的な内省,理性に至らぬ悟性的思惟による反省哲学と呼んだのはその意味による。』

 次に「Wikipedia」によれば

『反省(はんせい、英: reflection)とは、一般的には自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと、あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけること。あるいは自己の心理状態を振り返り意識されたものにすること。
ジョン・ロックは反省を、外的対象に向けられる感覚に対して、意識の働きに向けられた内的感覚と考えた(ジョン・ロック#認識論を参照)。
哲学史において、アリストテレスは感覚を五感に制限して内的感覚を否定したが、プラトンは、「精神の目」を認めていた。カントは、これを「内的直観」と呼び、ヘーゲルは反省を、相関的な関係を持った二つのものの間にある相互的反射関係を示すために用いた。』

 というわけで、「国語辞典」では、もっぱら「考えること」が求められる「反省」とは、「心」の精神活動における<知> <情> <意> の <知> に関わる事柄であると指摘されます。
 さらに「Wikipedia」によれば、「反省」とは、行動、発言などを振り返り「評価を下す」ことであり、「問題点を意識化し」「改善を心がける」ことであるといいます。
 これを前出の<知> <情> <意> に照らしてみれば、<知> により「評価する」「問題点を摘出」「改善策を考える」ことを行い、<意> により「意識化」「心がける(決意) 」ことを行っていると思われます。
 つまり「反省」とは、「心」が総体的に統括する精神活動ではあるが、主体的に活躍するのは <知> であり、<意> との連携によりそれを実行力のあるものにしているということになります。

 言い方を変えると、「反省」とは「心の営み」であるために、誰もが容易に喚起、発動できる「気持ち」の問題と考えてしまうのですが、実は「知」が主体的にかかわり観察、洞察、思考、状況判断を不可欠とする事柄であり、「心」の<情> <意> が前面に出た「反省の気分」だけで厳密なる「反省的自己認識」「反省的人格形成」を獲得することはできないと思われます。
 それゆえに面倒な事を望まぬ人々はいつの間にか「厳密なる反省」を回避してしまうことになります。つまりここで見られる「反省」は「口だけの反省」であったり、「反省のポーズ」を演じるだけになり、結局は自己愛を上塗りするだけの納得材料にしかなりません。それを「自己」に「我」が憑依して「自我」が生まれる瞬間とでもいっておきましょうか、ハハハ。我々は知らず知らずのうちにこんな自己を温存し心の中に反省の届かない鉄面皮な人格を作り上げているのです。とはいうものの「心」は、すでに生きているものの中でそれを総体的に統括して維持していく任務を負わされているために、現状の身体が健康であろうと、不健康であろうと、何はともあれ自己温存、現状維持に徹することこそが「心」に求められる本来の存在理由ということになります。つまり「心」とは、黙っていればいつまでも反省などしたがらない体質であると知るべきなのです。
 改めていうまでもなく反省とは、「注意感覚思考など,意識の作用を自分の内面,自己自身に向けること。何らかの目的や基準に照らしつつ行われる判断」であり、客観的視座あるいは共有すべき他者の価値判断を取り入れなければならないため、「心」にそれを受け入れる空きの領域が確保されていなければならないといえます。つまり PC でいうところの作業領域としてのメモリーに余裕がなければならないという事になります。
 したがって、あまりに狭量、小心と言われる状況で、心を閉ざしていては反省の余地がない事になります。そこでは硬直的な感覚、感情に拘束されて、心が「自我」という殻を纏い思考、分別判断までも拘束し停止させてしまう事態となります。
 このメモリー不足といい得る心の状態に陥るそもそもの原因とは、日常的なわがまま、不機嫌から、発育不全による他者、世間との軋轢、協調し得ぬ他者への劣等意識、嫉妬心、自己嫌悪、闇雲な焦燥感、あるいは苛立ち、おごり、怒り、不満、愚痴の堆積、さらに外圧による理不尽な命令、要請、欲求への不平、不満、憤り、あるいは自尊心への中傷など、または身体の不調、病気、生活の不安などあげたらきりのないほどの「日常的な不成就性の心模様」という事になります。これらのマイナス要因に執着し自らの想像力を内向させて、想像力の発展的で開放的な可能性までも閉ざしてしまうことで「融通の利かない自我」が醸成されていくことになります。
 ここでは救いのないこの自我に埋没しつつ、それでもその自我を解き放す事のできない悪循環の中で、不信と猜疑心で「心」を満たし自己喪失の不安を抱えて立ち尽くす事になります。
 ここでさらに自我が脅かされるような強い制止、拘束、抑圧が加われば、あるいは逆に飲酒、薬物などによる日常的な人格を維持する自制心の緩和が生ずれば、不当に抑圧され続け欠落したまま肥大化していた心の負荷は、立ち往生し鬱屈してしまった自我を回復する機会とばかり、日常性を排斥する人格逆転のパニックを起こし他者に対しあるいは自身に対する敵意をもって人格崩壊的状況へと陥るのです。
 そこで表面化した抑圧され歪曲された自我は、崩壊し欠落してしまったと想念される欲望を、一気に充足するのに値するだけの破壊的行為を必要とします。この事態に陥ってはもはや誰もそれを止める事はできません。下手な手出しは事態を悪化させるだけのことなのです

 では、この悲惨なる人格崩壊の危機を回避する方法とはどのようなものでしょうか。
 答えは明確にただ一つです。心を柔軟でゆとりのあるものにする事に尽きるのです。
 しかし、いつもそうですが、言うは易し、実情はそれができないから自我に固執してしまう事になるのです。自分で必死に握りしめている自我を放してしまったら、それこそが自己喪失であったり自己崩壊へと向かうという恐怖心に取り憑かれているのです。
 「心のゆとり」「平安」のために求められるものは、いま与えられている状況に予断、憶断、感情的な思い込みを排し、現前の事実をありのままに引き受ける「心構え」が必要になるのです。自らの管理する予定、計画で自身の行動を規定するあまり身動きが出来なくなってしまう事態にも事前に計画のゆとりが望まれるところです。
 あるいは「心のゆとり」「平安」を求めるあまり、ひとの口車に乗せられて状況判断を曖昧にしたままで、手前勝手なご都合主義を振り回し現状を丸呑みしてしまったり、気分的に容認し得るだけでのことですべてを丸ごと信用してしまったりしては、自ら視野を狭くして墓穴を掘るようなものです。あくまでも一歩退いて一呼吸入れてしっかりと現状を見定めて対処することが求められます。腰を据えて見回せば視野は広がり「心のゆとり」が得られます。
 可能な限り広い視野で自己の立ち位置を確認し、「私」に埋没しがちな自己愛的想像力を外へ向けていかなければならないのです。すると何事にも事前の準備、対策、想定される事態へのイメージ・トレーニングが可能となります。いずれにしても在り来たりの慌てない日常的営為の習得に過ぎないのですが、心の中に淀んでいる「不成就性の感情」に囚われることなく、ポジティブで快活な心模様を維持することに尽きるといえます。
 しかし、ここにも罠は仕掛けられているのです。「心に潜む不成就性の感情」とは、眉をひそめ鼻をつまむほどの異臭を放つ食品が、一口含んだその奥に味覚の異次元体験へと誘う愉悦の美味を潜ませていることがあるように、取っつきは悪くても一度知ってしまうとやめられない、癖になる眩惑の世界があるように、その気も無いのに強要されていやいや手を出したそのあげく、自身のちょっとした躓きで自己嫌悪を誘発して気まずくなった心模様を世間に対して斜に構え、被害者意識ですねてみたり、鬱的感情を弄び「どうせ私なんか」の合い言葉で「やる気」を事もなげに解消する「心の退廃、堕落」を味わってしまえば、後は止めどなく「いいじゃない、あたしがいいんだから」的快感に埋没してしまうのを止められないのです。ここには挫折感に苛まれつつも挫折感に拘泥して「緩やかに、穏やかに」心を鬱屈させて閉ざしていく反省の届かぬ世界が蔓延しているのです。
 そもそも持論によれば「反省」は自立した表現者への第一歩を踏み出させる入り口といえますが、反省など誰だっていつだってしているだろうがと思っていると、「反省などしたくもない心」が存在し、反省しているつもりにさせるだけで自己の不成就性の欲望を上塗りし、それを了解するだけの感情を追体験させて、そのまま納得させる「狡猾な心」が素知らぬ顔で当たり前に君臨しているのです。それが心の「日常的な心模様」なのです。
 諸君、正に「心」は恐るべし。




d ) 「瞑想」と「芸術的瞑想空観」



 前節において、心における反省の居場所を探ってきましたが、ここでは心に踏み入る手段としての瞑想について考えてみたいと思います。芸術的領域の問題としては表現体験における瞑想的状況を探ることになります。
 「瞑想」の概略は wikipedia に充分語られています。まずはそれを引用してみます。

 『 瞑想(めいそう、英:Meditation)とは、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させること、心を静めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらすことである。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。
 精神科医の安藤治は、現代的視点から瞑想研究を紹介する『瞑想の精神医学』で、「伝統的により高度な意識状態あるいはより高度な健康とされる状態を引き出すため、精神的プロセスを整えることを目的とする注意の意識的訓練のことであるが、現代においてはリラクセーションを目的としたり、ある種の心理的治療を目的として行われることもある。」と定義している。「通常の意識状態、通常の健康よりも優れた」という価値の設定は、現在一般に認められている科学的世界観をはみ出しており、こういった価値付与を避けて、瞑想を「変性意識状態」として位置付ける見方もある。』

 さらに概説として瞑想法についても語られています。

 『 概説
 瞑想法は、一つの対象を定めた上で、その対象に集中を高めていく手法と、対象を定めずに心に去来する現象を一心に観察する手法に分けることができる。前者の手法における対象としては、
• 「神」等の聖なる存在のイメージ
• 特定の文字のイメージ
• 紙上に書かれた円形の凝視
• 呼吸に合わせて一心に数を数えること
• マントラや念仏等の短い音節の繰り返し
• 呼吸に対する腹部や鼻腔の感覚変化
 等多種多様である。いずれの手法においても、現実世界に対する心の持ち様を変化させていくことを目的としており、集中力が養われるに伴い心の変化が起こるとされる。
 瞑想の具体的効用として、集中力の向上、気分の改善等の日常的な事柄から、瞑想以外では到達不可能な深い自己洞察や対象認知、智慧の発現、さらには悟り・解脱の完成まで広く知られる。宗教や宗派、あるいは瞑想道場により、瞑想対象や技術が異なる。
 仏教における瞑想法では、人間の心が多層的な構造を持っていることを踏まえ意識の深層段階へと到達することを目的とした手法が組み立てられる場合がある。例えば、大乗仏教における仏教哲学・仏教心理学では意識は八識に分類され、その中には末那識や阿頼耶識と呼ばれる層があり、仏教の瞑想法はそこへ到達するための方法と言われている。末那識、阿頼耶識は、近代になって西洋心理学で深層心理と呼ばれるようになったものに近いと言われている。一方、上座部仏教においては、瞑想修行の進展に伴い心の変化を九段階に体系化(一般的認識である欲界を超えた後に現れる第一禅定から第九禅定)しており、第一禅定以上の集中力において仏陀によって説かれた観瞑想の修行を行うことで解脱が可能と言われている。』

 『 インド発祥の瞑想
インドでは極めて古くから瞑想が行われていたようであり、紀元前25世紀ごろに栄えたインダス文明の遺跡であるモヘンジョダロからは、座法を組み瞑想を行う人物の印章が発見されている。
 紀元2~3世紀ごろにパタンジャリが、サーンキヤ学派の理論にもとづいて瞑想の技法を体系づけ、その技法を継承する集団が形成されるようになった(「ヨーガ・スートラ」『魂の科学』『解説ヨーガ・スートラ』参照)。その瞑想は「ヨーガ」と呼ばれ、継承者集団はヨーガ学派と呼ばれている。意識をただ一点に集中させ続けることによって、瞑想の対象と一体となり、究極の智慧そのものとなるのである。この状態は三昧(さんまい、ざんまい、サマタ、サマディー)と呼ばれる。
 仏教の始祖とされているブッダ("悟った人"の意)は、究極の智慧を得たのであるが、それは上述のインドの瞑想の技法(あるいはヨーガ)によって得たものであり、彼はその瞑想法をより安全かつ体系的なものに発展させた(『原始仏典』参照)。それゆえ仏教の諸派の中には、今でもヨーガの瞑想の技法を継承している派もあり、さらに独自に発展させている派もある。(詳細は瑜伽、法相宗、真言宗、天台宗、天台止観、禅、上座部仏教などの項を参照)
 大乗仏教諸派や他の宗教では、三昧による一体感を究極の目的としている場合が多いのに対して、上座部仏教では、三昧の完成を修行の最終目的とせず、三昧に没入できるほどの極めて高い集中力で、今をあるがままに見ることで智慧の完成(悟りの境地)を目指す。仏教心理学では、三昧によって得られる境地を、その内的体験によって第一から第九禅定までに体系化している一方で、ヴィパッサナー瞑想によって得られる境地(悟り)は、これらの禅定とは別の体験としており、これが仏教と瞑想を基本とする他の宗教との違いとなっている[要出典]。』

 ここでヨーガについても wikipedia をみておきます。

 『ヨーガ(梵: योग 、 yoga)は、古代インドに発祥した伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである。ヨガとも表記される。漢訳は瑜伽(ゆが)。』とされて、その根拠は
 『2世紀-4世紀ごろ、その実践方法が『ヨーガ・スートラ』としてまとめられ、解脱への実践方法として体系づけられた。編纂者はパタンジャリとされるが、彼のことはよくわかっていない。同書を根本教典として「ヨーガ学派」が成立した。同派は、ダルシャナ(インド哲学)のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに位置づけられている。』

 さらにヨーガおいてはチャクラという概念が重要になってきますので、その概説を wikipedia で見ておきます。

 『タントラの神秘的生理学説では、物質的な身体(粗大身、ストゥーラ・シャリーラ)と精微な身体(微細身、スークシュマ・シャリーラ)は複数のナーディー(英語版)(脈管)とチャクラでできているとされる。ハタ・ヨーガの身体観では、ナーディーはプラーナが流れる微細身の導管を意味しており、チャクラは微細身を縦に貫く中央脈管(スシュムナー)に沿って存在するとされる、細かい脈管が絡まった叢である。
 身体エネルギーの活性化を図る身体重視のヨーガであるハタ・ヨーガでは、身体宇宙論とでもいうべき独自の身体観が発達し、蓮華様円盤状のエネルギー中枢であるチャクラとエネルギー循環路であるナーディー(脈管)の存在が想定された。これは『ハタプラディーピカー』などのハタ・ヨーガ文献やヒンドゥー教のタントラ文献に見られ、仏教の後期密教文献の身体論とも共通性がある。』

 ヨーガにおけるチャクラの位置づけはさらに多様で、wikipedia には下記のような見解もあります。

 『主たる座法はパドマ・アーサナ(蓮華坐)である(結跏趺坐に相当)。
 ヨーガは実践上、インド古来のチャクラ理論に依拠している。
 人体内に大きな6または7つのチャクラ(चक्र、輪、車輪)と小さなチャクラがありそれを目覚めさせれば、またはクンダリニーを体内の脊椎にそって上昇させると悟りがひらけると一部の人たちは言うが、全くそういうことはない。実際は、タイティリーヤ・ウパニシャッドで説明される、生気レベル(プラーナーマヤ・コーシャ)の覚醒にすぎず、修行の「入り口」に立ったにすぎない。また、生気レベルの覚醒それ自体は霊格の向上をもたらさず、あくまでもカルマ・ヨーガの実践や世俗との係わりの中での人格の向上や、その他のヨーガを「総合的」に実践することにより、霊格は向上していくものと心得るべきである。』

 たとえば、ヨーガによる瞑想がチャクラの覚醒により身体から心を解放することを目的としているという言い方をすれば、身体性から解き放された心の居場所はどこにあるのか、同時に心の抜け殻になった身体の処遇はどうするのか、という疑問を生じてしまいます。この瞑想法では、解放の目的地と回帰すべき場所を設定しておかなければなりません。瞑想の主役が心であるにしても、瞑想している身体がなければ瞑想は成り立ちませんし、当然ながら瞑想から帰ってきた心は、身体に受け止めてもらわなけば、瞑想を終わることが出来ません。
 したがって、心の解放という考え方は、偏向している身体性に拘束されている心の解放であり、抑圧された心に拘束されている身体性の解放であり、段階的なチャクラの覚醒により、心身の不均衡なバランスを回復することであろうと思われます。ですから程よい心身一如の状況を段階的に体得するためには、主役である心は、勝手に身体性を放棄して一人で解脱することは出来ないのです。

 ここでわれわれが瞑想という修行法を考えるときに重要なことは、釈尊の説かれた解脱への方法論が本来はヨーガの観瞑想修行であるということです。釈尊の提唱する涅槃寂静に至る瞑想法は、釈尊に続く弟子たちのために修行法が整理され体系づけられていけば、それは目的到達を目指す弟子にとっての近道になりますが、それが唯一の道であるとは限りません。
 瞑想の方法、目的は多岐にわたり、瞑想する者がいかなる目的を持っているかによって体得できる回答もまた様々なのですから、釈尊的回答を求める修行者が、違う瞑想法によってそれを体得していたと考えることも出来ます。現に仏教は様々な瞑想法を取り入れつつ変化し、展開してきたという事実からもそれを理解できます。仏教者にとって釈尊的瞑想の回答は絶対に譲れない崇高な境地でありますが、そこに至る方法論は無限に拓かれているということです。
 瞑想法の主流がヨーガであることを踏まえ、ヨーガから当時の宗教的状況を見渡せば、宗教ごとの目的、方法は止めどなく多様であったと想像されます。しかし、ヨーガの本来の目的とするところは「心身を鍛練によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの解脱」することであったのですから、その中の一つにすぎない釈尊的解脱法が特別に取り沙汰されたということ思うと、当時としてはかなり斬新にして画期的な方法論であったということでしょうか。
 そしてwikipedia では、瞑想による治癒的な作用についても触れています。

 『 治癒的な作用
 瞑想研究を概観すると、瞑想は心理学的に健康を導き、感受性を高めることが示唆されている。不安(漠然とした不安だけでなく、不安神経症による不安も)を軽減し、閉所恐怖、試験恐怖、孤独恐怖など特定の恐怖症にも有効性があり、アルコールや薬物の乱用を抑え、精神科の入院患者にも有益であるという報告もある。また心身医学的な見地から、心筋梗塞後のリハビリテーション、気管支喘息、不眠、高血圧に有効であるという可能性も説かれている。また瞑想者と非瞑想者との比較において、人間関係における信頼や自己評価、自己コントロール性、共感能力、自己実現を促進するという研究結果もある。精神科医の安藤治は、このように瞑想が臨床的に治癒的な作用を持っている可能性が示唆されているが、これらの研究はまだまだ科学的研究としては必要な検証作業を経たといえるようなものではなく、またこうした治癒的な作用は瞑想に特異的なものとも言いがたいと指摘している。』

 ここで、瞑想による「感受性の向上」についても触れていますので、この件についてちょっとみておきたいと思います。
 これはすでに『美的「想像力=創造力」の霊性について』で語っていることですが、霊感の領域にまで感応する鋭い感受性はいかにして体得できるのかという問題です。これに対して「瞑想」は経験則としてすでに誰もが実感、体得しているものとして了解されています。
 つまり瞑想に入る段取りと同じで、日常的な「私」といいうる人称性を解消するために分別、価値判断を保留し、とりあえずの目的を瞑想することに限定し、何もしないことのためにひたすら「私」でない何かへと流れ浮遊していくことの出来る領域に入れば、自ずと感受性は研ぎ澄まされ、降り注ぐ霊感を受け止めることが出来ます。
 ここで瞑想的行為者が降り注ぐ霊性を一身に受け止めて意識の変容に気づいたときは瞑想的経験者への覚醒になり、さらに不問に付されていた表現欲求が発動する場にいれば「感応する行為者」へとスライドして鋭い感性ゆえの反省力豊かな表現者に変貌するのです。
 したがってこの瞑想的領域は表現者の反省的感性を磨く修行場と考えることが出来ます。何はともあれ、「私」に固執するこだわりから解放されなければ自身も打ち震えるような感性は獲得できないということになります。
 さらにここでは瞑想の弊害、危険性についても語られています。

