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「言葉の断片/2」

〜あたりまえの物語

 画面にコラージュされた言葉の断片、それは仏教者たる私が一日一画の懺悔録を自利行ゆえに「絵-空事(絵で空事を体得する)」と称して生きてきたことの名残。すでに生き続けてしまった8,500余枚の<私>物語のかすかな残映にすぎないが… 
 そんな言葉たりえぬ言葉が、パソコンでリメイクされて単に文字にすぎない画像として集められてみると、また何事かを語り始める。ところでパソコンを使い方次第でどうにでもなる玉手箱と考えてみれば、意味や価値の変換システムとして宗教的生活に取り入れることはいとも簡単。そこでこの「絵-空事」を利他行に変換して「絵-実物」と言い換えてみると、コラージュされた言葉たちは、十分に世俗的価値を担えるほどの面構えに変身して自らの画像を語り、画像で自らの物語を語る。
 とりあえずこれを芸術と言い換えてはみるものの、この物語は常にあなたと誰かによって語られなければ何も見えてこない。
 だから私がそんな言葉を拾い集めてみても、所詮は<私>を反芻するあたりまえの物語へと語るに落ちるだけではあるけれど…


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