2 ) 不空芸術菩薩論の地平 〜絵空事とは

a ) 絵空事と表現



 一日一画として続けている表現行為は、6Fサイズのスケッチブックを使用し、当初はクーピーペンシルと呼ばれるクレヨンで描き、コラージュを経て近年はラシャ紙、色画用紙による重ね貼りを繰り返しています。私は持続するこの「表現行為=表現経験」を「絵空事」と呼んでいますが、6Fとして蓄積されていく作品群も「絵空事」と呼びます。
 ではなぜ「絵空事」と名付けたか。

 「絵空事」/ 絵に描いた餅などという言葉を引くまでもなく、絵は戯れにすぎない。とはいうものの人々はそんなはかない絵空事という戯れに真善美聖愛などという諸価値を担わせてきた。 翻って考えてみれば世間の巷にある諸価値というものも、それは人々の都合により戯れに何かに担わされたとりあえずの役柄でしかないのかもしれない。そこで絵空事の軽やかさを引き受けて諸価値の実相を見定めることができるのなら、何ものかを価値で鎧わなければいられない人々の営為を明らかにし、あるいは欲望でがんじがらめになった価値の抜き差しならない苦悩を解消する道を拓くことができるかもしれないと思われてくる。
 「絵実物」/ これは <絵空事> の対概念として造語したもので、たとえば存在論としていえば、「絵を空事」ととらえる絵空事の関係主義に対して、「絵を実物」と見なす実体主義ということになる。
 つまり「絵を空事」ととらえる存在論的な関係主義を私の表現生活の存在理由として標榜するということになります。

 ここで「絵空事」の話を進める前に、まず初めに「表現行為」「表現経験」「表現体験」についてちょっと触れておきたいと思います。これが私のいう「絵空事」における一番重要なキーワードということになります。