 『 弊害・危険性
 瞑想のもたらす心理学的作用が報告されるようになり、健康管理、心理治療、教育などの分野に応用されるようになったが、研究の増加につれて、その弊害も報告されるようになった。安藤治は、臨床場面で安易に瞑想を適用ないし「処方」することが孕む大きな危険性を直接的に示すものであり、非常に重要な臨床的報告であると述べている。弊害としては、時折起こるめまい、現実との疎外感、それまでになじみのなかった思考、イメージ、感情などが引き出され、それらに敏感になることによってもたらされる苦痛(妄想的な思考にとらわれる、不安に付きまとわれる頭痛、消化器系の不調など)、また、不安、退屈、憂鬱感、不快感、落ち着きのなさの増大などが報告されている。瞑想によりそれまで保たれてきた防衛のメカニズムが崩され、普段は意識にのぼってこない幼児期の体験や不快な体験の記憶、身体の痛みが浮上することがよくある。またかつて精神病を体験した人の場合、症状が再発する可能性があり、心理学的な知識のない瞑想指導者がさらに集中的な瞑想をするようにすすめ、症状が一層悪化する可能性もある。心理学的知識のない指導者・熟練していない指導者の指導を受ける場合、大きな危険がある。』

 ところで、この瞑想が開示する精神的な領域と芸術的体験として開かれる精神的領域について考えてみたいと思います。
 ここで私が言わんとする「芸術的体験としての精神的領域」とは、言い換えるならば「芸術的領域としての瞑想空観」ということになります。
 特にこの領域を表現の舞台として開示して見せたものに「能」があり、新しくは「舞踏」と呼ばれる演劇があります。「舞踏」は正にこの領域を表現領域として闊歩しているように見えます。ただ最近はあまり話題にならないようですが。
 「能」と「舞踏」は「芸術的領域としての瞑想空観」を舞台装置として分かりやすい形で見せてくれる例として取り上げましたが、さらに歌舞伎、オペラ、ミュージカルを引くまでもなく、そもそも舞台芸術という形式はそれを象徴的に見せてくれるものということが出来ます。ひとこと付け加えるならば、舞台芸術は役者の生身の身体性が瞑想空観の訴求力を高めているということが出来ます。それは作り物に徹した映像やディスクになった音楽とは異次元の生きた魂から発散される霊力を体感させてくれる形式だからと思われます。しかし表現者の立場からすれば観客を想定するまでもなく、本来の自己目的的な表現形式であっても芸術体験の表現方法に特別な規定を設けなければ、表現者はいともたやすくこの領域へと参入することが出来ます。それは二次元的、あるいは三次元的造形表現においても特別な差異は認められません。
 この芸術的領域における「瞑想的表現行為」と「瞑想」そのものの違いは、瞑想的表現行為が人称性の希薄なった身体性を維持することにより、抑圧され隠蔽されていた欲求を体感として解放する手立てがあるということ。それは治癒力としてのマインドコントロールを可能にしているといえます。そして観客に対峙する表現者には時間的制約の閉幕があり、孤独にアトリエに籠もりあるいは書斎の机にへばりついた表現者には唐突に押し寄せる疲労感による集中力の途絶えたところで、それぞれに表現行為者から表現経験者に変身する機会が与えられているということです。
 ところが「瞑想」は、心身統合の脱落感の中でもっぱら意識に集中して邁進するために、解き放されて顕現する事態には意識で対応するしかないということになります。つまりかなり柔軟にして許容量のある精神性が求められることになります。従って瞑想行為者にとっては瞑想的世界のすべてが現実であると誤認されてしまう事態は迷いの瞑想行為であるという自覚、たとえば夢の中でこれは夢だからと気づいて夢見る夢の覚醒者のように、つまり瞑想行為者の立ち位置と共存するかたちで、あたかも客体的な存在感の瞑想経験者を想定しておかなければならないということになります。その瞑想的経験者の眼差しの中で意識に集中した瞑想が展開されていくことになりますが、このスタンスが確保されることではじめて瞑想の行為と経験が反省的循環を持続していくことが出来るのです。この反省こそが、自身が無意識のうちに抱え込み温存してきたことごとくの苦悩とは、結局は抑圧されていた意識に過ぎないと知ることなのです。したがって措定すべき瞑想経験者の視座を失ってしまっては瞑想行為者は抑圧されていた欲求の餌食となり迷想、妄想の闇へと引きずり込まれてしまいます。
 ここでいう自身の中に客体的な表現経験者を想定するということは、実はあらゆる表現者がごく当たり前に、「いつも自分を見ているもう一人の自分がこの辺りにいてね」と気軽にいえる、しかも日常的に体得している「私」の反省力に過ぎないのです。
 ところで、この日常的な反省的表現経験者は「心」という精神領域で身体性までも統括しうる権能の与えられた身分に安住していますが、瞑想行為者が自己の意識の中に想定する「客体的な表現経験者」は、人称性が希薄になり個別化された「心」をも反省の対象としうるピュアな意識領域に隠棲することになります。その意味において、それぞれの「反省的表現経験者」は措定される意識の階層が違うということになります。
 続いて wikipedia では瞑想の段階的な弊害について語られていますが、それはとりもなおさず瞑想修行の段階的表象の確認になっていると思います。

 『 長期のリトリート(集中合宿)の場合、瞑想体験が進化し内面への意識の集中が深まり、日常生活から意識が遠ざけられることになるが、そこから日常生活に戻る際に障害がみられることがある。その症状は精神医学で離人症と呼ばれる症状に酷似しており、長期瞑想者のほとんどがこの離人症を体験しているともいわれ、実際に精神科を受診せざるをえなくなったケースもある。
 臨床的見地から、瞑想は精神病や境界例、慢性のうつ病、片頭痛やレイノー病などには安易に適用すべきではないことを示す研究もある。
 これらの研究は、少なくとも瞑想には不向きな人がいること、瞑想を治療として処方することは安易にはできないこと、様々な瞑想伝統が示すように瞑想には十分な準備が必要である可能性などを研究者たちに示した。
 瞑想修行においては、生のすべてが意味を失い、深い苦痛や絶望、重苦しい抑うつ感にさいなまれる「魂の暗夜」という状態がある。(通常のうつ病的状態とは異なり、決して自殺に追い込まれることはないという。)スピリチュアリティへの強い欲求や志は、本質的に自己の責任の放棄という要素があるため、外的対象に依存しがちになり、スピリチュアル・アディクション(中毒)に陥る可能性が常に強くある。特に現実逃避の傾向のある人が瞑想などのスピリチュアルな実践を行う場合、安易に中毒が起きやすく、また抜け出しにくい。自己がしっかりと確立される前の人が行う場合も、現実逃避の温床になりやすく、スピリチュアル・アディクションを招きかねない。
 瞑想修行がすすみ、集中的瞑想の段階に入ると、通常では体験しないさまざまな心的要素が次々現れる。多くの瞑想伝統では、悟りに至る過程の一現象であり、「副作用」に過ぎないものとされるが、瞑想者に非常に大きな衝撃を与える体験であり、道を踏み外したり病理的な事態に陥るといったことが知られている。欧米ではまだこの段階に達している瞑想者は少ないため、研究にも混乱が見られるが、感情的・身体的エネルギーの激発(体の一部が突然動く、急に脊髄が燃えるように感じられて体中が熱くなる、身体各部に強烈な痛みを感じる、身体各部の緊張が急に解き放たれる、様々な色の光に襲われる、強いエクスタシーを伴って身体全体が震える、複雑で劇的な身体の動きが数日~数年続く、など)があり、ヒンドゥー教で「クンダリニーの覚醒」と言われる状態と思われる。また瞑想集中期には、身体が大きくなったように感じたり重く感じる、また体外離脱や幻聴などの知覚の変容、急に強い絶望感、喜び、深い悲しみ、恐怖に襲われるといったこともある。感情が大きく揺れて制御できなくなる、過去世のようなヴィジョン、見たことのない情景が現れるなど、古代的・元型的イメージが浮かび上がり、これに伴う強烈な光や色に圧倒されて、精神のコントロールができなくなることさえあるという。瞑想熟練者によるきめ細やかな指導がない場合、病理的な状態に陥る可能性もある。指導を無視したり正しい瞑想法を行わずに、完全に精神病的状態になり、薬物治療が必要になったケースも知られている。
 集中的瞑想が深まると、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な解放感が湧き上がることがあり、これを瞑想の最終的ゴールと間違えることが多い。シュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)と呼ばれており、強烈な幸福感を呼び覚ますため、一度体験するとそれにしがみついて手放そうとしなくなったり、悟りの境地に達したと感じて有頂天になることがあるという。多くの瞑想伝統には、こうした体験を評価する洗練されたシステムがあり、シュード・ニルヴァーナには距離を持って接するよう指導される。
 また日本の禅にも、修行の途中で様々な精神的・身体的不調をきたす状態が修行者たちに知られ、「禅病」と呼ばれてきたが、詳細な記録は少ない。江戸時代の名僧白隠は、若い時に過酷な修行で禅病に悩まされ、経緯や症状、その克服法「内観の法」「軟酥の法」を『夜船閑話』に書き残している。』

 
 改めて「瞑想」の概要を循環する反省論で語れば、瞑想する「私」の主体を維持しつつ、思考停止、さらに身体性、時空間感覚の喪失による人称性、目的性をも解消した浮遊感、この至福の愉悦、恍惚感が、いわゆる「緊張感の解消」を獲得させるリラクゼーションということになりますが、瞑想の主眼とするところはここから始まることになります。
 言い換えるならば、「瞑想する<私たりえぬ私>」は、これから業罪の特定、解消に入らなければならないというわけです。ところがこれをなさんとする「瞑想する主体」には自身の業罪を提示できる「私」という人称性を持たされてはいません。すでに「私」という日常的主体は解消されているのです。では、「瞑想する主体」はいかにして「これが私の業罪です」といえるのでしょうか。
 それは、すでに「芸術的瞑想空観」を語る際に提示しました意識の中における「瞑想的経験者」の措定ということになります。これがあってはじめて瞑想行為から瞑想経験への反省的循環が行われるということです。瞑想行為者は瞑想の真っ只中では瞑想すら意識に上がりません。そこで「瞑想する主体性」の回復には瞑想経験者の立場に立たなければならないのです。つまり反省的視座を獲得した瞑想経験者の目には、瞑想行為者が無言のうちに背負っていた業罰を容易に露わにし摘出することが出来ます。さて、ここで瞑想経験者はとりあえずすでに措定されていた人称性に仮託して本来設定されていた瞑想的目的に立ち返り、新たに「瞑想経験者」的行為者へと移行します。ここで階層は変わりますが経験から行為への循環的回帰が行われます。無論ここで解消、解脱されていく業罪を見届けるには、この解脱行為者の立場からさらに解脱経験者へと循環的回帰が行わなければなりません。
 何はともあれ業罪を懺悔し、自ら引き受けなければならないものはすべて引き受ける了解点に立ち、まるでねじの巻き戻しのごとくねじれたことごとくの関係性を意識の問題として解消していく「<瞑想的経験者>的行為者」が立ち現れるのです。無論、瞑想から回帰すれば、この「<瞑想的経験者>的行為者」(解脱行為者) は「<瞑想的経験者>的行為者」的経験者 (解脱経験者) になります。ここで元の「私」に回帰した瞑想者はすでに瞑想的階層の異なる自己 (解脱者) になっています。これを踏まえてさらなる瞑想的階層への深化を探ることが出来る段取りです。
 すでにありとあらゆる表現者が「神が降りてくる」という一種の神秘体験に遭遇する事態について、それを「芸術的瞑想体験」として語ってきましたが、それは芸術における「空観」の体得に至る表現行為と表現経験を霊性によって語ることの出来る領域にまで広げ、さらに神秘体験までも手中納め、感動の反省力を人々の弛緩した感性に、あるいは硬直化した欲望に衝撃の反省力として喚起できる表現者になることが本来の目的ということになります。



e ) 「体験天秤」




 ここからは前節『「瞑想」と「芸術的瞑想空観」』の付記ということになりますが、「行為と経験の循環する反省論」を現実の問題として展開していこうとするときに、見逃してはいけないことがありますので、ちょっとひと言。

 言葉で瞑想体験を語るということは、どうしても論理的な構造を組み立てるという作業になってしまいます。瞑想体験は、その入り口がすでに「瞑想することが目的である」という一元的構造の行為によって始まるために、そもそも言葉の入る隙間はあまりありません。そんな事情を踏まえると、ここで何かを語り起こそうと企むものは、事前に論者の論法を持っていなければ太刀打ちできないということになります。
 同様に、芸術的瞑想空観を語る状況においても、表現者自身の問題として、芸術体験で自己目的的に設定されたプログラムによる純粋体験を想定すれば、やはり言葉の届かぬ領域に踏み込むために、言葉で規定した概念のみならず言葉の意味という編み目をすり抜けてしまう大切なエッセンスがあるように思います。
 単純作業に没頭して忘我の時間を過ごす、これは多くの人々が日常的に体験していることですが、この状況を純粋性の表現行為に当てはめ、我に返った時を純粋表現経験への移行と規定してしまうと、やはりどこか現実にそぐわないぎすぎすしたものになってしまいます。実際のところ、表現における純粋体験のみならず、忘我の行為者もその行為が道を外さずに持続できるということは、心の中のどこかにナビゲーターがいると考えることが出来ます。そしてナビゲーターを務めた経験者はその行為を客観的に評価するのみでなく体感としての行為性を抱えているからこその経験的自覚を語ることが出来るということになります。これは繰り返し行われる作業をパターン化、あるいは習慣化して処理する脳の特性かもしれませんが、この立場に立つならば、ナビゲーターはいなくてもよい状況があるということになります。無論、必要があればナビゲーターは呼び戻されることになります。このような曖昧な立場、中途半端な存在理由は構造論においては、なかなか目の届きにくい部分になってしまいます。
 つまり、体験を行為と経験の概念に分けて分析していくのは厳密であるべきですが、生身の体験、体感は、行為性と経験性に二分された目盛りの天秤を、右に揺れたり左に揺れたりして、たとえば今は行為性が重いが経験性もまだいくらか残っている、ところが次の瞬間はその逆になるというわけで、実際にはとらえどころのない状態で生きられているはずなのです。したがって、ここでは、この曖昧な部分をどのように捉え、体験の反省論に組み込むかという企みを語ることになります。

 脳機能が本来持つ習慣化という欲求は、忘我の瞑想者が瞑想し続けられるという事情を説明するのには誠に好都合と言えます。しかし当然のことですが、瞑想行為はパターン化にのみ支えられているわけではありません。つまりナビゲーターたる経験者がいないわけではないのです。体験の天秤は行為性に振られているが、事あるごとに目盛りが揺れて、ささやかなる助言を求められた経験者が呼び出されては戻って行く、こんな状況を想定することが出来ます。
 それは経験性の領域についても言えることです。水先案内の経験者が誘導しているにもかかわらず、それなら分かったと早合点する行為者もいるでしょうし、この瞑想はかくあるべきだと主張する経験者もいるはずです。
 たとえばそんな状況の目盛りを読んでみたら行為性の領域では、行為性が 70% ならば経験性は 30% で残っているという状況かもしれないし、また別の問題では、経験性の領域で、ようやく経験性の性格が露わになるターニングポイントに入り、行為性と 50% ずつで拮抗しているなんてこともありうるわけです。
 その辺の事情を踏まえ、この「体験天秤」に即してもう少し話を進めていきます。「体験天秤」の構造を少し詳しく説明しておきます。
 簡単な構造の天秤は、たとえば左に振り切れば行為性 100% で経験性を 0% にすれば、右に振り切れると経験性 100% で行為性は 0% になります。制止している中央の分岐点は行為性も経験性も 50% ずつになります。これで行為性と経験性のバランスの問題は説明できるのですが、もう少し細かい設定を考えてみたいと思います。 
 天秤の左半分を行為性の領域とします。右半分は経験性の領域です。今度は中央の分岐点をそれぞれの 0% として、左へ行くほど行為性は 100% になり、逆に右へ行くほど経験性は 100% になります。ここではそれぞれの領域にフィードバック機能として、行為的領域には潜在的な経験性を、経験的領域には潜在的な行為性を設定します。目盛は潜在的な部分が表層の目盛に対して常に反比例します。
 つまり、静止状態で中央に位置する分岐点では、行為性の 0% に対して潜在的な経験性は100% で待機し、経験性の 0% に対して潜在的な行為性も同じ場所に 100% で待機しているということになります。
 そしてそれぞれの領域では、目盛の中間部分に表層性の 50% と潜在性の 50% の数値が反転するターニングポイントがあります。
 このように単純な構造の天秤に重層性を持たせるという意図は、潜在化しているフィードバック機能を見やすいものにしたいという思いによるものです。
 とりあえずこのような装置の天秤構造を理解して頂ければよいと思います。では、話を進めていきます。
 瞑想のみならず日常的な場面においてもこの天秤を用意することが出来ます。様々な体験の場において、この天秤の目盛りが一気に反転するときもあれば、じわじわとスライドして反転するときもあります。一気に反転するにしても分岐点まではゆっくりでその後目盛りの限界まで一気にいってしまったり、分岐点までは一気に戻ってきたが、その後はゆっくりと反転していくなんて状況もあるわけです。もしも目盛りが中央の分岐点で制止していれば、体験が停止されているか、体験が主体性を失って判断中止のまま状況に流されていると考えることが出来ます。
 つまり、体験を行為と経験で分析的に語ることは可能ですが、現実的にはかなり揺らぎがあるということになります。したがって、瞑想体験のみならず、表現体験においても、その作業をより厳密に規定して、より次元の高い境地へと自らの行為性を追い込んでいくような状況であれば、天秤の目盛りは潜在的な領域においても限りなく経験性を 0% に近づけることになります。ここで思い起こさなければならないことは、どんな秤も測定可能な領域があり、測定限度まで計ってしまうとその反動は驚くほどの反発力で戻ってくるということです。
 ここにいう天秤の測定限度はその人の精神的領域の大きさ、質量、質感などによって決まってくることですが、忘我の限度までいった行為性から、急激な反転で意識下の経験性へ戻されてくれば、これはかなりの精神的な負荷を受けることになると心配されます。しかし、瞑想とは見かけの静寂的なポーズとは裏腹に、修行者の内面においては想像を絶する精神的な葛藤があると見るべきではないでしょうか。それは前節の「瞑想」で引用した wikipedia の「弊害・危険性」からも想像されるところです。このような状況は芸術においても同じことで、過激な演技、激しい行為性から、一転、厳密にして静寂なる経験者に立ち戻り、次の瞬間は再び神憑りで行為性の高みへと駆け上り、あるいは暗黒の闇へと降下する、そんな芸術体験へと引きずり込まれることがあります。しかしこれこそが芸術的感動の現場ということになります。
 ただここでも見落としていけないことは、行為性の表現力 (パワー) が高いからといって、天秤の行為性の目盛りが限度にいってるとは限らないということです。それは冷静なる経験者的配慮によりパワーはコントロールされているという事態もありうるということです。そんな時の行為性における経験者性は何% になっているのでしょうか。それはとりもなおさず芸術家の器の問題として理解すべきかも知れません。
 行為性と経験性によって様々な体験の場を分析的に考察し、状況の理解を深めることは、表現者にとって不可欠の資質であると考えますが、この反省論を実行力のあるものとして体得していくには、やはり現場、自身の足下をしっかりと踏みしめていかなければなりません。言い換えるならば、世間を見渡して生きがたき人びとの声なき声に耳を傾けるまでもなく、己れの来歴を顧みれば、泥濘んで足場の悪い状況から立ち上がらざるをえないのは表現者の常というわけで、行為性と経験性による反省論を表現活動の根幹に据えていかなければと思うのは、心貧しき表現者の定めとご理解下さい。
 ところで「体験天秤」の構造で見たように、行為性と経験性は体験している意識の表裏一体をなすものとしてあり、体験の真っ只中で目盛りが揺れ動いている間はどちらもが十全な形で共存することはあり得ないことになります。互いに欠落した部分を補う関係でしか共存し得ないということです。
 しかし、目盛が中央の分岐点で停止している間だけ、行為性は目的に対しては 0% でしかないが潜在的な経験性では 100% になります。経験性は目的に対しては 0% でしかないが潜在的な行為性ではやはり 100% になります。つまり、この分岐点においては、行為性と経験性はともに相手を補完し合うという関係においてのみ、それが停止しているという条件で共に 0% でありつつ 100% どうしとして共存できることになります。
 では、ここから示唆されるものは何か。
 つまり、行為とは潜在的な経験性に想定されている目的の 100% を背負わされて、自身のために100% の達成に向けて進む営みであり、経験とは潜在的な行為性に想定されている目的の 100% を背負わされて、自身のために100% の達成に向けて進む営みであるということになります。
 言い換えるならば、行為は潜在的な経験的知見によってすでに目標が定められていて、それと知らずに表現欲求を発動して切磋琢磨していることになり、経験は潜在的な行為的知見によりすでに目標が定められていているのに、それと知らずに道案内していることになります。
 天秤の中央分岐点では「行為性と経験性」が「表層性と潜在性」を反転させる劇的な地点ですが、それぞれの領域における中間部分を「事件性と事件報告性」の関係で語ってみると、行為性においては経験性のそもそもの事件報告的欲求である道案内が解消されていくターニングポイントになり、経験性においては行為の事件性を事件報告されるものとしての成形化に進むターニングポイントということになります。
 ところでこの分岐を、「事件の発動である行為性とそれが抱える潜在的な報告性」との転換点、さらに「報告性の発動である経験性とそれが抱える潜在的な事件性」の転換点という見方をしたときに、常に事件が先にあって報告がついてくるという感覚になりますが、日常的にはその逆の報告性によって事件が喚起されることも当たり前のことです。
 そもそもこの「体験天秤」は、偶然に振れた方向によって事が起こるだけのことです。先に行為性の方へ 30% 振れれば、そのときの暗黙の了解による潜在的な経験性が提示していた 70% がとりあえずの目標になり、経験性の方へ 40% 振れれば、その時の暗黙の了解による潜在的な行為性が提示していた 60% がとりあえずの目標になるということです。当然ながら「体験天秤」の揺れは、せめぎ合う行為と経験の狭間で揺らぎ続け、増幅し減衰して次々に想定され変更されていく目標に向かい揺れ続けることになります。そしてここに提示されたパーセンテージの数値は、すべて相対的なもので、一つの目安にすぎないと考えてもいいと思います。したがって、その数値の内実は、その時の体験枠を決定する瞑想者、表現者の問題意識の重さ、表現欲求の情熱などに委ねられているといえます。

 次に、ここで取り上げた体験天秤の「揺らぎ」を、改めて行為性と経験性の構造的な反省論で言い換えてみたいと思います。
 まず、天秤の目盛が行為性の中で揺れているが経験性の領域に入ることはないという状況を想定してみます。
 行為者が経験性への反発力を受けている状況は「経験的行為者」ということになります。では、その中を詳しく見てみましょう。
 より強い行為性の力で引き戻されて行為が持続している場合は「 <経験的行為> 」的行為者 」と書くことになります。しかし引き戻す力が弱く経験性に傾きかけた行為者は「経験的 < 経験的行為 > 者 」になります。これを行為性としてまとめて書くと「< 経験的行為 > 的 < 経験的行為 > 者 」になりますが、これでは面倒なので「行為的行為者」と簡略化して「行為性の持続」をいうことは可能であると思います。
 同様に経験の領域においても、基本は「行為的経験者」ですが、経験性へと戻る反発力が強い「 < 行為的経験 > 的経験者 」から、今にも行為者へと転換しかねないほどに反発力の弱い「行為的 < 行為的経験 > 者」があります。これを経験性としてまとめると「 < 行為的経験 > 的 < 行為的経験 > 者」となり、「経験的経験者」と簡略化して「経験の持続」をいうことも出来ると思います。
 通常は行為性においても経験性においても、それが持続している状況をわざわざ「行為的行為」「経験的経験」と書く必要はないと思いますが、このような表記をすることで体験天秤の「揺らぎ」を構造的に明らかにすることが出来るということです。

 せっかく見つけた「体験天秤」ですから、もう少し天秤を揺らしてみたいと思います。天秤に乗せるのは「心身一如」です。表現活動において「心身一如」を言うときの精神性と身体性のバランスを、行為性と経験性の天秤で量ってみようというわけです。
 「心身一如」を精神と身体が共に不即不離の関係で補完し合う実践的な認識構造と考えると、「精神的身体性」と「身体的精神性」の反省論として語ることができます。
 この「精神的身体性」とは、自身の身体性は無意識においてさえ常識、文化、制度などの精神性によって意味づけられているという自覚であり、「身体的精神性」とは、自身の自由意志に基づく精神性が、常識、文化、制度あるいは遺伝的条件により意味づけられた身体性によって拘束されている事態というわけです。
 「精神的身体性」が主体的に表現行為を始めると、意識の必然的なフィードバック機能が喚起され「身体的精神性」に移行した客観的視座によって表現経験が立ち現れます。無論、ここでいう行為性と経験性は持続する表現活動を支えるときに、状況によってどちらかが主体性を確保しどちらかが陰になってその状況を補完することになりますが、それは正に、状況次第で主体が移動し変化する流動的なものというわけです。
 この行為性が発動する端緒は、とりあえずの問題意識による合目的的行為の発動というわけですが、無意識に近いごく日常的な営為も含みます。
 これをいつもの反省論で書けば、「<精神的身体性>的行為」による「<身体的精神性>的経験」への移行になります。さらに持続する表現活動においては、「精神的身体性」に回復した表現者は『「<身体的精神性>的経験」的行為者』になります。この段階において心身の関係は、「<身体的精神性>的身体性」へと認識のレベルが深化していることになります。
 さらに身体性に主体的立場がある場合では、「<精神的身体性>」的経験」から「<身体的精神性>的行為」への移行も考えておかなければなりません。ここで明らかにされる表現者の内実的営為といえるものは、「身体的精神性」が主体的に語り出す物語によって意味づけられた行為性として展開することになります。つまり、常識、文化、制度などさまざまな物語によって意味づけられた身体性が何事かとの遭遇によって享受させられた「体感への反応行為」であり、その人ならではの無意識までを含めた意識の表出としてみることになります。ここでも表現者は「精神的身体性」へと回帰して『「<身体的精神性>的行為」的経験者』になります。この時点での認識レベルは上記と同様に「<身体的精神性>的身体性」ということになります。
 次に立場が変わり「身体的精神性」が主体的に表現行為を行うときは、「<身体的精神性>的行為」から「<精神的身体性>的経験」への移行と、次の「身体的精神性」への回帰による『「<精神的身体性>的経験」的行為者』へと踏み出すことになります。この時点での認識レベルは「<精神的身体性>的精神性」ということになります。
 同時に「身体的精神性」が主体的な表現経験の「<身体的精神性>的経験」から「<精神的身体性>的行為」への移行と、 「身体的精神性」への回帰による『「<精神的身体性>的行為」的経験者』を考えておかなければなりません。この時点での認識レベルは同様に「<精神的身体性>的精神性」ということになります。
 ここでいう「身体的精神性」が主体的な表現行為とは、競技に挑む実践前のイメージトレーニング、あらゆる想像的事象(作曲、小説、物語、詩など)の構想的営為、あるいは思考状況などがあります。ここではワープロのキーボードをたたき、絵筆を走らせ、楽器を演奏すること、演技をすること、あるいは文字を書き読むことの表出の行為性はしばしば無意識化されていますが、その行為性を陰でささえる「<精神的身体性>的経験」としてのフィードバック機能は、行為性が無意識と意識化された状況のなかで揺らぐたびに、主体性が移行してきて自身でイメージしたものを体感、検証、あるいは軌道修正をすることになります。
 さらに「身体的精神性」が主体的な表現経験として想定されるものとは、ここで表現者としての立ち位置が確保されていれば、瞑想者が瞑想しているという自覚とか、作曲家が楽譜として表記する以前の音を想念として聴いている状況、小説家が文字として表記する直前に想起されている物語、あるいは思考作業において繰り返される様々な試行錯誤などをあげることができます。これに対して、表現者としての自覚を持つまでもない日常的な状況においては、本を読む、テレビ・映画を観る、音楽を聴く、という様々なことが想定されますが、ここでもロックコンサートに行く、スポーツ観戦でスタジアムに行く、となれば聴衆・観衆たる表現経験者は現場を支える熱狂的な協同参画者となり、圧倒的な表現体感に支えられ主体性を獲得して、自らを十全たる表現者と自覚しうる『「<精神的身体性>的経験」的行為者』になります。この時点での本来の認識レベルは「<精神的身体性>的精神性」ですが、十全たる表現者への変貌により『「<精神的身体性>的精神性」的身体性』へと進みますが、これは「精神的身体性」への回帰に他なりません。

 つまり、ここで重層化された天秤とは、設置された「行為性と経験性の天秤」の上を右と左に揺れてスライドする「精神性と身体性の天秤」を想定することになりますが、状況によっては逆転の発想で設置された「精神性と身体性の天秤」の上をスライドする「行為性と経験性の天秤」も想定しなければなりません。ここに繰り広げられる重層的な流動性こそが動的な活力に満ちた「体験天秤」の面白さというわけです。
 さらにこの天秤を宙づりにしてモビールという無限に細分化可能な「天秤棒」を想定すれば、いま我々がここで表現体験の内実を解明しようとしていた観点とはずれますが、ここにはどんな異質な素材を持ち込んでもそれらを見事に均衡可能な世界に配置してみせてくれるという大局的な叡智を垣間見ることができます

 我々は、思わぬ寄り道で思いもかけない掘り出し物の「体験天秤」を手に入れることが出来ました。とはいうものの、ムム、突然思いついた事ですが、「行為と経験の循環する反省論」は、天秤を拾い上げたことで何か「動的平衡」に見えてこないでしょうか。ひょっとするとこの寄り道に「体験天秤」を隠していたのは福岡伸一先生ということでしょうか、ハハハ。
 ま、つまらぬ詮索は置いといて、諸君も、ご自身の瞑想体験で、あるいは芸術的瞑想空観においてこの「体験天秤」をぐらぐらと揺らしてお楽しみください。

 

 


                 f ) 西田幾多郎について考える


 

 むむむ、西田幾多郎…、なにっ、純粋経験とな…、禅の修行とな…
 てなわけで、自身で純粋経験てなことを能書きするようになって以来、やはり素通りしてはいけないものと感じてはいたのですが、赤貧の一日一画の垂れ流し作業に追い立てられて、思えば数十年もの長い間振り返ることもしませんでした。ヘへへ。
 ようやく糞爺に成り下がり逃げ場を失って観念し、西田幾多郎さんにご挨拶しなければならないと思い至った次第です。
 糞爺てなもんは、所詮、姑息なやつと相場は決まってますから、YouTube、ネット界隈をまさぐって、情報収集に邁進です。まじめに原文に触れて理解しようなんて気はさらさらなく、解説書で済ます魂胆です。で、世間には想像を超える名人、達人、賢者はいるもので、好都合のブログを発見しました。
 「壺齋閑話 / 壺齋散人」の中に「知の快楽」という項目があります。
 その中に西田幾多郎先生は威厳を持って鎮座されています。
 というわけで、壺齋散人さんの明快にして深淵、簡潔にして的確な解説に感銘し、この解説なくして西田幾多郎なしと確信するほどに惚れ込んでしまいました。
 つまり、ここでは壺齋散人さんの解説を足がかりにして何事かを語らんという魂胆ですが、前半は西田幾多郎の基礎知識をこの解説のみに委ね、西田幾多郎の思想の骨格だけでも明らかにできればと思いました。
 ところでまた言い分けですが、この糞爺、短気なものですから、勝手に解説に手を入れて、削りに削り西田先生の骨格もばらばらにしてしまった感もなきにしもあらずといったことになりました。しかし、もはや元に戻る気もないのです。なぜなら後半においては、換骨奪胎といった状況で西田幾多郎先生のお骨はすでに散逸し、糞爺の迷宮へと語るに落ちるのです。困った奴と諦めておつきあい頂ければ幸いです。

「純粋経験」

 西田は「純粋経験を唯一の実在にしてすべてを説明してみたい」と述べています。
 「純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なるものである」といいます。
 解説によれば、ここで西田は「究極的に疑い得ない確実なこととは何か」と問いかけます。ん、何でそんなことを問いかけるのと素人考えで突っ込んでみたら、それが究極の前提、つまり純粋性の根拠についての問いだったんですね。解説者はデカルトを引用します。
 デカルトは「疑うということを考えるということと同一視した上で、すべての事柄を疑っているその自分の存在は疑い得ないと結論した」。
 西田は「デカルトの言う自己とは、反省の結果摘出されてきた概念に過ぎない。自己は考える主体であるが、主体があるということは客体があることを前提にしている。ところが主体も客体も、反省の結果出てくる概念である」。
 つまり、西田は、反省によって媒介されたものは直接的なものではないので究極の前提とはなりえない。究極の前提は、反省が加わる以前の生の現実でなければならないといいます。そしてここにいう「生の現実」を、西田は「我々の意識現象即ち直接経験の事実」だといいます。
 解説者は、西田の「直接経験の事実」とは、反省が加わる以前の、すなわち主客に分かれる以前の、混沌とした統一状態にある意識現象だと考えます。
 さらに西田は「個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである」といっています。
 解説者は、西田には当時の哲学界の共通課題である二元論の克服という問題意識があったといいます。フッサールの現象学を含む新カント派、ベルグソンらの直感主義的な立場も、主客未分の現象からすべてを説明しようという一元論的な思惑を持っていたといいます。
 新カント派も直感主義者も、主客対立の手前に意識の主体を置いてるため一元論としては不徹底ですが、西田はここが徹底しているといいます。
 西田の純粋経験における意識の与件は、意識の主体としての自己が生まれ育つ母胎であるといいます。それは実在であるから、様々に働き分裂して多となり、多が統一されて一になることもできることになります。この実在の発展を、西田学者の上田閑照は「自発自展」といっているそうです。
 解説者は、西田の純粋経験をめぐる議論は、認識論を超えて存在論となり、純粋経験はその存在を人間の意識から根拠づけ世界全体をその内部に含む壮大なものになっているといいます。

「思惟」

 解説者は、西田が思惟も純粋経験であるということの矛盾を指摘します。
 思惟とは反省によって成立しますが、反省以前の事実こそが純粋経験だと定義して、いまさら思惟を純粋経験だというのは矛盾になります。
 西田はここで、知覚と思惟との関係について論じています。
 「知覚は所動的、思惟は能動的 ・・・知覚は具体的、思惟は抽象的とも言われる。いずれにしても、両者は厳しい対立関係にある」。
 しかし、西田はこの対立を絶対的なものとはせず、思惟の抽象的な働きに完全なものはないといいます。思惟は必ず心像(イメージ)を伴い、イメージなしに思惟は成立しない、つまり、思惟は本来から知覚の要素であるイメージを含んでいます。したがって知覚と思惟は相対的な関係にすぎないことになります。
 解説者はこの議論にカントの図式論をみています。現象的所与と概念的な認識作用の間に図式を入れ両者の対立に架橋するという方法です。図式には概念ほどの抽象性はなく、個々のイメージほど現象的ではないため、その中間性が現象と概念の橋渡しを可能にするという理屈です。
 そもそも純粋経験がイメージを伴っている限り、思惟もまた純粋経験だというわけです。
 解説者はさらに「善の研究」の思惟論に言及したついでに、西田の真理論にも触れてます。西田はまず、「自分で自分の意識現象を直覚する純粋経験の場合には真妄ということはないが、思惟には真妄の別があるともいえる」といいます。直覚的純粋経験は判断以前の生の事実であるため、真偽の区別はない、真偽の区別が問題になるのは判断が介在する場合だけだといっています。
 新カント派を含めて伝統的な(主流的な)学説では、真理とは主観と客観の一致をいいます。
 西田は「如何なる思想が真であり如何なる思想が偽であるかというに、我々はいつでも意識体系の中で最も有力なる者、即ち最大最深なる体系を客観的実在と信じ、これにあった場合を真理、これと衝突した場合を偽と考えるのである」
 西田のいう真理とは、我々の意識体系と矛盾しないもののことをいい、その意識体系とは、我々の思考を束縛している憶念の体系ということになります。その憶念の体系が我々にとっては客観的実在であり、それと一致するものが真理というわけです。

「自覚」

 「純粋経験」は「自覚」から「場所」へと進化・発展し、人間の意識の作用全般を担うものになります。
 「自覚」を構成する二つの要素として「直感」と「反省」をあげ、「直感」は狭義の「純粋経験」に、「反省」は「思惟」に相当します。
 これにより思惟も、そして高度な認識作用である「知的直感」も「純粋経験」ということになります。ここでは「自覚」がまずあり、そこから「知覚」と「反省」が言及されて下降的な見方が生じます。
 西田のいう「自覚」とは、「先験的自我の自覚」であり「フィヒテの所謂事行 Tathandlung の如きものである」といいます。
 解説者によればフィヒテの事行という概念は、私を能動的な働きの主体とし、その主体が産み出したものは主体自身と全く同じ者だというわけで、私と世界とは一にして同じ者ということになります。
 そして解説者は「このフィヒテの言明のどこに西田は惹かれたのだろうか」と問いますが、純粋経験が世界全体の根拠となる究極的な実在であるということで、純粋経験によってこそ私があり、同様に認識対象の客観的世界も純粋経験によってこそ生じてくるという論法の正当性を担保したいということだと思われます。
 したがって「先験的自我」とは普遍的な自我であると位置づけ、「自覚」を普遍的な観点へと移行し、「場所」という概念へと発展させる足がかりにしたというわけです。

「自覚から場所へ」

 解説によれば、「場所」について西田は、「自覚との関連」と「形式論理」という二つの方法で説明します。
 まず西田の自覚は、フィヒテの事行と同様に意思を前面に立て、意思に裏打ちされた働きであらゆる実在が産まれてくるというもので、しかも、働きの主体とその働きによって産み出されたものは究極的に一致すると主張します。西田の自覚は、働きの、あるいは作用の側面が前面に立ちますが、これに対して場所は一種の直感主義に立つといいます。
 場所における直感とは、西田によれば「有るもの働くものすべてを、自ら無にして自己の中に自己を映す影とみるのである」というわけです。
 「我と非我との対立を内に含み、いわゆる意識現象を内に成立せしめるものがなければならぬ。かくの如きイデアを受取るものともいうべきものを、プラトンのティマイオスの語に倣うて場所と名づけて置く」(「場所」上記論文集所載、以下同じ)」
 「我々が物事を考える時、これを映す如き場所という如きものがなければならぬ。先ず意識の野というのをそれと考えることができる。何者かを意識するためには、意識の野に映さなければならぬ。而して映された意識現象と映す意識の野とは区別せられねばならぬ」(同上)
 場所に映された意識現象には知識のほかに感情や意思も含まれるから、これもこの場所で成立します。つまり、意識の野という場所が、主観としての我も、客観としての自然的世界も自己限定したものというわけです。個人の意識から始めると、他人の意識にはなかなか辿り着けませんが、人類全体を包括する場所から始めれば、ここではすべての個々人が通底していますから、相互の理解が可能になります。

「場所」

 場所を考察するために西田はアリストテレスと同様に、主語となって述語とならぬもの、述語となって主語とならぬものについて議論します。
 アリストテレスは述語をカテゴリーだといいますが、西田はカテゴリーというのは複数あるため、これは究極のものとはいえないといいます。究極的といえるものは、ただ一つのものに限られます。では、述語となって主語とならない究極的な述語面とは何かと問い、西田はそれを「場所」だといいます。
 ここで解説者は、西田の「場所」という概念の曖昧さを指摘します。
 場所とは、「意識の野」と呼ばれ人間の意識現象にかかわる概念であるはずなのに、なぜ、論理学上のカテゴリーといいうる「究極の述語」とか「究極の一般者」になるのかという点です。つまり、すべての世界が存在しかつ生成する舞台としての「場所」が、なぜ論理的な一般者と結びつくのかということです。
 本来、論理的な包摂関係でSはPであるという場合、特殊としてのSが一般としてのPに包摂されると考えます。この場合の包摂とは、論理的な関係であり実在とはなんのかかわりもありません。
 ところが西田は、SはPが自己限定したものであるといいます。この言い方は、実在としてのPが自己を限定することで、実在としてのSを産み出すことを意味します。ここで両者の関係が論理的な関係を超えて、実在的な関係になっているというわけです。
 つまり、西田にとって述語の究極的なものは場所であり、その場所は、すべての特殊的世界が生成するところになります。
 すべてを産み出すものは論理的には主語の立場に立たなければなりませんが、「我これを産む」という言説の「我」に相当するものを、西田は「場所」というわけです。

「絶対無の自己限定」

 西田の場所は、すべての経験を成立させる舞台であり、あらゆる実在の基盤といえるものであるため、究極的な一般者といわれることがあります。西田の一般者とは、自己を限定して個物を生じるものであるため、個物からなるこの世界の究極根拠となります。こんな場所あるいは一般者を西田は無といい、場所の中でももっとも高次元の場所を絶対無といいました。
 この場所は、均質的なものではなく重層的なものとして考えられています。場所は一般者と言い換えられますが、その一般者の中にも判断的一般者、自覚的一般者、叡智的一般者を区別し、それぞれに対応して、自然界、意識界、叡智的世界が生成するとしました。自然界は判断的一般者が自己限定することで生成し、意識界は自覚的一般者が自己限定することで生成し、叡智的世界は叡智的一般者が自己限定することで生成するわけです。
 ところで、論理的には、有と無の間には矛盾率や排中率が成立します。あるものは存在しつつかつ存在しないことはない(矛盾率)、存在するか存在しないかのどちらかである(排中率)、つまり有でありつつ無であることはないのです。
 しかし西田の議論は、無が自己限定して有が生成するという構図になっています。無から有が生じるため、存在しないものから存在するものが生成するというわけで、矛盾率も排中率もないのです。
 では西田のいう有と無とはどのようなものでしょうか。
 意識の対象となり形のあるものを有といい、これに対して、絶対に意識の対象とならないものを無といいます。作用としての意識そのものは意識の対象とはならないため「無」というわけです。
 対象化されないもの、形象化されないものを「無」といいますが、それは存在しないもの、非存在ということではないのです。この無は自己を限定して有となる個物を生み出すため、有の根拠として真の実在ということになります。
 絶対無はこの叡智的一般者の属性として考えるため、判断的一般者と自覚的一般者を包摂する高次の一般者としての位置づけを持たされ、同時にそれ自身の世界を持つとされます。
 叡智的世界に西田がイメージしているものは、芸術や宗教のほか、人類全体の歴史的形成体といえるようなもの、つまり人類の類的なあり方全体を包括するような壮大なイメージを持たされているのです。
 この点から解説者は、西田の絶対無はヘーゲルの絶対精神のイメージに近いといいます。ヘーゲルの場合には、究極の実在としての絶対精神が自己疎外することでさまざまな自然的、人間的、歴史的世界が生成してくるのに対し、西田の場合には、絶対無が自己限定することで、さまざまが個別的な世界が生成してくる、という機制になっているというわけです。

「弁証法的一般者」

 西田の一般者という概念はマルクス主義との関係で変化していきます。
 「一般者というものを、個物とのダイナミックな関連において捉えなおした、いわば操作的な概念である」といいます。
解説者によれば、以前の西田は、自覚的一般者が自己限定して生じる意識界で人間をとらえていたため、人間が非常に抽象的存在にとどまっていたというわけです。ところが現実に生きている個別者としての人間はそれだけではありません。限定されるという受け身だけではなく、逆に一般者に働きかけ、一般者を限定するものへと変化していきます。
 「我々の個人的自己というものも、単に個人的自己として考えられるのではなく、社会的・歴史的に限定せられたものとして、有ると考えられるのである」(西田「弁証的一般者としての世界」)」
 ここにマルクス主義の影がみられます。
 「個人というものがまずあって、それから言表というものが成立するというのではない。個人というものは、かかる世界の自己同一的限定として考えられるものに過ぎない。我々の意識はかえって社会的意識から始まるのである」(同上)
 「意識というのは各人に属するものではなく、一種の公の場所でなければならない。各人の意識というものはかかる意識面の個別的に考えられたものである」(同上)
 したがって、弁証法的一般者というのは、個物を一方的に限定するのではなく、個物によっても限定されるという、個物と一般とが相互に否定しあい限定しあう関係を西田は、弁証法的という言葉で表現したというわけです。
 解説者によれば、この個物と一般との関係においても、一般のほうが主導的な役割を果すというところが西田らしいといいます。

「行為的直観」

 行為的直観の概念は、弁証法的一般者とともに、西田の後記思想の鍵となるものといわれます。
 弁証法的一般者の概念は、社会的・歴史的存在としての人間に着目するときに、人間を個物的に限定する一般者の側に焦点をあてたものといえますが、行為的直観は・・・個物としての人間が、社会的・歴史的な存在として、世界に実践的に関わっていく、その在り方に焦点をあてたものということになります。
 それ故、弁証法的一般者と行為的直観とは、メダルの裏表のような関係になります。
解説者によれば、行為的直観の概念もまたマルクス主義を意識しているといいます。
 つまり、史的唯物論者が実践的・主体的活動と呼んでいるものが、西田の行為的直観に相当するといいますが、マルクス自身は、人間の実践的な活動を直観などとはいっていないのです。
 西田にとっては、現実の実在性は直観によってのみもたらさせるものであり、直観の直接的な所与性が現実の実在性を保障することになります。したがってそれ以外のものはすべて、直観から派生したものというわけです。
 しかし直観という言葉は、受動的で静的なイメージが付きまとい、人間の活動の実践的な性格とは相いれないため、直感になんとか積極的なイメージを付与し積極的な性格を持たせたいと考えたわけです。そもそも直観と行為とは別物だというのが、伝統的な解釈ですが、それを何とか妥協させたいということです。
 つまり、行為に媒介された直観ならば、実践的・主体的という言葉も無理筋ではなくなるというわけです。
 ここで行為的直観の主体としての人間は、従来の哲学者たちが前提としてきた単なる認識の主体としての抽象的な存在性を脱却し、身体を通じて世界とかかわり合う具体的な存在になったのです。つまり人間とは「行為的直観的に見られるもの、身体的に把握せられるものでなければならない」(同上)のです。
 「ここに身体というものは単に生物的身体というものを意味するのではなく、私のいわゆる歴史的身体的なものをいうのである」(同上)
 人間が社会的・歴史的存在であるという定義には、人間が種としての存在であるということが含まれています。これで世界に対する人間の孤立性が解消されます。
 「現実が行為的直観的というのは・・・我々の行為というものが種的であり、更に歴史的制作的であるというのである」(同上)
 解説者によれば、ここで西田が「種的」といっていることは、マルクスが「類的存在」といっていることに対応します。
 マルクスは、伝統的な見方が人間を一人一人弧絶した存在として捉え、人間の社会が孤立したもの同士のかかわりあいから生まれるという見方を覆して、人間をまず類的存在として捉え、個々の人間をその一員として捉え直したのです。人間は類的本質によって規定されていると同時に、実践を通じて類的本質に限定を加える、そのようなダイナミックなプロセスを生きる、極めて動的な存在になりえたのです。
 西田も「衝動的」という言葉をマルクスの「動的」に対応させていますが、これは人間の身体性に焦点を当てるのみならず、さらに踏み込んで、人間が世界内存在として社会的・歴史的身体であることの象徴的表現としての意味をもたせていると考えられます。

「絶対矛盾的自己同一」

 「物が何処までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。世界の現実は何処までも多の一でなければならない。個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである」(西田「絶対矛盾的自己同一」)
 この「多と一」で象徴されるような、全体と部分、世界と個人との相互限定的な関係のあり方を西田は「絶対矛盾的自己同一」という言葉で表現しています。ということは「弁証法的一般者」や「行為的直観」と同じ問題意識、つまり個人と世界が相互限定的な関係でダイナミックに係わり合うところを捉えようということになります。
 時間について西田は、「過去と未来とが相互否定的に現在において結合し、世界が矛盾的自己同一的に一つの現在として形成し行く」と述べています。解説者が要約するところでは、過去と未来という相互に否定的なものが結びつくから矛盾であり、矛盾の作用として生まれる現在とは「矛盾的自己同一的」ということになります。
 西田は多と一の相互限定、過去と未来の相互否定の議論を踏まえて、この世界をライプニッツのモナド (個々人の意識) を援用しながら説明しています。
 「かくいうことは、かかる世界は一面にライプニッツのモナドの世界の如く何処までも自己自身を限定する無数なる個物の相互否定的結合の世界と考えられねばならないということである。モナドは何処までも自己自身の内から動いて行く、現在が過去を負い未来を孕む一つの時間的連続である、一つの世界である。しかしかかる個物と世界との関係は、結局ライプニッツのいう如く表出即表現ということのほかにない。モナドが世界を映すと共にペルスペクティーフの一観点である。かかる世界は多と一との絶対矛盾的自己同一として、逆に一つの世界が無数に自己自身を表現するということができる」(同上)
つまり、世界は諸個人の意識が相互否定的に結合してできるものですが、同時に一人ひとりの個人の意識そのものは世界を映し出す鏡のようなものとしてあります。これを西田は、多即一、一即多といっています。西田にとって世界とは、「絶対矛盾的自己同一」としてしかありえないということになります。

「西田幾多郎と禅」

 解説者は、西田幾多郎における、禅体験の哲学への影響の痕を二つあげています。一つは西田哲学の初期のキーワードとなった純粋経験、もう一つは解説者が隠喩的思考と名づけた西田独特の思考法ということになります。
 西田の哲学はウィリアム・ジェームズの純粋経験の概念やアンリ・ベルグソンの直観の概念と共通する部分が多くありますが、それらとの決定的な違いは禅の要素にあると思われます。
 ジェームズやベルグソンの純粋経験とか直観は、人間の認識の第一次的素材であり、すべての経験がそこから始まる端緒のような位置づけですが、それはあくまでも素材であり端緒である限りにおいて無限定であるにすぎません。やはり内容的には貧しいといわざるを得ません。
 それに対して西田の純粋経験は、ジェームズやベルグソンのように、人間の認識作用に対して、外部から働きかけてくる対象的な存在なのではなく、それ自身が自発的に展開して、そこから世界を生成させるような豊穣なものになっています。それは認識の素材なのではなく、それ自身が世界を生み出していく主体的な存在として捉えられていることになります。
 解説者は、直観とか経験とかに関するこういう捉え方は、西洋の伝統的な思考の枠組からはみえてこないと指摘します。つまり、ここに東洋的なものの見方が反映していると考えます。
 純粋経験を西田は、「現に色を見、音を聞く刹那、未だ主もなく客もない現前」といっていますが、この「現前」において世界の実相が一気に瞬間的・全体的に現れるのです。それは一種の統一体として現れ、その統一体を分化することで、我々の認識が深まり、世界が分節化され、明瞭さを増していくという機制になっています。このように世界が一瞬にして全体としてあらわれるという発想は、西洋哲学の伝統にはないものです。もしそのようなものがあるとすれば、それは宗教的な啓示というべきかもしれません。
 次に、西田の超論理性は隠喩的思考として現れています。隠喩的思考とは、XとYの両者に共通する属性を通じて結びつけるという発想で、主語の論理に対する述語の論理ということができます。
 通常の論理では、主語を中心にして思考を進めて行きますが、述語の論理では、述語を中心にして思考が流れて行きます。流れて行くというのは、主語の論理では論理の積み上げによって対象界が重層的に深さを増していくのに対して、比喩によって対象界が横に広がっていくことになります。
 それは、世界を感性的・芸術的・宗教的に捉えるには相応しいのですが、形式論理的に厳密な議論を展開するには向いていないのです。西田の場合、この述語論理に基づく思考を展開するので、彼の文章は非常にわかりにくくなっています。その理由にあげられるのは、禅が説明を拒むように、述語論理も説明を超えたところを含んでいるからといえます。それは物事についての形式的論理な説明ではなく、物事相互の隠喩的な関係を重視することになり、隠喩は関係を提示するだけで説明を目的とはしていないのです。

 以上で、壺齋散人さん解説による西田幾多郎の基礎知識は終了です。かなりの引用部分を圧縮、切り捨ててきましたが、西田幾多郎像をとらえることが出来ているでしょうか。

 何はともあれ、西田哲学の立ち位置が西洋哲学であることから、様々に乗り越えなければならない問題が山積しているわけですが、私の絵空事的反省論は、実践的な表現者としての自覚から始まっているために、いわゆる哲学史的常識とは無縁、無知のまま脳天気に言いたいことをいってきたに過ぎません。そんな反省も込めて、西田哲学との摺り合わせを試みて、ささやかに自身の存在理由を確認したいという魂胆です。

 そこでまず西田の純粋経験を語るにあたり、この反省論が当然語らなければならない「純粋性の領域」について触れておきたいと思います。

 いかに明晰にして自覚的な表現者であれ、ここでは無自覚にして無意識的な誰か或者に身を委ね、あるいは「私」を解消しつつも反省的には十全たる行為と経験を貫徹し得たという達成感、至福感に満たされる情況が拓かれます。これが純粋体験としての純粋行為であり、純粋経験ということになりますが、ここに拓かれる「純粋性の領域」はあくまでも行為と経験が反転する循環地点であることをふまえて語り起こそうというわけです。
 したがって、ここで純粋行為と純粋経験を語るときに、表現者が行為と経験の循環反転する情況を見定めて積極的に意図的に主体的にかかわっていくことになれば、そこに拓かれているはずの「純粋性の領域」は必然的に明晰さを高め、より先鋭的になってさらに浄化された純度の高い境地へと進むことになります。
 たとえば舞台芸術の場合、表現者が純度の高い純粋行為性に達したときに、協働参画者である観衆はこの場に純粋性を開示させることのできた当事者として同質性の高い純粋経験を体得することになります。ここで純粋行為に到達した表現者 (役者) が同じ境地の純粋経験者として回帰しつつさらに新たなる純粋行為者へと復帰してより高い境地へと進むことができるかどうか、つまり「純粋性の持続」という問題は表現者の能力に委ねられています。それは観衆においても同じ事になります。
 舞台芸術のように表現体験が事件性を重視する設定になっていれば純粋性の体得、共有は理解しやすいといえますが、文学、絵画など表現の現場が自己目的性の高い状況では、表現者と観衆が同質性の高い純粋体験を共有できるという保証はありません。しかし言い換えてみれば、この純粋体験のずれ揺らぎこそが体験の広がりと豊かさと深さを与えてくれるということにもなります。
 宗教の場合、座禅、瞑想などにより個人的に純粋体験を開示するときと、集団で行う宗教活動で体得させる純粋性とは、本来、同質性は低いと考えますが、宗教によってはそこで標榜する救済目的が厳密に規定されていれば、個人、集団における救済の純粋体験は、同質性の高いものに成らざるをえないと考えます。
 さらに、自己目的性の高い表現現場において、表現者が体得している純粋行為をそのまま体験の痕跡としての文章を、あるいは絵画作品を残すことができれば、同質性の保証は下がりますが純粋性の共有を他者に委ねることができます。しかし、当然ながらこの状況では純粋性そのものの到達可能性も下がっていきます。
 そこでこの表現現場に佇む表現者が、他者と共有すべきより同質性の高い純粋体験の場を用意するためには如何にすべきかと考えてみます。
 それは主体的な表現行為がいつのまにかその主体性を捨象して純粋行為に到達したときに、そのまま行為性を持続する意志、欲求があればここに高次の主体性といいうる意識作用を、捨象された主体性のまま「或者」として措定することができます。この意識作用が行為の持続を保証する立場に立てば、必然的な循環により純粋経験者へと反転したことになります。ここで純粋経験者は純粋行為のナビゲーターとして表現者本来の表現目的に照らしその表現特性を勘案して道筋行程を決定していくことになります。このナビゲーターとしての純粋経験者の手腕が、他者と共有するための同質性の高い純粋体験を担っているということになります。それは表現者の日常的な自覚として、人々の欲求といいうる常識・文化・制度の同時代性を客観的な視座として持ち、自身の表現活動をどこへ向けて発信していくのかという意図に関わっています。
 ただ状況によっては、表現者が強烈な個性の無自覚な純粋行為者のまま、純粋領域の循環反転をして自己目的的な純粋経験者に埋没していても、この表現者をとりまく人々の表現経験欲求に合致すれば、表現者は策を弄するまでもなく同質性の高い純粋体験の場を拓くことができるというわけです。このような場面に遭遇する表現者を人々はしばしば「化ける」といいますが、こんな幸運を獲得できる表現者はそれほど多くはありません。

 これが絵空事的反省論にいう純粋経験と純粋行為ということになります。では、本題に入ります。 

 率直な読後感としては、なぜ、西田は純粋経験から始まらなければならなかったのか、という疑問です。
 私が西田の純粋経験に触れたときに、瞬時に思いついたのは廣松 渉の「即自」でした。当時も今も、廣松 渉の哲学的状況など知るよしもありませんが、確か、一日一画の表現生活に入って間がない頃に、「世界の共同主観的存在構造」という廣松 渉の著書に遭遇しました。
 そのなかで対他、対自の下層に、「即自」という概念があることを初めて知りました。自身の表現活動を言葉にするときに、対自の下層にあるその何かを表現する適切な言葉がなかった私に、「即自」は当意即妙の概念でありました。
 つまり、いまここで表現者としての自身の存在理由を「即自」に見定めることで、「即自」に、西田のいう主客未分の意識現象における直覚の場所を当てはめることができると考え、改めて西田の純粋経験を私の言葉の射程に収めることができると感じた次第です。
 これは私の勝手な臆断によるものですが、西田の禅体験が、主客未分の純粋経験に覚醒し、この境地こそが「私」という意識の始まるところだと、それを言葉以前のこととして確信したことが事の始まりではないかという推測です。ここで表現者としての持論を申し上げるならば、その覚醒に到達させた瞑想行為を棚上げするわけにはいかないということです。
 禅堂へ行き、参禅するという修行者としての主体的な瞑想行為なくしては純粋経験は成り立ちません。つまり、ことの始めは瞑想行為なのです。行為の純粋性が反転循環して純粋経験になるのです。
 ですから、すでに反省的視座に過ぎないこの純粋経験から自身の立場を世界の始まりとして語り起こそうとしても無理が生じます。実際にこれを語りうる立場は純粋性を横滑りした表現経験者ですから、その純粋性のそもそもの根拠とは純粋行為にあると見定めなければなりません。言い方を変えるならば、西田の純粋経験は純粋行為的経験者の立場に立たなければ語り起こすことが出来ません。
 そして純粋性の領域における意識は主客未分とはいうものの、そもそもの始まりに修行者という存在を否定し得ない以上、すでに世界創造に関わるような誰かの生命力といいうる主体的な意志は存在していることになります。この事実は、表現者あるいは修行者という自覚から始まっている以上、疑いようのないものなのです。いまさら形而上学的な意味づけなど何の意味も持たないのです。
 次に、純粋体験の経験性からみていきます。これが西田の純粋経験に則した立場になると思います。ある日、突然雷に打たれて意識を失っているときにあたかも霊的な教示によって純粋経験に遭遇し、普遍的な誰かの主体的な意志に覚醒したとします。意識の空白状態から我に返り、それを「純粋経験したという自覚」はそのように表現する純粋行為を必要とします。言い換えるならば、不意を食らって無意識に落ちてもその事件を知る手立てはありません。間が悪くそのまま死に至るとしても当事者は無意識のままです。その純粋性の事件はそれによって瞬間的に誘発される確認行為としての事件報告性を必要とします。この段階では、純粋経験的行為の状況ですが、ここではさらにこの事件報告性を語る表現経験者を待たなければなりませんが、すべての始まりは純粋経験的行為になります。しかし、ことの始まりはやはり純粋経験ではないかと考えてみても、この純粋経験は純粋行為の裏付けがなければ成立しないため、この段階で、純粋経験の経験における自身の純粋性は保証されません。言い換えるならば、ここでは純粋行為としての純粋性が保証人なのです。
 つまり、純粋体験という言い方をするならば、行為性においても経験性においても両者が互いに補完し合ってしかその純粋性を体得しえないということになります。したがって純粋性の領域においては、純粋行為的経験と純粋経験的行為という形でなければ純粋性も語れないというわけで純粋性の意味も揺らぎをはらむことになります。
 無意識的な純粋性の領域においては、正体不明の普遍的な生命力といいうる誰かの主体的な意志が存在するから揺らぐともいえるわけで、そこに表現者が社会的・歴史的な存在として、世界に実践的に関わっていく場が用意されていることになり、その揺らぎが同時に人々と感動を共有できる契機になると考えます。
 この純粋性の領域を西田の「場所」として、さらに正体不明者を「一般者」と見なすことは可能です。すると純粋行為的経験と純粋経験的行為における純粋性の純度に階層をもたせ無の領域を設定することも可能です。そして「絶対無」と想定されるものは、行為と経験の反転循環点ということになります。この反転循環点に向かう意識には「絶対無」が見えて、反転した意識には「叡智的一般者が自己限定することで、叡智的一般者に対応するレベルでの叡智的世界が生成してくる」ことになり、「芸術や宗教のほか、人類全体の歴史的形成体といえるようなもの、つまり人類の類的なあり方全体を包括するような壮大なイメージ」が醸成されることになります。
 私は西田のいう「絶対無」に対応可能な概念として「芸術的瞑想空観」というものを措定しています。それは「有を生み出す無」という考え方よりも、実践的に体得しうる感覚としては「空」のほうが納得できるものだからです。空の体得であれば、そこで無限の可能性を開示する誰かとは、そもそも明確な問題意識を抱えて参入してきた表現者であり、その彼が純粋性の領域で無意識化され人称性も曖昧なまま単なる主体的な意志として存在していることが可能だからです。
 つまり純粋行為的経験としての空観であれば、その空に回答たる何かを充填するための純粋経験的行為者としての実践的展開が明確になるのです。同様に、純粋経験的行為としての空観の体得は、純粋行為的経験者として空に回答たる何かを充填した姿のまま立ち現れ、実践可能態として待機することになります。ここからは新たなる問題への発展・拡大化の可能性も拓かれます。「芸術的瞑想空観」とは、表現者の想像力と創造力の源泉なのです。

 次に「絶対矛盾的自己同一」について考えてみます。
 この「多と一」で象徴されるような、全体と部分、世界と個人との相互限定的な関係のあり方を西田は「絶対矛盾的自己同一」という言葉で表現しています。この言葉が「弁証法的一般者」や「行為的直観」と同じような問題意識に立っていることは明白です。つまり西田は、このような言葉群を用いて、個人と世界との関係を相互限定的なものとして、ダイナミックに捉えようという問題意識を持っていたというわけですから、ここに絵空事の反省論を摺り合わしてみたいと思います。
 そもそも絵空事的反省論とは実践論であり、少し厳密に言うと存在論的には身体性と精神性が不即不離の関係から身体的精神性と精神的身体性が相互に限定し合う関係に進み、認識論的には表現行為と表現経験が表裏一体で干渉し合いながら表現行為的経験と表現経験的行為として相互に限定し合う関係に進みつつ、さらにこの二つの意味体系が相互に限定し合う表現体験へと進むことになります。この関係では身体と精神が「矛盾的自己同一」にあり、表現行為と表現経験もまた「矛盾的自己同一」になり、それぞれが「絶対矛盾的自己同一」へと発展していきます。
 これは机上で展開される哲学的思考に比べ、当初から行動する表現者として身体的思考を不可欠にする立場からの自己認識であり、そもそもは苦悩克服という現場で「自分とは何か」「いかに生きるべきか」に回答を用意するための実践的思考というわけです。
 そして絵空事的反省論の「絶対矛盾的自己同一」も、西田に習いさらに展開していきます。まず「一即多」「多即一」の仏教的知見を見定めるため「佛教語大辞典/中村 元著」をみてみます。「一即多」は「一即十」と同じとあります。そこで
 「一即十 /一・多の体が互いに相即して縁起していることをいう。もし一 を単位とすれば、この一を離れて二ないし十はない。また二ないし十は一の中に含められて存在していることから、一と十とは相即するように、一塵・一念の中にも、一切仏土は無量の時劫をおさめて、無礙円融である相を示す。華厳宗の用語。→一切即一」
 さらに「一切即一」について Wikipediaによれば華厳経の項目に
 『陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。』とあります。

 ここから見えてくる世界とは、矛盾的自己同一として相互に限定し合っていた諸条件が不即不離から相即相入になり、無礙円融として互いに相手の立場を尊重しつつ一体となって溶け合う関係になります。ここでは絶対矛盾的自己同一における絶対矛盾のたがが緩み、同時に自己同一のたがも緩んで、「私はAである」という限定は「私はAたりうる」 (ものとして生きている) ものへと揺らぎ、「私はBではない」という限定は「私はBたりえない」(ものとして生きている) ものへと揺らいでいきます。ここで弁証法的に止揚されて姿を現すのが「とりあえずの私」 (として生きている) というわけです。 
 そしてこの「とりあえずの私」は、すでに生まれ生き続けているとりとめのない「私」であることをふまえを、今さら何かとして無理矢理に限定し固定化されて、自由な創造性を拘束、去勢されてしまっては元も子もありません。あくまでも「とりあえず」の軽やかさで感性を磨き、「芸術的瞑想空観」を拓き降り注ぐ創造的霊感を引き受けて変幻自在な「私」を確保しよという企みでもあります。
 これが絵空事的反省論を循環する反省論として、日々止めどなく繰り返されていく一日一画という表現活動を実践していく立場ということになります。

                                                     2017.08

 ところで純粋経験なるものも、哲学的に考察すると何やら深遠な境地のように聞こえてしまいますが、これはいたって日常的な場面で、日常的に体験している感動であったり、喜びであるに過ぎません。そんな一例が性行為です。
 性行為も様々なパターンが想定されますが、ここでは常識的に健全であると想定される男女の場合について考えてみます。まず男女ともに性交をしたいという欲求、欲望、意志が前提になります。つまり男女ともに発情していなければ円満な性交は実現しません。状況によっては精神と身体のバランスに軋みが生じて精神的には発情していても身体的には目覚めていないとか、身体的にはすでに発情しているが精神的にはあまり乗り気ではないという様なことがあります。
 しかし、いずれにしも加害的な事件性が想定されない限り、性交が始められるためには男女ともに性交するという意志、行為が前提になります。ここでは当然ながら、男と女の物語が和合するという保証はなく、対立し、拮抗し、狡猾に自己保身の手段に利用したり、勝手に理想郷へと旅立ってしまったりと、様々に交錯する関係を想定できますが、いずれにしても紆余曲折の物語の末に実践的な性交行為者としての発情した男女が対峙します。
 さて、性交の現場では、男性は勃起した男性器を自覚するという経験的認識によって性交行為に挑むことになります。女性は性器に接触されて快感を得ることのできる状況を経験的に認識し、男性器を受け入れる態勢を整えます。
 男性は勃起した男性器のまま性交行為者として女性器に挿入します。女性はこの段階から男性器を受け入れる側としての性交経験者的立場に立ちます。この段階で協働的関係の男女には相互依存的様相をみることになり、様々な快感体験が成立しますが、充足感、至福感、欲求不満、さらなる高揚感への期待、などとりあえずの快感経験は次の快感欲求に保証された性交行為者として性交経験的行為者と性交行為的経験者の間をたゆたう快感の体得者へと上りつめます。
 たとえば男性器を押し込む行為は男性的な無意識的欲望充足性が喚起され、想像力がより興奮と快感を高めるという経験をします。それは同時に押し込まれた経験的状況の女性器も女性的な無意識的欲望充足性が喚起されて、押し込まれる行為を受け入れているわけで、そこにはやはり想像力による興奮と快感の享受が認められます。いいかえれば、性行為においては想像力が重要な要素になるということです。この性的欲求に根ざした想像力が欠如してしまっては満足な快感体験は保証されません。
 男性は、挿入時の快感経験としての刺激がさらなる快感欲求を高め、性交行為者として性交行為的経験者と性交経験的行為者の迷宮に奔走し、人によっては一気に快感の爆発状況へと突進してしまうこともあり、人によっては相手の快感、恍惚状況に対応しつつ相手の快感享受のために努力することが出来るということにもなります。
 ここで見落としてはいけないことは、女性の受け入れるという構造的快感経験が無意識に発動している快感欲求の行為性についてです。実際の現場においてはあまりにも当然のことですが、女性は男性器を押し込まれる時にはおおかた息を吸いながら快感経験を享受し、男性器が反転して引かれる瞬間に息を吐きつつ快感欲求行為を発動します。つまり、性行為の真っ只中で女性は男性器が押されて吸気による快感の嗚咽をあげ、反転した段階で間髪を入れず「いい」「もっと」「いく」など呼気による欲求行為を発動しています。これは言葉になっていないあえぎ声でも了解されるところです。当然、両者共に呼吸は激しくなりますから、最終状況へと純粋性の浄化が進めば、行為と経験とともに呼吸も無分別、無意識の状況に至ります。
 あるいはまた、女性における快感欲求の行為性が高まれば、入れられるという受け身ではなく、積極的に男性器を包み込むという状況、それは特別なことではなく、男性器の挿入行為に呼応した女性側の運動としてもっと激しくと欲求する行為性をみることができます。
さらにより積極的に体位を反転し女性の行為性が主体性を獲得し、男性が経験的立場になるという状況も想定されます。
 つまり男女ともにめくるめく経験と行為が激しく繰り返される循環点では、すでに呼吸も無意識の快感状態にあり、必然的な純粋領域に踏み込んでいます。そして男性の圧倒的な呼気による射精という究極の快感経験が純粋性の純度を保証するとすれば、女性のオーガズムである絶頂感経験も、一瞬の無呼吸状況による失神、あるいは過呼吸という切迫状況による失神という事態も想定されますが、その到達感、持続感によって純粋性の純度を保証されることになります。
 したがって、ここでは自慰行為という単独の想像力に委ねた自己完結的快感体験ではなく、他者を必要不可欠の条件として、ともに他者に主体的に働きかけ共に純粋性の共有体験を切り拓くという、まさに協働体験としての生命誕生も見据えた世界創世の端緒に立つことになります。ただし、当然のことながら性的欲求が常に生命の誕生を希求しているということはありません。
 繰り返しになりますが、哲学における純粋経験は、特別な境地というわけではなく日常的な意識の中にみえるものとして捉えなければならないと思います。そして純粋体験は、日常的営為の中から新たなる可能性を拓く想像力と創造力の源泉ですが、その純粋性の地平に立っているのは以前から立っていたあの「私」なのです。しかもこの「私」はすでに「想像的<私>」といいうる立場でもあります。
 これを性体験における想像力の問題としてみてみます。われわれは体験知として性体験における想像力の重要性を認識していますが、ここで初めに取り上げるのは、純粋経験から新たに意識化されていく想像性の問題ではなく、純粋経験以前に想定されていた想像力についての処遇ということになります。
 つまり、純粋経験の保証人である純粋行為者が射程としていた世界、言い換えるならば純粋行為者が想定していた、あるいは想像していた目的を見落としてはならないということです。これなくしてそもそもの表現行為は成立しません。たとえば性行為であれば、これから愛し合う二人が、様々な局面を想定し、様々な期待と、様々な歓喜の瞬間を想定しているのですから、まさに豊かな想像力による愛の物語は語り始められているのです。
 いかなる純粋経験への覚醒であれ、即自として生誕したばかりの赤児でない限り、純粋経験とは日常的営為の一局面としての出来事でしかないのですから、主客以前の意識への初期設定というリセットを想定しても、それはかなり無理な相談というもので、すでにある生きつづけてきた「私」への回帰でしかないのです。しかもその「私」はすでに物語の初めで想像されていた可能性の中における「想像可能的<私>」を逸脱することはないのです。
 ここでは想定外とか想像を超える事態とかいうものも包括されていると考えます。なぜなら超越とか超克という概念も超越されていくものの範疇に収まってしまうと考えるからです。正反を止揚して一段上がる弁証法的発想も正反が対立する地平の上に乗ったに過ぎません。西田の言葉を借りればわれわれは絶対的矛盾の自己同一としてしか存在しえないのですから、どのように矛盾を止揚しようとも、行き着く先はお見通しなのです。
 純粋性の地平に立ち、新たなる「想像=創造」的「私」に向かうにしても、「想像可能的<私>」がその可能性の中で可能性の拡大化を獲得したことになるだけです。そしてこの可能性の中に、仏教のいう因縁解脱も包括されていくのです。
 「私」とは、「私」の許容範囲を想定する想像力を超えては成立しないということです。つまり、「想像可能的<私>」が自身の想像力が許容できる私を実践していくときに、新たに獲得できる想像可能性を拠り所としてさらに実践者として生きることになります。その意味において「想像可能的<私>」は無限の想像性のなかにいます。
 この無限の想像性のなかで自身の許容範囲を限定していく想像力こそが神仏を創出し、自らの存在理由を獲得させる「私」の人間性そのものの働きなのです。
                                                  2017.09



g ) 「狡猾に温存される自己愛」


 

 「一切皆苦」の原因・動機としての<愛>、あるいは自己同一的営為としての<愛>は、対象としての何か ( 神仏であれ、誰かであれ ) を足がかりにして<私>を発見するわけで、「何ものかに対する自己愛」という形で生きられることになります。しかも愛の営みは、日常的に欠落している何かを欲求するときも、充足している何かを失いたくないと欲求するときも「欲求する自己愛」として発動していることを知ることになります。

 この「欲求する自己愛」を「自愛的欲求」といいかえるときに、苦悩克服あるいは倫理的大命題である「自分とは何か」「いかに生きるべきか」に回答を用意しようとするならば、我々はこの自愛的欲求といかに対峙して、「すでに生まれ生きつづけてきたのか」を問い直さなければならないのです。これをすでに語られた言葉から引けば「 即自的に体感しているものを肯定せざるを得ないところから始ま」らざるを得ないというのが、「自己」に対するもっとも真摯な立場だということになります。

 本来「自愛的欲求」とは対自以前の即自としてある無意識・無明・無知といいうる欲求であるために、<私>という自覚以前に<私>を武装して<私>を育んできたといえるのです。この対自的に埋没する姿はとりもなおさず社会性の欠如ということで<発育不全>と呼ばざるをえません。
 この <発育不全> について語るときに、<私>をあらためて<自己愛>の営みといいかえるならば、社会的存在へとヒトを育む躾という方法論と価値観をいつのまにか喪失したわれわれは、<発育不全>という自己認識を持つこともなく、 <発育不全>で武装した自己愛を温存するために生きなければならない時代に迷い込んでしまったということになります。ここでは対自的にも対他的にも刺々しい <発育不全>が他者を中傷し攻撃する過酷な人間関係に陥るばかりなのです。
 しかしというべきでしょうか、あるいはそれゆえにというべきでしょうか、ここでは剥き出しの欲望で自己実現を企てる直截な快感が保証されているわけですから、移りゆく欲望のまま過剰に変貌を続ける刺激的な選択肢が誰もが立ち入ることのできる欲望の場に開示されていることになります。

 われわれ個々人の自愛的欲求の総体を「時代=世界の欲求」と見定めるならば、ここで期待される自己存立とは、自愛的欲求の共存を達成する以前に、何はともあれその相克によって「<発育不全>を自覚しない自己愛」を温存する術を獲得しなければならないことになります。

 そもそも自愛的欲求は常識・文化・制度によって制御され、抑圧され、時には去勢されて生き延びてきたわけではありますが、そんな拘束的なものがことごとく前時代的因習として崩壊すれば、たがの外れた自愛的欲求は増長を始め、それは変貌の速度を速める時代の欲求として、自らの<発育不全>を正当化する狡猾な相克の術を自ら要請し生み出していくことになります。つまり止めどない暴走を始めた我々の「荒ぶる時代=世界」は、「狡猾に温存される自己愛」の自己増殖するネットワークをごく自然に形成し発展させる定めなのです。

 もはや「荒ぶる時代=世界」の真っ只中でひとびとの反省的眼差しの前に立ち現れるものは、元には戻れぬ自らの<発育不全>であるという閉塞的な「苛立ち」に他なりません。ここではいかなる不都合も不具合も、それによって生まれそれによって生かされているおぞましき自分の姿にたじろぐばかりなのです。

 

 


h ) 「横滑りする欲望」


 

 「狡猾に温存される自己愛」の自己増殖するネットワークの中で、閉塞情況に陥った反省的眼差しは空しいが、この空しさもまた<反省的眼差し>を発見する動機ということになるのです。これが正に閉塞情況の苛立ちということですが、それとは知らず、いやそれと知りつつ反省的眼差しを送らざるをえない人々は、どこまでも「混迷する自愛的欲求」に翻弄されつつ、「時代=世界の<発育不全>」が自らを温存しようとする狡猾な欲望に突き放されて「心の揺らぎ」を覚えているのです。

 もしもこの閉塞情況で自らの自愛的欲求が苦悩であるならば、突き放された「心の揺らぎ」は苦悩の足下をすくう「苦悩の戯れ」へと横滑りすることになります。言い換えるならば「自己増殖する自愛的欲求」に背中を押されて生きざるをえない苦悩に反省の眼差しを送ることができるなら、閉塞情況で「横滑りする欲望」は、増殖する苦悩を戯れへと誘うというわけです。
 苦悩を戯れへと誘う「混迷する自愛的欲求」は、自らもまた増殖を繰り返して混迷を加速するばかりなのです。

 では「苦悩の戯れ」に救済はないのか、あるいは救済の必要はないのでしょうか。

 確かに「横滑りする苦悩」はそれ自体が苦悩の棚上げではあるのですが、だからといって苦悩から解放されたわけではないといえます。いかに横滑りの達人であれ、いわゆる「苛立ち」としてのストレスはたまる一方といわざるを得ません。そこでとりあえず「苦悩の戯れ」には「救済の戯れ」をあてがうことになります。

 すでに自愛的欲求によって生まれ生かされている我々はいつのまにか苦悩を戯れさせる術を心得ているわけですが、「救済の戯れ」を反省的眼差しとして語ろうとするならば、「横滑りする苦悩」は「救われたくない欲望」の所産であるといわなければならないのです。つまり「救済の戯れ」とは、この「救われたくない欲望」を逆手にとって加速させ、わざわざ苦悩を捏造する企みというわけです。

 そもそも宗教にいう「救済」とは、人々の「救われたくない欲望」を見抜いて、救済者自らが標榜する救済に合わせた苦悩を摘出し、さらにそれを鍛え上げて自らの救済力によってしか救済されない苦悩に仕立て上げる営みなのです。したがって宗教的救済論とは、初めに救済ありきで天国・極楽・浄土・涅槃を示し、「救われたくない欲望」を「救済されていない苦悩」にすりかえて本末転倒の法悦に苦悩の生き延びる道を用意しつづけてきたのです。もはや救済こそが苦悩を温存させる錬金術であるといわざるをえないのです。

 「苦悩の戯れ」にあてがわれた「救済の戯れ」は、「心の揺らぎ」を加速し「揺らぎの戯れ」をさらに戯れさせることで錬金術としての<術=救済力>を示すことになります。
 これが「救済の錬金術」であり<何>行者たる koya noriyoshi の「不空芸術菩薩論」にいう利他行に他ならないのです。

 

 


 i )「救われたくない欲望」たちのために 

~「何って何 !?」


 

 では、いま苛立ちの時代おける「不空芸術菩薩論」が「救われたくない欲望」にあてがう「<何>の錬金術」あるいは「救済の錬金術」とは如何なるものをいうのでしょうか。

 「横滑りする欲望」を「苦悩の戯れ」として引き受けることで始まる「救済の予感=光明」は、横滑りし続ける自らの存立により「混迷する自己愛」を加速して救済そのものを混迷へと誘うのです。
 つまり「混迷する苦悩」のために変容せざるを得ない「混迷する救済」とは「救済の戯れ」でありました。

 言い換えるならば「救われたくない欲望」をあえて「迷走=瞑想」へと誘い、わざわざ苦悩に仕立て上げるお節介、それが「救済の錬金術」でした。思えば「救済」とは、宗派、主義主張の違いを問わずして、ありとあらゆる苦悩を捏造しそれをこれ見よがしに摘出しては自分好みに鍛え上げ、はじめに救済ありきという本末転倒の法悦に生き延びる道を用意し続けてきたのですから、どう考えてみても救済そのものが「心の揺らぎ=苦悩」を温存する錬金術ということになります。

 さらにもう一言付け加えるならば「揺らぎの戯れ」を戯れることこそが錬金術としての「術=救済力」というわけです。
 刺々しい日常に隠棲する鬱屈した欲望の活性剤として、あるいはささくれ立った日々の不機嫌な自己愛の清涼剤として、さしたる効能も保証されずに用意されるささやかなる救済が、自らの脳天気な欲望を横滑りさせる錬金術を手に入れるときに、秘かなる「苦悩の戯れ」は時として「芸術の戯れ」へと窯変するのです。それは「絵空事」が「絵実物」へと変容するときでもあります。

 したがって、ここでは苦悩を横滑りさせる錬金術をとりあえずは芸術と呼ぶことになりますが、ここでいう「苦悩=心の揺らぎ」の正体は不明。あえていうならばここで絵実物的作品が提示しうる苦悩あるいは芸術的感性への覚醒とは、あたかも函数といいうる「苦悩の器=感動の器」にすぎないのですから、もしもこの器を満たす「苦悩=感覚」を探り当てることができるなら「芸術の戯れ」が揺らぎだすことになります。

 はたして非力なる<何>行者の仕掛ける絵実物作品の中にどなたが「揺らぎ」「戯れる」ものを発見し、それとともに「揺らぎ」「戯れる」ことができるのでしょうか。

 では <何> が「揺らぎ」「戯れる」のでしょうか。
 まず<何か>を揺るがせ戯れさせるものの動機は<何か>といえば「欲望」に他ならないといえます。
 そこで「欲望」としての <何か> を解き明かすとりあえずのキーワードを否定性と肯定性の両面で提示するとするならば、

 「何か」をするために、いかに「何も」しないでいられるか?

 「何も」しないために、いかに「何を」したらよいのか?



この二つの問いをとりあえず一つのかたちで語るならば、
 「はたして<何か>」をしつつ同時に<何も>しないでいられるか?」



 このキーワードに関していいうる<何>とは、そもそも「自分とは何か」と問うときの<何か>にすぎないということになります。
 そこではじめに提示したキーワードをあらためて言い換えるならば、
 <何かを欲望する>ためには、いかにして<何も欲望しない>でいられるか。

 <何も欲望しない>ためには、いかにして<何かを欲望した>らよいのか。

 さらに、<何かを欲望しつつ>同時に<何も欲望しない>ということ

 そしてここでは、これがいかにして可能になるのかにとりあえずの回答を用意することなのです。

 私がここで提示する<何>的表現者とは、表現者として<私たりうる私>でありつづけようとする自愛的欲望に反省的でありつづけるために、<私たりえぬ私>という自己矛盾に目覚め<とりあえず>にすぎない表現者性を自覚することなのです。そして、この<とりあえず>としての存在理由を私は《絵空事》といい<私たりうる私>と臆断している在り方を私の造語では《絵実物》ということになります。無論われわれの言う<何>的表現者とは《絵空事的人格》としての曖昧さに身を晒さなければならないのです。
 
 ここでは、<私たりえぬ私>ゆえに<私>が自分に対して担う<私>的役柄が曖昧になり、そのあげくにヒトビトとの関係において担っているはずの役柄までも曖昧になって、しばしば自分自身に対してさえ「人違い」されるに至る<何>的表現者とは、多分見事なほどにその<間違った誰か>のために<間違われた誰か>の役を演じながら<間違っている物語>の中でとりあえずの応答を心がけているというわけで、ヒトビトに期待されれば誰にでも成りうる正体不明者というわけなのです。

 もっとも記憶喪失が苦悩でないのならば、あるいは記憶喪失の真っ只中で絵空事的な知見に目覚めていられるならば、<私たりえぬ私>は<私>の自分に対する正体不明性に迷うこともなく、たとえば涅槃寂静を求めた釈尊的ライフスタイルのパロディを「仏教者もどき」の<とりあえずの私>として、「苦悩者である<私>は誰であってもいい」といいうる正体不明性へと私のしがらみを葬り去ることが出来るのですから、「誰かにすぎない<私>」と「誰でもない<私>」を楽しむ積極的な表現生活には、まことに都合の好い快感といえるのです。

 いずれにしても<何>論によって語りうる正体不明者としての<ときめき>とは、記憶喪失になるまでもなく<何>的表現者として生きるときの「解放感=開放感」であるはずだから、それはお涙頂戴の世捨て人という敗北者や逃避者が挫折した<私>を抱えて行方不明になり、過去形の<私>に哀惜の涙を流しつづけるという女々しい倒錯的快感を貧ることではなく、むしろ何気ない<私たりうる私>がヒトビトの常識・文化・制度という体制的欲望と密かにツルんで、いつのまにか自己愛を体制的価値観で武装してしまうときに、そんな体制的暴力者(あえていうならばパソコンを使うということ自体が体制的暴力化に他ならない)に成り下がった自己愛に、非暴力的で無意味な反省を喚起する「がむしゃらな世間知らずの悪ふざけ」を仕掛けるという、自己否定性へと突き進む情熱の<ほてり>とも言いうるものなのだ(というわけで、絵空事の「絵実物的作品性」について語るという「悪ふざけ」の仕掛けこそが<何>行者たらんとする私の<ほてり>であることをご理解いただければ幸い……、ハハハ)。

 したがって<何>的表現者が、根性の座った正体不明者としてより快適な<何>行者へと踏み出すためには、どう転んでみても苦悩ばかりをしょい込むはめになる不都合に目覚めて、「私とは何か?」「いかに生きるべきか?」の問いを立てなければならないのです。しかもそれは不都合な<私>を一時しのぎの快感のみにすり替えるのではなく、たとえば芸術によって回答を探ることが芸術家とは美醜的自己愛に呪われた苦悩者としてあることなのだと知るように、あるいは宗教によって回答を探ることもやはり宗教者とは聖俗的自己愛に呪われた苦悩者としてありつづけることなのだと知るように、いかなる救済も救済を求めつづけるかぎりは苦悩者にすぎないという矛盾の真っ只中で「問いつづける」ことでなければならないといえるのです。

 それは、たとえば「どうにもならない」自己矛盾の真っ只中で、「エエイッ、どうにでもなれ」と見定める努力を諦める前に、「どうにもならない事態」とは「どうにでもなりうる事態」だからこそ成り行きに身を任せることだと知れば、「どうにもならない」閉塞情況は「どうにでもなりうる可能性」の真っ只中で「どうしようか?」と思い悩むことにすぎないと気付くようなものなのです。

 何はともあれ「どうにもならない」自己矛盾に目覚めてこそ、苦悩する<私>は快適な<何か>になれるのだから、情熱的な自己否定的<私>として「してはならぬと思うことはやめ」「しなければならないと思うことをする」楽しみを拓かなければならないのですが、そんな寝た子を起こすようなことは出来ないと言うならば、どうあがいてみても<自然>として「荒れるにまかせる自己愛」によって生まれ生きるしかない<荒ぶる私>を、その欲望のままに身をまかせて所詮は幻想にすぎない真善美聖を踏み台にしてまで<私たりうる私>に成り上がらせることなく、あるがままの<私たりえぬ私>に踏み留どめて、あえて<とりあえずの私>として「どうせどれほどの役柄としてあるわけでもない<私>」に、「何?」を問いつづける<私>を生きさせることで十分といえるのです。

 しかし、様々な自己矛盾の真っ只中で「何?」を問いつづけることは、「すること」「しないこと」の決意によって解消された矛盾の中に新たなる矛盾を掘り起こして、再び「何?」を問いつづける<私たりえぬ私>を楽しむことでもあるから、それは正に錬金術として、<不幸な芸術家>を面白がらずにはいられぬ糞面白くもないほどに<幸福な何的表現者>でありつつ、糞面白くもない<何的表現者の幸福>を面白がらずにはいられない<芸術家の不幸>のように、とめどない反省者として「<何か>をしつつ同時に<何も>しないこと」を生きなければならないというわけで、結局は「<何?って何!!>の<私>を生きる」しかないところで、<問うこと>が即<回答>であり、<回答>が即<問うこと>でしかない自己矛盾を「無意味な<正体不明者>」として生きることになるのです。

 つまり、「<何って何!?>をするためにいかに<何>もしないで<何>をしつづけられるか?」
 これこそが、<何的私>の積極的な表現生活あるいは錬金術師たる行者に課せられた「不空芸術菩薩論的問題」というわけです。

 言い換えるならば、いつのまにか生まれ生きつづけてしまっている<私>が、<私>については無明無知であるからこそ「何?」「なぜ?」「どうして?」をとめどなく繰り返してきたのだから、<問うこと>によって始められた<私>とは、どのようにしたら<問いつづけられるのか>に回答することでかろうじて<私>であることこそが最もふさわしいということになります。
 はたして「<何>の錬金術」は、皆さんの<何>を喚起し得たでありましょうか……

 



j )  「習慣化」の中で「問いつづける」ために



 では、我々の目指す日常生活の中で「何?」「なぜ?」「どうして?」と「問いつづける」生活とはいかにして獲得できるのでしょうか。
 何事かを毎日続けるということ、煩雑な日常生活の中で日々繰り返される何事かは生活の効率化という無言の意図が働き、次第に習慣化という営みに変化していきます。そこでこの「習慣」ということから「問いつづける私」の獲得ということについて考えてみます。

「ウィキペディア」によれば、
 「習慣(しゅうかん、英 : habit)とは、日常的に繰り返される行いのことであり、その土地の文化にも影響する。
 その人の習慣は、後天的な行動様式であり、反復して行われることで固定化される。身体的な振る舞いの他に、考え方など精神的、心理的な傾向をも含む。人の成功に影響する所が大きいため、「習慣は第二の天性なり」とも言われる。
 習慣は、基本的には個人の行動様式を指すが、ある集団に共有される様になった場合は「慣習」と呼ばれる。個人的な習慣と異なり、共同体的な慣習は集団内部の方向性と均質性を保つため、成員に対し慣習の遵守を求めるとともに、違反者に対し一種の制裁(嘲笑・非難など)が加えられることもある。
 エミール・デュルケーム (社会学) によれば、習慣はそれが通用している間は、反省されることがない。習慣が廃れて初めて、反省されることになる。子供は習慣に固執し、暗示によって容易に他の習慣に乗り換えることから、子供のこの性質を道徳教育に応用できるとも考えた。
 一般的に、成人後、高齢になればなるほど習慣で行動する傾向が強くなり、その矯正も難しくなってくる。 習慣を変えるのは一般的に困難なことだとされるが、ロバート・マウラー (臨床心理学) によれば、小さな控えめな一歩を継続することで習慣を変えたり、新しい習慣を身につけることが可能だと言う。」
 つまり、習慣という行動様式は「第二の天性」と呼ばれ、「小さな控えめな一歩を継続することで」「新しい習慣を身につける」ことができるというわけで、この指摘こそが奇しくも我々の目指す自己変革、因縁解脱の可能性を明確に示唆していると思います。
 ではこれらの知見をふまえて先を急ぎましょう。 

 平成26年8月17日、NHK 2ch 「哲子の部屋」(Web番組紹介) で國分功一郎が語る "現代哲学の巨人" ジル・ドゥルーズの哲学では、
「人は考えるのではなく、考えさせられる」ことで、仕方なしに、切羽詰まって、思考の伽藍を築いてきたということになります。このドゥルーズの発想が過去2500年に及ぶ哲学史の"盲点"を指摘したというわけです。「失敗」や思わず頭を抱える「出来事」こそ思考や成長の糧なのだ!という人生の見方が変わるメッセージを伝えているというわけです。
 ドゥルーズが唱えた「思考」と「習慣」の哲学をふまえ、「人はめったに考えない」という事実を引き受けて、尚且つ「問いつづける私」を措定することになります。ここでさらにもう一言付け加えておかなければならないことは、最近の脳生理学でいうところによれば、我々の脳はあまり考えたがらないという指摘もふまえてということになります。

 習慣とは、後天的な行動様式で、反復により固定化されていくというわけですが、繰り返される日常におけるささやかなる変化を無視することで固定化されていきます。なぜ無視してしまうのかといえば、いちいち日々の細々とした変化につきあっていたらいくら時間があっても間に合わない、他に優先されるべきことが山ほどあるというわけです。
 日々繰り返される日常的営為に感情を絡め良し悪しの価値判断を拘束されて、さらに快不快にとらわれて円滑な生活に支障を来す事態を回避するために生活の効率化は不可欠といえます。つまり 余計なことは考えないで済ませたいのです。これは脳みその欲求にも適合します。言い換えるならば、考えることを回避する手段として生活の効率化が求められ、習慣化した生活が形成されていくことになります。

 そこで習慣化された生活についてもう少し見ていきたいと思います。
 習慣化された生活を見てみると、大方は自己肯定的発想により次第に無意識化された「自己保身・温存のための習慣化」になっていると思われます。それに対してかなり主体的な意思の実現としての自己否定的発想による「自己投企・発展のための習慣化」といえるものもあります。

 まず「自己保身・温存のための習慣化」についてみてみましょう。 
 無意識化された自己保身が生活の多様性を失い短絡的で内向的な方向に向かうときに生活習慣病という罠に落ちることがあります。もともとは無駄のない生活の効率化を目指して、ひょっとすると自らの根源的な意思であるかのような脳の欲求にも逆らうことなく、日々快適に過ごしてきたはずなのにいつの間にか病気になってしまうという矛盾です。すでに言われているように高齢化による習慣の硬直化、脳機能の低下へと事態は悪くなる一方です。

 では「自己投企・発展のための習慣化」とはどのようなものでしょうか。
 すでに習慣化し無意識化された自己保身に対して、自己発展、変身、環境の改善をこころざし、学習、訓練、修業といわれるような、新たなる自己の発見のために自己投企を実践していこうという生活を習慣化していこうという試みがあります。ところが習慣化という罠は、「これは何だ」と問いつづけ考え続けようという試みをも無意識化へと誘い、知らず知らずのうちに自己保身へと埋没させてしまうのです。
 すでに引用したところではありますが、ロバート・マウラー ( 臨床心理学 ) は、「小さな控えめな一歩を継続することで習慣を変えたり、新しい習慣を身につけることが可能だ」といっていますが、端的にいえば、どんなことをしようとも習慣はついて回ります。つまり習慣化という行動様式は回避し得ないのですから、これを無意識化の闇の中に埋没させることなく、意識化して積極的に意図的に利用していけばよいということになります。

 では、無意識化された習慣の中から自己回復に目覚めるきっかけとはどのようなものでしょうか。それは反省力の喚起に立ち会うということでもあります。
 日常的にはあるとき突然我に帰る、あるいは何かに気づくことがあります。より端的に降って湧いた災難のように、突然、外部から要請され刺激されて発動する思考については、その発動の根拠に疑う余地はありません。必要に迫られ切羽詰まれば否応なしに考え始めます。そして何らかの行動へと移行します。
 まずは驚いて我に帰る。では自分に驚きを仕掛けるということが可能でしょうか。危機の捏造です。現状をことさらに深刻な事態だと思い込む、予想される可能性を最悪の事態へと導く、これは確かに危機の捏造ですが、あまりよい結果が出るとは思われません。負のスパイラルに吸い込まれ回復し得ぬ自己を抱え絶望する私を恐怖の中で生き続けなればならなくなってしまいます。
 では、この惰性的習慣化の危機を想定しないで、何事かを考え始めるきっかけを掴むとはどういうことでしょうか
 習慣化した日常的営為にどっぷりとつかり、普段なら見過ごしているささやかな日常的変化を、そのとき突然に自覚する、 あるいはどっぷりとつかっている怠惰な習慣に充足していたはずなのに、そのときなぜか、ずっと何か変だなとは思いつつ、気にしてもしょうが無いとやり過ごしていた不具合が気になりだした。 
 その様なことが可能になるためには、多分、我々は無意識のうちにも何かを感じつつ考えつづけているのではないでしょうか。
 無意識に問いつづける、あるいは無意識に考え続けるとはどういうことでしょうか。本来、安定的に無意識でいられる状態ならば脳みそも余計なことは考えたくはないはずです。それなのに無意識に「問いつづける」「考え続ける」ということが成立するためには、生活する自己の足場がどこに確保されているかということになると思います。つまり「私」が「私たりえぬ私」「とりあえずの私」という立ち位置にいるかどうかということです。何らかの欠落、不足を抱えているということ。ひょっとすると自分の居場所に居心地の悪さを感じているような、そんなことかもしれません。これを他の言い方にすれば反省的対自化ということになります。

 ここでは、主体性が曖昧になり煩雑な日常生活に流されて無意識化された習慣が、居心地の悪さという「ずれ」、違和感で意識化され自己回復の足場を確保できれば、怠惰な習慣は能動的な持続へと変化するきっかけを発見したことになります。
 われわれは非日常的な事件に遭遇するか、やり過ごすことの出来ない変化に立ち会うときに、あるいはちょっとした違和感が気になったときに、いままで無意識化されていた「欠落する私」が発動し衝撃的な主体性が確保されて、自己回復という主体性の発露がさらに自己変革へと踏み出していくのです。
 ここで我々が心得ておかなければならないことは、そもそも持続とは力であると言うこと、習慣という持続力はそれが無意識であろうと意識化されていようとも自己の基礎体力として生きる力になり得るということです。言い換えるならば、すでに無意識のうちに生き続けている命は習慣という行動様式によって白日の下に晒されていたということです。この命の持続力を無意識のまま自己保身へと埋没させる力としてしまうのか、あるいは自己発展を進める力とするかは、その人の自覚に任されているということです。

 ところで、主体的な持続が新たに習慣化していくときに、習慣により無意識化された自己投企は、どのようにして自己変身への効力を持つことが出来るのでしょうか。
 そもそもここにいう無意識化とは、自己投企を仕掛ける実践力、つまり手段、技術の習熟度として体得されることになります。手段、技術をそれとして意識することなく実践し無意識のままその目的を達成することが出来るという状況をいいます。 この合目的的な無意識の自己こそが「無心」であり「空」の体得に他なりません。
 ですからこの熟達した技でも到達し得ぬ目標を発見するとか、さらにこの技で達成しうる新たなる境地を垣間見るというような境地に立てば、いままで無意識化され習熟度を高めていた技は再び意識化されて自己の鍛錬、修業へと精進させるのです。言い換えるならば、これはとめどなく繰り返されることですが、よりランクアップされた自己が発見させるまでは無意識化がそのまま有効ということになります。ここで合目的的に無意識化された自己から主体性を回復し、意識化された明確な目的意識により、さらに無意識の領域へと突き進んでいくのです。この回復した意識は未知なる自己との遭遇を果たします。この永劫とも思える自己鍛錬の究竟が習慣化された生活の延長で語れることになります。それは古武術の伝道師たる甲野善紀氏が実践によって垣間見せる伝説的免許皆伝の世界観によって理解できるところです。宮本武蔵の「五輪書」によれば、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」とありますが、これが「鍛練・鍛錬」という言葉を「修行・修業」という意味で我々の身近なものにしたということでしょうか。いずれにしても「修行・修業の日常化」=「日常の修行化・修業化」ということになります。
 目的が明確にされた自己投企が日常的に生きられているのならば、そこで方法論のために求められているのが無意識化され習慣化されていく実践力というわけです。あるとき何気なく無意識の霧が晴れたときに、「私」は日常的により目的的で無駄のない新たなる価値判断による実践力を発揮できる自分に変身していることに気づくことになるのです。

 何はともあれここでいいうることは、居心地の悪さ、自分の立ち位置にしっくり行かないものを感じるというささやかな違和感、ずれに気がつくかどうかということです。
 そして未だ無言の感覚、感情、気分に覆われた「私たりえぬ私」という違和感に言葉をあてがうことが出来るかどうかにかかってきます。
 そして始めに用意された言葉は「あれ、おかしいな ? 」「何か変だな」そして「これは何だ」というわけです。
「何かたりえぬ私」「私たりえぬ何か」、
さらに「<何かたりえぬ私>とは何だ」「<私たりえぬ何か>とは何か」
日常的には「何だ何だどうしたの」とか、「どうしたどうした何やってるんだい」といったところでしょうか。

 怠惰な習慣化のなかに埋没し続ける日常に「これは何だ」と問いつづける根拠とは、ささやかな違和感の自覚に始まるというわけです。
 何事かに遭遇するためには、何か無いかなと漠然と佇んでいるだけでは何も起こりません。無意識のうちにも発動する反省力を仕掛けておくということ、そして何かが起こってもおかしくない違和感に言葉を用意することが出来るかどうかにかかっています。
 この違和感の自覚を感知する「反省力の仕掛け」ということから、前出の「瞑想」で語ったところを引用すれば、『自身の中に客体的な表現経験者を想定するということは、実はあらゆる表現者がごく当たり前に、「いつも自分を見ているもう一人の自分がこの辺りにいてね」と気軽にいえる、しかも日常的に体得している「私」の反省力に過ぎないのです。』といいうる反省者を日常的な心の中に想定することになります。
 さらに「瞑想」という方法の反省力は、
 『この日常的な反省的表現経験者は「心」という精神領域で身体性までも統括しうる権能の与えられた身分に安住していますが、瞑想行為者が自己の意識の中に想定する「客体的な表現経験者」は、人称性が希薄になり個別化された「心」をも反省の対象としうるピュアな意識領域に隠棲することになります。』というわけです。
 だからといって「瞑想」というスタイルに固執する必要はありません。禅の修行では日常作務も座禅 (瞑想) と同じ修行であるという言い方をしますので、日常生活における反省的視座をどのように確保するかという生活の目的次第で、「瞑想的反省者」と同様に心の深淵にまで届く反省力を獲得できることになります。

 



k )  それでも問いつづける「何でもない自己」

 

 「何って何」と問いつづけてその果てに「何でもない自分」に辿り着いたときに、まだ問いつづけて生きることが出来るのでしょうか。
 「何」を問いつづけても究竟において何でもないのなら、今更何を問いつづければよいのでしょうか。いやいや、今更何を問いかけようとも、どうせ何でもないしょうもない自己に辿り着くだけだから問うのは無駄だと言うことになります。
 「何でもない自分」に埋没して、無意識的に習慣化した「問いつづける自分」を生きるとはどのようなものでしょうか。いやいや「何でもない自己」もまた意識化された「問いつづける自己」でなければならないはずです。つまり、とことん「問いつづける」ためにはいかにしたらよいのでしょうか。

 如何なる悟りの境地に到達した賢者も、生き続けている以上日々新たなる事件に遭遇し、あらゆる事象に決断を迫られ、物事の取捨選択を繰り返して生き延びることになるはずです。我々の目指す「何でもない自己」は、ささやかなる知見を獲得した後も、ことごとくの価値判断の基準を「何でもない自分」と整合性のあるものにしていかなければなりません。つまり「何でもない自分」であるためにはいかにすべきかと問い直さなければならない日々を生きることになります。時々刻々と反省者であり続け「何でもない自分」を生き続けなければならない宿命というわけです。
 ところで「問いつづける自己」に一つの暗示を与えるものとして臨済宗の禅の修行に「公案」という問答があります。いわゆる「禅問答」です。
 ここでは「よりよき回答に到達するためにはよりよき問いかけが不可欠である」という一般常識を取り払い、何を問いかけているのかさえ意味不明な問いへと、問いかけ自体が自己矛盾に陥ったかのようなそぶりの質問者が、何をどう答えてよいのか分からぬ回答者の現前で、質問者としては自己存立の危機を迎えつつも毅然として正体不明性に埋没し揺るぎないのです。それは質問者が自身の問いをはぐらかし、「問いの戯れ、横滑り」を楽しんでいるとしか思えません。ところがここでは回答者が設問の不備を指摘しても取り合ってはもらえません。荒唐無稽な設問はその不備が質問としての正当性を獲得するところまでをひっくるめて回答しなければならないのです。
 つまりこの問答の構成は、まず「設問の状況 (とりあえずのテーマ)」 を見定め、そこに想定される問題を掘り起こし、たとえば存在論的 (実体視された問題の矛盾を関係論で克服) に、認識論的 (質問された経験から回答する行為性の移行に問題と解答の揺らぎを見る) に、芸術論的 (想像力と創造性に委ねられた自由な表現体験として) に、宗教学的 (自己撞着というもっともらしい苦悩の克服) に、そして言語学的 (レトリックの楽しみ) にと、ありとあらゆる論拠を引き受け、どの論点に立てばどのような回答が得られるということを示し、多様で重層的な回答を束ねて質問者の隠された意図を探ることになります。
 すると、「問いの横滑り」に対する「回答の横滑り」という事態が見えてきます。もはやこの問題構成の意図をするところは明白です。
 究極において「問いかけるということは何か」という問いでしかないのですから、その回答は「何って何!?」の体得にすぎないのです。
 ここで回答者は、「設問の状況 (禅的世界観) 」に立ち返り提示されたテーマから外れない程度のところで、問いかけをそのまま丸投げで問い返すだけの回答者になればいいのです。回答の中身は質問でしかないのですから、「何だ?」「何だ!」とつぶやきながら「何でもねえよ」と、つまりは自問自答する正体不明者として、言葉をすり抜けた「意味もどき」の回答を身体的表現で提示すればいいのです。そもそもは質問にすぎなかった回答をイメージにしてそれをから手でお返しするように…
 では、ここで「問いつづける自己」に回答すべく身体的表現として「生きつづける」ためにはどうしたらよいのでしょうか。僧堂の雲水は日常作務で公案の身体的表現を生きることが出来ますが、われわれは選択肢の限られた雲水とは逆に、茫漠と広がる捕らえどころの無い日常性に戸惑うばかりなのです。しかし、なんとか手がかりを見つけなければなりません。 
 とりあえず思い当たるのは、かつて免許皆伝に至った武術家のように「問いつづける自己」を無意識化した実践力として鍛錬、修練していくかのような日常性、言い換えるならば平々凡々たる日常性が常に無意識化された鍛錬、修練として生きられていくということがあります。この延長線上に武士道としての死に対峙した出処進退、価値判断もあるのかもしれません。いずれにしても言葉で語るならばたやすいことではありますが、はたして現在の日常生活において実践可能なのでしょうか。
 といいつつも、過去を顧みれば、あらゆる分野において常人の域を遙かに超えて偉業を為し得た先達がいたのですから、それぞれの超人は自己の目的に合致した合理的方法論を、それぞれの生きがたき人生の中で体得していたはずだと推測されます。
 我々も超人的反省力を獲得するために、天下無敵の問いを立て続けられる能力者にならなければならないといえます。ここではすでに垣間見た「禅問答」という回答を踏まえつつも、いま一度、世俗的、常識的日常に腰を据えて、世に言うよりよき回答とは、よりよき適切な問いによってのみ与えられるという事実をふまえ、問いかけ名人になることについて考えてみたいと思います。
 そんな問いかけ名人への一歩として一つの暗示があります。
 一般に状況確認、状況報告などが求められるときに「いつ、どこで、だれが、なにを、どうしたか」というロジックで回答を用意することがあります。
 この方法論の有効性について考えてみたいと思います。
 「いつ」とは業務報告ならば「時刻」のことになりますが、我々にはもっと広範な時間軸の中で表現できる可能性をふまえ、そこに見え隠れする事象、現象、事実、虚構、幻想などあらゆるものの中に自己の立ち位置を設定すればよいことになります。そんな「いつ」を設定するということは、その取捨選択、判断に反省の余地を残すことになります。立ち位置を設定するだけで無限の反省力を手に入れることができるのです。
 「どこで」とは、業務報告のみならず我々の語り起こそうとする事柄、物語においても同様で、他者に対して表現者としての立ち位置の場所を特定しうる目標、目印を提示することになります。「どこで」という情報を伝える相手が特定されているのならば、その道順を示すことになります。もしも我々が迷宮の中で自己の立ち位置を設定することになれば、その道順を開示するだけでちょっと面倒なことになります。いずれにしても相手の立場から自己の位置を反省的に語らなければならないのですから、ここでも反省的領域は無限に広いといえます。
 「だれが」とは、業務報告ならばまず報告者たる自己の身分を明らかにし、その私が伝えようとする報告内容、事件、物語の主役を特定することになります。
 我々の立場からすれば、そもそも自己の身分がなかなか明らかにならない事態に遭遇します。如何なる身分も与えられた役柄にすぎないため多様な関係で重層的に他者との社会関係を形成しているのですから、それを特定することに反省的な揺らぎが介在することになります。しかも特定することの判断決断に感情的な心模様が関わってくるとすれば、常に自己は何かでありつつ同時に何かでもあり、何かではあるが何かではあり得ないような混沌とした自己が露わになってしまうというわけです。この曖昧さにこそ自己決定の反省力が生まれるのです。
 「なにを」とは、いよいよ報告すべき事柄、物語の特定です。何についての報告であるかが明らかにされます。業務報告であれば情報の伝達者とそれを享受するものとの間には社会的通念という共通の理解が想定されているために、情報の特定に手間はかかりません。ところが我々が語り起こそうとする物語は、表現者がある特定の享受者を想定して行われることが多く、部外者として想定される誰もが無条件で参画できる適応性はないのです。つまり「何を」とは誰に対して伝えようとしているのかが同時に問われていることになります。伝えたい対象者以外には「何も」意味をなさないのです。正にここでは部外者に対しては「何でもない自己」が誰かに対して何かである自己を積極的に開示しなければならない現場というわけです。あらためて問いかけましょう「あなたは誰に何を伝えたいのですか」。
 そして「どうした」とは、ようやく伝達すべき情報の中身が明らかにされます。これも業務報告ならば、事件報告としての業務結果が伝えられます。それは臆断ではなくあくまでも事件の現場に立ち会うものの現実として語られなければなりません。
 我々の表現現場においてはここがすべてとも言いうるわけですが、この広大無辺の地平に語り起こされる物語は、特定の対象者に対して反省的に立ち上がった表現者として逃れられない反省を踏まえ、それでもなお反省的言説の普遍化へと思いをはせることになるのです。

 「何でもない自己」は、いつでもどこでもぶれない自己の確信をあたかも GPS 機能付きの携帯を懐にするように、「荒れるにまかせる自然」の中へと止めどない反省力を喚起しながら彷徨う趣向なのです。
 そもそも GPS 機能によるナビゲートとは、常に現時点が肯定的に設定されて目的地を目指すシステムですから、現時点への到達が如何なる間違い、失敗によるものであってもそれを反省的に遡るということはしません。つまり現時点における存在理由は問わず、ひたすらどうするどうすると新たなる行動決断を喚起して止まないナビゲートは、ただ言葉で問いに埋没し自己の言葉に溺れてしまう「何でもない自己」を、問いの実践者へと変貌させ喚起する示唆を暗示しているといえないでしょうか。
 ここで「何でもない自己」がとめどなく問い続けるためのヒントを一つ申し上げるならば、「問いつづける私」に反省の一撃を与えるというショック療法のようですが、問いつづけたまま一度立ち止まり、「何」を保留にして一元的構造の単純作業に没頭することです。
 では「一元的構造の単純作業」とはどのようなものでしょうか。それは何事かに集中し、没頭していられるありとあらゆる体験ということになります。それはどんなことでもいいのです、それが何であろうと反省的土俵で実践されているかどうかいうことのみが重要なのです。ただそれだけでその先に「何でもない自己」が達人・名人へと変身する道が拓かれていくのです。

 

 



l )  協働による自己変容の認識論



 協働による自己変容の認識論、これは「私」と「あなた」「みんな」との関係に共通の場面が設定されたときに、「自分」と「他者」にかかるそれぞれの自己認識が相互に影響されつついかに構築されていくかという問題です。つまり、不空芸術菩薩論が語らなければならない目的の共有ということになります。

 「私」が「あなた」によって <私たりうる> ときに、その自己目的的な了解が他者との相互理解へと展開していく足がかりは、認識の現場で他者と共通のルールを持ち協働体験の関係にあるということ。ここで「あなた」が「私」によって <あなたたりうる> ことの「あなた」の自己同一性が、「あなた」と「私」をともに不可欠の要因とする共存の自己認識を成立させることになります。この現場では、自己の価値判断が、あるいは自己決定の判断基準が他者の価値基準を取り込んで行われることになり、協働者が相互に自己変容の第一歩を踏み出すことになるのです。この状況を文学的にいうならば両者は共に「私はあなたによってこそ生かされる」世界へと踏み込むことになるというわけです。

 そこでまずはじめの第一歩は、参画者が同じ土俵に上がるということ。
 価値観、世界観の違う人々が、まずは同じルールを共用して同じ目的達成のために参加するということになります。ゲーム、競技であれば勝敗は当然の帰結ですが、勝敗を必要としなくても十分楽しめるゲーム、遊戯もあります。つまり 参加することが本来の目的になっているという場合もあるわけです。
  同じ競技場、ステージに上がるということ、そこにはキーワードとしての世界観がすでに共有されるものとしてあり、とりあえず参画者は個々人の想像力に委ねられたその世界観を想像的に共有し、同じルール、方法論という価値観を了解して同じ目的達成のために協働することになります。ここでは共通の目的が想定されることによって参画者個々人の個性の差異が明らかにされていきます。それはオーディオで同じ音源を再生するときに音響システムによってまったく異なった味わいで表出されるときに、何はともあれそこで再生された音源は同じものだという事態と同様といえます。

 この自己変容の認識論の基本的な構造は 自分の行動に対して他者の応答があり、その応答に自分が新たなる行動を起こすという対話・対戦の形式 といえますが、そのもとにあるのは自分と差異のある他者の発見というわけです。
 この対話、対戦の関係は、未知の他者に遭遇することによって発見される未知の自己へと誘われ、競技、協働、生産、作業することの日常的な営為に風穴を開けて非日常的な面白さ、それに基づく快感、感動、失望、達成感、挫折感を体感させる楽しみがあります。
 ここで協働による自己変容を語るときに一番の基本になるのはいかにして共通の場を設定するかということ、そのためには如何なるルールを作り、それを守り運用していくかということです。言い換えるならば協働の対他的関係、あるいは対立関係においてはルールの厳守が至上命題となります。ルール違反には共通理解に基づくペナルティーが科せられる、それによってこのシステムの秩序が維持、確保されるというわけです。
 ところで協働の認識論とは、すでに述べたように他者の価値基準を取り込んで自己の新たなる価値基準を構築する営みの自己変容性と同時に、共通のルールを了解しなければ同じステージに立てないという必然に迫られているといえます。そのルールに適合する自己へと変身していかなければ協働による至福の瞬間には遭遇できないというわけで、程度の差こそあれ常に対峙する他者の発見以前にルールによって自己変容が求められていることになります。
 ではここで他者の価値基準と見なしたものが、単に「私」の想像的所産であるにすぎないのかもしれないという疑念はいかにして払拭されるのでしょうか。この疑念が解消されない限り認識論は自己完結のループの中に埋没し、如何なる客観も主観の変容としての立場を超えることが出来ないことになってしまいます。
 さてここに提起される疑念は如何にして解消されるのでしょうか。
 共通の目的を前提とする協働という実践、体験の現場においては、他者の価値基準を取り入れる際の柔軟な想像力が不可欠であり、これによって試行錯誤、調整の積み重ねという営為が繰り返されていることになります。つまり言葉の理解を検証する行動によって言葉の閉塞状況はいとも簡単に克服されていることを知ることになります。正に「いかに生きるべきか」を生きているわけです。

 では、あらためてこの自己変容の認識論的システムにおいて、「いかに生きるべきか」はどのように生きられているのでしょうか。

 自己変容のシステムに「修行」「修業」という言葉があります。
 「修行」とは、仏教でいうところの世俗的な迷いを克服し解脱に向かうための精神的肉体的鍛錬をいい、「修業」とは、世俗的な職業における生業の習得、あるいは学問、技芸の習得という意味があります。
 「修行」には、密教でいうところの「身・口・意」という考え方があります。「身」とは身体的営為、「口」とは言語的営為、「意」とは精神的営為。日常的な人としての基本的な営みのことであり、これを「三業」といい、修行によって到達した境地では「三密」と呼ばれます。
 古来の武術において「心・技・体」ということが言われてきましたが、武術そのものは宗教ではないので「修業」により習得される境地ということが出来ます。
 いずれにしても自己変容のシステムとは、言葉による理解のみならず、身体的習熟度、ことに及ぶ心構えなどが統合されて体験されなければならないのです。

 つまり自己変容のシステムとは、「道を極める」ための方法論というわけですから、尊者、達人の域に到達したものが共有する人間的営為への深遠な理解で語る世界観を想定することが出来ると思います。しかし、だからといってひとりの尊者、達人がその体得した能力でその世界観に君臨することはあり得ないのです。なぜなら「道を極める」方法論は「修行」「修業」する人々の数だけ存在し、如何なる尊者、達人が如何なる神・仏を主張しようとも、すべてが相対化されて埋没する定めにあるからです。

 では、「道を極めた者」が人間的営為への深遠な理解で共有する世界観とは如何なるものなのでしょうか。
 それはすでに生まれ生き続けてきた者たちの深遠な相対的知見である以上、これからも生き続けなければならぬ人々へのメーセージでなければならないはずですから、そこで体得されている至福の瞬間は、「平穏な和合による共存の世界観」へと拓かれていなければならないといえます。

 ここで何はともあれ自己変容の認識論的システムに共有しうる目的が想定されたことにより、尊者、達人によって拓かれた「平穏な和合の世界観」はすべての協働者が共有しうる目的として人々の元に届けられたことになります。そんなメッセージとして、碩学の宗教学者であり、正に哲人と呼ぶにふさわしい中村元先生の墓碑に刻まれた「慈しみ」のスッタニパータの言葉を引用したいと思います。

「ブッダのことば」
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
一切の生きとし生けるものものは、幸せであれ。
何ぴとも他人をあざむいてはならない。
たといどこにあっても他人を 軽んじてはならない。
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。

 『 この言葉の全文は、『ブッダのことば』(岩波文庫)の第一蛇の章、八「慈しみ」に145~151の部分、
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
 いかなる生物生類(いきものしょうるい)であっても、怯(おび)えているものでも、強剛なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものものは、幸せであれ。
 何ぴとも他人をあざむいてはならない。たといどこにあっても他人を 軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて 互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
 あたかも、母が己が独り子を命をかけても まもるように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起すべし。
 また全世界に対して無量の慈しみのこころを起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし。
 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この慈しみの心づかいをしっかりとたもて。
 から先生の意志で抜粋されたものです。』

( Web 「思考の部屋」東洋の智慧を訪ねて~中村元博士の世界~・Eテレこころの時代を観て思うこと ) より引用

 ここに引用しました「ブッダのことば」はその宗教性を標榜するまでもなく、人々が共有しうる言葉として意義のあるものと思われます。

 そんな思いを込めてあらためて語るならば、ここで共通の体験として体感されるものとは、 認識論における他者との相互理解、共通認識、連帯感、共存がさらに窯変、融合と言いうるものへ変貌し、桃源郷、理想郷といいうるものが語られるという段取りです。しかし、我々の日常においては、異質なもの同士がいたって当たり前に遭遇し交接することによって相互依存を深めつつ新たなる関係を構築する場が拓かれるというわけです。

 余談ではありますが、世俗的には主語のない会話で意思疎通の出来る阿吽の夫婦関係のようなものかと思わないではありませんが、ちと、卑近な関係に埋没しすぎてますか。 

 

 


m )「宗教依存症」~はたして宗教者とは病人なのか



 世間には「宗教依存症」という言葉があります。
 早速 wikipedia で見てみます。

 『宗教依存症(しゅうきょういそんしょう、しゅうきょういぞんしょう)とは、自分自身の責任のもとで物事を決断し、問題を解決しながら生活をしていくことを放棄し、全ての物事の判断を宗教に委ね、自分自身では物事が解決できない状態のことである。そのような状態である人の特徴として、現実の事柄の因果関係を考えて問題解決や目標達成のための努力をすることをせず、宗教の勉強や儀式を熱心に行うことが問題解決や目標達成となると信じきってしまっていることなどが挙げられる。また、宗教の中で義務化されている宗教行事に追われて忙しくなり過ぎる、その勉強や行事の参加を怠り自分の価値判断や優先順位で物事を行うことに対しての罰が準備されているなど、人を宗教依存症へと導いてしまう宗教の存在が多いことも宗教依存症を導く原因の一つである[1]
 原因・特徴
• 何かのきっかけで宗教に心の隙間をうめるという役割を持たせ、そして宗教を繰り返し勉強し宗教行事に参加し続けることで、宗教自体が必要不可欠な状態となってしまい、自分が心を依存させていることに気づかなくなってしまう。
• 宗教の中の集団的な共通価値観を保持していることで安心感を得ている。
• 個人としての付き合いができず、同じ宗教の信者としか人間関係が作れない。また、誰かを同じ宗教に勧誘し仲間にいれることにより、安心感を持とうとする。
 問題点
宗教依存症になる人の問題点
多くの場合、宗教依存症になる人は、以前から心から話ができ、意見を交換できる信頼し合える人がおらず、自分を否定されることを恐れ、自分に自信が持てない状況であったことが多い。心の隙間を埋めるために宗教に没頭するため、自分の間違いを指摘されるのを嫌い、そこには触れさせないようにしてしまう。
宗教の問題点
多くの宗教が、宗教依存症になる事と信仰深くある事の違いを明確に表していないことが問題である。その違いを明確にしないことで、宗教と信者の共依存状態となってしまっている場合が多く存在する。また、共依存となっている状態が互いの心と組織の安定としてしまっていることがある。
解決法
• 自分が責任の取れる価値観を確立する。
• 宗教を関係させずに、人として心から信頼しあえる友人を作る。
物事の因果関係を知り、根本的な問題解決や目標達成を行い続け、自分や自分の獲得した環境、人間関係に自信を持つ。』

 現在、依存症という言葉は「アルコール依存症」「覚醒剤依存症」「ニコチン依存症」あるいは「仕事依存症」などとして使われますが、以前は「中毒」という言い方がされていました。しかし「宗教中毒」という言い方はあまり聞きませんでした。むしろ「宗教患者」という言い方のほうが揶揄を込めたものとして馴染みがあったかもしれません。つまり「宗教依存症」とは紛れもなく病人扱いなのです。
 はたして「宗教者」を「病人扱い」できる健常者とはいかなる人々なのでしょうか。想定されるのは「健全なる社会人」ということでしょうか。でもwikipedia によれば「健全なる社会人」にも「信仰深い人」がいることを認めています。では「健全にして信仰深い社会人」とはいかなる人々なのでしょうか。
 上記の wikipedia によれば、「宗教と信者の共依存状態」が「互いの心と組織の安定」を形成することになり、これが「宗教依存症」を生み出す元凶だといっています。これを踏まえて「健全にして信仰深い社会人」とは何者かと考えてみます。
 「健全なる社会人」の発想からすれば「宗教 (教義、教団、聖職者) と信者の緩やかな依存状態」が理想であり、宗教とはほどほどの付き合いでよいということになります。それでもこの範囲で「信仰の深さ」は保証されていることになります。
 そもそも信仰とは、「広辞苑 第五版」によれば、
 『しん‐こう【信仰】 ‥カウ
(古くはシンゴウとも)信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、神聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟(あいま)って宗教の体系を構成し、集団性および共通性を有する。「―を捨てる」「―心」 』とあります。
 つまり「宗教活動の意識的側面」を表す「信仰」とは、「集団性および共通性」を伴うことになります。すると「健全にして信仰深い社会人」は「信仰生活」における「集団性および共通性」を維持しつつ、「健全なる社会人」の基盤である社会生活を生きることになります。
 では、この「健全なる社会人」にとって「宗教」とは何なのでしょうか。
 心穏やかな社会人であるために神聖なものへの親和の情を抱きつつ生きるということだけでしょうか。「健全なる社会人」として抱え込む様々な苦悩、困難、災難はどのようにして解決していくのでしょうか。この苦悩克服がもはや「健全なる社会人」の範疇では解決できない状況になれば、「健全性」は挫折し単なる「苦悩する社会人」へと埋没していきます。
 wikipedia によれば、ここまでが宗教の本来あるべき姿であり、健全なる信仰生活ということになります。つまり「健全なる社会人」にとって、「苦悩克服=救済」を宗教に求めることはタブーであり、不幸にも「深い信仰心」を捨てることになります。
 はたして本当でしょうか。「深い信仰心」とは何なのでしょうか。
 我々現代人にとっても宗教とはこれ以上の何かであるはずです。むしろ言い換えるならば、「苦悩克服=救済」なくして「宗教」たり得るのでしょうか。
 ここで言えることは、「健全なる社会人」を標榜する論者が「健全性」への懐疑を突き付ける宗教者を排斥しようとする企みが「宗教依存症」ということではないかと思われてきます。
 我々の立場からすれば、「健全なる社会人」なるものがそもそもの幻想に過ぎないということになります。自らの抱える苦悩に気づかぬふりで生きられるのならば、それはそれでめでたしということになりますが、はたしてそれでいいのでしょうか。

ここで改めて「依存」にいて「広辞苑 第五版」を見てみます。
 『い‐そん【依存】
(イゾンとも)他のものをたよりとして存在すること。「親に―した暮し」』とあります。
 これを踏まえて「依存症」とは、依存の度合いが深く強固になったときにいわれる事態ということになります。そもそも常識・文化・制度とは、共同主観的なあるいは共同幻想的な依存関係のことであり、「私」を支え自己認識、自己存立を確保させる台座ということになります。
 社会生活における依存関係は様々な局面で多様な形を見ることができます。巨大な国家プロジェクトからスポーツのチームプレーに至るまで、共通の目的を持つ人々に依存の関係は不可欠です。依存関係の中でどれほどの主体性が必要とされるかは共同体、協同体、協働体の個別化された個性に委ねられています。当然ながらこれらの依存関係も「全体と個」の間に問題が起こり軋轢が生ずるのは日常茶飯のことです。そこで「全体と個」の関係の中で重圧につぶされて身体的、精神的疾患を被ることになった人を「依存症」と呼ぶことはあっても、「宗教依存症」の人々を異端視するような排斥的な態度を取ることもなく、かかる依存関係を維持する制度によって、あるいは社会保障ということで保護され救済されていきます。このシステムが非難の対象になることはあまりありません。
 しかし、「宗教依存症」となると部外者がよってたかって非難を浴びせかけるのです。宗教者にとってはその依存関係が救済なのですから、身内から文句の出る余地はないのですが、部外者がうるさいのです。多分それは、自分たちの依存関係に悪影響を及ぼすであろう危惧、危機感、恐怖心の仕業ということになります。
 ではなぜ、部外者にとって宗教への依存が忌み嫌われるのでしょうか。
 それは、宗教という営みが、誰もが抗しがたい最強の依存関係を構築しうる力を持つことへの恐れではないでしょうか。いかなる依存関係も宗教の力を取り入れたときには最強の集団を組織することになります。国家権力が宗教性を標榜して国家機能を構築すれば、それが排他的な暴力システムとして機能するのは歴史に見るまでもありません。しかし、ここでも「国家依存症」という言い方をすることもなく「宗教依存症」の偏見のみが非難の対象になるのです。
 つまり、「宗教依存症」が忌み嫌われるわけは、「宗教」が他のいかなる心の営みより深く自己の存立に関わっているという事実にあると思われます。自身に敵対する宗教は自己存立の危機を招くのです。言い換えるならば、自己存立に関わる宗教性はおおかた無意識であるが、他者の異なる宗教性には敏感に反応するというわけです。それはとりもなおさず自身が宗教的存在であるということになります。生活感覚として相容れない価値観は排斥するしかないのです。

 では次に、「依存関係の中における主体性の確立」について考えていきたいと思います。ここでは宗教に依存する自己の意識構造からみいてきます。
 対他としての宗教 (教義、教団、聖職者) に対自する「私」にとって、宗教との依存関係が積極的に協同的立場に立つまでもないままに、しかし拒絶するほどの積極的な違和感もない状況であれば、その宗教は自己存立における肯定的な必要条件であることにかわりはありません。それとは逆に、どこか違和感のあるしっくりとこない宗教との関わりは、排他的な欲求を喚起する否定的な必要条件になっていると思われます。
 いずれにしても、この範囲が健全な社会人といわれる世俗的な宗教観ということになります。ここでは取り立てて宗教に関わる主体性を意識することもありません。
 それに対して宗教との「依存関係によってしか構築することのできない主体性の確立」という問題があります。宗教に積極的に関わり、自己救済、あるいは他者救済のために実践者へと変貌する段階になります。
 ここでは正に「宗教依存症」で指摘されたように「自分自身の責任のもとで物事を決断し、問題を解決しながら生活をしていくことを放棄し、全ての物事の判断を宗教に委ね、自分自身では物事が解決できない状態のことである。」ことへと踏み込むことになりますが、これこそが宗教に「帰依」することの心の営みであり、宗教的価値判断への自己投企こそが、世俗的自己を無化へと誘い「宗教者」への自己変身を獲得させる手段といえるのです。
 宗教の中に踏み込み宗教的立場に立つということは、対他としての宗教との依存関係を強め、そこから対自する「私」に向き合うという自己の主体性の反転が起こります。ここで獲得される主体性は宗教的自己といいうるもので、状況によっては「宗教家」と呼ばれる立場に変わり、宗教との依存関係が自己存立の必要十分条件ということになります。ここに確立された主体性は超俗的な勝義の価値判断を実践することになります。
 この依存関係における主体性の転換こそが、宗教のみならず、あらゆる分野でしかも閉塞状況に陥った事態を克服するために新たなる地平を切り拓く自己投企の営みということになります。そしてこの主体性の転換とは、様々な領域でアマチュアからプロフェッショナルに転身することに対応しています。その意味において「宗教依存症」と非難される立場は宗教のプロになりきれない「未熟な宗教者」ということかもしれません。
 いずれにしても、「宗教依存症」という言葉が炙り出すものは、健全なる社会人の無意識化された宗教心であり、この混迷の世界においてもなお宗教というおぞましさによってしか我々の苦悩は救済されないのかもしれないという困惑、しかもそれが宗教による苦悩の連鎖へと埋没させる暗黒の未来を垣間見せているというわけです。

 

 

 


 n ) 苦悩は宗教でこそ救われたいと願う人々へ
〜いたって気軽に語るに落ちるノ巻

 

 世間には人の数ほど喜びがあり悲しみがあり、幸せがあり不幸があり、救済があり苦悩があるといえます。人の苦しみ悲しみはその人の求める形で克服、救済、解消されるのが望ましいといえますが、それが宗教でなければならないという理由はありません。人はそれぞれ自分に見合った方法で自己救済、自己回復、自己実現を成し遂げることが出来るはずです。現に、方法論を問うまでもなく金が手元にあるというだけで救済される苦悩は無限に深く広いといえます。まして身体的苦痛は、医学の力を借りて克服するのが常識的判断であるはずです。
 にもかかわらず宗教でなければ救済されないという人がいるのも事実です。金が手に入るだけで救われる苦悩者も、出来れば宗教のおかげで金が手に入ったと自覚されればその至福感は無限に増大するというわけで、病気を克服する根拠にも神仏の超常的救済力を招来し奇跡の祝福にすがろうとする人々がいるわけです。
 ところで宗教とは、ある人が、あるいはある人々が、自らの標榜する救済物語の目的地に到達するために、あるいは到達させるために、かかる人々を苦悩者へと貶める社会システムのことでありました。宗教のこの現実的な側面を見据えて、尚且つ宗教でなければ救済されないと考える根拠についてみてみましょう。言い換えるならば、宗教で救済されることを願う人々の思いとは何かと問うことにもなります。と同時に、宗教の持つ救済の説得力、訴求力について考えることにもなるはずです。
 人々の暮らしが多様化し、抱える苦悩も多様化し、人々は混沌として個別化した「私」だけの苦悩に孤立化して埋没することになります。この「私」の生きがたき人生のために特別に用意された正にとっておきの「私の苦痛」とは、あなたが「私」を語る上では必要不可欠のディテールですから、「私」のために特別に用意された方法でなければ救済されたくないというわけですが、そんな方法はなかなか見当たりません。結局、苦痛は不安を伴ってさらに深い苦悩へと落ちていくことになります。
 この悪循環から脱出する手立てとは、端的にいえば苦悩の共有感覚ということになります。つまり「私だけの苦悩と思い込んでいたものは、実は誰もが抱え込む苦悩であった」という、苦悩の普遍化に目覚めたときに救済の道が拓かれていくことになります。この苦悩の普遍化に長けた手法が宗教の得意とするところなのです。たとえば仏教ならば、あなたのとっておきの苦悩も「四苦八苦」の中へ分別処理されて一件落着というわけです。しかも宗教は人々の苦悩の普遍化に承認を与えてくれるのですが、だからといって即効性のある救済法を授けてくれるわけではないのです。まずは「それでいいのだ」ということになります。「それは誰もが背負う苦悩なのだから、それを引き受けて、無理をしないで生きなさい。いずれ辛さは治まるでしょう」という程度のことなのです。言い換えるならば「苦悩者だからと言って慌てることはない、苦悩者のままで辛抱辛抱」というわけです。
 「幸せでない私」から「所詮人生なんてそんなものよ」へと発想の転換が出来たときに救済されるのです。それだけのことなのに宗教に幻惑される理由とは、やはりお膳立てのうまさということになると思われます。異次元への扉を開いた舞台装置、多くの人々が共に癒やされる共同幻想、そしてみな同じ苦悩者ならば、私だけに少しでも早く多くの思し召しを頂きたいという信仰競争をあおり、独占的救済欲求を昂揚させ、苦悩者は自ら進んで救済者にお気に入りの苦悩者へと変身していくのです。もはやかつての絶体絶命の苦悩者は自ら永劫の苦悩者として救済され続けているという承認を頂いて至福に至るのです。
 言い換えるならば、超越的、絶対的、普遍的な価値観による自己の認証、この認証が得られるならば、もはやこれに変わりうる確固たる自己は存在し得ないのです。もっと直截に言うならば、自己の超越化、絶対化、普遍化に他ならないというわけです。ところがそんな最強の救済を獲得した人々は、彼らの数だけ絶対的な「私」として存在することになり、当たり前のことですが対他的にはことごとく相対化された自己に埋没することになってしまいます。我々の立場からすれば、絶対的な自己など思い込みにすぎないといえますが、ここでは自己への否定的な反省力など誰からも要求されるはずもないというわけで、人々は排他的に自己に埋没するのみなのです。そんなわけでことごとく相対化されていく絶対的救済の蔓延が互いに排除すべき他者同士でしかない心貧しき人々にふりそそぐことになり、それを見越した新たなる新興宗教までもが彼らの標榜する救済に絶対性を付与し、人類の遺産である伝統的宗教ともども人々を苦悩の迷宮へと誘う領域に君臨しているのを知ることになるのです。
 これが宗教家にとって宗教の一番美味しいところであると同時に、人々を魅了して止まないところですが、これこそが宗教の孕む悲劇性であり危険な部分ということになります。
 ここでわれわれは宗教に半歩譲り、芸術にも半歩譲り、併せて一歩人々の常識的価値観から外れた何行者たるもの、人々の苦悩と救済に何か一家言なさんとするならば、自己の救済に埋没してしまっては必然的に到達せざるを得ない絶対的確信を、人々に対して相対化されていく状況のなかでいかに実効的な自己否定的反省者としての立場を獲得できるかにかかっているというわけです。で、あんたはどうするの? と問われ続けてきましたが、ここではそれこそが「絵空事」というわけです、とお答えしておきます、ハハハ。

 ところで宗教が、人々の前でその神秘性を誇示し深遠な救済の異次元を垣間見せるのは霊的世界への入口を開示しているからに他ならないといえます。
 つまり宗教は異次元への入口でもあるのです。しかし、霊的世界の入口には宗教家のみならず霊媒師とか、祈祷師とか、様々な案内人が待ち受けています。さまよえる苦悩者が、彼らの霊視という査定により苦悩の原因が霊的世界からの因縁であると認定されることになれば、その障害に見合った除霊とか祈祷によって苦悩の解消が獲得されるという段取りです。
 そもそも苦悩者にとってはその苦しみ痛みについての認識はどれほどの言葉を費やしても語り尽くせぬほどの物語を構築しているはずですが、その苦悩の原因が異次元あるという指摘には誰もが戸惑いを隠せません。なぜなら一般の苦悩者にそれを確認する手段がないからです。そこで霊界の案内人たちは、彼らの救済物語による苦悩の分別処理を行うのです。
 そこで分別処理された苦悩者は、自分の心に思い当たる節があるとばかりその査定を了解してしまうのです。なぜならこの分別処理とは誰の苦悩にも当てはまる苦悩の普遍化作業であることはすでに申し上げたところです。
 さて準備は整いました、自己の苦悩の原因を霊的メッセージとして納得できれば、後は霊界の案内人たちの除霊、祈祷などの救済論にすべて任せておけばいいのです。
 この異次元に迷い込む苦悩者は知らないうちに霊的苦悩に感染してしまう体質ですから、救済の霊的メッセージを享受しやすい体質になるために精進潔斎が要求されることがあるにしても、過酷な修行を要求されることはないといえます。もしも再び霊障といわれる苦悩の原因に取り憑かれることがあれば、また除霊して貰えばよいのです。しかしここで霊障による苦悩に二度と陥らない自分になりたいと願うなら、霊格の高い人格になるべく修行することになります。この段階になれば後は霊能者の養成システムを備えた宗教の独壇場と言ってもよいと思われます。つまり、宗教の霊的世界観にとって部外者であれば、自己の苦悩に関わりかねない霊的世界にその権威ある案内人としての風情は、人々の救済願望を引き寄せる魅力として映ります。
 とはいえ、また振り出しに戻る言い方になりますが、そんな霊的原因による苦悩も、苦悩認識のスタンスを変えれば、何が何でも霊界に踏み留まり霊能者のご厄介にならなければならないということもないのです。たとえば新たなる医学的、生理学的、神経学的な様々なアプローチによる脳機能の解明が、脳の記憶に蓄積された苦悩の解消に名乗りを上げるかもしれないし、いやいや、古色蒼然たる冥想、座禅なんてものも、心の安定といいうる目的がぶれなければ有効であるのは間違いないのです。つまり無意識の領域に至るマインドコントロールというものが、自己神格化に陥る危険をはらみながらも有効であるのは事実です。
 宗教のみならず、如何なる救済の方法も有効性と無効性あるいは危険性をはらんで常に人々の前に開示されているのですから、どれを選ぶかはあなた次第というわけです。
 そしてここで言えることは、すでに自己存立の根本原理を愛と見定めたように、因縁解脱といわれる究極の苦悩救済が、愛ゆえに生じる苦悩の一切を克服するために、この「 <愛> を消極的に引き受けて積極的に ( 対自として ) 解放 = ( 対他として ) 開放しつつ生きる」 でしかなかったのですから、そこその苦悩をそこそこの方法で克服し、自己の求める希望実現のために努力するのが効率のよい日常生活といえるかもしれません。これが普通の常識的生き方といえるならば、世間の文化・常識・制度・価値観を斜に構え、何行者などと標榜し奇をてらった表現活動を建前にした koya noriyoshi も幸か不幸かいたって常識的なところへと語るに落ちてしまったというわけです、ハハハ。

 

 


 

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